悪遮羅剣劇帖

狛夕令

山の章

第1話 序・夢の鬼女

 空が青いのは血を抜かれたからだ。

 血の補充のために青空は絶えず生贄を探している。

 風がちぎれ雲を追い立て始めたら、即刻逃げねばならない。

 それは黄泉の扉が破れらた合図だから。


 数えること十夜、人が殺される夢に辟易しながら片山富嶽かたやまふがくは、繰り返し同じことを思った。


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 居城を吹き飛ばして作られた広場に何人もの男が転がっている。

 場所はどこかわからない。中世以前の西洋風の街並みや住民のおかげで、現代の日本でないことだけはわかるのだが、地球以外の惑星ほしの可能性もある。

 ともかく自分が生まれるより遥か昔の出来事なのは間違いなかった。


 横たわる男たちは、鎧兜で身を固めた戦士の集団であった。

 ことごとく手足を折り曲げられ、内臓を破られ、血みどろの姿で立ち上がれずにいるのだ。周辺には銃や火砲も含めた彼らの武器も破壊されて散らばっていた。


 下手人は四本の角を生やした巨大な女である。

 富嶽自身も二メートルを超す大柄な娘だがスケールが違う。

 鬼女は猫背をしゃんと伸ばせば五十メートルには届きそうだ。頭部には双角が鋭く、眉の上あたりからも太い一対が突き出している。


 逞しい両腕は猩々しょうじょうのように長く、前足と呼ぶべきかもしれない。実際、女は疾走するときは四つん這いになるのだ。

 銀灰色の頭髪は背中まで伸び、生物感に乏しい滑らかな肌には、天然の模様か刺青かは不明だが、黒いラインが幾何学的な模様を描く。

 つり上がった両眼と口の中は、火炎地獄へ通じているのかと疑うほど真っ赤に輝き、熱気を発散していた。


 鬼女はまちから都へ、くにから州へ渡り歩き、略奪と暴虐の限りを尽くした。大勢仲間を引き連れてはいたが、組織だって抵抗する者をなぎ倒し、街を焼き払うのは女一人の仕事であった。


 鬼女が吠えると、明らかに種族が異なる──人間に近い郎党どもが、城の奥に隠れていた女たちを引きずって来た。

 女たちはみんな可憐で愛くるしく、涙を浮かべて震えていた。

 無造作に一人、鬼女が摘まみあげる。

 男たちが叫んだ。富嶽も叫んだ。


 やめろ、と声に出した直後、女の頭が爆ぜた。

 おそらく鬼女にとっては、指先で苺を潰す程度の感覚であったろう。

 滴り落ちる生臭い果汁が呼び水となり、恐るべきカーニバルが始まった。

 悲鳴と悲鳴が打ち消し合い、蛮族どもは十分な満足を得てから、最後の仕上げを鬼女に任せる。


 女怪は投げ出された順に女たちを殺していった。子供が虫の足を一本ずつもいでいくように体を引き裂き、頭蓋を砕き、臓腑を抉り出す。

 助けようにも身動き一つとれぬ男たちの慟哭をせせら笑う。

 鬼女は彼らの男気とでもいうべき感情がお気に召さない様子あった。


 この国の男たちは皆精強な戦士だった。妻や娘を守るべく突然の襲撃者にも果敢に闘いを挑んだが、あまりにも相手が絶大にして獰悪過ぎた。

 瞬く間に大半が血脂の破片に変えられ、破邪の盾をかざして突進した国きっての勇者さえ、灼熱の吐息をかけられると盾だけ残して焼け崩れた。虫の息の何人かが女たちの凄惨な最後を見物させるべく生かしておかされたのだ。


 その男たちにも十分な絶望を与えた。もうこの土地に用はない。

 最後に男たちの喉を爪で抉ってとどめをさす。うめき声も完全に途絶えた。

 荒涼とした風の音に鬼女はしばらく耳を浸した後、幾ばくかの満足を得た様子で空へ向かって吠えると、呼び声に応じて雷電が巻きつく球体が降りてきた。

 球体は鬼女と仲間たちを吸い込み、虚空の彼方へと飛び去ってゆく。


 (惨たらしや……)

 富嶽は手出しできぬ無念に歯ぎしりした。

 殺される人種や場所はそのつど異なるが、主人公は常に有角の鬼女で、吐き気をもよおす殺戮場面の夢がすでに十日は続いている。

 しかし、富嶽はあくまで所業は嫌悪しながらも、鬼女に懐かしさを感じていた。

 あの女は何かに絶望している。奥深い虚しさを抱えている。

 なぜ、鬼女の気持ちがわかるのか最初は不思議でならなかったが、すぐに答えが出た。

 鬼女の横顔は亡くなった富嶽の母そっくりであった。

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