第35話 初めて見たわ。あいつが男の顔をしとるのを

「単純な問題を複雑に考えたがるのは、お前の子供のころからの悪い癖だ。

 なあ京介。

 少しは大人になったものだと思っていたが……こんなところでブレよって。情けない」



 手術を控えた病室で。

 親父は突然こんな事を言い出した。



「な……、なんだよ。

 た、単純な問題って。……俺は今、マジで困ってるんだよ!

 簡単に言わないでくれよ!」



 重病人を相手に非常識なのだろうが。

 冷静さを欠いた俺は声を荒げてしまう。



「いいや、単純な問題だ。

 あれこれと考え事をしているようだが、考えるべきポイントが違う。


 1点だ。1点のみ考えれば、おのずとやるべきことは決まってくる。

 それは、”自分が何者なのか”、という命題だ」


「……?」



 親父の言ってることがわからない。



「といって、今ここにいる時点でお前の考えのたかが知れるがな。

 京介。お前、いまだに自分のことを”俺の息子”だと思ってるんじゃないか?

 いつまでもそんなことでは困るぞ」


「……どういうことだよ。

 俺は、一生父さんの息子だろう。

 父さんだって、いつだったかそう言ってたじゃないか」


「勘違いするな。

 俺は、一生”お前の親”だ。その役割を生涯をかけて全うする。

 だが、お前はいつまでも”俺の息子”でいてはならない」


 親父がわけのわからないことを言う。

 ……禅問答の類か?



「人の役割は、存在するステージは、人生の中で刻々と変化する。

 お前も、お前の相棒の高校生も、いつまでも誰かの息子や娘ではいられない。


 誰かと結婚すれば、その旦那や妻になる。

 子供が生まれれば、その父や母になる。


 仕事を始めれば、また変わる。

 最初は誰かの部下で、職責を追えば上司になって。


 ある時は誰かの客で。

 客にとっては自分がプロフェッショナルで。


 人の一生は、その役割を、懸命に果たし切ることなのだ。

 どの役割を負うかは、個人の自由だ。

 だが負ったからには求められることを、全力でやり遂げなければならない。


 責任を果たすというのは、それはつまり、そういうことなのだ」



 一言一言ゆっくりと。しっかりと。

 噛み締めるように。噛んで含めるように。

 なにかとても大切なことを。懸命に俺に伝えようとするように。



「なあ京介。お前の役割は何だ?

 ここにいるというのは、”俺の息子”の役割だ。

 だが、お前にはもっとやるべきことが。果たすべき役割があるんじゃないのか?」



 俺の役割……?冒険者として稼ぐこと……?

 いや、きっと違う。

 食いぶちを稼ぐのは人間としての必須項目だが……、貯蓄と実家のある俺にとってはそれを最重要項目としない権利がある。



 俺の役割、それはきっと。

 マリの相棒バディ。そして保護者。



「で、でも!どうしたらいいのかわからないんだ!

 俺があの子のために何をしてやればいいのか、まるでわからないんだ!」


「役割が決まれば目的が決まる。

 目的が決まれば行動が決まる。

 京介、お前はその子がどうなってくれることを望んでいる?」



 どうなってくれることを望んでいる、だって?

 ……幸せになってくれることに決まってるだろうが!



 いや、待て。

 もっと具体的に考えろ。

 俺はなぜあの子が今、幸せでないと思っている?


 金がないのも時間がないのも危険に晒されているのも、前からわかっていたことだ。

 それでも以前は一緒に楽しく冒険ができていた。


 母親にいいように使われているからか?

 確かに親に愛されないのは……辛いと思う。

 いや、愛が何かとか、俺が語るのもなんだけど。



 でもきっとそれだけじゃない。

 愛ってだけなら、あの母親は本人なりにマリのことを愛しているようにも思う。その形は俺にとって受け入れがたいものとはいえ。

 ……他人にどう思われるかってことだけで、幸せは決まらないはずだ。

 親につらく当たられていても、強く生きている人たちも、きっとたくさんいる。



 だからマリの問題は……。

 きっと自分自身を愛せていないことだ。


 自分のせいで家族がバラバラになって。

 自分のせいで父親が出て行って。

 そんな風に思い込んで。


 だから自分一人で金を稼いで、家を守って、兄弟の面倒を見て、母親を支えて、父親を呼び戻して。

 それが自分の役割だと思い込んでいる。

 それができなければ自分は許されないと、それをできない自分には価値がないと、そう思い込んでいる。


 それこそが……あの子の不幸だ。

 俺はそのことに、心がざわついて仕方がないんだ。



「……自信を持ってほしい。勇気を持ってほしい。

 自分は悪くないんだって。自分の望みを叶える権利があるんだって。

 そう思ってほしい。

 誰が何と言おうと、マリは凄い奴なんだって。胸を張ってそう言ってほしいんだ」


「そう思ってもらうには、どうすればいいんだ?」



 試すように親父が問い掛ける。

 ……決まってる。

 伝えることだ。今思ったようなことを。


 マリの母親が何と言おうと。

 マリ自身が自分の事をどう思おうと。

 マリがどんなに素晴らしい人間なのか。

 何回でも何十回でも、伝え続けるしかないんだ。



「でもさ……もう、俺の話なんて聞いてくれやしないよ……」



 弱弱しくそういう俺を、親父はただじっと見つめている。

 ……わかってるよ。”だったらどうするんだ?”って言いたいんだろう?


 関係が壊れたならば、作り直すしかない。

 俺の暴言をしっかりと謝って。

 もう二度と傷つけないと強く誓って。

 言葉を受け入れてもらうための行動を、全力で実践するしかないんだ。



 誠心誠意で向き合ってくる人間を、無碍にするような奴じゃない。

 でも。



「上手くいくかな……俺に、ちゃんとできるかな」


「それはお前次第だろう。

 それともなんだ?お前は一生、結果のわかっている仕事しかしないつもりなのか?

 冒険者というのも、名前のわりに随分せせこましい仕事なんだな」



 親父の挑発にはっとなる。

 そりゃあ、そうだよな。

 やることはわかってきた。



「仕事に行け。役割を果たせ。約束を守れ。人に迷惑をかけるな」



 最後の念押しとばかりに、親父は言葉を重ねる。



「人の役に立てる人間になれ。

 誰かのための力になれる人間になれ。

 ……結局のところ、人はそうすることでしか幸せになれないのだ。


 少なくとも、コスパがどうのと了見の狭いことを言っているだけでは、な」


「ん……わかったよ、親父」



 ガラガラガラっ。

 背後でドアが開く音がする。



「話はまとまったみたいやな」



 入室してきたのは、4つ年上の兄貴だった。

 懐かしいな。2年ぶりくらいか?



「お、おう兄ちゃん。久しぶり」


「おう京介。元気そうで安心したわ。

 それに引き換え、ひどいザマやな親父。医者の不養生って奴か?」


「……お前まで何をしに来た。

 仕事をほっぽり出してまで、大げさな」


「日常のこまい仕事くらい、下のもんに任せといて問題ないわ。

 2,3日俺がおらんでも平気なように、そういうチームを作るんが俺の仕事やからな。

 それより親父、手術の準備が出来たみたいやわ。

 そろそろ先生方もこっちに向かってくるはずやぜ」


「ぬ……」


「まあしっかりやってこいや。母さんには俺がついとるから」



 兄貴の言葉の通り、手術のスタッフらしき人たちが続々と病室になだれ込み、親父を手術室に搬送していった。


 俺、兄貴、母さんの3人が手術室の前に立ちすくむ。



 必死で手を合わせる母さんと、割と呑気に缶コーヒーをすする兄貴。

 ……いや、兄貴もよく見ると手が震えている。

 内心は不安だろうに、努めて明るく振る舞っているってことか。



 ……こんな状況で切り出すのは不謹慎だが。

 意を決して俺は言った。



「母さん、兄貴。

 俺、仕事に行ってくるよ」


「京ちゃん!

 貴方、何を言ってるの!?こんな時に!」


「行かなきゃいけない所があるんだ」


 やらなきゃいけない事があるんだ。


「会わなきゃいけない人がいるんだ」


 言わなきゃいけない言葉があるんだ。



 だが当然というべきか、母さんはそんな俺の行動が理解できないようだった。



「こ、こんな時にお仕事なんて!

 貴方、お父さんが心配じゃないの!?」


「まあまあ母さん。そう焦らんと。

 おう、京介。

 それは大切なことなんか?」


「ああ、兄貴。

 俺にとって、今一番大切なことなんだ」



 俺がはっきりとそう言うと。

 兄貴は少しだけ考えるような素振りを見せて。



「そか。

 わかった。行ってこい。

 ここは俺がついとるから大丈夫や。

 お前はビシっと決めてこい!」


「ありがとよ、兄貴……!

 ここは任せたぜ!」


 俺は慄然と走り出した。

 もう、迷いはない。



「ああ!京ちゃん!どうして!

 こんな時に、何を考えてるの!」


「まあまあ母さん。

 行かせてやろうや。俺がおるから大丈夫やって。


 ……大事な時なんやろ、あいつなりに。


 初めて見たわ。

 あいつが男の顔をしとるのを」



 ーーー


「っりゃあああああっ!!!」


 サワタリが全力で杖をふるう。

 でも当然というべきか、黒狼はあっさりと飛び下がり、攻撃を躱す。


 ……構わない、少しでも意識を引き付けてくれるなら!



「ーーーフっ!!!」



 壁を蹴り付け、全速力で攻撃可能な間合いに飛び込む。

 黒狼の潰れた左眼側、こちらからなら多少は死角を突けるはずだ。

 見たところ前足も折れている。多少なりとも反応が遅れる事を信じるしかない。



 ゴワァン!!



 トンファーの一撃で左耳を殴りつけてやったけどーーー浅い!

 咄嗟にポイントをずらされた!



 大急ぎで床を蹴り付けて距離を取ろうとする。

 当然、黒狼も逃がすまいと追いすがってくる。

 右前足の爪で私の胴体を薙ぎ払いを仕掛ける。



「ウォリヤァァァッ!!!」



 サワタリが黒狼の後ろから餓者の杖で殴りつける。

 タイミングが遅い!

 でも辛うじて足のあたりにかすってくれたのか、僅かに黒狼の攻撃がブレる。



「ーーークっ!」



 後ろに飛び下がりながら、ギリギリのタイミングでトンファーを身体の前に差し込む。

 ……痛っ!!!

 それでも防ぎきることはできず、お腹のあたりを制服ごと引き裂かれてしまった。

 浅手だけど、傷口が焼けるように熱い……!!


「ガルルルルっ!!!」


 止まることなく、黒狼は私を食い殺さんと襲い掛かってくる。


 もったいないけど仕方ない!

 再びウツミんさん特製のカラシ煙幕を口の中に放り込む。


 先ほどと同様、黒狼はむせ返って苦しんだ。



「オラっ!オラっ!オラっ!」



 ここぞとばかりにサワタリが黒狼を殴りつける。

 ……餓者の杖の魔素吸収能力がどの程度の威力かはわからないけど、これで少しでも弱ってくれれば……。



 そんなことを考えながら、お腹の傷に回復薬ポーションを振りかける。

 ーーーこれで、カラシ煙幕はもう品切れだ。

 回復薬ポーションは、あといくつだっけ?1つか。2つか。

 ウツミんさんなら、こういう状況判断も完璧なのにね。


 ……そんなこと考えてる場合じゃないか。



「サワタリ!下がって!」



 調子に乗って攻撃を続けるサワタリに注意を飛ばす。

 直後、先ほどまでサワタリがいたスペースに、黒狼の尾が凄い速さで薙ぎ払われる。



「うおっ!?」



 すんでの所で飛び下がったサワタリだけど、少し左腕を斬られていた。

 ーーーこんな攻撃もあるの!?


 驚いている場合じゃない!

 今一緒に戦ってるのはウツミんさんじゃないんだ!



 考えろ、考えろ考えろ考えろ。

 最善の動作を考えろ。ウツミさんのように考えろ。

 ウツミんさんは、好き勝手動く私に合わせて戦っていた。

 今は、私がウツミんさんの役割を果たすしかない。



「セイヤァァァァっ!!!」



 ダン!ダンダンダン!ダン!


 私の仕事は、一にも二にも飛ぶこと。

 速さ比べでは黒狼にかなわないけど、サイズが小さい分こちらのほうが小回りは効くはず。


 なんとかして動きを誘導して、サワタリの攻撃を当てるタイミングを作ってやる!



 黒狼の攻撃が何度も私をかすめる。

 でも大丈夫。このタイミングなら想定内。致命傷にはならない。


 ……黒狼だって無敵ってわけじゃない。

 誰がやったのか知らないけど、左眼や左前脚、それに鼻先は負傷している。

 上手く狙えば攻撃も当たるし、当てればダメージを与えられるんだ。


 ……それをやった人は、その後どうしたの?

 上手く逃げ延びたの?それとも……?



 雑念を振り払い、絶好のポジションに黒狼を誘導することに成功した。



「ーーー今!行ってサワタリ!!!」


「う、うおおおおっ!!!」



 僅かに反応が遅れたサワタリだけど、不十分ながらも攻撃を当てる。

 ーーーこれじゃダメだ!敵の勢いが止まらない!



 サワタリに襲い掛かる黒狼を妨害するために、散発的にトンファーで攻撃を仕掛ける。

 ……非力な私ではロクなダメージにはならないけど、辛うじてサワタリが間合いを取り直す時間は稼げた。



 ダン!ダンダンダン!ダン!

 床を、壁を、天井を蹴り付ける。


 継続する最高速度が私の体力を容赦なく奪い去る。

 レベルアップを集中させたはずの肺も、剃刀を走らせているように痛む。

 急ブレーキと急発進を繰り返すたび、アキレス腱が軋むのを感じる。

 どれだけ膝が悲鳴を上げようとも、敵の予想を超える角度で進行方向を変化させ続けなければならない。



「畜生!畜生!ウオオォォォォォっ!!!」



 サワタリが懸命に杖をふるうが、そう簡単には敵も食らってはくれない。

 それでもへこたれている暇はない。

 次のチャンスのために、次の次のチャンスのために、跳び回り動き続けなくてはならない。



 サワタリは頑張っている。

 一瞬のチャンスを逃すまいと、全神経を研ぎ澄まして、勇気を振り絞って危険に飛び込んでいる。

 体格もいい。レベルアップも相当しているんだろう。

 武器の性能も手伝って、一撃の威力は私なんかをはるかに上回っている。


 ーーーそれでも。

 どうしても感じてしまう。

 フォームの悪さが、レベルアップの歪さが、そのスペックに枷をかけてしまっていると。

 1時間、いや30分でもウツミんさんの指導を受けてくれれば全然変わってくるのに!!!



 そんな思考に気を取られてしまったからだろうか。



「グルルルルゥゥゥゥゥワっ!!!」



 瞬間。棒立ちになってしまった私に、黒狼の牙が襲い掛かる。

 動けない。躱せない。ーーー助からない。



「ザッッッッッケンなオラァァっ!!!」



 咄嗟に反応したサワタリが私と黒狼の間に割って入る。

 虎の子の餓者の杖さえ投げ出して、懸命に黒狼の右前足にしがみつく。



「ダメ!サワタリあんたまで!!!」



 そんなことであの黒狼が止まるわけがない!

 あっさり振りほどかれて2人とも殺されるーーーーと思ったら。



「ギャ、ギャワワワッ!?」



 突然。黒狼が過剰なまでの反応を見せる。

 全身を硬直させたかと思うと、必死に飛び下がりながら右前足を振り回す。


 サワタリは吹き飛ばされるが、黒狼は追撃を仕掛けるでもなくひたすらに距離を取る。

 異常な反応だった。まるで、怯んでいるかのような。



 信じられない。

 あの冷酷な暗殺者が怯む?あんな、なんでもないしがみつきに?



 まるで・・・組み付かれることに・・・・・・・・・トラウマでも・・・・・・あるみたいに・・・・・・



「……そうか、わかったぜ。テメェが……」


 サワタリが起き上がる。

 幸い、大したダメージはないみたい。

 餓者の杖を拾い上げ、いましがた吹っ飛ばされたばかりなのに、鋭い目で黒狼をにらみつける。


「テメェがオサムを!やりやがったなぁぁぁっ!!!」



 なぜその結論に至ったのかさっぱりわからなかったけど、サワタリは完全な確信を籠めた叫び声をあげた。

 そのまま、策もなく黒狼に突っ込んでいく。



 ーーーダメ!あのバカ、冷静さを欠いている!

 すぐにアシストに飛ばなくちゃならないのに、酷使された私の下半身は一瞬硬直し、タイミングが大幅に遅れることになる。



 さっきは怯んだ黒狼だけど、いつまでも固まってくれはしない。

 遮二無二にとびかかるサワタリを冷静に見据え、迎撃の体制を整える。



「ダメェェェェェっ!!!」



 私の叫びもむなしく、黒狼は必殺のタイミングで顎を開く。



「あっ……ヤベ……」



 サワタリが自分の危機に気付いた時には、もう引き返せない程間合いに入り込んでしまっていた。

 ーーー殺される!そう思ったまさにその時。



 シュルルルルルル!

 突如黒狼の全身に何かが絡み付き、その巨体を地面に引きずり倒した。



「やれやれ、間一髪……。

 まったく、一人で迷宮ダンジョンに潜った相棒を探しに来てみれば、とんでもない場面に遭遇しよったわい」



 黒狼に絡みついたのは……鎖だった。正確には、鎖鎌の分銅部分。

 私達から見て、黒狼の奥。迷宮ダンジョンの入口方向から現れた闖入者。


「あ、あなたは……!」



 左手で反対側のカマをブンブンと回しながら、彼は叫んだ。



「大丈夫か、ケンジ!

 むむ、マリちゃんも!

 ーーーワシが来たからには安心せい!おんしらのことは、命に代えても守り抜く!」


「ジジイ!」



 現れたのは、サワタリの相棒バディにして古流武術の達人。

 遠藤流柔剛術の後継者、モキチさんだった。

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