第11話 心変わりの兆候

 いくらSHRを早く終わらせる彼女でも、となれば話は異なる。俺は早くも七時間目特有の眠気に耐えることができなくなっていた。


「――と、いう感じで。まだ四月だけど、文化祭実行委員を決めます」


 担任が話し終えると、教室が一気にざわつき始めた。ガヤガヤとしたノイズがあちこちで行き渡っている。


 俺は一人、迂遠な気持ちになっていた。文化祭、ねぇ。去年サボったら、当時の担任に大目玉を喰らった覚えしかない。


 少し顔を顰めて、窓の外に視線を向けた。


「では、立候補する人はいますか?」


 聞きなれない男の声がして、横目で教壇の様子を窺う。女教師は、男子高校生へと変わっていた。


 隣には眼鏡をかけた女子。この二人組が二年三組の議長なのだろう。進級早々にあった、係決めの時にその姿を見たような覚えがある。

 というか、その時に文化祭実行委員とやらも決めれば、よかったのでは? 担任補佐という名の保護観察付きの役割を拝命した俺は訝しがった。


「えー、やっぱり綾芭ちゃんでしょ!」

「そうそう、華宮に任せとけば安心だって」

「去年のクラスでも評判良かったしねー」


 議長がいるにもかかわらず、教室の中には無秩序が訪れていた。口々に、推薦という名の無責任な押し付け行為がなされている。

 あまりにも興味がなさすぎて、俺は瞼を閉じた。


「はい! あたし、やります!」

「おおっ、さすが綾芭ちゃんだぜ!」

「頑張ってね、綾芭。応援してるから」

「いや、みんなでがんばるんでしょ!」


 華宮のツッコミに教室全体に笑いが起こる。

 

 ぐっと息を吸い込むと、余計に眠く感じる。このまま何の抵抗もなく、眠りの世界に入っていける気がした。


「じゃあ一人は華宮さんで決まりということで。もう一人は――っと、凄い手が挙がってる……。さっきはそうじゃなかったのに」

「あの、あたしが選んでもいい?」

「まあ希望を言うのは自由だと思うよ」

「やった! ――そこでうたた寝してる、鹿久保君にお願いしたいな!」


 ――ガタンっ。


 頬杖が外れて、大きな物音が起こった。あわや机から転がり落ちるとこだった。


「……何言ってるの、綾芭?」

「鹿久保なんか、絶対あり得ないだろ」

「だいたいあいつ、去年いなかったぞ」

「考え直しなよ、綾芭ちゃん!」

「ていうか、寝てるってどうなの」


 ごもっともな意見がクラスメイトたちから飛び出す。


 烈しく困惑する連中だが、一番動揺しているのは俺だ。自分の名前がこの場に置いて出るなんて、全く想像もしてなかった。いくら華宮といえど、まさかここまでやるとは……


「えー、鹿久保君とならうまくやれそうな気がしたんだけどなぁ」

「まあ、その実行委員の一人である華宮さんの意見だから一応尊重は……あの、鹿久保君自身はどうなの、実際?」

「クラスの信任が得られないやつがやるべきじゃないだろ」


 その一言で、教室の中は一気に静まり返った。それが全てを物語っている。


 なおも諦めきれないのか、あの女は担任の方を窺った。


「先生はどう思います?」

「えー、あなたたちで勝手に決めればいいと思うけど。ま、個人的意見としてはやる気のないやつに任せてもろくなことにならない、かな」

「そういうこった」


 華宮はあまり納得のいかない表情で頷いた。こいつ、何考えてるんだか。

 そして、再び議論が再開する。教室のあちこちから、にょきにょきと腕が生えていった。男子の割合が多い。


 眠気なんて完全に吹き飛んでしまった。再び頬杖を突いて、ぼんやりと視線を宙に沢酔わせる。……なるべく、あいつの方は見ないようにして。

 

 あの日からもう四日。なのに、華宮の勢いは日に日に増している気がする。それなりに邪険に扱っているつもりなのに。

 その動機に理解が微塵も理解が及ばなくて、ただただ戸惑うばかり。あいつの目には、俺はどう映っているのか。


「よろしくね、カスミン!」

「カスミン言うなし!」

「では、実行委員は華宮さんと森川さんにお願いするということで」


 ようやく結論が出たようだ。この間の『カスミン』の苗字を、俺はこの時に初めて知った。


 一つ漏れ出た安堵のため息は、教室いっぱいにこだまする承認の拍手によってかき消されたのだった。



        *



「鹿久保君、ちょっと来なさい」


 放課後になってすぐ、濱川先生に呼ばれた。机を下げてから、頭を下げつつ教壇へと向かう。


 到達するなり、彼女は一枚の用紙を突きつけてきた。先ほどの進路学習の時間に配られた、キャリア志望調査紙だった。


「白紙じゃない」

「さんざん考えたんですが、答えは出ませんでした」

「……こりゃはるくんに相談しなきゃだわ」


 ぽつりと漏らした教師には相応しくない一言を、俺は聞き洩らさなかった。


「とりあえず、返しとくわ」

「へいへい」

「なにその態度?」

「いつもこんな感じだろ、夕さん」

「ここ学校じゃない!」

「じゃあはるくんとか言ってんじゃねえよ」

「…………え、やだうそ! あたし口に出てた?」

「ばっちり」


 少しだけ夕さんの顔が赤くなった。金曜日だから、どうせ気が緩んでいたのかもしれない。大型連休も近いし。


 俺は受け取った用紙をふわりと折った。正直、返されてもどうしようもない。

 東京の大学に行く、くらいしか進路のことは考えていない。とりあえず、この街を出たくて仕方がなかった。

 あとはまあ、独りで生きていくということくらい。


「ところで、華宮ちゃんとは仲いいんだ? 馬崎くんだけだと思ってたわ、あなたと仲いいの」

「そんなことないから。そもそも、馬崎とも仲いいわけでもないし」

「はあ。相変わらず、拗らせてるわねぇ」

「それほどでも」


 子供っぽい考え方を引き摺っている自覚はあった。みんなと仲良くするのは無理でも、仮面をかぶることはできる。大人がしていること。

 だから俺は、決してわけじゃない。いつかのあの女の評価は的外れだ。

 その点でいえばあいつの方がよほど——


「もういいですか?」

「ええ。ありがとね。気を付けて帰んなさい」

「失礼します」


 くだらないことを考えそうになったところで、俺は担任に別れを告げた。鞄を持ってくるべきだったと、例の用紙の扱いに困って思う。


「あっ、話終わった? 一緒に――」

「バイトだ」

「じゃああたしも、新崎さんに会いに行こうかな」

「…………来なくていい」


 そう。自分の席に戻ったらあの女がいた。スクールバッグを左手にぶら下げて。どうやら待っててらしい。

 七時間目の一騒動を起こしておいて、よくもまあ……思うところはあれど、今は飲み込んだ。放課後になったと言えど、教室内にいる同級生の数は意外と多い。


 それにしても。この姿を見ると、先ほど考えたことが一気に馬鹿らしくなる。こいつはただ自分のしたいようにやってるだけ。その結果として、大勢と仲良くすることができている。

 少なくとも、俺にはそうとしか思えなかった。


「どしたの?」

「いや、ストーカーは何課が扱うのかなと」

「びょ、病気扱いしないでよ」

「警察の方だぞ」

「今度は犯罪者扱い……ひどいよ、鹿久保君!」

「酷くて結構」


 鞄をひったくって、踵を返す。すぐに後ろからあの女がついてくる気配を感じた。


 騒がしい教室を抜けて、ひとけのある玄関を出て、新崎ベーカリーの方角へと歩き出す。

 間もなくして、隣に華宮の顔が差し込んできた。


「……アンタ、いったいどういうつもりだ?」


 足を止めて、俺はあいつの顔をしっかりと見て話を切り出した。

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