第3話 東熊山の富嶽 其の二

 富嶽が声をかけると全員の動きが止まった。

 「……デクの棒のくせして神経冴えてんのね」

 小学生と誤解されそうなほど小柄な少女が茂みから現れた。

 ちょっと意地悪そうな目つきで、黒いタンクトップに、ゆったりした黒いズボン、黄色の帯を巻いて、セミロングの髪の両端に小さな三つ編みを結って耳の側に垂らしている。


 彼女につづいて、黒い覆面の忍者もどきが次々姿を見せた。

 もどきと呼ぶのは正しくない。他業種との兼業ながらも彼らが学んだ技は正真正銘の忍術である。

 例えここが文明開化以前の自然を手つかずで残す山中であろうと、独自の風俗倫理が生き続ける地方であろうと、現代社会に忍者?

 だが忍者は、厳密には忍術を心得た人間は、この滋賀県一柳の郷に存在する。富嶽が属する武芸悪遮羅流は、甲賀地方とも通じており、交流の中でもたらされた術の数々は、時流の取捨選択の波に呑まれながらも命脈を保ち続けていたのだ。


 短躯の娘はつかつかと歩み寄り、はるかに上背のある女と真っ向から睨み合う。

 富嶽とは遠縁の幼馴染であり、本来なら膝を折って出迎えるべき悪遮羅流宗家の御令嬢・大里逗初おおりずういである。


 「狂言で不意打ちを狙うとはあなたらしくもない」

 「あたしの発案じゃないわよ。栄姫えいき!」

 「だって奥様が手段は選ぶなって……」

 偽登山客の栄姫は、もごもご言い訳しながら黒装束の群れにまぎれ込む。


 「道理で……いかにも射水さんらしいアイデアですな。しかし、採用しなければいいでしょう」

 「あんたが中道剣ちゅうどうけんを持って山に籠ってしまうからじゃない! 何日学校休む気? 高校退学になってもいいの?」

 初が三つ編みを振り乱して叫ぶと、両者の間を火花が走った。

 「退学はつらいが誰が山に籠城させたんでしょうね。あなたも本家の方々も誰一人、約束を守ってくださらないんですから」


 「大里逗家の体面を考えなさいよ。お母様は寝込んじゃって、お父様は看病で付きっきり! あたしが中道剣を持って帰らなきゃ、家族に会わす顔がないのよ!」

 「私にだって試し斬りに耐えて皆伝した意地があります」

 「こ……この大仏女が……」


 ひさしぶりに向かい合うことで富嶽の大きさを再認識できた。

 こんな女がいていいのか。まるで衣類に覆われた壁だ。

 身長202センチ、体重130キロ、頑丈な骨格に支えられていることを伺わせる厚みのある体形。

 山中に暮らす女らしく短く刈った髪、鷲に例えられる鋭い目つき、鼻筋が通ったスフィンクスのような顔立ちは、女性にしては少々ハンサム過ぎて、極太のマジックで一気描きしたような印象がある。


 ちんちくりんで痩せぎすの自分が文科系的に色気のないタイプなら、富嶽は体育会系の色気ないタイプといえた。それでいて胸元は豊かに盛り上がっているのが面白くない。

 加えて、大里逗本家の跡継ぎたる自分を差し置いて、悪遮羅姫を襲名するなど初のプライドが許すはずもなかった。


 「悪遮羅姫候補との試合に勝ち残り、中道剣の試し斬りにも耐えた。これ以上、何をやって見せれば皆さん納得していただけるんです?」 

 嘆息するや富嶽の背後に影が立ち――硬直した。

 後ろを取ろうとした相手の喉元には剣尖。鈍重そうな見た目に似合わぬ反応と巧緻、この女が悪遮羅姫に選ばれたのも確かな実力があってこそ。

 やはり悪遮羅大明神さまの御意志と受け止めざるを得ないのか……とさすがの初も気持ちが折れかけた一瞬、隙が生じた。


 後ろに立った人物の黒頭巾が裂け、シャム猫みたいな青い瞳がのぞいたので、富嶽はついそっちへ気を取られてしまったのだ。

 (異人さんかな?)

 初は見逃さなかった。帯の下の懐剣を取り、口笛を吹く。

 四方八方から凶器が飛んだ。手裏剣、苦無くない、マキビシの類が数百本。

 富嶽のほぼ全身余すところなく突き刺さった。

 

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