後始末 其の三

 「祖霊様がああも下等……繊細な御方だったとお察しできなんだのは私の不明。頭部の説得は後回しにして、切断された両腕を掘り起こす方が賢明かな」

 「舌の動くに任せていると先方の逆鱗に触れる場合もあるということですにゃ」

 「皆まで言うな。代わりだ。代わりをよこせ」


 茶碗を持った手が突き出される。

 猫風童女のアンズが受け取り、いそいそと御櫃から飯をよそってやる。


 「食欲旺盛、結構なことですにゃマスター」

 「なにしろの世を覗いてきたからな」

 既に二十杯目となる飯をかきこみ、奈良漬けと白菜漬けを一緒に頬張ってから、味噌汁で流し込む。


 「この宿の味噌汁、具材が多いのはいいが随分と雑多カオスだ。余った野菜をみじん切りにして、鍋にぶち込んでるな」

 うんと濃く煎れさせたお茶を呷る。緑茶の苦味渋味を口内に行き渡らせた後、ようやく如斎谷昆は一息ついた。


 「死ぬに死ねぬ理由の一つに、現生このよは飯が美味いというのがある」

 「片山富嶽も同意しそうな意見ですにゃ」

 杏は嬉しそうに空の湯飲みにお茶を注ぐ。

 「しかし、厨子の中へ飛び込んだマスターが琵琶湖から出てこられるとは、全く以て予想外でしたにゃ」


 主人の命令通り、杏は悪遮羅明神社の鳥居の前で待機していたが、夜が明けても昆からの通信テレパシーが来ない。

 やがて祇怨閣に集った面々が下りてきたので、猫に戻ってやり過ごし、どうしたものかと思案に暮れている最中、湖畔まで来るのだと主人の声が届いた。


 「祖霊殿に投げ捨てられて、闇の底を落ちて行った時は、さすがの私も、ほんの少しだけ生きた心地がしなかったよ。不思議の国のアリスの如き楽天家でも地球の反対側に出られるなんて展望も抱けまいて」

 冥界を支配するプランを一から練らねばなるまいと腹を括った時、昆が七才の時に亡くなった曾祖父の声が聞こえてきた。


 「畳敷きの明るい場所へ落ちてな。ここが終点かと思ったら、曾おじい様が芸者侍らせて遊んでるじゃないか。生前、豆腐より四角四面な男で通っておった曾おじい様がだ。私が声をかけると、えらく狼狽してな。すぐ生き返らせてやるから儂が遊んでたのは黙っておれよと言われて、気がついたら湖面を漂っておったのよ」

 「杏がマスターを救助できたのも曾おじい様のおかげですにゃ」


 昆の思念を捉えた杏の行動は素早く、湖畔の貸しボート屋に札束を握らせてモーターボートをチャーター、朝焼けを反射する湖水で主人を回収したのだった。

 今くつろいでいる旅館も、富嶽に撃墜された晩以来、大里逗家への口止め料として倍の料金を払っている。


 「あ、マスターが仮眠おやすみの間、羅刹女学院に変わったことはないか、埜口君に電話をかけておきましたにゃ」

 「緑の君はどうしている。私の不在で寂しがっておろう」

 「入学以来心から伸び伸びさせて貰っている、室長さんには気が済むまで、いっそ一柳町に永住してくれて構わないという返事でしたにゃ」

 「強がりおって。帰ったら室長室へ連れ込んで抱擁よしよしタイムだな」

 「副室長にも電話したら、埜口ヤツが伸び伸びし過ぎて癪に触るのでヤキを入れてやりたいと申しておりましたにゃ」

 「あの阿呆、私の暫定フィアンセに手を出したら……おっと待てよ」


 窓の向こうに聳える三重の塔は祇怨閣。五階の壁に張られたビニールシートが風に叩かれている。

 鬼女を棲まわせる異界の瘴気が流出したのだ。鬼女の毛髪も直に人界に触れている。当面は壁の修理よりも穢れ落としの儀式に徹しなければならないだろう。


 「片山富嶽は今日、我が羅刹女伝道学院へ発つのだったな。副室長が埜口君に私刑リンチにかけようとしている場面に遭遇するよう御膳立てしておくか」

 「副室長とフガクじゃ、きっとケンカになりますにゃ」

 「ケンカが成立するものか。ほぼ一方的に副室長がのばされるな。副室長には上の上に属する羅刹女ラクシャーシとの実力差、富嶽には学院の実態を知って貰うには丁度よかろうギヒヒ……」


 卑しい主人の笑いに杏は溜息をついた。

 せめて歯茎を見せないで欲しい。

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