第33話 愛している。でも、ごめんな。

「母さんっ!親父は!」


 病室の前の、通路のソファ。

 幽霊のような表情で蹲る母さんを見つけて、俺は身体を揺さぶりながら声をかける。



「きょ……京ちゃん!

 ああ!どうしよう!お父さんが、お父さんが!」


「お、おい。落ち着けよ。

 一体どうしちまったんだよ、親父の奴!」


「ああ!どうしよう!

 お父さん!お父さんに何かあったら、ああどうしたらいいの!」



 ダメだ……錯乱している。

 病室の入り口にかけられた名札を見て、そこが親父の病室であることを確認する。

 ……個室かい。流石は院長。


 まともに話ができない母さんを宥めながら、なんとかそこに親父と担当のお医者さんがいること、県内に暮らしている兄貴もここに向かっていることを聞き出す。

 一緒に病室に入ろうと促すが、親父のあの姿を見ていられないと泣いて拒まれた。

 ……なんてこった。詳しい話は先生に聞くしかないか。



 俺も人のことは言えない。かなり動揺している。

 ギルドからこの病院まで運転してきたはずだが、道中の記憶が全くない。

 事故を起こしていないのが不思議なくらいだ。



 マリのこともほっとけなかったが、気付いたらこの病院に向かって身体が動き出していた。

 出る前に、ギルド職員のサナエさんに事情を説明し、代わりの冒険者にマリの保護を依頼したんだ。

 そうだ。たまたま近くにいたタナカさんが、マリの保護を買って出てくれたんだ。記憶が戻ってきた。


 ……あの人にも手間をかけちまったな。

 忙しい人だってのに、申し訳ないぜ。

 だが、今はとにもかくにも親父のことだ。



「父さん……入るよ」



 入室すると、ベッドに親父が、その傍には医者の先生と看護婦がいた。

 親父の部下の先生だな。たしか会ったことがある。


 親父は意識がなかった。腕には点滴が、顔には呼吸器をはめ、静かに眠っている。



「息子さんですね。

 先生……お父さんは、準備ができ次第すぐに手術に入ります。

 かなり緊急を要する状態ですが、全力を尽くします」



 先生が手短に説明してくれた病状も、半分も理解できなかった。

 脳脊髄液減少症……?とか言ったのか。

 脊髄の髄液が体内に漏れ出すことで、その髄圧?が下がることで脳や脊髄に負荷がかかる、とか。


 難しいことはよくわからなかったが。

 肩こり、慢性疲労、起立性頭痛……つまり立った時の頭痛が原因で一日中横になっていること。

 これらは全て、この病気の症状だってことらしい。



 ……マジかよ。

 ずっと……ずっとそこにヒントはあったじゃないか!


 一緒に暮らしてて!ずっと顔を合わせていて!

 肩こりがひどいってんで、揉んでやって!それでいいことした気になって!


 ボンクラかよ俺は!何を見てたんだよ!



「父さん……!」



 親父は、答えない。

 猛烈な不安が俺を襲う。


 ガキの頃から、ずっと俺を守ってくれた親父。

 部活や勉強をサボった時に、どれだけ怒るんだと思うほど厳しくしかりつけてきた親父。

 就職活動で第一志望に落ちて落ち込んでた時に、静かに諭して前を向かせてくれた親父。



 親父のこけた頬を見て、一つのことに気付く。



 俺は、今の生活が、ずっと続くと思っていなかったか?



 親父の真っ白に褪めた肌。力なくぶら下がった腕。体中に浮かんだ血管。力ない呼吸音。

 親父だけじゃない。母さんも、あんなに小さく、か細かったか?

 2人とも老いている。力を失っている。


 絶対的な保護者だったあの2人はもういない。

 そんな当たり前のことに、今、ようやく気が付いた。



「親父……そんな、どうして」



 背骨に氷水を注ぎ込まれた気分だった。

 圧倒的な現実が襲い掛かってきた。

 これまで無視してきた、眼を逸らしてきた過去のツケが、群れを成して俺を追いつめてきた。


 不安が胸いっぱいに詰め込まれた感覚だ。

 信じられない程、呼吸が浅くなっていくのがわかる。

 全身の脂汗が、一張羅のシャツをじんわりと湿らせる。



「わからない……わかんねぇよ、俺。

 どうしたらいいんだよ……」



 頭の中に嵐が吹き荒れる。

 同時に抱えている問題が俺の心臓を殴りつける。


 会社のこと、元嫁のこと、冒険のこと、マリのこと。

 親父のこと。母さんのこと。将来のこと。


 気付けば俺は、もの言わぬ親父に向けて、一人語りだしていた。


「……どうしたらいいか、わからないんだ。

 仕事も、生活も、人間関係も何もかも。

 自分のポカで失ったものが勝手に戻ってきたと思ったら、良かれと思ってやったことで大事なものを失って。


 何をやったら状況がよくなるのか、ちっともわからないんだ。

 どんな状況になればいいのか、ちっともわからないんだ。


 ……相棒を救ってやりたいんだ。なのに何がしてやれるのかもわからねえ。

 自分自身、何がしたいのかわからねえのに、他人を助けられるわけもないよな……。

 俺、情けねえよ。30歳にもなって。」



 親父は答えない。

 構わず俺は、勝手に話を続ける。



「親父、あんたがいなくなったら俺、どうしたらいいんだよ。

 こんなボンクラ、どこ行ったって通用しねえよ。


 大事な相棒と一緒に戦ってたのに、あの子の辛さがちっとも見えてなかった。

 大事な家族と一緒に暮らしてたのに、あんたの身体がおかしいこと、ちっとも見えてなかった。


 頭にあったのは自分の事ばっかりだ。

 ははは。俺、自分のこと、親孝行な奴だと思ってたんだぜ?

 笑えるだろ。こんなに自分のことしか見えてない奴がよ。


 ……迷宮ダンジョンじゃあ、”眼”がいいってキャラでやってんだぜ。

 本当……笑えるよ……」



「やれやれ、ようやく本音で話したと思ったら……相変わらずだなお前は。

 ガキの頃と何も変わっとらん」


「!」



 唐突に、親父が話し出した。

 絶対安静のはずの体を重たそうに。

 深い呼吸を何度も挟みながら、絞り出すような声で。



「と、父さん。寝てねえと!」


 俺の言葉を手で制する。

 そんな動きさえ、やっとかっとという風情で。



「単純な問題を複雑に考えたがるのは、お前の子供のころからの悪い癖だ」



 それでも、眼だけは、しっかりと意思の光を宿らせて。



 ーーー



「せぇぇぇぇいっ!やぁぁぁっ!!!」 


 壁を、天井を蹴り付ける。

 ゴブリンもホブゴブリンも、私の動きに反応さえできない。

 渾身のトンファーが、本日18匹目の獲物を粉砕した。



「ふぅー、喉乾いた。

 ウツミんさん、水とミネラルを……」


 いつもの癖でそう言いかけ、気付く。


 そうだ。ウツミんさんはもういない。

 私が……関係を壊してしまったから。



「私、最低だ……。

 ウツミんさんにひどいこと言っちゃったよ……。」



 魔物モンスター相手に動き回り、少し血が廻ったら、冷静な考えが戻ってきた。



 どうしてあんなことを言ってしまったのか。

 ウツミんさんが私に、悪意であんなこと言うわけないのに。


 就職の書類だって、もし私に隠すつもりなら、こんな所に持ち歩いてるわけがない。

 きっと……相談してくれようとしてたんだ。私に、ちゃんと。

 ママとのことがあったから、切り出しにくかったんだろうけど。



 ……大切なことを、ちゃんと相談してくれる。

 ママが絶対に、私にしてくれないことだ。



「わかってるよ。そんなことは……」



 本当はわかってる。

 ウツミんさんの言ってることが、全部本当のことだって。



 ママはひどい奴だ。

 いっつも私にひどいことばっかり言って、そうかと思ったらやたらに愛してるとか言い出して。

 私はあなたの幸せを一番に願ってるのよ、なんて言った翌日には、子供が親を支えるのは当然の事なんだ、なんて言い出して。



 会うたびに、話すたびに、言うことがコロコロ変わって。

 そのたび私の心はかき乱されて。言葉の意味を必死で理解しようとして。

 でもどうしても辻褄が合わなくて。理解できないのは私が悪い子だからだって思って。


 だって、信じたくなかったから。

 本当にママの言葉に意味がないとしたら。

 本当に何も考えてないんだとしたら。


 一体あの人は、どんな気持ちで毎日を生きてるの?

 私達のこと、本当はどう思ってるの?

 私達、一体どうなっちゃうの?

 明日のママは、どんなことを言い出すの?


 それを考えることが、とても恐ろしかったから。



「わかってるよ……。パパがもう、帰ってこないことくらい……」



 それでも、信じたくなかったから。

 受け入れたくなかったから。

 パパがいなくなっちゃったことなんて。



 毎日遅くまで仕事して。

 家に帰ればママにガミガミ言われて。

 いつも疲れた顔をしてたけど、私やヒロ君たちと遊んでくれる時は、凄く優しい笑顔だったパパ。


 お小遣いも全然なくて、私たちとこっそり飴を分け合って食べてる時、とっても嬉しそうだったパパ。

 パパが学生のころやってたバスケを私が始めたら、疲れてるのに一生懸命練習に付き合ってくれたパパ。

 私が試合でシュートを決めるたびに、飛び上がって喜んでくれたパパ。



 モミジとカエデが産まれた時、パパはすごく喜んでたけど、ママはずっと不機嫌だった。

 どうしても男の子がもう一人欲しかったみたい。なのに産まれたのは女の子の、それも双子。

 アンタのセイシが弱いからこんなことになるんだ、と私達の目の前でパパを詰るママを見るのは、すっごく嫌だった。

 それでもパパは、モミジ達のことを、私たちと同じにとても可愛がっていた。



 私はバスケに夢中だった。

 すごく楽しかったし、私がバスケで頑張れば、パパが喜んでくれると思ったから。



 タッくんが産まれる位のころから、ますますママはパパを邪険にし始めた。

 ヒロ君とタッくんだけを自分のそばにおいて、私たちを近寄らせない雰囲気を出し始めた。

 私は育児に疲れてるんだ。今時の男は家事位やるのが当たり前だ、とパパに詰め寄っていた。


 きっと、家計も厳しかったんだと思う。

 パパは土日の片方、ひどいときは両方にアルバイトを入れることになった。

 何度かママにパート位始めてほしいと言っていたが、毎回私は育児で手いっぱいだと突っぱねられた。



 私はバスケに夢中だった。

 もっと頑張れば、もっと試合で勝てば、パパが喜んでくれると思ったから。

 練習量を増やしたがる私に対して、チームメイトの反応は冷ややかだったけど、関係なかった。

 私一人ででも、チームを勝たせてやるつもりだった。



 私の左膝がパンクしたのは全国大会の一回戦だった。

 オーバーワークのツケだと診断された。私はバスケを辞めた。

 それまで冷たかったチームメイトたちは、打って変わってやたらに同情的な態度で私を慰めた。


 全国大会を経験出来て気をよくしたのか。

 まるで壮大な悲劇に参加できたことに陶酔しているかのような、演出過剰な慰め劇場だった。

 私はその日に、彼女たちの連絡先を削除した。



 あの時、きっと私もパパも、何かが切れてしまったんだろう。



『全国大会出場おめでとう。よく頑張ったな』



 今でも鮮明に覚えている。

 家族みんなが寝静まったころ。

 荷物をまとめたパパが、松葉杖を突く私を、こう言って抱きしめてくれた。


 あのパパの優しさが、今は他の誰かに向かっている事なんて、考えたくもない。



『愛している。でも、ごめんな。困ったことがあったら、いつでも言ってきなさい』



 ……養育費を請求することなんて考えられなかった。

 そんなことしたら、本当にパパが他人になっちゃうから。


「わかってるよ……わかってるよ!そんなこと!!!」


 ……それでも、ウツミんさんだって悪いよ。



 どうしてあんなに、キツく言わなきゃいけないのか。

 どうしてあんなに、ストレートに言わなきゃいけないのか。


 私が一番言われたくないことを、一番聞かなきゃならないことを、オブラードにも包まず、真正面から。



 あんなこと言ってくる大人はいなかった。

 あんなこと言ってくれる大人はいなかった。

 みんな、遠巻きに同情するだけだった。

 どうしてあの人は、ズケズケと人の心に入り込んでくるのか。



 ……こんなこと考えてるからダメなんだ、私。

 またウツミんさんに責任転嫁しようとしてる。



『ウツミんさんだって無職じゃない!』



 我ながらひどい言いがかりだ。


 あの人は、何年も働いてきたんだ。

 それもかなり立派な仕事で、結果も出して。



 私なんかじゃ行けない大学に行って。

 私なんかじゃ取れない資格を取って。

 私なんかじゃ就けない仕事について。


 色々あって失職したけど、それでもすぐに呼び戻されるような人なんだ。

 私や、私の家族とは全然違う。



 私が「苦労している子供」だとしたら。

 ウツミんさんは「努力してきた大人」なんだから。


 どっちの意見が正しいかなんて……考えるまでもない。


 そんな人が、あんなに一生懸命、私たちのことを考えて、冒険でも沢山助けてくれて、生活の面倒まで見てくれたのに……私は!



「ウツミんさん……謝ったら許してくれるかなぁ……?

 ……許してくれなくても、謝らなくちゃだよね」


「あのオッサンがなんだってぇ?

 ええ、おい。マリよう」



 !

 突然背後からかけられた声に、私は弾かれたように反応した。


 両手のトンファーで半身を覆い、臨戦態勢で警戒する。



「サワタリ……?

 なによ、なんでアンタがこんな所に」


「なんでもなにもねえだろう。

 冒険者が迷宮ダンジョンにいて、なぁにが悪いってんだ。

 お前の方こそ、なに一人でほっつき歩いてんだよ。

 いっつもお前の尻を追っかけてる、あのクソオヤジはどうしたよ」


「……アンタに関係ないでしょ。

 用がないなら私は行くよ」


「つれねえなあ。ええ?おい。

 人が親切に話しかけてやってるのによぉ。ムカつくぜ」



 そこで私は違和感に気付く。


 ……こいつの靴、ショップで見た超高級品だ。

 それだけじゃない、こいつの持ってる杖。

 見たこともないほど禍々しい"魔素"を帯びているのがわかる。

 間違いなく、並の性能じゃない。



 ……こいつ、どうやってこんな装備を手に入れたの?



「いけねぇなぁ。なぁ、マリよう。

 あんまり一人で調子くれてると、ええ?おい。

 ……”行方不明”になっちまうかもなぁ。オサムの野郎みてえによぉ」



 大仰な動作でそう語るサワタリの背後に。

 一頭の、巨大な黒狼が出現した。

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