離郷の章

後始末

 「南胡蝶を湖国四山から除名します」

 「──じょめっ⁉」


 射水栄姫の下顎ががくんと落ちた。

 ありとあらゆるものが彼女から抜け切ってゆくと居合わせた誰もが感じた。

 いわば脱力の極み、軽く肩でも叩こうものなら、畳の上に排泄物を盛大に広げていたかもしれない。


 「此度の騒動における醜態の数々を考えれば納得できますね? 如斎谷さんにいいように利用され、実力においても大きく後れを取り、もはや他の四山と同列には扱えません」

 祇怨閣での激闘から三日後、本邸へ招集された面々の前で、大里逗芽類が栄姫の冠位剥奪を告げた。


 離れの座敷には、上座の当主一家と対座する栄姫。

 左の襖側には猪子の妻城頼廣、鹿子の桜井能監、北の蝶の置塩晶美。

 庭に面した右側は、矢部イサヲと玉造カヲル。


 「お、おばさま! ご再考を!」

 だらんとした顎を両手で押し上げ、栄姫が抗弁する。

 「今回は恰好悪かったのは認めますわ。いいえ、ずっと前から栄姫はクソ意地悪い小者でした! 実力や人品で、富嶽はおろか晶美達にも劣っている自分自身への苛立ちを紛らわす為に弱い者いじめばかりしておりました!」


 「だったら再考の余地なんかないっての」

 初が冷淡に返す。

 崖っ縁にしがみつく手を踏みつけそうな眼力に栄姫は怖気をふるった。


 「おば様!、祇怨閣での姫の活躍を考慮して下さいませ!」

 「初お嬢様の貞操を御守りしたのは姫です!」

 イサヲとカヲルが必死に擁護するが、当主母娘は厳然たる表情を崩さない。

 猪鹿と北の蝶も取り成しに動く気配なし。


 「あんまりですわ……小物と誹られようとも、わたしなりに本家の御意向に沿うべく奔走したのに……お父様お母様にどう申し開きしろとおっしゃるの……⁉」

 「まあ、落着きたまえ。大里逗に次ぐ射水家の家名もあることだしね。栄姫君には別の肩書を用意してあるんだ」

 畳に突っ伏し、栄姫が泣き出した所で、頃合いよしと満喜雄が割って入った。


 「以前から本来の形である三山体制に戻そうという話があったことは知ってるだろう。この際、再編成しようかと思ってね」

 「再編成⁉」

 微かな希望を感じて、泣き濡れた顔を上げる。


 「さすがに射水家の長女を全くの無冠にもできまいしね」

 「三山を二つに分けて、左右両翼体制にします。妻城、桜井、置塩による猪鹿蝶は左翼。栄姫さんは右翼のリーダー胡蝶姫こちょうひめを名乗りなさい」

 芽類夫人が新たな二つ名を言い渡した。


 「あ、ありがたき幸せ! 右の三山は、わたしの他に誰が?」

 「矢部さんと玉造さんに決まっているでしょう。その為に二人も呼んだのですからね。あなた達が既存の三山との並列部隊ですよ」


 イサヲとカヲルが狂喜して栄姫に飛びついてきた。

 「やったわね姫! 胡蝶姫の任命おめでとう!」

 「晴れて姫と呼べるわ! わたし達まで正式な三人組チームに昇格して下さるなんて、おば様も粋な計らいをなさいますわ!」


 「それに合わせて、矢部さんは猪子姫、玉造さんには鹿子姫を名乗ってもらいます」

 「──えっ」

 お祭り気分になりかかった二人の顔に影が差す。


 「イサヲが猪ですか⁉」

 「わたしは鹿⁉」

 「湖国三山の内幕は猪鹿蝶と決まっているのですよ。気持ちを一新して励みなさい」


 取り付く島を与えずに夫人が言い切ると、頼廣と能監が笑いかけてきた。

 「猪鹿蝶と蝶蝶蝶じゃバランスが悪いだろう。ま、これからは同じ猪枠ということで、よろしくなイサヲ」

 「もっと可憐な動物が良かった……」

 「駄目な鹿と駄目じゃない方の鹿と呼ばれぬように頑張りたまえカヲル。よければ鹿子山の神鹿しんろくを一頭、君の為に融通してやるぞ?」

 「あんな可愛げのない鹿いりません……」


 晶美だけは黙って坐したままであったが、じっと自分を見つめていることに栄姫は気づいた。

 格上バケモノ以外なら喧嘩は買う主義なので、条件反射的に突っかかる。


 「何よ⁉ わたしが四山からはじかれて嬉しい?」

 「栄姫さん、瞳が輝いていますよ」

 「わたしの瞳が……?」

 「肩の荷が下りたみたいですね」

 リボンのように頭上に揚羽蝶を止まらせた晶美が微笑む。

 「え……?」


 妙に気恥ずかしい。彼に対して小癪なライバルという以外、含む所など一つもない栄姫が何故かどきっとした。

 自分もこれぐらい優しく笑える日が来るのだろうか。

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