手袋
エンジンをかける音がする。乗用車特有のエンジン音である。
一軒家の玄関先で数人の若い女性が車に乗り込もうとしていた。
ひとり女性が、縮こまった身体で腕組みをしている。厚手のカーディガンをまとっているが、冷たい風をもろに受け止めていた。外は底冷えするほど寒いようだ。
運転する女性に声をかけた。
「それじゃ、またみんなで集まろうね」
「そうね、わたしからも連絡を入れるわ!」
後部座席に乗り込んだロングヘアの女性が身を乗り出して、
「ぴょん子、次回には彼氏の話をたっぷり、聞かせてもらうからね」
外の女性に叫んでいた。
"ぴょん子"とあだ名で呼ばれた女性は、
「ちょっと、キョウコ、シートベルトしないと」
隣に乗ったボブヘアの
「ノロケ話になると悔しくなるけどね」
運転席の女性が呟いた。
「順ちゃん、くれぐれも安全運転でね」
「りょーかい!」
そういうと「順ちゃん」と呼ばれた運転席の女性が手のひらを頭の前に持ってきて、敬礼の仕草をする。
「出発するよーっ!」
彼女は後部座席に呼びかけた。
気をつけてね、と手を振り、
ふぅ、と恵はため息をついた。しばらく外の景色を眺めている。近所の寒椿をふと見ていた。と、メールの着信音がなった。キョウコからの女子会の感想メールのようだった。
メールの最後の一文を見て、またなの? という偏屈顔へと変化する。
『P.S ぴょん子の家に戻るのめんどーだから預かっておいて』
キョウコが女子会の度に忘れ物をすることはわかっていた。今回はさすがにないだろうと思っていた矢先だったのだ。
玄関から家に入った恵は、女子会で集まっていた部屋にふんわりとした手袋があることに気づく。いかにも暖かそうな淡い茶色だった。カフェオレのような色である。
手袋を見て、いかにもキョウコが好きそうな色だと思うと、またもため息が出た。どうしたら女子会での忘れ癖をなくせるだろうか、と首を捻っている。
ぴょん子こと鹿賀崎恵と柏木キョウコが出会ったのは、高校生のころである。
書道部の活動の仲間どうしで、卒業しても定期的に会うようになっていた。彼女たちが女子校出身であったことも、ひとつの要因なのかもしれない
――――今回は手袋なのね……。
恵は彼女の手袋をパッケージ袋に封入すると忘れないうちに、仕事用で持っていくカバンの中へ放り込んだ。
次回から自宅には、招き入れない方がいいのかも、と考え込んだ。
それから1年が過ぎ、また手袋を使う時期が訪れる。
いつものように職場を後にした鹿賀崎恵は、駅前で偶然にもバドミントン部の先輩に声をかけられた。高校時代、一時的に所属して仲良くなった
恵は会話の流れから高校時代の同級生同士で、女子会を開いていることを話す。
「この後って予定入ってる?」
不意を突かれたように、柳瀬は喫茶店ですこし話さない? と誘ってきたのだ。
手近な喫茶店に入る。注文もそこそこに、柳瀬はその会にぜひ参加させて、と言い寄ってきた。最近付き合っていた彼氏と別れたばかりらしくうっぷんが溜まっているような話になった。
「だから、ねぇ。あたしもその集まりに参加させてくれない?」
「私は別にかまわないですけど」
恵には不安が拭いきれなかった。部活のちがう先輩を、みんなが受け入れることができるだろうか、と。
「ちょっと、友達のキョウコに聞いてみます」
「きょうこ? キョウコって、柏木さんのこと? 彼女も参加しているの?」
「はい」
携帯電話を手にした恵に柳瀬が、
「ちょっと貸して! あたしが直接訊いてみる」
でも、と言いかけたが、手を差し出してくる柳瀬に携帯を手わたした。
柳瀬は自分の携帯を取り出すと柏木キョウコの携帯番号を控えているようだった。
「柏木さんとは何度か話したことがあったから、あたしから伝えた方が貴方が楽だと思うの」
番号を写し終わると柳瀬は、携帯を返した。
「それと、ついでに私の携帯番号もあなたのスマホに登録しておいたわ!」
あ、ありがとうございます、と恵は先輩の彼女に言おうとしたが、既にスマホで番号の整理をしているようだった。
彼女の性格は相変わらずだった。高校時代から自分に厳しく他人に迷惑をかけさせない真面目さが窺えたのだ。
「鹿賀崎さん、念のためだけど、今から確認のために携帯鳴らしてみるから。それとあなたから、あたしのことをメールで柏木さんに送っておいて。怪しまれるとあとあと大変だしね」
捲くし立てるように柳瀬が早口ではなす。
「そうですね。いろいろと物騒ですし」
恵はメールでキョウコに連絡をした。
女子会が無事におわった。
恵はメンバーの送迎を担当することになった。車の免許を持っているのは、メンバーの中でも、
外は、朝から気温が上がらず、雨から雪に変わろうとする天気だった。
「車、回してくるね!」
そういうと、恵はバッグを手にそそくさと玄関へとむかった。
柳瀬のマンションから500メートル離れたところに有料のコインパーキングがあった。彼女の家が駅前だったこともあり、使用料金が高額であったが彼女の暮らすマンション契約の駐車場であったために、安い使用料金で駐めることが出来た。
水玉の傘をかぶり、白い吐息を吐きながら駐車場へとむかう。レンタカーではあったが、小回りの効く軽自動車を選んで正解だったと、恵は思った。センサーキーで素早く開錠すると、赤色塗装の車の運転席へと滑り込んだ。
マンションの入り口に戻るとき、車の中で恵のスマホが鳴りひびく。入り口に戻るまえに車を側道にとめ電話に出た。キョウコだった。
「はい、何? どうかしたの?」
肩と首でスマホを器用にはさむ。
「えっ?! わすれもの?」
急いでバッグの中を探したが、ウサギの刺繍の入った手袋がないことに気づく。これではキョウコの忘れ癖を悪く言えないわね、と心で呟いた。
恵は、この時期になるとバッグに二組の手袋をいれるのが習慣だった。以前にお気に入りのコーヒー色の手袋を失くした事があったのだ。
「ごめん、たぶん私のだと思う……。うん、もうすぐマンションの入り口に着くから」
電話をきると、粉雪の降りだした路面を注意してマンションの入り口へと車を走らせた。
マンションの入り口で一時的に停車すると、恵はキョウコに電話をかけた。
「今、着いたよ!」
恵は合図を送るように車の中から手を振って見せた。エントランスに見える数人の女性が傘を手に車を見る。手を振りかえした女性がいた。
雪の降る中、次々と車の中へと女性たちが乗り込んでくる。助手席には、キョウコが乗ってきた。
寒かったぁ、という後部座席からの声が聴こえる。
ウサギ顔入りの
「キョウコ、ごめんね。持ってきてもらっちゃって。私、さいきんは二組の手袋を持っているからすっかり忘れちゃってて」
キョウコはかぶりを振った。
「わたしも忘れ物多いから、気をつけなきゃって思えるようになったわ!」
後部座席の順子がうなずいて
「うん、うん、高校以来の美しい友情だね!」
と、つぶやくも隣にいた楠灘ことみが毛糸の帽子をぬぎ、呆れるような顔つきで目を細くして、
「なぁに、言ってんのよ。高校時代に、いっちばん忘れもの多かったの、順ちゃんだったでしょ?」
小さく舌を出し、バレたか、と呟いた。
「まあ、いろいろあったからねぇ」
否定はせず、楠灘ことみに目を合わせ、感慨にしみじみとふけった笠臣順子がつぶやいた。
ハイハイ、わかったわ、とぴょん子は心内で言った。
「シートベルト締めた? 発進するわよ!」
全員がハモルように
「はーい、おねがいしまーす!」
声が車内に反響した。
恵は、雪の中をゆっくりと車を発進させ、駅へとむかった。
完
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