第30話 無念に、未練に、さいなまれ続ける毎日です

『突然こんな手紙を送ってしまいごめんなさい。


 お久しぶりです京介さん。

 お元気でお過ごしでしょうか。



 以前からのお仕事で大変な思いをされたと聞いています。

 それで富山に戻ったことも。

 すぐにでも連絡したいと思っていたのですが、とても合わせる顔がない、自分にはそんな資格はないという思いを抱えているうちに、これほど時が流れてしまいました。

 それでも、どうしてもお伝えしたい想いがあり、この度大山さんと芳木さんにお手紙を託した次第です。



 私のような人間から連絡を受けること自体、京介さんにとって大変不愉快なことだと思います。

 ここで手紙を読むのをやめ、廃棄されたとしても、一切文句を言える立場でないことも理解しています。

 その場合は大山さんらにその旨教えて頂き、二度と連絡を寄越さないことをここに約束します。



 それでは、お伝えしたいことをここに記します。



 あの離婚について、あの結婚生活について、貴方には一切、なんの落ち度もありません。



 離婚の際に私は貴方に対して責任を押し付けるような数々の暴言を吐きました。

 まるで貴方の言動が私の不貞行為の原因の一部であるかのような、責任をなすり付けるような、全く理不尽な発言。

 誠実な貴方に罪悪感を促すような、己の保身のためだけに吐き出した、何の正当性もない言葉の数々。



 どうか、あれらの言葉を、全て取り消させてください。



 悪いのは、完全に、100パーセント、私一人なのです。(あまりにも当然のことですが……)

 しかし、とても優しく、誠実な貴方のこと。

 もしかしたら自分が間違っていたのかもしれない、などと、自尊心を傷つけられてしまっているかもしれないと思い、どうしてもその思いを払拭してもらいたく、おこがましくも筆を取らせて頂きました。


 いえ、自尊心を傷つけたということについて、私は確信しています。

 これでも長年一緒に過ごした身ですから。

 貴方がそういう風に自分を責めてしまう、優しすぎる性格であること、私は誰よりも理解しているつもりです。


 だからこそ、その考えは全く違う。貴方に顧みるところは全くない。自信をもって過ごしてほしい。

 そう思い、そんな資格はないことは重々承知の上、ご連絡した次第です。



 あの時のこと、謝罪することはできません。

 今の私には、その資格さえありません。

 全て私が悪かったということは理解できていても、それが実際にどれほど罪深かい事だったのか。きっと今の私の認識でさえ、甘く、生ぬるいものなのだと思います。


 そんな人間の放つ謝罪に、なんの意味があるでしょう。

 世間の人々が当たり前に理解している事柄。

 それさえまともに理解できていない私の愚かさを、どうか嘲笑してください。

 自分の犯した悪事の深さを正しく考え続けること。

 きっとそれが、今の私がしなければならない、贖罪のステップなのだと思います。



 私の側も、あれから色々ありました。

 別れ際に貴方が忠告してくれたように、不倫相手(以下、”彼”と記します。)の奥様にも事が露見することとなり、強く糾弾されました。


 幼子を抱いた奥様に、あらん限りの罵倒を受けました。

 その内容はあまりにも正しく、後に己のしでかしたことの罪深さを否応もなく理解させられることの大きな一助となるものでしたが、その時点の私はその言葉を真正面から受け止める勇気を持てずにいました。



 多額の慰謝料を請求され(奥様にとって、当然の権利です)、あちらのご夫婦も離婚しました。

 それどころか、私と彼の会社までも巻き込んだ大騒動となり、2人そろって解雇される運びとなりました。



 もともと貯蓄に関しては貴方に任せきりだった私です。

 貴方に当然の慰謝料を支払った後の口座には、奥様に慰謝料を支払える残高は残っていませんでした。

 離婚以前はあれだけ男気のあるような素振りを見せていた彼ですが、事態の急変に伴い、あらゆる事柄に対する態度が曖昧なものとなりました。

 結局、慰謝料については私の両親に、借用書を取り交わしたうえで用立ててもらいました。その際にも強い面罵を受けました。


 当時の、欲に狂っていた私は、そのことさえも、己のロマンスを試す神からの試練であるかのような、お門違いに前向きな解釈をしました。

 しかしその時点で、彼はとうに冷めていたのでしょう。



 彼との生活は、2か月も持ちませんでした。

 全ての気力を失い、再就職活動すらせずに自堕落に過ごす彼。

 必死で再就職活動をするも、業界中に悪評が広まったのか、全く相手にされない私。


 目先の生活費を工面するため、慣れない肉体労働にも従事しました。

 経験も資格も知見もない人間の仕事とは、これほど過酷で、かつ薄給なのかと驚きました。

 それが今の自分の社会的価値なのかと思うと、悔しくて、情けなくて、涙が出ました。



 生活面において、貴方のしてくれていたことの大きさに、何度も気づかされました。

 彼は、一切働かないどころか、家のことも何一つしなかったのです。

 家とは、片付ける者がいないと、こうも汚れていくものなのかと本当に驚きました。



 貴方がちょっとした時間に、細々と部屋を片付けたり、食器を片したり、掃除機をかけたりとしてくれていたこと。

 私はそれを、男らしくないせせこましい行動と感じてしまっていました。


 私が疲れて食事の準備を嫌がった時に、時に外食に誘ってくれたり総菜を勝って帰ってくれたこと。

 体調を崩しそうな時に薬とサプリメントを渡して、遅くまでスマホなどいじろうとしている私にすぐ寝るように言ってくれたこと。

 電気の消し忘れや生ごみの処理について、細かに指摘してくれたこと。


 結婚するまでずっと実家暮らしだった私は、これらを口うるさい嫌味と受け取ってしまっていました。

 実際は、学生時代から親元を離れて生きていた貴方が教えてくれる、効率的な生活術だったというのに。



 荒れ果てた家と荒んだ生活に疲れ切った頃、彼は家を出ていきました。

 なんと、元いた家庭に、まんまと戻っていってしまったのです。

 やはり子供の存在というのは大きいのですね。

 奥様のとりなしもあり、なんのかんのを経て、元いた会社の子会社にすっぽりと収まり、今では落ち着いた生活をしている様です。


 驚けばいいのか、怒ればいいのか、呆れればいいのか、安心すればいいのか。

 私にはわかりませんでした。

 しかし、結果的にはふっきるためのよいきっかけとなりました。



 恥も外聞も捨て、啖呵を切って飛び出した実家に行き、両親に土下座をして同居を頼み込みました。



 借りたお金は必ず返すこと。

 生活も生き方も全てを改めること。

 同居には時間的な期限を定め、それを過ぎたら必ず出ていくこと。



 これらを確約しつつ、新たな生活を開始しました。

 具体的には、短期のアルバイトで生活費を払いつつ、就職活動と資格取得のための勉強を生活のメインに据えたのです。

 同時に、昔は母に任せきりだった家事の類を担当し、人並みの生活を送る能力を身に付けました。



 態度に気を付けました。

 言葉に気を付けました。

 思考に気を付けました。



 人として、本来あるべき姿に立ち返ることを目標に、一日一日を丁寧に生きてみたつもりです。

 そのおかげか、縁あって安定した企業の正社員として復帰することができ、条件として課されていた資格試験も合格することができました。

 今は、そちらの社宅にて、規則正しい生活を送っています。

 今時男子禁制というのも珍しいのでしょうが、節度ある生活を目指す私にとってはむしろ好都合というものです。


 当面の目標は、両親への借金を返済することです。

 借りたものを返し、交わした約束を守り、かけた迷惑を償う。

 人間として当然の、すべきことをし続けることを通じて、私自身の中の認知の歪みを矯正する。



 そうして、己のしでかしたことの罪深さに向き合うだけの勇気を手に入れて。

 きちんと、貴方に謝罪するに足る人間になることが私の夢です。



 迷惑なことは百も承知です。

 会いたくない、と言われれば黙って身を引く所存です。

 でも、もし、慈悲の心でチャンスを与えてくれるのならば。


 いつか、私にあの時のことを謝る機会をいただけないでしょうか。



 突然の申し出で驚かれたことかと思います。

 身勝手なことだとはわかっていますが、どうか、私が真人間として生きていくための、微かな希望に縋る権利を与えてください。



 毎晩、思い返すのは、貴方といた幸せな日々ばかりです。

 ずっと優しかった貴方。

 ずっと守ってくれていた貴方。

 私を本当の意味で大切にしてくれたのは貴方だけでした。

 どうして自分からそれを台無しにしてしまったのか。

 無念に、未練に、さいなまれ続ける毎日です。



 寒い日が続きますね。

 特に富山では雪がちらついているそうですが、体調など崩されないようお気を付けください。


 かしこ



 追伸


 富山に戻られた後、どのように生活されているか、大山さんらにも伺うことができませんでした。

 貴方のような方ならば心配は不要と心得ていますが、どうかよきご縁に恵まれて、充実した生活をされていることを願います。』



 ーーー



「……!」



「大丈夫か?ウツミん」



 ヤマちゃんとヨッキーが両側から俺の体を支えてきた。

 大きな反応に驚いたが、それで自分が立っていられない程打ちのめされていることに気付いた。



「お、おう。すまん。

 ……ちょっと驚いただけだよ」


「なんて書いてあったの?ウツミん」


「オイコラ。

 それは聞かへん約束やろヨッキー」


「ああ、いや。いいよ。

 折角持ってきてくれたんだし、少し話す。

 聞きたいこともあるし」



 俺は、肝心の要件の部分はぼかしつつ、彼女辿った経緯や今の生活について2人に話した。



「うん、そこは間違いないよ。

 俺も個人的に興信所に調査を依頼したけど、その通りの生活をしているよ。

 あれ以来男性の影がないことも間違いない」


「そうか……えっ?興信所?マジで?」


 なにしてんのお前?



「それで、あれか。

 復縁の申し出、ちゅう感じか?まあそんなことやろなとは思ったけど」


「復縁っていうか……まあ、なんだろな」



 その辺は明言を避けたが、2人は勝手にうんうんと唸り出した。

 復縁……ね。

 いや、文面に従えばそうじゃないんだろうけど、俺が許せば、元鞘に戻る目も……。

 いや、別にそれを望んでいるわけでは……。



「でも絶対許しちゃダメだよウツミん!

 やっていいことといけないことってのがある!

 あれは謝って済むようなことじゃ絶対ない!

 それに、一度やった奴はきっとまたやるよ!」


「童貞は黙っとれやヨッキー。

 俺らの意見は言わへん約束やろ。


 夫婦……いやもう夫婦やないけど、男女の間には、本人同士にしかわからん考えってもんがある。

 俺の親父もキャバクラ嬢に何度も入れ込んで、その度にオカンにボコボコにされとるけど、なんやかんや仲良うやっとるわ。


 せやから俺らの役目はあくまでメッセンジャー。

 考えるんも決めるんもあくまでウツミん自身や。

 余計なこといわんでええ」


「……」



 言葉が、出ない。

 思考が、乱れる。

 自分が今、どんな感情を抱いているのかさえ分からない。



 パリン。

 高そうなグラスが落ちて割れるまで、自分の手が震えていることにさえ気付けなかった。


 品のいいデザインの黒椅子にもたれかかる身体が、どこにも重心を定めきれず、情けなく揺れる。

 空えづきがまた出てきた。



「ヤマちゃんは……どうしたらいいと思う。

 教えてくれ。……教えてくれよ」



 そんな情けない言葉を絞りだすのさえ、やっとこさという感じだった。



「俺の意見は言わんつもりやったが……。

 ウツミんがそういうなら、あくまで参考意見として、な?


 ……やっぱり俺も、ヨッキーと同じ考えやよ。

 どっちが正しいとか以前に、ウツミんが耐えられへんのちゃうかと思う」


 そうかい。

 なんだか、胸が痛んだ。

 ……なんで俺は、残念に思っているんだ。



「でもな?ウツミん。

 ごっちゃにせんといてほしいねん。

 仕事の話と、元嫁さんとの話は別件や。セットやない。



 富山に残って女子高生と冒険者やるか。

 東京に戻って元嫁さん暮らしてとウチの会社で働くか。



 この2択ではないってことだけはわかっといてくれよ?

 東京で独りモンとして働いたり、富山に元嫁さんを呼んだり、選択肢は色々や!

 そのどれも、決して間違ってるわけやない。なんなら全然違う会社に就職するんも全然アリや。


 せやから、自分が何を望んどるのか、間違えんようにしてほしいんや。

 就活の自己分析やないけど。

 自分に合った方法を選んでほしい。



 ……俺は、願わくばその上で、ウツミんと一緒位働けたら嬉しいとは思っとる」


「うん、最後は俺も同意見」



 ……。



「まあ、今日この場でどうこう言う話やないな。

 今日のところはこの辺で切り上げて、またじっくり考えろや。

 ほんなら代行呼ぼか。すみませーん、お会計。


 俺らも明後日の月曜の昼前では富山におるし、相談したかったら声かけてくれや」


「月曜?って、お前ら仕事は?」


「ウツミん……。今度の月曜は祝日だよ。

 フリーランスになると曜日や祝祭日の感覚がなくなるっての、本当なんだね……」


 哀れな生き物を見る目をやめろ、ヨッキー。

 しかしそうか、休みか。

 どうすっかな。こういう時冒険者活動をやるかやらんか、明確に決めてなかったな。

 オサム君の件もあるだけに、方針を決めかねる所がある。



 とりあえず明日の日曜はこいつらとスーパー銭湯にでも籠るかな。

 二日酔い確定だし。身体を休めないとな。



 で、今度こそ飲み代を払おうと鞄の中の財布を探していると、


 ブーブー!


 スマホがLineを受信して振動する。

 差出人は、マリか。



『ウツミんさん!

 風邪、バッチリ治りました!ご心配をおかけしました。

 それでね、今度の月曜なんだけどさ。

 祝日で私も学校ないし、もし都合よかったらお昼ごはん、ご一緒できないかな?

 実は、ウチのママがそこでウツミんさんにご挨拶したいって言っててさ。

 急でゴメンね』

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