第10話 湖国四山 其の一

 大里逗初らが這う這うの体で東熊山から戻ってきた日お翌晩、悪遮羅明神社へ集う三つの人影があった。

 いずれも年若い者ばかりだが、醸す空気はどこか剣呑、境内を進む足運びにすら野性味を帯びている。

 光を当てれば、白壁に獣の影絵シルエットが映し出されそうだ。


 悪遮羅神社境内と敷地を分け合う大里逗家本邸は、豪壮とした日本家屋の群れの中に西洋式の家屋がぽつんと建つ。

 白い壁に赤い化生梁を嵌めたハーフティンバーの家はいかにも浮いて見えるが、実はこの洋風の一棟こそが邸内における最古参の建造物で、他は火災や水害により損失、すべてここ三十年以内に再建されたものだ。


 その洋風母屋にも来客用の和室があり、十六畳の座敷に大里逗一家が集っていた。

 床の間を背に、大里逗夫妻と初が座して来客を待つ。初の左右には御高祖頭巾で顔を隠した詰襟服の少年二名が控え、やや離れて射水栄姫が憮然として座る。

 そしてもう一人──初は何度も敵意の視線を送っていた。


 栗色の頭髪をオールバックにし、肩の膨らんだブラウスと茶色のロングスカートを着用した女で、彫像のように身じろぎもせず座っている。

 女の名は、三重県の桑名からやって来た如斎谷昆じょさいやこん。悪遮羅流でも異端に属する孔雀扇術を伝える如斎谷家のひとり娘である。

 中道剣継承の試し切りの試練に参加した一人だが、芽留夫人の帯刀姿を見ただけで早々に辞退、以後なぜか一柳町に滞在し続けている。


 (あんた、何しにこの町へ来たのよ……!)

 昔、奉納試合で惨敗して以来、初は彼女が嫌いだった。

 年齢は十八歳のはずだが、未成年とは思われぬ独特の艶、不気味な貫禄、何より立ち上がれば百九十に達する長身は、嫌でも富嶽を思わせる。


 やがて女中が手を着いて報告に現れた。

 「三山の方々が到着なさいました」

 「通しなさい」

 芽留の返答に襖が音もなく開いた。


 「よお、本家の皆様がた!」

 元気よく挨拶したのは、下後から牙を生やした二十歳ぐらいの青年だった。黒い細袴の道着の上からマタギのように毛皮を羽織っている。

 「おひさしぶりです」

 次に入ってきたのが鹿子を純白に散らした着物の青年。先に入ってきた男と同じぐらいの年頃で、半面を覆う前髪が実に気障。

 「失礼いたします」

 最後がやはり二十歳ぐらいの和装の女性だった。揚羽紋が刺繍された濃緑の袴を履き、清々しい横顔はこれぞ女性武道家といった趣だ。


 「これで湖国四山が集いましたね」

 女当主が満足げにうなずくと三人は座して頭を下げた。

 「猪子山の妻城頼廣つまきよりなか

 「鹿子山の桜井善監さくらいよしたかここに」

 「北胡蝶の置塩晶美おじおてるみ

 座敷に入ってきた順に名乗りをあげる。


 「本当にいたんだね四天王」

 初の背後に控える右側の黒頭巾が左の黒頭巾に囁いたが、彼の相方は小さく咳払いをしただけだった。

 「そして南胡蝶の射水栄姫いみずえいき!」

 空気扱いは願い下げとばかり栄姫が彼らの横に並ぶ。

 「……四山一の小者の」

 トリを飾る口上に誰かがぼそっと付け加えた。


 当然、距離的に聞き漏らすはずもなければ、聞いて黙っている性格でもなく、射水家の娘は鹿子柄の男を睨みつけた。

 「ちょっと桜井さん! 誰が小者ですって⁉」

 「聞こえたかい? 悪かったね」

 桜井善監はあっさり認めて、誠意皆無の詫びをつぶやく。

 「口の悪い野郎だな。会うなり仲間割れはじめてどうする善監、小者くさい手でも使わんことには栄姫があの片山の化物に対抗できるかよ」

 嫌味を嗜めた口で妻城頼廣もまた余計な一言を付け加える。


 「小者小者うるさいわ平民出身が!」

 「義姉ねえさん、お静かに」

 ヒステリックな激昂をものともせず置塩晶美が言った。

 「妻城さんも桜井さんも確かに言葉が過ぎます。でも、あなたが山中で演じた猿芝居の情報は、わたしたちの耳にも入っています」

 「ククッ……」

 不気味な大女、如斎谷昆が声を落として笑った。

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