首途の風

 「あんた、まだここで素振りしてたの」

 竹垣越しに初が声をかける。


 「しばらく、この山荘や霊樹ともお別れですからな」

 羽子板の親玉みたいな木剣を振るう手を止めて、富嶽は答えた。


 「出発は二時間後よ。まだ荷物まとめてなかったりしないでしょうね」

 「五分で完了でしたよ。元々大して持って行く物もないですからな」

 浣心亭の縁側には唐草模様の巨大な風呂敷包が一つきり。荷造りにも大女おとめの磊落さが如実に現れる。


 「斤吾おじ様は、旅に戻られたのよね」

 「はい、私が寝落ちしている間に」


 父斤吾は、祇怨閣での闘いの後、さすがに異界帰りの富嶽の疲弊を悟り、山荘まで百四十キロの娘を背負ってくれたのだ。おまえを背負うのもこれが最後だろうと少々寂しげに笑いながら。

 浣心亭の座敷へ着くと同時に、やり切った達成感を胸に抱き、富嶽は眠気に身を委ねた。


 一晩と翌一日の眠りから覚めた時には、父は既に旅立っていた。

 枕元には『剣技はまだ研鑽の余地あれど、戦士として私が教えることは尽きた。御本家に武芸者の號を乞うが良い。如何なる場所に居ようとも山と湖水があれば、父母と繋がっていると心得よ』としたためたふみが一通。


 「しかし、初さん自ら迎えに来るとは珍しい。てっきり五一君を使いによこすかと思ってましたが」

 「あいつと忠太は出立前の御払いと神前読経よ。護衛なら他にもいるし」

 「誰かと御一緒で?」

 「……わたしじゃ悪い?」


 ふてた顔で木立から現れたのは射水栄姫だった。

 明らかに地元校とは異なる制服を纏い、旅行鞄トランクを持っている。


 「おや、射水さん」

 「わたしの顔なんか見たくもなかったでしょ?」

 「射水さんの体面を潰し過ぎたかなあと反省していると言ったら嘘もいい所ですけど、初さんのお連れなら客人扱いしますよ。二人ともどうぞ」


 網格子の木戸を開いて、二人が庭へ入ってくる。

 富嶽、初、栄姫と並んで縁側へ腰を下ろした。この三人が東熊山で顔を合わせるのは、およそ十日前、初率いる一隊が山荘へ奇襲をかけて以来だ。


 「なんか珍しい並びねこれって」

 初が庇を見上げる。五月に入れば燕の巣で賑わうだろう。


 「それで初さん、五一君も羅刹女伝道学院へ転入すると聞きましたが」

 「絶対役に立つから、忠太と花鳥抱き合わせで連れて行きなさい。あいつらはセットでいた方が実力以上の力を発揮するのよ」

 「願ってもない話ですけど、二人供いなくなっては不自由しませんか?」

 「側仕えなら、いるじゃないここに」

 笑いながら左に座る胡蝶姫の背中を叩く。


 「射水さん、初さんと同じ学校へ通われるんですか?」

 「そうよ……明日から京都の学校で寮生活」

 慣れぬ制服のスカート膝を握り締めて栄姫は言う。


 “本家のお嬢さんと同級生になれるなんて名誉なことです”

 “あの子には射水の名が通用しない場所で苦労させないといけませんよ”

 大里逗夫妻直々に打診を受けて、栄姫の父も母も、娘を転校させることを快諾してしまったらしい。


 「矢部さんと玉造さんとも離れ離れに? せっかく三山右翼が結成されたのに」

 「何処までも姫に着いていくって言うから、あの子達も連れて行くわ。二人の親も承諾済み。むしろ、わたしの親より喜んでたみたい」

 「という訳で、むしろ付き人役なら増員されたのよ。安心して忠太と五一をこき使ってやりなさい」

 「私ときたら御本家に迷惑をかけてばかりだったというのに」

 「使用人も、しばらくはあんたと顔を合わせづらいし丁度いいわ。それより羅刹学院には、昆の息のかかった生徒がたくさんいるから用心なさい」


 孔雀扇術の女怪の名が出て、栄姫がはっとする。

 「如斎谷はどうなったの⁉ 厨子の向こうの世界へ落ちて行ったんでしょ⁉」

 「え……あの人なら……」


 視線が漂う。二の句が継げなかった。

 完全に失念していた。半ば故意に。


 「忠太君が絹糸を通して生命の振動を感知していましたが……彼から聞いてませんか?」

 「忠太も二日間眠りっぱなしだったし……別にいいでしょ」

 初はあっさり片付けた。


 「あんた以上に命冥加なヤツよ? 心配して損したってぐらい平然とどっかから出てくるに決まってるわ」

 「ですな。今頃、一柳町の何処かで朝飯でも食べてるかもしれません」


 幼馴染のドライな見解に乗っておくと決めた。

 冷淡なようで、昆の悪運に押し勝てるのはおのれのみという自負と、ライバルへの奇妙な信頼があった。


 「羅刹女ラクシャーシだっけ? あんたや昆並みの怪物は珍しいけど、あっちは鬼女の血を引いた女達を隔離教導してるって話じゃない。あんたが連中を指南しておくのよ。またアシャラと一戦交える時が来た時、前衛かべにする為にね」

 「そんな連中、信用できるのかしら初さん?」

 胡乱な目をする栄姫。


 「確かに心配ですが、私が羅刹女を地球の守護神にしてみせますよ」

 代わって富嶽が答えた。


 「アシャラは救えぬ一闡提。されど悪遮羅大明神は大里逗の屋敷神を越えて湖国の信仰を受け止めてきた歴史があります。守護神の名を汚す所業を私が虱潰しに阻止すれば、まことの神に生まれ変わりましょう。指鬘外道(しまんげどう)に堕ちたアヒンサでさえ改心できたのです。いわんや一度は神に祭られた者をや」


 同意を求むるかの如く庭の古木を仰ぐ。

 残花を散らした葉桜の緑が目に眩しい。長く季節の経過を楽しめるのが山桜の良い所だ。古来、桜は儚さ潔さの象徴などではなかった。

 ざあっと枝葉が風に揺らいだ。さわやかな巒気らんきが庭へ流れ込み、大女おとめの角張った顎を撫でる。


 「さあて、山を下りますか」

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悪遮羅剣劇帖 狛夕令 @many9tails

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