神は鏡を詰めたれば 其の二

 「大山鳴動・神鏡かんかがみ!」


 剣人合一の突きがアシャラの眉間に埋まる。

 光の亀裂が鬼面を走り、絶叫が迸った。

 地獄そのものの口から吐き出されたのは絶叫ばかりではなかった。無数の純白の鳥が羽ばたきながら現れた。


 (迦陵頻伽(かりょうびんが)⁉)


 鳥達は皆人の顔をしていた。たった今まで富嶽を詰った首だ。

 もう誰も泣いても怯えてもいない。憎悪とは無縁の幸福の光に包まれている。


 「成仏されたか。アシャラに殺された人々の万分の一にもなるまいが……」

 何かに導かれるように虚空の彼方へ消えてゆく。

 「波羅羯諦はらぎゃてい……」

 合掌して飛び去る鳥の群れを見送った。


 (口惜しや! されど、このまま退きはせぬ!)

 悪鬼の首が独楽のように回り始める。

 霊刀を突き込まれた箇所から黒い霧を噴出、撤退以外の道はないと悟りながらも最後の足掻きを見せた。

 首の回転が富嶽を弾き飛ばし、毛髪に捉われた忠太も投げ出された。


 「忠太君、糸を!」

 指先に霊蚕の絹糸が絡まることを期待して手を伸ばすが、逆方向へ飛んだ二人の距離はあまりに遠い。


 桜精を諦めるなどあり得ない。忠太を側に置いてこそ百鬼夜行との死闘に明け暮れる人生にも耐えられる。

 これは最悪、彼と一緒に戻ってきた時には、あなたは老人になっているかも知れませんと初に詫びつつ、果て無き次元の旅へ出ることを覚悟した瞬間、現世から救いの手が差し伸べられた。

 褐色の岩のような大猪が飛び出してきた。


 「──護王!」

 押しっくらなら大女おとめにも善戦、猪子山の生ける重機関車が、小さくなりつつあった忠太を拾い上げたのだ。

 襟を咥えて、ひょいと背中に乗せて戻ってくる。


 同時に臀部を叩かれ、振り向くと銀を塗したような大鹿が。

 「三笠⁉」


 お尻の衝撃は無角の頭突き。富嶽に恨みがましい目を向け、周囲に数十匹の揚羽蝶を引き連れている。


 「置塩さんの揚羽まで……そうか、湖国三山も復帰されましたか!」

 神使たる昆獣が揃い踏みしただけで説明不要。彼等の相棒が地上での騒ぎを収めてくれたことを理解した。


 「若先生……アシャラは去ったのでしょうか」

 大猪の上の忠太が聞く。

 「この空間の下層へ逃げたようですな。中道剣の痛さが堪えたと見える」


 実際の所は、神授の大刀を用いても仕留め切れなかったおのれの未熟。

 この場で決着をつけておきたいが、忠太も疲弊甚だしく、自分も体力の残量を鑑みるに追撃は断念せねばなるまい。


 果たして今生において、アシャラと決着をつける機会は訪れるのか。それとも金剛心と霊刀を受け継ぐ者に託すことになるのか。

 いずれにせよ悪鬼の器となることを断固拒否、地上へ這い出る寸前で撃退したのだ。今回は人類の勝利かちとしていいだろう。


 「……それはそうと痛いですよ三笠」

 さっきから白鹿がしきりに胴をぶつけてくる。

 「私に乗れと?」


 能監に言い含められているのだろう。この際、助かる。

 富嶽は遠慮なく三笠の背にまたがった。些か難儀なようだが、瑞獣の足腰は百四十キロの騎乗を受け止める。


 「白黒揚羽の諸君は先導を頼みます。護王も忠太君を落とさぬよう気を付けて。では三笠、いざ我らが故郷たる湖国へ帰還!」

 前方を指差し、はりきって指示。反り返らせた首に顎を打たれた。


 「命令するな? ああ、角を落とされたことを恨んでるんですね……」


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