第13話 山姫と桜の精 其の二

 「若先生、若先生いらっしゃいますか」

 「いらっしゃい」

 濃紺の袴からのぞかせた素足をぶらぶらさせて、古木と一体化したような姿で樹上から声をかけると、十四、五歳ぐらいの少年は枝に座る富嶽を見上げた。


 「初お嬢様の代理で伊良忠太いらちゅうたと申します。本家からの御言付けに参りました」

 「聞きましょう。どうぞこちらまで」

 「木の上ですか?」

 「見晴らしいいですよ。立ち聞きされる心配も低い。高い所が苦手でしたら下りてきますが」

 「いいえ、そこでお待ちください」


 伊良忠太はリュックの重さをさほど苦にもせず、案外器用に幹を登ってきた。

 「お、よく上ってこれましたね」

 「こう見えて軽業も仕込まれております」

 富嶽は初めて明るい陽射しの下で相手の顔を見ることができた。

 その一瞬、呼吸が止まった。


 (お、おおっ……)

 初めて経験する種類の衝撃だった。

 体の真芯を疾風が走り抜けていったにも等しい。


 少年は美しかった。美男と見当はつけていたものの予想を超える美しさだ。

 前髪を眉の上で一直線に切り揃え、耳をはっきり出して、襟足は長過ぎず短過ぎずの独特なおかっぱ頭。それが詰襟の制服と不思議なまでに相性が良く、少年の中の少女美とでも表現したくなる絶妙のハーモーニーを奏でている。


 碧眼という西洋人的な特徴を備えながら、そこはかとなく醸し出す〝和〟の趣。

 その違和感の出所を富嶽はしばしの逡巡の後に見出せた。

 肌の色だ。大桜の周囲に敷かれた花屑と同じ色、かろうじて人間の目で判別可能な限りなく真白に近い薄桃色が頬を染めている。

 頬以外に指先も、手首も。きっと背中や他の部分も。


 桜の精霊せいだ、この子は。


 「若先生?」

 「えっ……? ああ、失礼」

 少年の声で富嶽は我に帰った。呆と見とれていたようである。

 「やっぱり、あなたが来てくれたんですねえ」

 しみじみとした口調で言うと、伊良忠太は意外そうに首を傾けた。


 「私のことなどご存じなのですか?」

 「ほら、あなたが私の背後を取ったじゃないですか」

 「あ、あのときは、とんだご無礼を!」

 「いいです、いいです、いいんですよ!」

 枝上で平服しそうになるのを素早くやめさせた。


 「謝るのはこっちです。あなたを傷つけなくてよかった」

 瑞々しい両目や桜の肌を含め、換えのきく代物ではない。頭巾もろとも顔面を立ち割ったりしていたらと考えるだけでぞっとする。

 不愉快な夢に悩まされる日々で遭遇したオアシスを損失させずに済んだことに富嶽は心から安堵した。

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