第10話 湖国四山 其の二

 東の妻城、西の桜井、北の置塩、南の射水。

 湖国四山──本家を守る四つの家と、格家を代表する実力者たち。

 「策に頼るなとは言いません。むしろ絡め手こそが昆獣こんじゅうを駆使する私たちの本領。でも義姉ねえさん、あなたが蔑まれる原因はあなたの手口にあることぐらいおわかりでしょう? 悪遮羅流の名を貶めないためにも、もっと自分を大切にしてほしい、これが私たちのささやかな願いです」

 「うっ……」

 ぴしゃりと言われて、駄々っ子気質の栄姫も返す言葉に詰まる。

 これぞ湖国四山の束ね役・北胡蝶の置塩晶美の貫禄。大里逗家の女主人も満足して、数時間ぶりに笑顔を取り戻した。


 「お見事ね晶美さん、さあさあ内輪もめもここまでにして。あなた方には心を一つにして事態ことに当たってもらわなければならないのですから」

 「片山富嶽への誅罰なら一人でやらせていただきます」

 晶美の堂々たる言いっぷりに頼廣と善監も続いた。

 「そのために俺たちは馳せ参じました!」

 「三山、もとい四山にとってまたとない晴れ舞台!」

 彼らとて片山富嶽の実力はじゅうぶん承知している。過去に一度は手合わせして敗れながらも、なお漲る覇気に芽留は狂喜した。


 「皆さん頼もしいこと。遠地とはいえ本家が受けた恥辱に知らぬ顔を決め込んでいる分家にも見習わせたいわ。鎌倉や駿河はすぐには無理としても、畿内の者は何をしていることやら。来てくれたのが桑名だけなんて、ねえ昆さん?」

 話を振られて如斎谷昆が薄く笑った。

 「旗本時代から大里逗のお世話になっておりますから」

 「何らかの思惑があってのことでしょうけど嬉しいですよ」

 さすがに芽留もこの女に全面的に信を置くのは危険と察しているようだ。初もそこは母以上で何度も胸の奥で帰れ帰れと叫んでいる。


 「初、あなたからも皆に念押ししておきなさい」

 母に促されて初はすっくと立ちあがった。

 「ええと……中道剣を富嶽に奪われたのは、あくまであたしの実力不足。急に呼び出してごめんなさい」

 「後継者がいきなり頭を下げてどうするの⁉」

 「黙ってて! これからよ!」

 弱気な発言を詰る母に歯を剥いて、初は耳障りな声で叫んだ。

 「四山の力を借りなきゃいけない自分の不甲斐なさを認めて命令させてもらうわ。あんたたち富嶽を倒してきなさい! きれいな勝ち方にはこだわらないからね! 多少の見苦しさには目をつぶるわ! それから、お茶啜ってるデカい奴!」

 遠慮なく敵意を込めたまなざしを如斎谷へ向けた。


 「昆! なに当たり前みたいな顔してこの部屋に座ってんのよ⁉ クソろくでもないはかりごとがあるなら叩き出される前に出てけ!」

 しかし如斎谷昆は柳に風、首を傾けて罵声を受け流す。

 「謀とは滅相もない……お嬢様に睨まれて私に何ができますやら」

 「およしなさい初、今は味方が一人でも必要なときですよ」

 「お母様はこいつが味方に見えるの?」

 「敵に見えて当然だよ。お嬢は昔、試合で負けた後に全裸で簀巻きにされて、悪遮羅神社の鳥居に吊り下げられたんだよね」

 「やかましい小姓ザコ!」

 場にそぐわない呑気な声を出したのは、背後に控える側近の右側のほう。初は即座に回し蹴りを打って黙らせておく。


 「いやはや、あの頃は私も勝負の定法をわきまえぬ子供でしたから、つい勝利の余韻を長引かせてたくて死者を過度に鞭打ってしまいましたな」

 「如斎谷家の勢力拡大のために昆さんが暗躍している情報うわさぐらい聞いていますよ。でも初、あなたも悪遮羅流の本家の跡取りなら、過ぎたことなど水に流して、清濁併せのむ度量を備えなさい」

 「過ぎたことは水に流せか……」

 畳に這わされた右の側近が皮肉っぽくつぶやく。


 「この女は濁り酒どころじゃないっての! 毒よ毒!」

 「落ち着いて。あなたは何か言うことはなくて?」

 「富嶽くんは慈悲深い。死ぬと感じたら迷わず命乞いしたまえ」

 「もうよろしい!」

 夫の発言を打ち切って、芽留は手を鳴らす。

 「さあ、この後、出撃順を決めたら、さっそく富嶽へ送り付ける書状をしたためなければなりませんね。伊良いら、明日おまえが持って行きなさい」


 指名された左の黒頭巾が震えるように瞬きした。

 「──はい」

 「それと特製の〝お土産〟を持たせますからね。富嶽も山中では不自由しているでしょうから……」

 典雅な、しかし歪な薄笑いを女主人は浮かべた。

 その横顔と使者を任された黒頭巾を栄姫がじっと見つめる。

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