第32話 ーーーお前の母親は、バカヤロウだ!!!

「もう、やめにしないか?」



 心の中に迷いはある。

 それでも、なるべくはっきりとした口調で、俺はマリにそう告げる。



「やめにする……?

 ははは、どしたのウツミんさん。

 もしかして今日は体調悪い?お酒飲みすぎちゃったのかな?


 ……なんてね、ママとのことで疲れちゃったんだよね。ごめんね。

 うーん。でもさ、せっかくの稼ぐチャンスだしさ。ちょっとだけ休憩して、頑張ろうよ!


 私が風邪ひいちゃったせいだけど、しばらく収入なくて大変なんだよね」



 マリは賢い子だ。

 とぼけているが、俺の言わんとするところなどわかっているだろう。


 だから俺は単刀直入に言った。



「なあマリ。今の生活、いつまで続けられると思う?」



 セリフはヤマちゃんの丸パクリだが。

 意図するところは正確に伝わったようだ。



「……ウツミんさん、オサムさんのことを気にしてるんだよね。

 わかるよ。私もすごくショックだったもん。


 ちょっと得意じゃない人だったけど……嫌いじゃなかったよ。

 体調崩したのも、その影響もあると思う。


 ……でもさ、ずっと逃げてるわけにもいかないじゃん。

 危険があることなんて、冒険者になる前からわかってたことだしさ。


 もう、一週間も様子見したんだよ。

 装備とか、回復薬ポーションとかしっかり用意して、どこかで挑戦しないと。

 ウツミんさんの眼と私のスピードがあれば、きっと大丈夫だよ。

 というか、正直私達で逃げてたんじゃ、戦える人なんていないと思うよ」



 マリの言ってることは全く正しい。

 相棒バディが本心からそう言っているのなら、俺も協力を惜しむことはないだろう。


 でも。



「マリ。本当に自分で、冒険者をやりたいと思って言ってるか?

 もしお母さんに言われてやってるだけなら……命を懸けて戦う理由にはならないんじゃないか?」


 あの母親の言葉に、命を懸けるだけの価値はない。

 俺はそう確信している。



「あ、あははは。

 で、でもさ。やっぱりそれは困るんだよね。

 ほら、最低でも住宅ローンだけでも払わないと、家がなくなっちゃうじゃない。

 そのためにも、私が頑張らなくちゃ」


「なくしちまえよ、家なんか」



 俺の言葉にマリが表情を失うのが分かった。

 それでも、俺は怯まない。

 正しいと思うこと、当然だと思うことを淡々と告げる。



「なくしちまえよ、あんなたいそうな一軒家。

 高校生が命懸けにならなきゃ保てないような家なんて、そもそも身の丈を超えた贅沢品だろ。

 ローンだの固定資産税だのの負担がなくなりゃ、お前が命を張らなきゃならない事なんてないはずだ。


 家なんて、なくなっても死にやしねえよ。

 あの立地なら買い手もつくだろうし、ローンを完済しても多分お釣りがくる。

 新幹線も通って、いくらか土地の価値も上がってるだろうしな。


 それで、どこかでアパートでも借りりゃいいだろう。県内なら、多少不便な立地を選べば、家族6人で住めるような物件もそれなりの値段で借りられるはずだぜ。

 そりゃ、一軒家程住み心地はよくないだろうけど、そもそもそれが本来の及川家の経済レベルなんだよ。


 そこから抜け出したけりゃ、もっと長期スパンで、家族みんなで力を合わせて頑張りな。

 少なくとも、高校生の長女一人に全部を押し付ける、なんてのよりはマシな方法でな」



 あまりにも抜き身過ぎる発言だってことは百も承知だ。

 他人様の家に対して、ここまで踏み込んだことを言う勇気は、これまで持てずにいた。


 でも……ことここに至っては遠慮していられない。

 こうでもしなきゃ、そう遠くないうちにマリが磨り潰されるのが目に見えているからな。

 許せるかよ……そんなこと。絶対に許せないぜ、俺は。



「なんで、そんなこと、言うのか、な?」



 努めて明るい声で。

 可能な限り元気な笑顔で。


 途切れ途切れに、マリはそう言った。



 握った拳は震えていて。

 目頭に光が反射し。

 喉が上ずったような話し方で。



 私は全然平気だよ、と装いながら。

 その皮膚の一枚下では激情が渦巻いている。


 ……見ればわかるさ。

 迷宮ダンジョンの外、眼に"魔素"を通わせなくても、見ればわかる。



「言葉通りの意味だよ。

 お前一人がこんなに苦労する必要はない。

 なんだったら、俺がお母さんの説得に立ち会ってやる。

 さっきは気圧されちまったが、腹を決めてかかれば負けるもんかよ」



 しかし、マリからの返事は意外なものだった。



「ダメだよ。家がなくなっちゃったら、もう戻れなくなっちゃう……!」



 戻れない?

 戻るって……何に戻るっていうんだ?



「私が頑張って、あの家を守らないと……パパが戻ってこられなくなっちゃう……!」


「!」



 親父さん……が?

 マリ、お前。

 まさか親父さんが戻って来ると思って、こんな苦労をしょいこんでるのか?



「お金のことが全部片付いて!家のことも全部やって!兄弟の面倒も全部私が見て!

 皆が、幸せに、暮らせるように、なったら……。

 パパが、戻ってきてくれるかも、しれないじゃん。ママとか、私達とかに、ちゃんと謝って、さ。

 もう必死で働かなくてよくなって、学費とか、子供たちの面倒とかも大丈夫になれば、前みたいに、またきっと皆で一緒に、暮らせるじゃん。

 あんなことが起きる前に、元に、戻れるじゃん。そう思うことの、何がいけないの!」



 声を上ずらせながら、つっかえつっかえ、必死にマリは言う。



「マリ、お前……。

 ……だからって、どうしてお前一人で背負わなきゃならない。

 それも家族みんなの問題じゃないか」


「私のせいで、パパが出て行ったんだもん。

 私がバスケなんかやってたせいで、膝なんか壊したせいで、家族がバラバラになったんだもん。

 だから、私が全部、元に戻す責任があるんだよ」


「どうしてだ。

 なんでそんな風に考えるんだ。

 お前のせいなわけがない。お前が悪いわけがないだろうが」



 一体お前が何をしたっていうんだ。

 部活動に一生懸命だっただけじゃないか。

 どうしてそれしきのことで、そんなに自分を責めなきゃならない。



「ママが、そう言ったんだもん!

 お前のせいで、家族が滅茶苦茶になったんだって!

 お前のバスケに、いくら使ったと思うんだって!遠征に行くたびに、送り迎えのためにパパ休日を潰して、どれほど苦労をかけたんだって!


 きっとパパはそんな生活に嫌気がさして出て行ったんだって!


 働いても働いてもお金がなくなって!休む暇さえロクになくて!

 子供が多いから生活費もかさんで!学費とかのために貯めなきゃいけない金額も多くて!

 みんな手がかかるのに、お前は自分のバスケばかりでロクに手伝いもしなくて!

 そこまでしてバスケをやらせてやったのに、膝の故障で投資を全部ムダにして!


 そう言われたんだ!


 私、わからなかったんだ!

 自分がバスケが楽しいって事しか頭になかったんだ!

 バカだ!私!」


「……そんなはずはないだろう!

 それが、滅茶苦茶な理屈だってことぐらい、お前にだってわかっているだろう!」



 親父さんが何故家を捨てたのか、それは俺にはわからない。

 客観的に考えれば、金銭面のプレッシャーや子供の多さ、世話に辛さに耐えかねた、という一般論に当てはめるのがしっくりくる。

 ……主観的に考えれば、あの嫁さんとの共同生活に限界を感じた、というのであれば気持ちはわからなくもない。



 どちらの場合であっても、というか両方の複合的理由な気もするが、どちらにせよそれは自分の責任だ。

 嫁さんを選んだのも、子供を作ったのも自分の判断だ。

 せめて夫婦二人での話し合いで、現実的な落としどころを見つけるってのがスジだろう。

 ……嫁さんが話し合いの通じない相手だってことは、別の問題としてあるにしても。



 少なくとも、マリがバスケに夢中だったから家族が崩壊した、なんて理屈はあり得ない。

 もし親父さんが本気でマリのバスケを理由に家出したとしても、それはマリの責任ではない。



「そんな理屈でお前に責任を押し付けて、それで一人で生活費を稼がせて、親父さんを戻ってこさせる仕事までやらせようなんて……」



 親父さんが好きで、離れたことが辛くて寂しくて、また会いたいって気持ちはわかる。

 過去の失敗を償って、失ったものを取り戻して、元の状態に戻りたいって気持ちも痛いほどわかる。

 過去に目を向けて、嫌な出来事をなかったことにしたいって気持ちはわかりすぎるほどわかるんだ。

 ……俺自身、失ってしまった仕事や家庭に、ずっと未練と執着を抱えているから。



 でもな、マリ。

 きっとそれは、無理なんだよ。



 お前の親父さんがどういう人間なのかは知らない。

 もしかしたら、新しい女性をもあっさり捨てて、しれっと帰ってこれてしまうような人間なのかもしれないさ。



 でも、万が一そうなったとしても、もう前と同じ家族にはきっと戻れないよ。

 裏切る前と、裏切った後。裏切られる前と、裏切られた後。

 どちらも絶対に、同じ人間ではいられない。


 それこそあのお母さんなら、自分の記憶を改竄させて都合よく受け入れることができるかもしれない。

 あるいは、裏切られた恨みを親父さんにぶつけ続ける日々を送ったり、それこそ子供たちをサンドバックにして自分だけの平穏を保つこともできるかもしれない。



 でも、マリ。

 きっとお前にそれは無理だ。



 情の深いお前だからこそ、親父さんのことが大好きだったからこそ、きっと親父さんを許すことなんてできないだろう。

 それどころか、親父さんを許すことができない自分自身をも、許すことはできないと思う。

 それはきっと……、今以上の地獄だよ。

 優しいお前だからこそ、耐えることはできないだろう。



「……どうかしてるぜ、なあ、おい。

 どうして、実の娘にそんなひどいことが言えるんだよ……!」



 胸の奥から、激しい怒りがわいてきた。

 頭に血が上り、思考が暴走する。



 こんな理不尽がこの子を襲っていることが許せない。


 正義の名を借りたような、大義名分を得たような感覚が、俺の攻撃的な感情を自己正当化してしまう感覚があった。

 自分でも、自分の感情をコントロールできない程強烈に。



 だから、俺は言ってしまった。

 絶対に言ってはならない言葉を。



「ーーーお前の母親は、バカヤロウだ!!!」



 こんなのは、八つ当たりだ。

 断じて、マリを想っての苦言、なんていいもんじゃない。



「母親だけじゃねえ!父親も、兄弟も、みんなバカだ!!!

 どいつもこいつも手前の責任から逃げ出して!面倒なことは全部お前に押し付けて!


 手前の子供を育てるのがしんどいからって家出するなんて、家族をなんだと思ってやがんだ!

 手前のせいで旦那に逃げられといて、どうしてその責任を娘に押し付けられるんだ!


 なんでお前がそのしわ寄せを全部負担しなきゃならなんだよ!!!

 こ、高校生だぞ!?

 自分が成長するだけで精一杯の小娘が、家族5人分の生活を全部背負わされるなんて、誰もおかしいと思わないのかよ!?


 ヒロの奴もどうかしてるぞ!自分の姉貴がそんな状況なのに、よく平気で引きこもってられるな!

 ヘトヘトになりながら自分の世話をする姉貴を見て、何も思わないのか!!!

 モミジやカエデだって!そんな姉貴の姿を見て、誰かに何か言われなくても何かしようと思わないのかよ!タッくんみたいな幼稚園児とは違うんだぞ!」



 ただただ、自分の中のモヤモヤを目の前の子供にぶつけるだけの暴言。

 それどころか。

 マリと何も関係ない、会社や元嫁の件から来る自分の中の迷いを、都合よく叩きつけている疑いすらある。



 そんな言葉が、マリの心に届くわけもない。



「私の家族の!悪口言わないで!!!」



 だから、当然なのだ。

 こうしてマリに反発されるのは。



「何よ!ウツミんさんだって無職じゃない!


 親の脛かじって!週のほとんどをブラブラして!

 裕福な家に生まれたってだけで気楽に生きてる人に、私や私の家族の何がわかるの!?

 来ている服も、住んでる家も、食べてる物も、全部お父さんやお母さんが用意してくれたものなんでしょ!?


 立派な家族に恵まれてよかったね!でも、世の中そんな人ばっかりじゃないんだよ!

 パパもママも、ヒロ君だって、ウツミんさんと同じ立場なら同じことを言えてるよ!

 こうでもしないと生きていけなかったんだよ!みんな必死で生きてるの!


 上から目線の知ったかぶりで馬鹿にしないで!

 私の家族は、ウツミんさんに憐れまれるような人達じゃない!」



 マリの正論が俺の胸を引き裂く。

 俺の暴言に対して、はるかに筋の通ったまっとうな意見。


 それに対して激しく動揺している自分に気づき、同時に否応もなく思い知らされる。

 先ほどの俺の発言が。

 いかに信念も覚悟もなく放たれたか。

 安全圏から石を投げつけるような、卑劣な根性から出てきたものだったのかを。



「マリ……違うんだ。

 そうじゃない、そんなことが言いたいんじゃないんだよ。

 俺はただ、お前に自分を大事にしてほしいってだけで……」



 つい、思わず肩に手をかけようとしてしまった。

 どうしても、俺の気持ちを分かってほしいと思ったから。


 でも、



「触らないで!!!」



 バンっ!

 思い切り払われる。

 持っていた俺の鞄が勢いあまって床に落ち、中身が散乱する。



 一瞬はっとした表情となったマリが、バツが悪そうに落とした荷物を拾い上げようとする。

 俺も、床にかがみこんで一緒に荷物を集める。財布に、ケータイに。


 ふと、マリの手が止まる。

 一枚の書類。それを手に、固まっている。



 それは……ヤマちゃんに渡された、前の会社の雇用契約書だった。



「なに……これ」


「あ!いや、……それは!」



 冷汗が流れる。

 書類を取り返そうと手を伸ばすが、マリの氷のような視線に気後れし、すくんでしまった。



「就職……するんだ。

 ふーん。それで、私のことが邪魔になったんだね。


 ……私、バカみたい。

 仲間ができたなんて一人で舞い上がって。

 そう思ってたのはこっちだけだったのに……」


「ち、違う!マリ、それは!」



「よかったじゃん。

 ホントは冒険者なんてやりたくなかったんでしょ?

 私の保護者なんて、仕方なくやってただけなんだし。


 ……ずっと見下してたよね。私だけじゃなくて、他の冒険者みんなこと。

 自分は本当はここにいるような人間じゃない、とか思ってたんでしょ?

 わかるよ。ウツミんさん、すごく顔に出るもん。


 ……元いた場所に帰れるんだね。おめでとう。

 これでもう、こんな惨めな子供に迷惑かけられなくてすむね」


「ち、違う!違うんだよ、これは!」



 ……俺は何をやってるんだ。

 こんな書類、這いつくばって拾ってる場合かよ。

 違うだろ!何か言わなきゃいけないことがあるだろ!



「マリ、これは……」



 顔を上げて、また絶句する。


 マリは泣いていた。

 ボロボロと、大粒の涙を拭いもせず。



「信じてたのに……!」



 嗚咽を挙げながら、マリが声を絞り出す。



「信じてたのに!

 ウツミんさんなら!

 ウツミんさんだけはわかってくれるって……信じてたのに!!!」



 ……頭が、ズキズキと痛む。

 目の奥が、シパシパと乾く。

 マリの声が、やけに遠い。

 喉元が強く締め付けられて、声が出てきてくれない。



「”相棒バディ”解消……だね」


「マリ!」



 そう言って、マリは一人走り出す。

 向かっているのは……、迷宮ダンジョンの入口だ。

 ダメだ!すぐに追いかけなくては!


 落ちた荷物なんか、いちいち拾っている場合じゃない。

 手元の荷物を雑に鞄に放り込んですぐに走り出そうとする……が。



 ブーブー!

 手中のスマホがメッセージを受信して振動する。

 ケータイなんか見てる場合じゃない!


 黙殺してケータイを鞄にしまおうとするがーーー。

 ーーーそこで俺はまたしても、思考がフリーズする事態に陥った。

 差出人は、母さんだ。



『京ちゃん!今すぐ病院に来て!

 お父さんが倒れたの!お医者さんの話では、命に係わる状況なの!

 とにかく今すぐ、お父さんの勤め先の病院に来て!!!』

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