第12話 ぼやける虚像

「なんの話?」


 とぼけているのか、奴は平然としたまま。むしろいつも以上に、微笑んでいる気すらした。

 ややスローモーションに、その顔が傾く。同い年のはずなのに、普段はかなり子供っぽいくせに、今ばかりはずっと大人びて見えた。


 住宅街の入り組んだ路地の中。周囲に通行人の姿はなく、何一つ物音はしない。陽光は橙色に変わり始めている。

 飾った言い方をすれば黄昏時――辺りの雰囲気はどこかもの寂しい。あんなにも校舎の中は、騒がしかったというのに。


 華宮綾芭は、この空間にそぐわない。ここはこいつの居場所ではない。

 一言でいえば、煌びやかな存在。周りの人間を引き寄せ、元気を与える。それが、この数日での俺の中の華宮評。


 だが一方で、今この瞬間、俺の頭の中には別の映像が強く流れていた。

 ここと同じような場所で、一人さめざめと泣く姿。それが俺と奴のファーストコンタクト。第一印象は強く残るはずなのに、日に日にそれは逆に薄れていった。


「七時間目のことだ。いきなり、俺の名前なんか出しやがって」

「……ごめんね。やっぱり迷惑だったよね」

「別に謝ってもらいたかったわけじゃない。ただ理由を聞きたいだけだ」

「キミとならうまくやれそうだなって」

「意味がわからない」


 俺のどこに、学校祭実行委員としての素質を見出したのだろうか。そんなコミュ力とリーダーシップが必要とされる役割、適性がないのは自分がよくわかっている。


「だって余計な気を遣わなくてすみそーじゃん?」

「気遣い? 人気者のアンタが、か?」

「それは関係ないと思うけど」


 ずっと申し訳なさそうな顔をしていた華宮だったが、ここは笑みを溢した。だが、いつもの元気のよさはない。どこか自虐的とさえいえる、薄く暗い笑い方。


 人から好かれてるからと言って、周りに気兼ねなく接することができるわけじゃない。むしろ、往々にしてその逆が多い。

 そもそも、八方美人という言葉があるように。理由と結果が入れ替わることだってある。


 だが、こと華宮にとってはそうではないと思っていた。あいつの振る舞いはあまりにも自然体で、無理をしている風ではなかった。


「けっこー、疲れるんだよ、ああいうの。……鹿久保君も少しはわかるんじゃないかな」

「何言ってんだ。俺はいつも一人だ。わかるわけないだろ」

「だよね、そうでした」


 えへへ、とあいつははにかむように笑った。どこかぎこちない。ほんの一時間ほど前の、あの威勢のよさはどこへいったのか。今は完全に、雰囲気に翳が差している。


 調子が狂う。目の前にいるのが、華宮には思えない。校内での姿が、ここ数日の様子が、完全にこいつのイメージとして脳内に刻み込まれていた。


「……気遣う必要がないってんなら、森川の方がいいだろ。仲、とても良さそうに見えたぞ」

「うーん、カスミンは大切な友達だけど。カスミンはほら、あたしがこの間泣いてたこと知らないから。ねぇ、鹿久保君?」


 やっぱりあれは華宮だった。おかしな話だが、その言葉に實感が急速に湧いてきた。一致しなかった二つの像がいきなり結びつく。


「ねぇ、こっちから訊いてもいいかな?」

「……ああ」

「どうして、今までそのことを話題にしなかったの?」

「理由がないだろ。わざわざ改まって話すようなことじゃない。それにアンタにとっても、して気持ちのいい話でもないだろう」

「じゃあみんなに言いふらさなかったのは?」

「意味がねえ。俺には何の得もない」


 変わったのは表現だけ。その裏にあるものはなにも変わらない。


 あの女は呆れたように笑った。『素直じゃないなぁ』——何度も聞いた言葉が、声となって頭の中で再生される。


「優しいねぇ、鹿久保君は。気遣いの人だ」

「そんなんじゃねえよ。あの時も言ったろ、アンタに興味はない。クラスメイトだとわかった今も、それは変わらない」


 あいつの目を見てはっきり、淡々と告げる。


 華宮は笑みを崩さない。


「うんうん、そうだよね。キミは他人には興味がない。ロングホームルームも、関係ないって顔で、あの一番後ろの席でつまらなそうしてたもんね。だからね、上手くやれそうだなっておもったの」


 散々見てきた、悪意のない無邪気な姿がそこにあった。笑顔には一点の曇りはない。瞳には少しのブレもない。


「……飛躍してないか?」

「ヒヤク?」


 くすぐったいように笑って、奴は歩きだした。勿体つけるように、大股でゆっくりと。


 数歩先で振り返る。緩慢とした動き。薄い青髪がさらさらと宙に舞う。映画のワンシーンみたいな現実感のなさ。


「バイトの時間は大丈夫? プロの遅刻魔さん」


 身に纏う雰囲気はガラッと変わっていた。学校の誰もが知っている、華宮綾芭が悪戯っぽい表情で立っていた。若干、腰を曲げて。


 戸惑ったままでいると、奴はまたこちらに背を向けた。


 歩行を再開した華宮を、俺は忌々しさと共に追っていく。どうしてパン屋までが一本道なのか。


 軽やかに弾む後ろ姿を見ながら、知った気になっているのはこっちの方じゃないかと、顔を歪めるのだった。



          ✳︎



 電気をつけて、ソファにどかっと腰を落ち着ける。テーブルに晩飯であるスーパーの弁当を袋に入れたまま置いて。


 米ぐらいは炊こうと思うのだが、最近は寝坊が続いてその気力が湧かない。今日だって、なんとか朝に間に合いはしたものの、かなりギリギリだった。


 続いて鞄から、新崎ベーカリーで貰ってきた、売れ残りのパンを取り出す。一部は今、残りは朝(起きた時)食べる用。

 その時に空のタッパーに気づいた。ピンク色の蓋のそれは、中に黄色くて甘い固形物が入っていた。


「そういや、礼言うの忘れたな」


 タッパーもそのまま持って帰ってきてしまった。これに関しては、元々洗って返すつもりだったが。

 それでも一言いう必要はある。


『すまん。明日明後日も行けそうにない』


 スマホを開くと兄貴からのメッセージが入っていた。

 あのワーカーホリックめ、呆れて苦笑する。問題ないと返事を打ち込んだ。


 華宮の連絡先なんか知らない。それどころか、クラスのグループにも入っていない。


 まあ明日会うのだからいいか。手に持ったスマホをソファに放り投げた。


 一度座り込んでしまうと、立ち上がるのもひどく億劫で、タッパーもまた机に並べた。


 今日はいつも以上に疲れた気がする。時間帯もあって、うとうとしてしまう。微かな空腹感すら鬱陶しい。


 しかし華宮綾芭め。初めからわかっていたが、つくづくおかしな女だ。ただのお節介な陽キャと思っていたが、意外に底知れないところはあるし……。


 というか、どうして自宅にいる時までまであいつのことを考えないといけないんだ、俺は。ただでさえ、日中、喧しくて参ってるというのに。


 柔らかな背もたれに包まれつつ、ぐっと目を閉じる。部屋の中は、完全な静寂が支配していた。


 それでも思い出してしまう、下校中のあの異様なやり取りを。普段見せる姿とはまた違う。どちらかといえば、初めて目撃した時の雰囲気に近い。


「…………面倒だな」


 呟いてみたものの、なにに対してかは自分でもわからなかった。


 その後、テレビをつけて初めて、明日が休日だということを思い出した。それでも、気分が上向きになることはなかった。

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