第4話 東熊山の富嶽 其の三
(もしかして仕留めた──⁉)
初の胸に淡い期待と後悔の念が同時にわきあがった。
さすがにやり過ぎたのではないか? いくらタフさが売りの大女といえど、体中に暗器が突き刺さっては死んだも同然ではないのか?
というより今の富嶽の姿はまさに弁慶の立ち往生そのもの。
(ま……まさか……あたしは人を殺し……)
膝が震えたところで、棒手裏剣が一本、ぽろっと落ちた。
続いて苦無やマキビシが次々抜け落ちていった。
安堵しつつも驚愕すべきことには、ことごとく先端が曲がるか潰れるかしている。放たれた投擲武器は大女の着物を貫き、体表に突き立ちはしたものの、肉に抉りこむことはできなかったのだ。
(
初は産毛が逆立つのを覚えた。
悪遮羅身──不動明王の異名でもある悪遮羅の名を継承する者が、獲得すべき最大にして最後の課題、あらゆる攻撃を生身で受けて不動を保つ瞬間的な肉体の硬化。いわゆる金剛身のことである。
それを成し得た者がここにいる。家柄は違えど共に学び共に遊んだ幼馴染が。
「
富嶽が道着の衿をはだけて右肩を露出させた。
くっきり浮かんだ青い痣。独特の形は、まるで梵字だ。
「悪遮羅さまだ!」
「悪遮羅さまのお印が!」
黒装束の忍者もどきたちが口々に叫ぶ。
初が引き連れてきた手勢は、いずれも大里逗家の使用人か悪遮羅流の門下生である。それなりに腕が立つ彼らを畏怖させる象徴を大女は誇示したのだ。
(カーン……?)
子供時代に風呂で見た薄く青い痣は、富嶽の成長とともに面積を広げ、今この場において不動明王の種子の形をとった。
「山籠もり中、この梵字が発生しました」
「ああ……」
懐剣を取り落とし、初は膝をつく。
本邸での斬首の儀式に耐えたのは目の錯覚でなかった。
すでに証明ずみのことではあったが、心のどこかで何らかのトリックだと信じたがっていた未練を初は恥じた。
「初さん」
「ななな何よ……!」
誰もが魂を抜かれた面構えの中、初だけがまともな返事をすることで宗家の面目を保つ。
「私が晴れて悪遮羅姫を継承するための交換条件を用意してくださったのでしょう? やり遂げれば学校へも通えるようにしてくれることを。違いますか?」
「そこまでお見通しなら……後日きちんと使者を立てて知らせるわ」
「悪遮羅姫の称号をかけての取引なのですから、武芸とは無関係の力が要求される内容は反則ですよ?」
「勿論よ。後生だから不動さまの種子を引っ込めて」
「何日ぐらいでお返事がいただけますか?」
「三日はかかると思ってちょうだい」
「三日ですか……」
かなり長い。本家としては、絶対に達成不可能な難事を用意しなければならないのだから無理もないが。
「いいでしょう。すべて乗り越えてご覧にいれますよ」
「あなたの武勇で納得させてもらえればいいのよ。だから……だからもう……」
「わかりました。もう日も暮れるので、これでお帰りください」
世が世なら、姫君と臣下の関係であるお嬢様に、両手を合わせて懇願されては仕方なかった。
富嶽は着物の衿を合わせ、同時に巨影も夕闇にまぎれてゆく。
後には無言でそそり立つ大小の古木のみ。
富嶽が去っても初はしばらくは合掌したままうつむいていた。
「……
「え? 僕に言ってるんですかお嬢」
ささやき声で五一と呼ばれた少年の配下が呑気に答える。
「あんたに決まってるでしょ! あいつ行った?」
「行っちゃいました。気配は微塵も感じません」
「よっしゃあ! 名演技名演技! あっはははははははは……」
汗をぬぐって初は虚勢丸わかりの高笑いをしてみせた。
「失禁してません? 代えのパンツなんか用意してませんよ」
少年は側近ポジションらしくなれなれしい口を聞く。
「しとらんわ! あの馬鹿者、三日も待つとは、まんまとこっちの思う壺にはまってくれたわ! 見てらっしゃい、最強の駒を用意してやるから!」
「それはいいんですけど、富嶽さん以上の使い手が当流に存在するのかな?」
五一が率直かつ現実的な質問を投げかけると笑いがぴたりと止まる。
「探せばいるでしょ、悪遮羅四天王とか……」
「シテンノー? もしかして僕も含まれてたりするんですか?」
初は見るべきものもない方向を見ながら歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます