第4話 偏屈で浅はか

 濱川先生のホームルームは適当だ。二年生になり、担任が変わって、今までのまともさが身に染みた。


「じゃあ気を付けて帰るのよ。部活ある人は頑張って。以上終わり。号令係?」

「起立、礼、ありあしたっ!」


 こうして今日もまた最後の予鈴が鳴る前に、我々二年三組の面々は自由を得ていた。おそらく学校一の速さ。


 一番後ろの席というのは都合がいい。誰かが机を下げるのを待つ必要がない。相手に頼むのも、いちいち面倒だ。


 騒がしい教室、クラスメートたちはバタバタと賑やか。濱川先生もまだ教壇に残ったまま。

 俺は誰よりも先に廊下を目指した。最大級の警戒心を携えて。


 あの女、華宮は放課後の予定を聞いてきた。襲撃があってもおかしくないと考えるのは、決して自意識過剰ではないだろう。。

 面倒極まりないから、撒くに限る。相対した時、上手く切り抜ける自信が、あいつに関しては全く湧かなかった。


 無事に教室を抜けることができて、正直ほっとしていた。一応、こうして足早に玄関を目指しているが、危機は去ったと思っていた。


「ふっふっふ、お見通しだぜ~、鹿久保さんよぉ?」


 奴の姿を、自分の靴箱の前で見つけるまでは。


 大胆不敵な笑みを浮かべて、腕を組んで仁王立ち。どこに出しても恥ずかしくないほどの不審者っぷり。ここが学校でなければ、通報したいところだ。


「……なぜここにいる?」

「回り込むために」


 誰よりも早いと思ったが、それはただの自惚れでしかなかった。にもかかわらず、余裕をかまして……あまりも滑稽すぎて、自分に腹が立つ。

 なぜ、奴の姿を目視しなかったのか。悔やんでも悔やみきれない。


「退いてくれないか。靴が取れない」

「靴を取らせないから退くつもりはないよー」


 どやっと勝ち誇る華宮。こちらとしては、顔のあちこちがぴくついて仕方ない。


「……何なんだ、アンタは。どうしてそんなに俺に構う?」

「お昼にも言ったでしょ。クラスメートだから」


 クラスのみんなとなかよくしましょう――まるで小学校の標語だ。立派な志だとは思うが、できればどうか、余所でやって欲しい。


「悪いが他を当たってくれ」

「えっ! 他の鹿久保君がいるの?」

「…………冗談で言ってるんだよな」

「まあ、えへへ、そう」


 照れくさそうに奴は笑った。


 だが困った。このクラスの人気者さんはどうあっても、折れるつもりはなさそうだ。本気で『標語』を忠実に守っているのかもしれない。


 はっきりとした拒絶の言葉をぶつけようか。でも……考えてしまう。向こう側の心情を。

 あいつの主張は自分勝手だが、それはこっちも同じだ。友好の手を強く跳ね退けるのは、自分を棚上げする行為。

 自分が嫌な思いをしたくないだけで、相手に嫌な思いをさせたいわけじゃない。


「アンタの周りには、たくさん人がいるじゃないか。わざわざこんなはぐれ者と仲良くなる必要はない」

「必要だから誰かと仲良くするって、なんかおかしくないから。仲良くなりたいから、仲良くする。あたしはそう思うんだけど」

「……じゃあ俺の仲良くなりたくないって気持ちはどうなる?」

「うーん、そう言われると困っちゃうや……」


 華宮はどこか寂しそうな表情をした。そして一歩奥へとずれる。俺の外靴が姿を現した。

 これで下校することは可能になった。


 こいつは、たぶんいいやつなんだろう。こちらに友好の意思を示すのは、純粋な気持ちから。そういう奴だから、大勢の人間に親しまれている。。

 でも、それを単純に受け止められない俺がいた。これはもうしょうがない、後天的な性分みたいなもの。

 人には裏表があって、付き合いには上辺だけのものがある。


 それでも――


「で、用件は何だったんだ」

「へ?」

「だから、俺に何か用があったんじゃないのか?」


 ああいう顔を見て、心が痛まないほど、心はまだ死んではいない。我ながら、非常に疎ましい。


 俺の言葉に、しばらく理解が追い付いていない様子の華宮だったが、やがてその顔にパーッと笑みが広がっていった。


「うん。そうなんだ! 一緒に帰ろうよ!」

「……いやだ」


 それは俺が予想をしていた中で、最も聞きたくない用件だった。



        *



「うーん、どれにしようかな~」


 華宮はさっきからずっと下を向いたまま。その目線があっちこっちに動いている。

 待ってくれている店員は笑顔だが、内心ではどう思っていることやら。気まずいことこの上ない。


「うん。キャラメルラテにします」

「かしこまりました」


 軽快な手つきで店員はレジに打ち込んでいく。

 間もなくして、その代金が告げられた。


「えーと、おさいふ、おさいふ……」


 華宮は鞄の中を漁り始めた。

 会計前に探し出しておけよ、と思わないこともないが、黙っておいた。

 

 不必要な停滞に、店員の視線がいたい。

 華宮は「おかしいなぁ」とか呟きながら、手を動かし続けている。段々と、その規模が大きくなる。

 広がる、胸の中の嫌な予感。


「……あはは、忘れちゃったみたい」

「アンタ、ろくでもねえな!」


 さすがに俺は声を荒らげてしまった。

 そして俺の財布から『野口』が消えた。


 適当なテーブル席で、華宮と向かい合う。お互いの目の前には、先ほど注文した品が無事置いてある。


「いやぁ、ごめんごめん。鞄変えた時に、入れ忘れちゃったみたい」

「……普通、確認しておかないか? お前がお礼するって言って、わざわざ遠回りして、ここに来たんだぞ」

「うぅ、返す言葉がございません……」


 肩を縮こませながら、彼女は静かに飲み物に口を付けた。


 校舎を出てすぐに、こいつは変なことを言い出した。曰く、一緒に帰るというのは寄り道するものだよね、と。

 初めて聞いた。そもそも俺は、勝手にしろと言って玄関を出た。奴の提案に同意したわけではなかった。


 もちろん、断る気は満々だった。しかし、寸でのところで考えを変えた。これまでのパターン的に、逆に好き勝手やらせた方がいいんじゃないかと思った。

 今はただ、あんな出会い方をしたから、異常に構ってくるだけ。無愛想に応対し続ければ、向こうの方から飽きるだろうと高を括っていた。


 そもそも今回についてはしっかり念押ししてある。


「なんにせよ、この一杯飲んだら帰るからな」

「わかってますって。大切に飲まないとなぁ。おごってもら――」

「金は返せ」

「…………イヤダナァ、ジョーダンデスヨ?」


 そもそもあの時の礼だ、とか言ってなかったか。まあもともと、それをすんなり受け入れるつもりはなかったが。

 俺は大した――いや、何もしていない。そもそも礼をするという行為自体が見当外れなのだ。


「ほ、本当に冗談だからね! そんな怖い顔するのやめて~!」


 顔が強張ったのは別の理由だったが、華宮は何か盛大な勘違いをしたらしい。

 訂正する理由はないか。代わりに、もっと強く眉を顰めて、俺はコーヒーカップを持ち上げた。

 なんでこんなことに、と激しく不思議に感じながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る