第2話 オイオイオイオイ、死ぬわオレ

 あれから二か月。6キロ痩せた。

 嫁の不倫相手は職場の上司。既婚者って話だ。

 あの時点で既に半年続いていたらしい。全然気づかなかったぜ。

 結婚するのは簡単で離婚するのは難しい、なんていうけど。

 俺の場合は嫌になるほどスムーズにいろいろとカタが付いた。

 貯金は各々の口座で別に管理してたから、財産分与はなし。

 マンションは俺の名義だからそのまま。家財道具一式も俺のもの。

 慰謝料は、嫁から300万円。間男から500万円。

 生活板なら拍手喝采。非の打ちどころのない決着だ。

 子供がいなくてよかったね!(涙)

 別れ際に嫁から言われたセリフ。

『あなたといると、退屈だった。

 一緒にいると、自分が何のために生きているのかわからなくなってくるの』

 これが耳に残って離れない。その後、

『貴方が何に楽しみを感じているのか、わからないのがつらかった。

 きっと何も、私のことさえ、愛してはいないんだと思う』

 とまで言われた。

 黙って言われっぱなしになってしまったよ。

 自分の意志で結婚したくせに、自分の意志で不倫したくせに、ムシのいい理屈で責めてくれるぜ。

 振られた女の悪口言うのは格好悪いけど、卑劣だと思う。

 まあ精々、相手の奥さんに訴訟でもされてくださいな。向こうは子持ちだからね。地獄を見るだろうて。

 お前みたいなバカ女にどう思われようと、こっちはどうでもいいんだよ!(虚勢)

 ……母さん、泣かせちゃったなあ。

 キツい時期、精神的に支えてくれたヤマちゃんとヨッキーには頭が上がらんわ。

 ただでさえ離婚問題で消耗しているところに、仕事は仕事で大問題に巻き込まれて大変だった。

 隣の部署の炎上案件のヘルプに駆り出されて、この2か月、80時間+80時間くらい残業する羽目になった。

 家庭を顧みなければいくらでも働けるもんだなと思ったよ(半ギレ)。

 まあ、80時間くらいで激務ですとかイキると、

『FF外から失礼します。月80時間の残業は激務ではないかと思われます。

 ちなみに私は4か月連続で月110時間残業しています。すべてサビ残です。FF外から失礼しました』

 とかクソリプでマウント取られるから偉そうなことは言わんけど。あとそいつは転職したほうがいい。

 なんにせよ、皮肉にもまとまった残業代が手に入ってしまったよ。

 それを言うなら慰謝料もあるしね。

 たまには豪華な店でヤマちゃんとヨッキーにご馳走してもバチは当たんないだろう。

 それに、引っ越しも考えないとなあ。

 一人で住むには広すぎるし、あの寝室であんなことがあったと思うと、流石に暮らせないわ。

 ……やべ。思い出しただけで手が無自覚に震える。

 心療内科とか行ったほうがいいのかな。

 健康に関しては金に糸目を付けない主義よ、俺は。

 とか考えていると、

「宇津美君。少しいいかな。話があるんだ」

 上司に声をかけられた。

「あ、はい。大丈夫です。こちらで伺いますか?」

 と、その場に立って返事をするが。

「いや、会議室を押さえてある。二人だけで話そう」

 と、ついてくるように促された。

 なんだろうか。この上司は信頼できる人だからな。

 今回のヘルプを評価して、特別賞与でも出してくれるとか?それはないか。

 離婚問題の件を配慮してくれて、休暇でも使わせてくれるのかな。これはあるかもな。

 有給溜まりまくってるし。

 ……仕事ぶりを評価されて、また炎上案件にぶち込まれるとかだったら最悪だな。

『いやー、今回は御見それしたよ。君ならこの現場でも大丈夫だ!』

 とか言われたらその場で泣くかもしれん。

 心の準備をしておこう。もちろん、上司の前で泣いて嫌がる覚悟を決めるという意味で。

 ―――

「当期、また早期割増退職制度が施行されたことは知っているね?」

 軽い雑談を二言三言挟み。

 上司が告げた本題は意外なものだった。

「え、ええ。一応。5年前くらいにもありましたね。

 あの時は人が余って仕事が足りなくて、リストラクチャリングの一環として」

 そう、その時も面談を受けたから覚えている。

 辞める気はあるか?と聞かれ、ないです、と答えたらそれで終わったやつだ。

 当時、法改正に伴って仕事が大幅に増えることを見込んで、大量に新卒採用をバラまいたものの。

 期待していたほど仕事は増えず、大量の人員を遊ばせてしまっていたんだったな。

「あの時は、あまりポジティブな結果にならなかったと記憶しています」

 俺は辞めなかったけど、当時結構な人数が辞めた。

 ウチの割増退職制度は結構、退職金をはずんでくれると評判だからな。

 辞める人ってのは、ここを辞めてもヨソで歓迎してくれる人。

 辞めない人ってのは、ヨソじゃ通用しないタイプの人間。

 人材の平均レベルを下げることに見事に成功したはずだ。

 かつスキルや経験のない新人は残り、それを指導、教育、管理する中間層は消えた。

 これはヤバいと思った上層部は、改めて新卒の一括採用を拡大することで人員補充を試みた。

 その結果、ただでさえ目の前の仕事に忙殺されている俺たちに、さらなるお荷物がプレゼントされた。

 オイオイオイオイ、死ぬわオレ。

 そんな状況で生き残れたのは。

 俺みたいに仕事の流し方に特化した奴。

 馬鹿みたいにタフな関西人。

 どれだけ打ちのめされても逃げ出さない根暗な理系。

 こういうのしか残らなかったはずだ。

 いろんな才能が逃げていった。ダイバージェンスとは何だったのか。

 その後、当時の新卒がまあまあ育って人が余ってきた。

 んで、また歴史を繰り返そうとしているという話は聞いていた。

 率直にアホなん?と思って黙殺していたけど。

 特にうちの部署、人が足りなくて色々炎上しているの、わかっているよね?

「わかっているのなら話は早い。それで、君の意向を聞きたいのだけど」

「そうですね。だれを残すのか、という話ですね。

 正直、一人でも抜けると危ういというのが本音ですが。

 新人はまだまだこれからですし、二個下の平田君も、ちょっと指導を考えれば全然大丈夫だと思うんですよ。

 強いて言うなら三個下の近藤さんですが、まだまだチャンスをあげる価値は……」

「いやいや違う。君の処遇についてだよ」

 ん?俺?俺がなんだって?

「どうだ、君の力を、別の環境で活かしてみる気はないか」

 穏やかな態度と表情だが、目の奥に全く温度が籠っていない。

 この人、こんな顔をするのか。今まで優しい顔しか知らなかったぜ。

「え、え、ええと。私は。その、辞めるつもりはないのですが」

「そうかな?結構、職場に不満を持っているように見えるよ。

 折角だ。腹を割って話そうじゃないか。大丈夫、時間はとってある」

「ワケを聞かせてください!」

 思わず声を荒げてしまった。

 おかしい、おかしい。これはおかしい。

 前回のリストラ面談とは明らかに違う。

 辞めさせたい人と辞めさせたくない人とで面接官の態度が違うとは聞いていたが、これほどなのか。

 でも、なぜ俺が。ちゃんとやってきたはずだ。

 失点はない。やるべきことはやってきた。いくつもの炎上案件を救ってきたじゃないか。

 俺じゃなければもっと苦労したはずだ。

「ワケ、か。

 宇津美君。逆に自分がこの先、会社にどんな貢献ができるか説明してくれるかな」

 その反応にたじろいだが、俺は必死にプレゼンした。

 これまでやってきたこと。今やっていること。これからやっていこうとしていること。

 内容に過不足はないはずだ。

 十分な戦力なはずだ。

 給料以上の仕事はしているはずだ。

 俺を解雇することのメリットなんてないはずなんだ。

 だが。

「それは、『優秀なスタッフ』の役割だな。入社して8年。30歳。

 そろそろ管理層に足をかけているはずだが、その視点が全くないというのでは将来を期待できない。

 言われたことをやっているだけで許されるのは20代までだ。

 それ以上になると、仕事と給料が見合わなくなってしまう」

 言葉の意味が分からない。

 そんなこと、一部の優秀な人しか実践していないだろう。

 俺より仕事してない先輩とか、何人もいるぞ。

「例えば君と同期の大山君など、指示以上の仕事をしてどんどん仕事をパワーアップさせている。

 ああして得た知見は、この先管理業務に取り組む際には非常に役立つことだろう」

 知ってる。ヤマちゃんが個人的なノリで仕事を増やすのが得意なことは。

 本来10の作業で十分な箇所も、自分の能力アピールのために勝手に15、20と増量していることを。

 おかげで後任の作業者が無駄に負担を増やされて迷惑している。

 そういうの、元に戻そうとすると「やる気がないのか、何かあったら責任が取れるのか」と詰められちゃうんだよね。

「また同じく同期の芳木君は、システムを用いた自動化で業務をどんどん効率化している。

 おかげで部内全体の生産性が大きく向上している」

 知ってる。ヨッキーはマクロとかシステムとか得意だから、それを生かしてどんどん業務を自動化していることを。

 問題は、彼にしかわからないシステムについて他人と共有する気がないから、状況が変わった時に本人がいなかったらお手上げになるということだ。

「君は入社して8年。何をやってきた?」

 しかし、そんなことを言っても始まらない。

 仲間を売る気はないしな。

 それよりなにより。

「俺が抜けて上手く回ると思ってるんですか。今のウチの部の状況で」

 それを気にするのは君の仕事じゃない、と言われる覚悟はしていたが。

 そこで上司は初めて、人間らしい表情を見せた。

「痛いところを突いてくるね。痛い。そこは実に頭が痛いところなんだ。

 ……実のところ、私も君が、辞めさせなきゃならないくらいの人材だとは全く思っていない。

 むしろ、一人はいてほしいタイプの人間だと思っているよ。後先考えない上の連中には批判的な感情さえある。

 しかし、これは決定事項なんだ。各事業部ごとの退職者数の数値目標が設定されている。

 そこで、消去法的に選択するとしたら、やはり君を選ぶしかないんだ。

 わかってくれ、私も所詮は組織人なんだ」

「……他にも!」

 他にももっと辞めさせるべき奴はいるじゃないか。

 その言葉はすんでのところでこらえた。

 彼らを辞めさせるべきではないと言ったのは、他ならぬ自分だ。

「そうだね。

 将来性を加味した能力を見ても、君より評価の低い者たちはいる。

 だが、彼らは皆家庭を持っている。奥さんが専業主婦だったり、子供がいたり。

 私にとっては部下はみんな大切な存在だ。彼らを残酷な目に合わせるのは忍びない」

「……私は!」

「今回の件は聞いている。残念なことだと思う。

 だが、考えようによっては身軽になったとは言えないか?

 私もバツイチだが、悪いことばかりではなかったと思っているよ」

 ……。

 この一言が決定的だった。

 信頼できる上司が、敵対する相手に変わることへの。

「例えば二か月前、重要審査対象の案件が発生したことは覚えているかな?

 私は鮮明に覚えているよ。

 君は上手く躱したつもりなのだろうが、ああいうことは自分が思っている以上に上は見ている。

 あそこで、自分からしっかりと問題に向き合って解決してくれていたら、今回は随分庇いやすかったと思う」

「……!」

 言葉が出ない。

 そんな、そんなことが。

 その後二か月の炎上案件対応のことを持ち出そうとしたが、それはやめた。

 あれは、「やれと言われたからやった」ことだ。上司の指摘には反論できないことだ。

「残念だよ。本当に残念だ。

 私は君には期待していたんだ。本当に。

 5年前の辛い時期で歪まなければ、きっと面白いプロに育っていたと思う。

 これまでも再三注意を促したつもりだったが、届かなかったのは悲しいことだな」

 もはや反論は無意味なのだろう。

 あらゆる意味で、もう決着はついている。

「せめて割増退職金の計算は、最大金額が支給されるように取り計らっておく。

 新天地での活躍を祈っているよ」

 俺は返事をせずに部屋を出た。

 口を開くと、どんなセリフを放ってしまうかわかったものじゃなかった。

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