第16話 山姫と桜の精 其の五

 (しくじったな……南国果実と条件の他愛なさに浮かれてしまった……)


 ここで自分が動かねば人死にに繋がるという事態に出くわせば反射的に行動できるのだが、一旦タイミングをはずすと次の機会を作るのが苦手だった。

 つまりは腕っ節のわりに弱気に陥りがちなのだ。


 彼女の中に確たる行動の指針が根付く前に母が死んだことと、母の慰霊の旅に父が出てしまったことが原因であったかもしれない。

 誰か背中を押してくれる、というほどでなくても良い。軽く肩を押す、いや触れるだけで富嶽の眠れる情熱を喚起させるスイッチになり得たのだから。


 惜しむらくは、それに適任たる旧知の友と今は敵対関係にあること。

 いっそ悪遮羅の座など返上しようかとさえ考えたが、もはや遅きに過ぎた。一度とことんまでり合わねば、この絡みもつれた友情は清算できまい。


 (彼も、まんざらでもなさそうだったのは自惚れかな……?)

 助けてくれた人以上のものを感じてくれても罰は当たらんじゃないか。

 いやいや、愚痴は言うまい。彼は本家のお嬢様にお仕えする身だ。女性が一人で住む場所へ長居するのは外聞が悪いと遠慮してくれたのだ。


 (でも、初さんのお世話をしているのなら、女性の部屋に入るのも慣れているでしょうに。やはり、私みたいなゴツい女を恐れているのか? 駄目だ駄目だ! また愚痴っぽくなってる!)


 図々しいようで僻みっぽい小心者、自分は腕が立つだけの引きこもりだ。

 木を下りて、根元に立てかけてあった蛮刀型の木剣を取った。自己嫌悪を振り払うには稽古に没頭するに限る。


 昨夜の夢では、鬼女が襲った村は明らかに日本、それも琵琶湖のほとりの村であった。鬼女は地球に来ていたのだ。となれば、鬼女の同胞はらからの再度の襲来に備えて対策を練っておかねばなるまい。

 かねてより研究中の我流オリジナル剣法の練習を始めることにした。


 所々に残花をとどめるのみの大桜は、ぼろぼろの着物をまとい両腕を広げた女巨人のようで、岩より固い樹皮といい、夢の鬼女に見立てるのにちょうど良い。

 どう料理してくれよう。すれ違いざまに腱を斬って足を奪うか?

 ジャンプして横一閃? それとも唐竹割りで真っ二つ?


 「ほおおおおお! 悪遮羅流奥技・大山鳴動……」

 「若先生」

 両腿の筋肉が膨張し、奇声をあげた刹那、後ろから呼ばれて鋼の心臓が跳ねた。

 忠太が戻ってきたのだ。ちょっとだけ訝しむような目つきをして。


 「何をなさっているのですか?」

 「あ? これですか? ただの日課です日課」

一般的な意味での羞恥心が希薄な大女おとめも、外宇宙からの巨大怪物用の必殺技を編み出すためと口にするのは、何となくはばかられた。


 「忠太くんこそ、またどうして? 何か忘れ物でも?」

 「今日は、少し帰るのが遅れても大丈夫なのです」

 「遅れても? ああ、伝えるべきことを伝えたら即帰ってこいとは厳命されてないと」

 「はい、ですから……」

 「お話しましょう! さあ、今度は庵の中へ!」

 富嶽は狂喜して少年を山荘へ招いた。

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