本_参考書


「ねぇ、ホントにこんな所にあるの?」


 薄暗い本棚の密集した室内で、強い口調の声がした。ふたりの女子学生が、乾いた埃と独特の本の匂いに囲まれた空間の中、並べられた本のタイトルをひとつひとつ見つめている。

 本を目で追う中で橋詰はしづめユカは、口を少し尖らせ、隣で同様に本を目で追う女子高生に声を洩らした。

「本当なの? この資料室にがあるのって?」

 疑惑の顔に彩られたユカは、半信半疑のようだ。時折、癖のあるショートヘアの髪をさわっている。小顔で何度も小首をかしげた。

 資料室なのだろうが、中には小説に匹敵するほど、分厚い羊皮紙で束ねられたとみられる古めかしい本まで陳列されている。

「ねぇ、祥子」

 おしとやかに腰を屈めていた狛江祥子こまえしょうこは、立ちあがりユカに振り向いた。睨みのきつい双眸がうかがえた。

「ん?」

 鬱陶うっとうしくなったのか、ロングヘアを髪結のゴムでまとめ上げ、再び屈んで下の段にある本のタイトルを目で追い始めた。

「ユカ、その答えは愚問よ。坂成さかなりくんの言葉と鯛沢たいざわくんの言葉、どっちを信じるの?」

「それは……?」

 ユカは坂成という男子生徒の顔を思い浮かべた。イケメンではあるがチャラ男っぽい軽い口調で、冗談をひけらかす表情と、ときどきキザなセリフを使う顔がつぶさに浮かんでくる。対する鯛沢という男子生徒は、イケメンで真面目な瞳と冷静な判断で、時折、眼鏡をかける優等生という印象だ。

「坂成くんをしているあなたでも、信頼の持てる方を選ぶでしょ?」

 即答する狛江は、坂成の冗談めいた言い回しが嫌いらしい。彼女は第一印象から好きになるタイプのようである。

「べ、別にひいきしてるわけじゃ。でも、ちょっといいかなぁってくらいで」

「そういう好きが、足元をすくわれて、ひどい目に遭うこともあるのよ」

 文芸部に所属する中で、彼女狛江は経験したことを話しているようである。

「そうなのかな?」

「疑う、ってことは彼を好きになってる証拠ね」

「べ、別に、あんな

 膨れっ面と頬の赤みをおび、うつむき加減のユカを、狛江は覗き込んだ。

「図星ね」

 狛江はほんの少し口角をあげた。彼女の方が一枚上手いちまいうわてのようである。


「それにしても、毎回、この資料室整理してるのかしら?」

 狛江は、近くにあったホコリ取りの小さいモップで、資料本の間のゴミを拭き取った。

 ユカは祥子に問いかけた。

「ここって祥子とか鯛沢くんがよく利用しているの?」

 狛江は本棚の端から端までをタイトルを追っている。ユカも彼女の後からタイトルを目で追っていた。

「ええ、先生に許可を頂いてね。文芸部は特別にって」

 どうやらこの資料室は、教職員専用の資料室のようである。


「でも、普通の資料、と違ってタイトルだけでも、読めたものじゃないみたいだけど?」

 本棚から一冊の本を抜き出して、ユカはパラパラと中身を見るが文字ののたくった文章をみて、困惑顔になった。

「ユカは資料室ココ、初めてだったかしら?」

 本を元の場所に収めると、目で追うことをやめ、室内を見回している。

「うん、あることは知ってたけど、入るのは初めてなの」

「この資料室ね、普段から執筆や何か調べたいときに訪れてるの」

「図書室があるのにわざわざ? それにここにあるの、日本語と違う言語みたいだけど」

 ユカの問いかけに、澄ました顔で狛江は応える。

「それがかえって好都合なの。私、少しだけ他言語を独学で勉強してたから。ここにある資料は、刺激的で」

「どおりで。祥子の小説ってが多いわけってこういうことなのね」

 しおらしく、狛江はユカの顔を眺めた。

「うん、ここにはドイツ語とかフランス語で書かれた資料がおおいし」

 へぇ、とユカが感心した表情になる。


「でもさ、鯛沢くんと坂成が言ってたの参考書が見つからないね。どんな参考書なの?」

「中身?」

 狛江の問いにユカが頷き、

「まだ、二回ぐらいしかみてないけど、おおむねラテン語で書かれていたわ」

「ら、ラテン語? ラテン語ってラテンアメリカの?」

 ユカは彼女を驚きの表情でみた。

「ラテン語なんて読めるの?」

「まだ勉強中で全然読めてないの」

 平然とした顔で狛江は応えた。ユカはポカンと口を開けたまま呆けていた。

「スゴイじゃん!」

「別に。鯛沢くんの方がすごいわ。彼なんてラテン語の文法をマスターしてるみたいだし」

 狛江は、謙遜した口調で淡々と話した。

「えっ? そう、なの?」

 彼女の口調に、更に輪をかけユカは驚いた。

 上には上がいるものなのね、と彼女は心でつぶやいた。

「彼によると、『異世界の行き方』の参考書らしいの」

「異世界の行き方? 面白そうな本ね」

「でも、ほぼラテン語だし、なんていうのかなぁ。私も少し翻訳してみたんだけど、のような書かれ方に感じたわ」

「体験記? 実際に作者が異世界に行ったのかな?」

 狛江は強くかぶりを振った。

「わからないわ。所々に日本の地名のような言葉まであるし」

「へぇ、聞いてるだけなんだけど、なんかワクワクしてくるね。日本にそんな場所があるのかな?」

「でも、ラテン語だし、翻訳するだけでも大変なのよ。それに」

「それに? なに?」

 怪訝そうな顔でユカは狛江に詰めよった。

「明治時代とか大正時代の資料らしいから、更に難しくって」

「そんなに古い本なの?」

「ええ、先生の話だと、古い資料をもらい受けたときに、紛れ込んだんじゃないかって言うから、確かな所在が分からないらしくて」

「へぇ、だからなのね」

 ユカは、すこし納得した表情になった。

「今、私の手がけている小説の参考資料に、と思って資料室ここにきてみたのだけど、おかしいわね」

「祥子、一度部室に戻ってみない?」

「そうね」

 室内から出ようと、ユカは廊下を駆けてくる足音が近づいてくることに気がついた。



 音が止み、扉の閉まっている前で息切れをする吐息が聞こえてくる。

 ユカは、扉の前に誰かがいることに気づいた。

「ユカ?」

「ドアの前に誰かいるみたい」

 つぶやくユカの顔は真剣そのものだった。

「誰? ゆっくりドアを開けて両手を上げなさいっ!」

 ユカが威勢のいい大声で叫んだ。

 ドアがゆっくりと開き、両手を上げた男子生徒があらわれた。鯛沢松文たいざわまつふみである。手には古めかしい皺だらけの蒼い背表紙の本を持っている。

「よっ! おふたりさん」

 鯛沢が、格好つけるように手をすこし掲げて挨拶した。

「鯛沢くん! その本、もしかして? ?」

「ご名答! 文芸部部長、狛江祥子が今、一番に探していたものだ!」

 がっかりした顔で狛江は深いため息を洩らした。

 鯛沢は次にいわれそうなことを察知してか、本を挟んで合掌し、先に口を開きはじめた。

「ゴメン、ふたりに無駄足させてしまって」

 狛江はすぐさま気づいたように、

「あなた、まさか、なんてオチは言わないわよね?」

 更に鯛沢は合掌を続け、ふたりに謝った。

「ホント、ゴメン。君の言う通り、坂成が来たときに夢中に会話して、部室の資料棚を見てなかったんだ。坂成が放置していたみたいでさ」

 狛江は呆れた表情でまたも深いため息をもらす。ユカも半分あきれた顔だが、本に興味を持っているためか、好奇心の方が強いようだった。

「ユカ、のは取り消して」

「えっ!?」

 彼女は何の話かわからず困惑している。

「さっきの?」

「坂成くんのが鯛沢くんと比べて……」

 ユカは狛江の言動に気づき、とっさに彼女の口をふさいだ。どうやらの話らしい。

 ひいき……あつかい? と、鯛沢は首を傾げた顔になっている。

「鯛沢くん、気にしないで。結局、坂成が来たせいで資料室ここに返し忘れていたってことよね?」

 ユカが彼に訊き返した。

「あ、ああ、そういうことになる」

 たじろぎながらも鯛沢はこたえた。

 手を差し伸べてくるユカに鯛沢が青い背表紙の本を渡した。

「鯛沢くん、わざわざしらせに来てくれてありがとう」

 優しい口調で笑みを浮かべ、彼女は今度は強い口調で、

坂成アイツにはしっかりお灸をすえてやるわ!」

 頷くと鯛沢は室内をでて廊下へと出ていこうとした。

「じゃあ、おれ、まだ執筆途中だから部室に戻るわ」

「うん、あとでね」

 彼が室内を出てみえなくなると、狛江がユカに詰め寄ってくる。

「ユカ、なんで全部言わせてくれなかったの?」

 狛江は不満な顔をあらわにした。

「だってさぁ……」

 ユカは少し気恥しいしぐさでこたえた。

「祥子が言ったことを

「ユカ……」

「それにあたしも結構、坂成アイツと同じにところがあるから、かな?」

「ユカ……」

 狛江は何気なしに納得した表情になった。




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