第8話 片山富嶽とは何者なのか 其の三

 「……伯母さま」

 殺意を込めた一刀に富嶽は耐えた。

 鉄兜さえ断ち割る上段を頭蓋で受けきってみせたのだ。


 初と真喜雄は、ホッとしながらも肩を落とすにとどまったが、芽類夫人は違った。確かな奇跡が起きても、いや奇跡が起きたからこそ大人は往生際が悪くなる。

 「認めていただけましたか?」

 「認めません! わたしは認めませんよおまえなど!」

 「ええ⁉ 話が違いますよ」

 「お黙り! どうせ防具でも仕込んでおいたのでしょう! この卑怯者!」

 「鬘じゃあるまいし、どこに防具が仕込んでおけるんですか」


 「当主の言葉が虚言なりとでもぬかすのですかあ!」

 理屈も通じぬまでに錯乱した芽類は、憤怒に燃えて再び刀を振り上げた。

 「くたばりなさい化け物!」

 「お母様、みっともないからやめて!」

 「もうよすんだ米留!」


 娘と夫の制止を無視して繰り出される狂刃にも富嶽は素手で対処、丁々発止と渡り合い、白刃取りで捕捉した。

 「どうか冷静に。奥様は私の倍以上生きておられますが、武芸(こっち)にかけてはあなたのほうがお若い」

 祈りにも似た仕草で引き寄せる。

 柄が夫人の手をすり抜け、中道剣は富嶽の手元へ収まった。

 「これにて免許皆伝の印とさせていただきます」


 「誰か! 誰かこの女を倒して! その者に中道剣と家禄を授けます!」

 よたよたと縁側へ倒れかかり、女当主が弱々しく吠えた。

 家宝と家禄と聞いて、欲の皮を突っ張らせた門人らがいっせいに襲いかかったが、到底富嶽の敵ではなく、中道剣の剣圧だけで振り払われてしまう。


 「おのれ泥棒猫ォ!」

 一度は憑き物が落ちたかのように放心状態の芽類だったが、土足で屋内へ上がるや即取って返して、今度は猟銃を持ち出してきた。

 すかさず真喜雄が彼女の両胸を着衣の上からぎゅっと掴む。

 家中においてはお飾り同然、彼に与えられた権限は妻に比すべくもないが、決して恐妻家などではなく、むしろ狭量な夫人を小馬鹿にしているフシすらある男だ。


 「あなた、こんな時にどこを触っているの!」

 「殿中だよ芽類!」

 「あなた離して! 揉まれると力が抜ける……!」

 「富嶽くん、早く逃げたまえ!」

 「ありがとうございます」


 長躯の乙女は陣幕を破って、素早く庭園から逃げ出し、その日のうちに居候していた大里逗邸の離れから、東熊山の山荘へと引っ越したのである。


 亡妻の遺影を持って納経の旅に出ている父・片山斤吾かたやまきんごは出発前にこう言った。

 ――悪遮羅姫は十中八九おまえに決まるはずだ。本家分家から色々な嫌がらせがあるだろう。どう対処するかはおまえに任せるが、仁慈の心だけは忘れずにな――


 自分の後ろ盾がなくなることで娘に危険が及ぶのを心配するどころか、嫉妬に狂う連中の身を案じてさえいたのである。父がこう釘を刺しておかなければ、初らは山中で金剛身を誇示される以上の恐ろしい目に会っていたかもしれないのだ。

 ともかく、こうした展開を想定していたおかげで、あらかじめ風呂敷包みに荷物一式をまとめており、東熊山への籠城もスムーズに実行できた。


 「泥棒猫か……」

 奥方様は昔、富嶽の父に惚れていたという風聞は、どうやら本当らしい。

 しかし、風来坊気質の片山斤吾かたやまきんごが妻に選んだのは、旅先から連れ帰ってきた氏素性の知れぬ大柄な女、つまり富嶽の母であった。結果、せめて顔だけでも似ている満喜雄と結婚したという噂まで囁かれている。


 「私に優しくしろったってできませんわなあ」

 意中の男を寝取った女の子供に家宝の剣まで奪われた夫人の胸中を、ある程度は斟酌してやれるだけの分別は富嶽にもあった。

 とはいえ、当主がああまで私情に流されては示しがつくまい。


 (私も好きな人ができたら、平気で醜態を晒すんだろうか……)

 すでに森には結界が張り巡らされていた。入山して最初の晩、淡く光る紐状の物体を梟がくわえて飛ぶのを富嶽の目は捉えた。

 常人には不可視の糸で木々を電線のように繋いでいる。悪遮羅流でも魔術寄りの、野生の鳥獣を操る技能者の仕事だ。


 もはや気取られることなく出奔するのは至難の業だ。となると、先方の条件どおりの武功をあげて、堂々と東熊山を後にするしかあるまい。

 (それに、あの青い目の人にまた会えるかもしれませんしねえ)

 昨夕のわずかな邂逅以来、黒頭巾の隙間から覗いた紺碧の瞳は、刹那だけに鮮烈な雷光のごとく富嶽の瞼に焼き付いたままであった。

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