第13話 夜に遊ぶ

 東熊山に籠ってからの富嶽の生活は大体以下の通りである。

 

午前5時 起床、注連縄を張った大桜に向かって拝詞奏上。

午前7時 朝食。山荘には台所もあり、米櫃に雑穀を備蓄している。

午前八時 正午過ぎまで四十キロある丸彫りの木剣を用いた型稽古。

午後0時 昼食。山菜のシーズンなので味噌汁の種には不自由しない。

午後1時 稽古の続き。素振り一万回。

午後2時 足腰の鍛錬も兼ねて、夕暮れまで山を一周しながら食料を探す。

午後4時 山頂の御社へ参拝。

午後5時 山荘へ戻り、神棚へ祝詞奏上。

午後6時 夕食。長らく自炊生活だが、料理の腕は普通以下。

午後7時 読書。最近はポーに嵌まる。

午後10時 仏間で観音経を唱えて就寝。


 特に観音経は物心つく前から子守歌がわりに聞かされてきた。

 傲慢であれ、されど神仏と自然への崇敬の念を忘れるなという母の遺言であり、彼岸にいる人との絆でもあったのだ。


 しかし最近は、読経後すぐ布団には入らず、山をうろつくことが増えた。

 夢の中で、また鬼女の殺戮が待っているのかと思うと、どうにも寝つきが悪い。少しでも体力を削れば、嫌でも眠れるだろうと山荘の外に出た。


 山奥である。それも深夜だ。落ち葉を踏みしめる富嶽の足音だけが響く。

 生あるものすべてが息を潜めているかのごとき奇妙な時間が、背後の湖水も含めて東熊山一帯を覆っていた。

 富嶽は闇を恐れない。山で自分より強い者はいないことを知っているからだ。夜更けに山歩きなどする酔狂な若い娘も自分ぐらいしかいないことも。

 富嶽は昼同様に夜の山も愛した。むしろ町明かりを厭うた。


 木と暗闇だけの世界で、大女おとめはただ独り遊ぶ。

 耳を塞ぎたくなるほどの静寂さは、繊細な者の神経を追い詰め、朽ちた祠や不気味に風化した石仏は、臆病者でなくても肝を冷やすであろう。

 そんな夜の狂気が支配する山道を、胸に一片の恐怖すら抱かず歩けるのは、山育ちゆえの慣れ以上に富嶽が持って生まれた豪胆さに他ならなかった。


 今ここで、得体の知れぬ何かに、いきなり腕を掴まれたとしても、富嶽は取り乱さず迅速に対処できる。

 相手が何者だろうと関係ない。野獣だろうと、死霊だろうと、魔物の域に片足を突っ込んだ殺人鬼だろうと、悪意を持って自分に接触したことを後悔させるだけだ。普段の仏の相を封じ、卑しく獰猛な者だけに見せる鬼の相を晒し、無慈悲なまでの合理的な手段で念入りに。


 恐怖を撒き散らす者を富嶽は憎悪した。

 恐怖を与えることに愉悦を見出す者を富嶽は嫌悪した。

 昨晩の夢で、その想いをいっそう強くした。

 鬼女が降りた場所は、時代は違えど琵琶湖畔、おそらく一柳の庄。

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