第35話 意外な刺客

「ねえちょっと、話あんだけど」


 どこか棘のある声に、視線を向ける。

 不機嫌そうな顔した茶髪の女子が、机の横に立っていた。森川香澄、あの女に次いでこのクラスで二番目に関わりのある奴……と言っても、所詮どんぐりの背比べ程度の違いしかないが。


「今度はアンタか……」

「なにそれ。綾芭あの子と一緒にしないで。アタシはアンタと仲良くするつもりはないわよ」

「そうか。ともかく、手短に頼む」

「放課後、また来るわ」

「今話せばいいだろ」


 森川は教室内を見渡した。休み時間の今は、誰もが思い思いの過ごし方を送っている。いくつかのグループに分かれたり、孤高を貫いたり。

 はっきり言えることは、いつも通り室内はかなり賑わっている。そして、華宮の姿は見当たらない。


 再びこちらを向いたその顔は、一層曇っていた。


「ここじゃ色々と話しにくいのよ」

「まあそれが普通の反応だわな」


 俺なんかと話しているところを見られたくない。森川の気持ちはよく理解できる。

 冷やかすように言ったのだが、思いのほか、森川は傷ついたような顔をした。


「……別にアンタ自身がどうこうっていうんじゃ」

「わかってる。第一、気にしてねえよ。今更、周りのことなんて。……当てつけじゃないぞ」

「変なやつ」


 眉間にはばっちり皺が寄っているものの、俺には口元が微かに緩んだように見えた。


 ちょっと鼻につく反応だ。どこぞの誰かを思い出す。

 もっとも奴の場合は盛大に笑い出すに違いない。小ばかにするような言葉を吐きながら。


「じゃあよろしく。門のところで落ち合いましょう」

「ああ、わかった」

「くれぐれも、綾芭にはバレないようにね」

「そっちこそ」

「アタシは大丈夫。あの子、アンタに夢中だから」


 なぜか怒ったように言い残して、森川は自分の席に戻っていた。

 いったいなんなんだ。横目で追いながら、長く息を吐きだす。


 面倒なことこの上ないな。十中八九、華宮綾芭に関する案件だろうが。


 ちらりと見ると、戻ってきたあいつが森川と話していた。どちらもとても楽しげだ。

 

 俺はスマホを操作した。奈穂さんに向けて、バイトに遅れると連絡を入れるために。

 こんなこと、ついこの間まではなかったはずなのに。変わりきってしまった日常に、ぐっとうんざりした気分が増した。



          *



 森川が連れてきたのは、いつかに来た覚えがあるカフェだった。人目を避けるためか、店内の奥の席に陣取る。

 その割には、店自体のチョイスが間違っていると思うが。学校からあまり離れてういないんだが、ここは。


「ここも来たんだってね、綾芭と」

「あいつに訊いたのか」

「勝手に話してくれたのよ。最近、綾芭ったら口を開けばアンタのことばかり」


 唇を尖らせながら、ストローをくるくると回す。カップの中に渦が起きる。かなり不満そうなご様子。


 こちらとしても、非常に遺憾だ。あいつ、どこまで話しているんだか。


「で、用件は?」

「単刀直入に訊くけど、、アンタたちって付き合ってるわけ?」

「……何言ってんだ」


 くだらない質問に、鼻を鳴らす。

 改めて周りからの見え方を意識させられて、非常に疎ましい気分になる。

 堪らず、未だ熱いままの液体を啜った。


「ま、違うわよね。今の反応でわかるわ。だいたい、あの子とアンタなんて月とスッポンだしね」

「あいつが月だよな、それって」

「バカ言ってんじゃない」


 ふふん、とせせら笑ってから、森川はストローを口に含んだ。どこかスッキリして見えるのは気のせいか。


 なかなか食えないやつだな。腹に一物あるというか。どこか大人っぽい雰囲気と併せて、華宮とはまるで真逆。

 だからこそ、気が合うのかもしれない。


「最近よくつるんでるでしょ、アンタたち。何かあるんじゃないかって、みんな言ってる」

「だろうな。……あいつはそれ、わかってないのか?」

「まさか。そこまで鈍くないわよ、綾芭は」


 森川は不快そうに顔を顰めて、ひらひらと手を振った。


 わかっているんなら、是非ともやめて頂きたいものだ。それは森川にではなく、あの女自体に言うべきことだが。


「周りからどう見られるかわかってて、アンタに構ってる。その理由を、あの子自身は教えてくれない」

「それで俺に訊きたい、と? 心当たりはまるでない」

「でしょうね。ただの気まぐれだと思ってたんだけど、どうもそうじゃなさそうだし。今日なんか、嬉しそうにアンタと勉強会したこと話してたわよ。追追試、免れたって」

「あいつ、そんなくだらないことまで……」


 となると、全ての話が出回っていそうだな。もちろん、確認する術はない。藪蛇パターンは十分にある。


 しかし話が見えてこない。一体何を言うために、俺なんかを呼び出したのか。こんなの、互いに時間の無駄だろうに。

 スプーンをカップに突っ込んで、そのまま液体を掻き回す。全く無意味な行為。だが、どうしても手持無沙汰すぎた。


「最近の綾芭、ちょっと楽しそうなのよね。――ねえ、ほんとはさ、二人が遅刻した日に何かあったんじゃないの?」

「……何かって?」

「それを訊いているんだけど」


 あの時のことを、あいつは森川にも秘密にしているようだ。それなりに仲がいいと思われる友人にも。

 

 気まずさから、ついまたカップに手を伸ばす。どうしてか、心の片隅がざわついてしまう。


「はぁ。何考えてるのかねぇ、あの子は」

「それは俺が一番聞きたい」

「ま、それもそうよね」


 同情するように笑って、彼女はカップを一気に空にした。鞄を持って立ち上がる。

 そのやや細い目で見下ろしてくる。


「ということで、これからも綾芭と仲良くしてあげてね」

「なんだよそれ」

「いいわね!」

「保証はできない」

「なによそれ。ほんと、あの子の言う通り難儀な性格だわ」


 森川は呆れるように首を振った。仕方ないように、頬を緩める姿から、ろくでもない話を聞いていることに察しが付く。


「じゃあね、鹿久保。また明日」


 俺を一人残して、彼女は店を出ていく。一切振り返ることなく。


 果たして何が言いたかったのか、あの女は。困惑するままに、俺もまたカップを空にした。


 仲良くしろ、か。俺はどうしたいんだろうか。自分のことがわからなくて、本当に嫌になる。


 店を出て、そのまま新崎ベーカリーへと向かう。


「あれ、おかしいね、正宗君。今日は急ぎじゃなかったのかな?」


 そこでは、涼しい顔をした華宮が、申し訳なさそうにしていた副店長と共に待ち構えているのだった。

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