第29話 俺達の悲願の大本命。―――”魔術”の研究です

 西東京の外れにある、真新しい研究施設。

 その一室で、白衣を着た青年が頭をかきむしっていた。



「ああ!畜生!

 頭の固い老害どもめ!」


 脳裏に浮かぶのは予算委員会のお偉方。

 彼にとっての肝いりの研究計画が、無残にも棄却されたのはつい2日前のことである。


 デスク上で山盛りになった灰皿の周辺には、煤がこびりついている。

 気晴らしに淹れた安物の粉末コーヒーは、手を付けられることなく冷め切っていた。



「前例がない、だと!?

 だから、研究する価値があるんだろうが。

 成果を得られる保証がない、だと!?

 やる前から成果が保証された研究がどこにあるって言うんだ!」



 彼とて、決して利己心から申し出た研究計画ではない。

 純粋に、この国の迷宮ダンジョン産業の発展を願った懸命な行いだが、それが権限を持ったお偉方に通じることはなかった。



「今、こうしている間にも諸外国の連中がとんでもないスピードで研究を進めているって言うのに!!!

 俺たちの、何十倍の設備や人材を取り揃えてな!!!


 あの連中ときたら、どうせ自分たちが引退するまで世の中が大過なく過ぎればそれでいいとでも思ってやがるんだろうよ!

 そう上手くいくもんか!迷宮ダンジョン産業の発展速度はそんなヌルいもんじゃない!


 もって10年!早けりゃ5年!それで世界から取り返しのつかないような差を付けられるんだ!

 今、奴らが見下しているような発展途上国にさえな!

 そうなりゃテメえらも外人共にアゴで使われる立場だ!

 その時になって後悔しても、もう遅えんだよ!!!」



「ずいぶん荒れてるじゃないか」



 唐突に背後からかけられた声に、飛び上がるほど驚いた。


「か、神崎さん……。

 いらしてたんですか。ははは。

 お見苦しいところを……。」


「やれやれ。その分じゃ、例の計画は上手くいかなかったみたいだね」



 日本一の冒険者、神崎 直人。

 彼は、この青年の外部協力者でもある。

 その研究内容に強く共感し、迷宮産業に関する様々な情報提供やデータ収集、モニター活動といった形で協力している。



「数か月前に奥多摩で実施した治験は、かなり良好な結果を得たそうじゃないか。

 あれだけのデータがあっても、新薬の研究は進められないものなのかい?」


「いえ、あれは実用化に向けた研究が本格稼働しました。

 ……なぜか、最後まで反対していたウチのクソ上司が、『本件は私が数年前から主導的に推進してきたプロジェクトです!』なんつって上に掛け合って、まんまと責任者の立場をかっさらっていきやがりましたが……。

 クソ、殺してやりたい」


「大企業特有の歴史修正主義おじさんか。

 ははは。俺も前職じゃ随分苦汁を舐めさせられたなあ……」



 思わず遠い目をする神崎。



「でも、ということは今回空振ったのは……」


「ええ。俺達の悲願の大本命。


 ―――”魔術”の研究です」



 青年の回答に、神崎は静かに、しばし瞑目する。



「……そうか。

 お偉いさんの気持ちも、わからないじゃない。

 あんなもの、実際に目にしないことには、とても信じられるもんじゃあない。


 ……歯がゆいな。守秘義務条項があるせいで、例の事件が公開できないってのは」


「しゃあないっすよ。向こうにとっても、迷宮ダンジョン攻略情報は生命線ですから」



 一年前のシンガポール。

 神崎は現地の最高難易度と名高い迷宮、スリ・マリアマン寺院地下迷宮の攻略に参加していた。


 それは同国が威信をかけて決行した攻略プロジェクトであり、メンバーは国内最高の冒険者に加え、アジア各国のスター冒険者が招聘されていた。

 アジアの誇る37人の最精鋭。神崎もその一人だった。



 そして、その全員にとっての未踏階層である、23階層。

 そのボス戦にて、悲劇が起きた。



 炎を纏う不死の神鳥、”ホウオウ”。

 その必殺技――彼らはそれを、”奪命浄火ヴォーパル・クリメイション”と名付けた――が、屈強で知られる攻略メンバーの4分の3を消滅させたのだ。



「今思い出しても震えがくるーーー。

 それまでだって、炎を吹き付けてくる魔物モンスターはいた。

 氷を生み出してぶつけてくるような奴もね。


 でも、そんなのは慣れれば対処可能な雑魚さ。

 所詮、自分の"魔素"を炎や氷に変換して、叩きつけてくるにすぎない。

 耐熱性、耐寒性の高い防具を用意して、相手以上の"魔素"で防御する。それだけのこと。


 でも、”ホウオウ”の技はまるで違った。

 やつは、俺達の・・・"魔素・・"を、炎に変換してきやがった」



 目を閉じれば浮かんでくる。

 屈強な肉体を膨大な"魔素"で強化した勇者たちが、己の"魔素"を炎に変えられ、装備を無視して肉体を直接焼き尽くされていく様を。


 奴の攻撃は敵味方の区別がない。

 眷属として大量に生み出されたコカトリス達も、その身を炎に包まれながらも突進してくるという地獄絵図。

 "魔素"を燃やす炎。それは、触れるだけで己の"魔素"に引火し、防御不能の炎に肉体を支配されることになる。



「”他者の"魔素"への干渉。

 これこそがこの先の迷宮ダンジョン攻略において、何をおいても最優先で取り組むべき課題。

 俺達生き残ったメンバーの共通見解だ。


 あの炎に焼かれた連中には回復薬ポーションさえ無効だ。

 なにせ、回復薬ポーション内の回復属性をもった"魔素"さえ、炎に変換されちまうからな」


「だから、こっちも"魔素"変換を習得する必要があります。

 あるいは、それを可能とする機械の開発が。


 ”奪命浄火ヴォーパル・クリメイション”で炎に変えられた"魔素"を、中立ニュートラルに戻す技能が。

 最低でも自分の"魔素"を。出来れば、仲間の"魔素"を変換する技術が」


中立ニュートラルにするだけじゃ不足だ。

 回復薬ポーションのような、回復属性を持たせた"魔素"に変換してもらうくらいじゃないと、”ホウオウ”には決して勝てない。

 なにしろ、奴自身が己の"魔素"を使って体力を回復させていたからな。


 一人が念じるだけで、仲間全体の負傷を回復する。

 そんな、ゲームでいうヒーラーみたいな存在が必要だ。


 逆に言えば、それができりゃあ一気に迷宮ダンジョン攻略が効率化する。

 今は見通しが立っていないが……魔物モンスターにできて、人間にできないってことはないはずだよ」



 仲間の"魔素"を回復属性に変換する”回復魔術”。

 仲間の"魔素"を身体能力向上属性に変換させる”支援魔術”。

 敵の"魔素"を殺傷属性に変換させる”攻撃魔術”。



 絵空ごとのような技術だが、迷宮ダンジョン攻略で世界に遅れないためには絶対に必要な研究課題と、神崎らは確信している。



「君の協力のおかげで、なんとか自分の"魔素"への干渉は可能になったよ。

 もともと、"魔素"の変換自体は得意だったからな」


「神崎さんの”爪”は特別性ですからね。

“干渉”については日本一の適性でしょう。しかしーー」


「ああ。他人の"魔素"の操作は不可能だ。

“感応”が実用レベルとはほど遠いからな」



 "魔素"への“干渉”と”感応”。

“魔術”の行使にはこの二つが必要というのが二人の結論だった。


 ただ”干渉”するのではなく、相手の"魔素"が現在どのような状態で、どのような刺激を加えることで、どう変化するのか。

 それを、目で見るように、手に取るように感知する能力。

 すなわち“感応”なくして、魔術の行使はありえない。



「”干渉”なら、適性のある奴は結構いるんだ。

 運動機能系の身体機能に"魔素"適合度の高い奴。

 指とか、手とか。なんだったら脚でもいい。


 だが、”感応”持ちはレアだね」


「恐ろしく眼がいいとか、耳がいいとか。

 感覚器官に適合度を持つ人はただでさえ珍しいですからね」


「ただ適合を持つってだけじゃダメだ。

 常人とかけ離れた、常識をはるかに超えた適合度が必要だよ。

 少なくとも、方法論が確立されていない今では、ね。


 なんだったら、一人で両方できなくていい。

“感応”と、”干渉”。それぞれ二人で分担する方法があれば、あるいはーーー」



「先日の新薬研究は、被験者の感覚器官系の"魔素"適合力を刺激するものでした。

 才能のある者に投薬を続ければ、可能性はあります。

 十全に効果を発揮するための条件がかなり困難ですが」


「被験者のデータを見ていいかい?」


「個人情報をマスクしたものでよければ、問題ありません」



 この時、日本一の冒険者神崎直人はとある30男に目を付けることになる。



 ーーー



「いやー!富山の魚は最高やな!

 東京で食うのがアホらしくなるで!

 ウツミんお前、こんなもん毎日食っとるんか!?」


「別に毎日食ってるわけじゃねえよ。

 ほれ、”立山”ももう一合注文しようぜ。冷やでいいか?」


 ヤマちゃんは相変わらずいい食いっぷりだ。

 地元の物をこれだけ喜んでもらえると、やはり悪い気はしない。

 今日は奮発して、ノドグロの焼き物も注文しちゃおうかな。



「ホタルイカも最高にうまいよ!

 いやあ、酒が進む進む!旨い魚に酒、それに米!

 ウツミんがグルメに育つわけだよ!」


「お、おう」


 いっちょ前なことを言うヨッキーだが、いかんせんその手に持った飲み物がイケてない。

 ルービー小瓶から早々に地元の名酒”立山”の大吟醸に移った俺達に対し、1杯目から生絞りグレープフルーツサワーとかいう眠たいもんを注文し、今は2杯目のカルーアミルクに突入している。


 女子か。雑魚女子大生か。

 これで魚の味を語られてもなあ。



 富山の繁華街に居を構えるとある居酒屋。

 旨い魚を食わせてくれる店ってことで親父に教えてもらった店だ。


 流石親父。いーい店ですわ。

 出てくるもの全部旨い!

 お通しに出てきたホタテの昆布締めで既に感動したからね。



 前に富山に住んでたのって高校生までだったし、たまに帰省して地元のツレと行くのは安いチェーン店ばっかだったからな。

 あんまちゃんとした店知らんのよ。

 仕事仲間が女子高生じゃあ、飲み屋に詳しくなりようがないからね。仕方ないね。



「いやしかし今日は色々ありがとうなウツミん!

 やっぱ地元民のガイドがあると充実度が全然ちゃうわ!

 昼に食った牡蠣の店も最高やったわ!

 オイスタービールとのあの相乗効果、知らんかったのは一生の不覚やで!」


「一日中ハンドルキーパーやらせてごめんねウツミん。

 横で俺らばっかり呑んでるの見て、辛かったでしょ。

 ジャンジャン飲んじゃってよ!この店の分は俺らで奢るからさ!」


「いやまあ別にいいよ。

 ガソリン代と帰りの代行運転代だけワリカンにしてくれりゃ、それでいい」



 普段行かないエリアをあちこち運転するの楽しかったしね。

 というか、こいつら2人の運転する車には二度と乗らねえ。

 行きでちょっと順番に運転してそう確信した。


 ヤマちゃんはとにかく荒いしスピード出し過ぎ。あと煽りすぎ。

 ランプ+クラクションに飽き足らず、ワイパーまで使って煽る奴初めて見たわ。

 ヨッキーはペーパー過ぎ。ビビりすぎ。いつまでたっても右折できねえし。



「カーっ!気前がええのう!

 流石女子高生囲って稼ぎまくっとる冒険者様は違うのう!

 俺ら下級国民どももあやかりたいわ」


「誰が上級国民だ。

 てか声でけえよ。バカタレ。

 待って、今の普通にムカついたんだけど」



「ね、ねえウツミん。

 そ、その女子高生の写メとかないの?

 か、彼氏とか、いるのかな。


 友達とか、さ、紹介とか、さ、できない、かな?ラ、Lineだけでも!

 お、俺さ、嵐のチケットとか入手できるルートがあるんだけどさ」


「落ち着け童貞。

 本気の眼ぇすんのやめろ。怖すぎるわ」


 ヨッキー割とガチ目のロリコンだからな……。

 ぜってーマリの写メとか見せらんねぇ。



 先日Lineを受け取った週の土曜日。

 朝から一日中富山中の観光スポットを巡り、旨いものを食べ続けるだけの一日だった。

 30男3人で富山駅北の環水公園に行き、世界一美しいスタバでお茶したり、全長58mの赤い糸電話で会話するのはシュールすぎる何かがあったわ。

 危うく我に返るところだった。



 流石にかなり運転疲れしたわ!

 いやもう酒が染みる染みる。

 あかん、これ悪酔いするパターンや。



 そんなこんなで。

 久々に気の置けない連中とやいのやいのやってると、あっという間に時間は過ぎるわけですわ。

 足元がジーンと気持ちよくしびれてきましたわ。


 今日くらいは俺もコスパがどうとかシャバいこと言いませんぜ。

 行けるとこまで行こうやないかい。

 店員さーん!店にある酒全部持ってきてー!



「そろそろ、やな」



 盛り上がってきたところで、ヤマちゃんがそう切り出す。

 え?なんやねん。ここからやろがい。

 まだまだ夜は長いんで~!ガンガン飲んじゃってくださ~い!



「そろそろ、だね」



 ヨッキーまでそんなことを言い出して、二人で何やら目配せしている。

 なに、その目と目で通じ合ってる感じ。



「お、どうしたん?明日の新幹線、早いの?」


「ああいや、ちょっとウツミんに話があってな。それも2つ。

 ……ここじゃあなんや河岸を変えようや。

 ゆっくり話せるところがええな。BAR的な」


「お?おう……。

 まあ、いいけど」


 とか言ってる間に既にヨッキーが会計を済ませてしまっていた。

 自分の分を払おうとすると、まあまあまあまあまあまあまあまあ!、とかのいつもの押しが強いんだか弱いんだかわからん感じで雑にあしらわれる。


 まあいいか。2件目が終わってから適当に精算すれば。



 んなわけで、適当に繁華街のBARに入る。

 こっちは、地元のツレが「先輩が気に入ってるからその内行ってみたい」とか言ってた店だ。

 悪いな、先を越させてもらったぜ。


 地下1階。

 階段を下ると、”Welcome to Underground”とか書いた看板が掲げてある。

 昔の2ちゃんのコピペ思い出したわ。



「で、話ってなんだよ」


 卓について、適当に注文を済ませ、改めて乾杯し、一息ついたところで俺の方から切り出した。



「おう。

 まずはこっちからやな」



 そう言って、ヤマちゃんが鞄から封筒を取り出す。


 ……2人の勤める会社、つまり俺の元いた会社のロゴが入っている。

 見慣れたデザインの封筒を受け取り、中を覗く。


「……これは!」


 つい声が出る。

 入っていたのは、再雇用に関する契約書や説明資料。

 既に俺の氏名や住所、顔写真まで印刷され、社印を押されている。

 あとは俺が印鑑を押すだけの状態だ。



「戻ってけえへんか、ウツミん。

 ウチの会社に」


 あくまで淡々と、ヤマちゃんが告げる。



「ど、どういうことだよ!

 お、俺はクビになったんだぞ!

 い、今更!どうして!」


「ウツミん、他のお客さんもいるから」


 思わず立ちあがってしまった俺を、ヨッキーが諫める。

 我に返り着席する。いかん、声が大きすぎた。



「でも、なんで……」


「まあ、当然の事態が、起こるべくして起こったっちゅうこっちゃ。

 例のリストラからこっち、どこの部署でも人手が壊滅的に足りんくなってな。

 納期、サービス品質共にガタ落ち。顧客の信頼はズタボロ。

 何人もお客さんに逃げられとる。

 で、流石の上層部も重い腰を上げたっちゅうわけや。


 はっ、んなもんやる前からわかっとったやろうが」



 頭の中がぐわんぐわんと揺れる。

 これは酒のせいじゃない。


「しかし、ウチの会社の上層部が、そんな、自分たちの失敗を認めるなんて。

 ……ありえねえだろ」


 ウチの会社、とか言っちゃったよ。

 ……もう俺の会社じゃないっての。



「あの人がかなり強硬に主張したらしいよ」


 そう言ってヨッキーが、かつての上司の名を挙げる。

 ……俺にリストラを言い渡した、あの上司だ。


「ウツミんの言う通り、上はかなり反対したらしいよ。

 自分らのリストラが間違いだったと認めるわけにはいかないからね。


 またぞろ新卒の大量雇用だの、中途採用だので対応しようとしてたんだって。

 不要な人材から優秀な人材への入れ替え、みたいな建付けにしたかったんだろうね。

 はは、たった5年前の失敗をどうして忘れられるんだろうね。

 新人なんか、最初の3年は使い物にならないっての。

 中途にしたって、直近で大量の身内を切り捨てたような会社に、どこの優秀な人材が来てくれるってのさ。


 それで、あの人が真っ向から反対した。『即戦力を求めるなら、まずはリストラ組から声をかけるべきではないか』ってね。

 社内ルールや社内人脈、文化なんかを引き継ぐためのタスクがカットできるからね。

 正直今の炎上状態だと、現場的には一番ありがたい施策だよ。


 ウツミんの場合、それ以前に普通に元々超重要戦力だったしね」



 ……。

 あまりの展開に頭の回転が付いていかない。

 ドク、ドク。心臓が重く鳴っている。


 上司の顔が脳裏に浮かぶ。

 俺を解雇した時の、あの顔、声、仕草。



「……今更、なんだよ。

 人をあっさり切り捨てといて。ええ?おい。

 都合が悪くなったら、ははは、畜生。

 人を何だと……」


「ずっと気にしとったで、あの人は。ウツミんのこと」


 ヤマちゃんが、俺の眼をしっかりと見て言う。

 気にしてた?あの人が?俺を?

 何の冗談だよ。



「ウツミんのことだけやない。

 自分がリストラした部下たちの動向、色々気にかけてたわ。

 再就職はできたのか。ローンは払えているのか。家族関係はどうか。身体を壊したりはしていないか。

 仲の良かったモンを通じて、元部下達の状況をよく聞いとったわ。


 時にはあの人のツテで再就職先の世話まですることさえあったな」


「ウツミんが冒険者を始めたって俺達から聞いた時、かなり動揺してたよ。

 あいつは大丈夫だと思ったのに、自棄になってしまったのか、なんて言って。

 それでこの施策を持っていく一番手にウツミんを指名したんだ。

 まあ、普通に戦力として期待してのことだとも思うけど」


「この案件はかなりの逆風を超えてのことみたいやわ。

 完全に上の顔を潰す形での提案やからな。

 噂によると、互いのクビをかけての争いらしい。

 リストラ組を呼び戻して業績が回復したら、リストラ自体が間違いやったってことで上のクビが一つ飛ぶ。

 回復せえへんかったら、余計な発言で会社をひっかきまわしたってことで、あの人のクビが飛ぶ」


「……もしウツミんが受けてくれるなら、あの人直々に富山まで挨拶に来るつもりらしいよ。

 なんなら、親御さんの前で謝罪する覚悟まであるって言ってた。


 ……ウツミんの気持ちはわかるけど、この男気は凄いことだと思うよ。

 だから、できるだけフラットに検討してほしい」



 言葉が、出ない。

 どうすればいいのか、まるで分らない。



 親父のこと、母さんのこと。

 仕事のこと、会社のこと。

 お金のこと、税金のこと。

 オサム君のこと、マリのこと。



 色々なことが、アルコールでとろけた脳内をグルグル回り、とりとめのない思考に振り回されそうになる。

 こんな話が飛び込んでくるなんて、全く想像さえしていなかった。


「……混乱する気持ちはわかるで。

 今この場で結論を出すようなことやない。

 会社も、3週間待つって言っとったわ。


 でもなウツミん。

 それでも、言わせてもらうで。



 今の生活、いつまで続けられる?



 侮辱するわけやないで?

 冒険者ってのも、すごく立派で大変な仕事やと思う。

 これからの世の中を変える、ある意味一番ホットな職業や。

 ウツミんがそれを頑張って、成果を出し始めて、金やってしっかり稼いどるのも知っとる。



 しかし、しかしや。

 お前、その仕事本当にやりたいと思ってやっとるか?

 そう思っとるんやったら、何も文句はないで?

 いや、文句とか言うのはおかしいか。


 でもや、前のお前から、冒険者になりたいとか聞いたことないで。

 むしろ否定的な物言いやったやないか。

 いや、意見が変わるのは何もおかしいことやない。

 意見が変わったんなら、それでええんや。



 でももし、そうでもなくて、なんとなくやっとるんやったら。

 ……なんとなくやるにはあまりに危険で不安定な仕事やな、とは思うで。

 女子高生が1人風邪ひいたくらいで、一週間収入がなくなるいう仕事なんて、やっぱり普通ではないで。


 いや、それは別にええねん。

 それを見こせるくらい普段稼いどるなら問題ないし、実家の助けもあって生活できとるなら誰にも恥じることはない。

 世間では子供部屋おじさんなんて言うてマウントとってくる奴もおるけど、そないなもんは歯牙にもかけんでええと思う。

 俺らくらいの歳にもなると親世代も老いてくるしな、むしろ親孝行やと思うで。



 でもな。……やっぱ、怖いねん。

 最近、この県でも事故があったんやろ?

 ヨッキーが毎月官報読んで調べとるんや。

 正直、責任を感じとるっちゅうところもある。

 ウツミんが冒険者やっとるんは、俺が治験バイトを勧めたことが間接的に影響しとるんやないかってな。

 それでウツミんになんかあったら、……俺は一生後悔するやろな。


 ……いや、スマン。

 自分の都合ばっかでしゃべくり倒して。

 お前にも、今の仕事でしがらみやら責任やらあるやろうし、一方的な物言いになったことはマジで謝るわ。


 でも、ちょっとだけ。ちょっとだけ今言ったようなことも考えといてほしいねん」



 長台詞で喉が渇いたのか、発言内容にバツの悪さを感じたのか、ヤマちゃんはジンをグイっと呷り、激しくむせ返った。


 俺はというと、「ん……」とか、曖昧な返事をするのが関の山だった。


 結局、3週間後までに回答するように、ということでこの話は強引に打ち切られた。

 俺は仕方なく、書類を鞄にしまい込む。



「ゲフンゲフン!

 ん、それでや。もう一つの話に入ろか」


「ねえヤマちゃん、やっぱりこっちはやめない?

 ウツミんにも迷惑なだけだって」


「そういうわけにもいかんやろ。預かってしもうとるんやから。

 ……これはウツミん自身の問題や。

 俺らからは一切意見は言わん。口を挟んだらいかんことや。

 だから、預かったもんを、ただ渡して、返事を伝えに行く。それだけや」


「……なんだよ、さっきから2人して。

 もうさっきの案件で十分驚いたからさ。

 今さら何が来てももはやなんともねえよ」



 俺の言葉に、2人は顔を見合わせる。



「いやー……。ある意味で、さっきよりきついと思うよ」


「……正直、ウツミん的にはかなりストレスを感じる案件かとは思う。

 キツかったら言ってや。

 すぐに取り下げるからな」



 そう言ってヤマちゃんが鞄から取り出したのは、一通の手紙だった。

 差出人を見て、今度こそ心臓が凍り付くかと思った。



「もし、読むのが嫌やったらそう言ってくれ。

 内容は俺らも知らん。

 こっちで読まずに処分して、向こうにもそう伝えとくから」



 嫁さん―――否、元嫁。

 それは、職場の上司と不倫して俺と離婚した、かつての嫁さんからの手紙だった。

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