おじいちゃん
夏の空気が秋の雨でとける頃だった。
まちは近々行われる秋祭りで賑わいはじめていた。三日後にせまった広場での盆踊りである。
「美加ちゃん!」
校門の近くで、クラスメイトのミナが声をかけてくる。彼女は美加と一日ちがいの誕生日ということもあり、すっかり仲良しになっていた。
「今年の秋祭りって誰かといく予定ある?」
かなりストレートな言い回しに戸惑いながら、美加はこたえた。
「うん、美加はおじいちゃんといくつもり。ミナちゃんは?」
小学六年にもなって美加は、自分のことを『私』とはいえずにいた。
「今年は私と一緒にいかない? 来年から中学生だから、秋祭りに行かれるのって今回が最後かもしれないし」
ショートヘアのミナがこたえた。
「うん、もちろんいいよ。じゃあ、三人だね。おじいちゃんにも言っておくね」
「そうか、そうか」
七十近くになった
「ねぇ、いいでしょ? 美加の友達もいっしょでも」
忠正の肩を揺すりよびかけていた。
「いいよ! 美加が喜ぶのなら、わしは嬉しいかぎりだ」
「やったー!!」
大はしゃぎで満面の笑みをみせた。
横にいた父親も娘の笑みにつられ、笑顔をみせる一方で美加に小言をつぶやく。
「美加、おじいちゃんを連れて歩くのは構わないけど、ないものねだりするなよ。それにおじいちゃんとはぐれないように気をつけなさい!」
「はーい、わかってまーす!」
美加の軽い発言に父親は心配な様子で見守っている。
「とうさん、あまり美加を甘やかさないでくれよ! 散々な目に遭ったんだ」
台所にいた母親も心配なまなざしで忠正に言い寄ってくる。
「そうよ、お父さん。美加が六年になって、今年で最後かもしれないけど、恥ずかしい思いはこりごりだわ!」
テーブルにお茶の入った湯飲みをおくと、
「携帯電話を持たせているのだし、連絡をいれるからちゃんとでてくださいよ!」
両親は祭りにかまっていられないほど、今年の秋は、土曜、日曜と仕事におわれていた。
「わかっとるよ! 美加には甘えさせんようにきをつけるよ」
お祭りの当日が訪れた。
天候は安定していた。しのぎやすい北風が近くに生えているススキを揺らす。
美加は浴衣姿で玄関をでてきた。明るい色に赤と蒼の朝顔が幾つもみえる。去年買ったばかりだが、成長が早いこともあり少し小さく感じているようだった。
下駄を履き、忠正がくるのを待ち焦がれている。
「おじいちゃん、早く!」
鍵を掛けた忠正は、ゆっくりとした歩調ではしゃぎまわる美加へ歩んでくる。
「そんなに慌てんでも、お祭りは逃げやしないさ!」
「おじいちゃんの歩幅が小さいから、お祭りの会場に着くころには夕方になるでしょ?」
文句を言いながら付け加えて「ミナちゃんを待たせたくないの」と無理やりに理由づけをつぶやいた。
祭りの会場までの道のりで、人通りがおおくなってくる。
相変わらずの祖父の歩幅の小ささに美加は、一足先にミナと待ち合わせている場所へとむかった。
ミナは、黄色いTシャツにお気に入りの短パンでめかしこみ、近くの街灯にもたれかかっていた。手にはスマートフォンを持っている。ロゴの入ったつば付き帽子も身につけ、一瞬の見た目ではボーイッシュにみえた。
かるく顔を合わせた後、美加は先にお祭りにいこうとミナを誘うが、彼女は美加の祖父の方が気になっていた。しかたなく美加は祖父のもとへと戻る事にする。
祖父の忠正は、相変わらず歩幅の小さいまますこしずつ歩いている。
「おじいちゃん!」
「美加ちゃんのおじいさん、こんにちは!」
忠正は、眼をしょぼしょぼさせると帽子の子供をみつめる。
「おお、こんにちは! 美加のボーイフレンドかな?」
目が悪いために忠正には、ミナの風貌が男の子にみえたようだった。
「やだっ! おじいちゃん、美加の友達のミナちゃん! 女の子!」
帽子を脱ぐとミナが円らな瞳で苦笑いをする。
「おお、すまんすまん。近ごろは目が悪くなってしまってなぁ」
老眼鏡をかけると、忠正は納得した表情でほほえんだ。
去年も美加は秋祭りに訪れていた。その際にみつけたアクセサリー店で一番気に入ったものがあった。だが、予算が少なかったこともあり手に入れられなかった。
今年はどうだろうかと同じ場所に行ってみるものの、おみくじを売る店になっていた。
ミナに去年のアクセサリーの店のことを話すと、「もしかしたら、今年もお店を出しているけど場所がちがうのかも?」と明るく答えてくる。
美加もアクセサリー店を探したかったようだが、祖父のことが気になっていた。
相変わらず忠正の歩調は美加にとっては厄介だった。
人ごみの中で、距離が広がっていく。
忠正は彼女たちに追いつくのがやっとだった。そのつど
「おーい、美加。少し休ませてくれんか?」
祖父の問いかけにあっ、という呟きを洩らしそうになった。美加はミナとの会話に夢中になりすぎて、忠正と一緒に来ていたことを忘れかけていた。
美加はまたもため息を洩らしていた。これじゃ思うように行動ができない。
人通りの少ないところへと美加たちは移動し、青いベンチへと祖父を休ませた。
「おじいちゃん、ここでまってて! ミナちゃんと一緒にアクセサリー屋さんを探してくるから」
「おお、気をつけていっておいで」
「もし、お母さんから電話があって美加を出して、とか言われても、なにかいいわけを考えといてね」
からからと下駄を鳴らしながら、美加はミナといっしょに出店の多くある通りへともどった。
通りを歩いていた美加は、聞き覚えのある男の子の声が近づいてくることに気づく。
「柳海じゃねぇか……」
立っていたのは
「! ……」
梶綾の隣には、女の子がいた。
美加やミナと同じ年齢ほどの小学生である夏葉が、柳海をみている。美加と同じように浴衣を身につけていた。美加が彩られた朝顔模様に対して、彼女は女の子らしくいろいろな種類のリボンの模様が縫ってあり、散りばめられている。夏葉は髪を後ろに束ね、顔が動くたびにゆれていた。
「梶綾くん、知っている子なの?」
「ああ、引っ越す前に同じ学校のクラスメートだった女子だ!」
「じゃあ、もしかして……?」
梶綾はうなずいた。
鶴見は美加とミナに言い寄ってきた。
「鶴見夏葉よ。知ってると思うけど、ここの神社の舞を踊ってるの」
「みたことあるわ!」
「ホント!? 今日のお祭りでも社殿の舞台で舞を踊るから、よかったら見にきてね」
初対面でありながら夏葉は、冷静な口調で美加たちに神社の宣伝をしていた。
「夏葉、そろそろ時間なんじゃないか?」
鶴見は腕時計を見ると、
「うん、そうだね」
社殿へとむかった。
「じゃあ、梶綾くん、またあとでね」
笑顔をふりまきながら、手を振っている。鶴見が行ってしまった後、美加は黙っていた。周囲の雰囲気がすこし沈む。横にいたミナが困惑顔になる。
「おまえ、去年の浴衣で来たのか?」
「着てきちゃ悪いって言うの?」
美加が梶綾に、にらみをきかせ噛みついているようだった。
「だって、おまえんちって隣町だろっ?」
「だからなに? 去年も来たんだからあんたに文句言われる筋合いはないでしょ? 『つるみの祭礼』をあんたがしきっているわけじゃないし?」
強い口調で梶綾に言い放った。
いったい美加と梶綾の間に何があったのだろうか。
「ちょっと、美加!」
美加のつめたい口調にあせり顔をみせるミナは、周囲を見回す。何が起こったのだろうかと人々が集まりはじめていた。恥じらいながら、
「そんなにムキになることじゃないでしょ?」
小声でミナはつぶやいた。
「感じわりぃな! 一年まえのこと、まだ根に持っているのかよ」
「悪かったわね! あんたの方が約束破ったんだから根に持つのは当たり前でしょ! いこう、ミナちゃん。アクセサリー屋さん探さなきゃ」
「う、うん。じゃあね、梶綾くん」
美加のカラカラとする音にミナがトボトボと歩調を合わせ歩いた。
「私、わかんないのよね……?」
ミナが歩きながらつぶやいた。
「梶綾くんって美加の隣に住んでいたんだよね? どうしてそんなに仲が悪くなったのかなぁっておもって?」
強い口調で美加が、
「そ、そんなこと、今はどうだっていいじゃん!」
頬を硬直させ、
「アイツが悪いんだから」
「ふ~ん」
ミナは気になる様子はみせるものの微笑んで、
「でも、梶綾くんも彼女、できたみたいじゃん?」
「どうせ、アイツが口説いたんでしょ!」
不機嫌な表情をあらわにする。
ミナがこれ以上訊くのも悪いと思ったのか、肩をすくませた。
「アクセサリー屋さん、みつからないね」
美加はだまって乾いた音をたて歩いていた。
「そろそろ、おじいさんところに戻ろうか?」
と、美加へ訊きかえす。
「それも、そうだね……」
ふたりは祖父が待っている場所へと足を向かわせた。
人ごみをすれちがいながら美加は、ミナと歩いていたが突然に下駄の鼻緒が切れてしまう。
「あっ!」
美加はため息を洩らした。仕方なく人ごみからはずれ、端によけ立ち往生してしまう。
「ミナちゃ……」
みるみるうちにミナとの間隔がひらいてしまい、美加は、追いつけなくなっていた。少しずつでも進もうとするが、あろうことかもう片方の鼻緒も切れてしまう。
「……! そんなぁ……」
大きめな石にちょこんと座り込み美加は途方にくれた。
ミナがすぐに気づいてくれればいいけど、と少しの間待ったが来る様子がない。しかたなく、砂利道を裸足であるこうと試みるが、足の裏に痛みが走る。かえって足を怪我すると、美加はあきらめた。
ふと見るとその場所に見覚えがあった。梶綾と一緒にカキ氷をつまんだ石段だった。一年前の夏に経験した思い出だった。きづくと涙を流していた。
美加を呼ぶ声が、喧騒の中から聴こえてくる。
「おーい柳海、ヤナミ、美加!」
梶綾だった。
「おまえ、ミナと一緒じゃ?」
泣いているところをみられたのだろうか、とすぐさま美加はハンカチで拭った。
「う、うるさいなぁ。鼻緒が切れて、歩けなくなって休んでいただけよっ!」
「そっか。てっきり思い出に浸って、一年前みたく泣いているとおもったよ!」
黙ってしまった。やはり泣いているところを見られていたようだった。冷たい石の上に、大粒の涙がこぼれている。
「あんただって」
鼻を赤くして俯いている。
「あんただって一年前に泣いていたこと、あったでしょ! どっかいってよ!」
「相変わらず、かんじわりぃな! 夏葉なら舞台に上がったあと、打ち上げとかで時間が作れなくなったんだってさ。ドタキャンされちゃってさ」
「美加に構わないでよっ!」
言葉とは裏腹に本当は梶綾に甘えたかったようだ。彼の性格を誰よりも知っていた美加が女の子を放っておくわけがないことも。優しいこともしっていた。
梶綾は冷静な顔つきで、
「そっか、悪かったよ。かまって欲しくないんだな。じゃあな」
美加の心の炎が燃え盛る紙のようにすこしずつ灰になっていく。意気消沈し大きい石が涙に彩られた。
しばらく美加は動けず落ち込んでいた。
(あたしって……どうしてアイツの前だと強がってしまうんだろう)
目の前に乾いた音がした。下駄だった。
見上げると去ったはずの梶綾が、しゃがみこんで美加の目線に合わせてみつめている。
「じゅん……」
「『泣いている女の子を放っておくな』って死んだジイちゃんの口癖だったんだ! 買ってきたばかりだから、お前の足に合うかどうかわからねぇけど」
足首を手で持ち上げ梶綾は、美加に下駄をはかせようとした。
「痛っ!」
美加が小さく叫んだ。みると足裏から鋭く切った跡があり、血がにじみ出てきている。裸足で歩いた時に小石のとがった先で切ってしまったようだった。
「おまえ、まさか裸足で……」
「う、うるさい!」
「怪我することぐらいわかっただろうが」
すばやく梶綾はポケットからハンカチを出すと、怪我をしている患部に巻きつけ応急処置をする。
「あり、がとう……」
と、小声で素直につぶやいた。
「ほれ、おんぶしてやるよ!」
「いいよ、そんなこと」
「遠慮するなって、『困っている女の子を放っておくな』って……」
「それも、おじいさんの口癖だったの?」
「ま、まぁな……」
「なによ、それ」
ぶつぶつと文句を呟きながらも背をむけ、手をさし伸べてくる梶綾によそよそしく美加はしたがった。
梶綾はかるがると美加を背負いもちあげる。
「うん、お前って意外に軽かったんだな!」
恥ずかしくなりながら小声で、う、うるさいっ! とつぶやいた。
「褒めたつもりなんだけどな」
とっさに梶綾もつぶやいた。
梶綾の背中でゆれるなか、美加は久しぶりに感じた梶綾の匂いで心地よさにつつまれた。
「おまえ、たしかアクセサリー屋の露店をさがしているんだよな?」
「えっ!?」
「ついでだから、おれが案内してやるよ!」
「えっ、え、ちょ、ちょっと」
梶綾は、人ごみをスイスイと走り抜ける。
「じゅ、潤、潤ってば!」
いつの間にかアクセサリー店の露店のまえに到着していた。
美加は痛みを堪えながらぎこちなく下駄を履いた。多彩な装飾品が並ぶ中で、ひとつのアクセサリーに彼女はひきよせられた。注意深くみていたものは、三日月をサーフボード代わりにウサギがサーフィンの恰好をしているブローチだった。
「これ、かわいい!」
すばやく梶綾は、美加の持っているブローチの代金を店主に渡した。
「おじさん、これ」
「じゅ、潤」
「欲しかったんだろ! 約束遅れちまったけどこれで勘弁してくれよ!」
照れ隠しに梶綾はつぶやいた。
「やくそく、忘れてなかったんだ!」
一年前、梶綾は引っ越す前に美加に約束をしていた。美加の誕生日にお祭りでアクセサリーをプレゼントするというものだった。一年遅れで約束が果たされた。
「ま、まあな」
「あー、もう、美加っ!」
ミナがくたびれた顔をむけ、さけんだ。境内中を探していたようだ。
「探しまくっちゃったよ! いったいどこにいたの?」
となりにいた梶綾をみつけるとミナは、驚いた表情になった。
「げ、梶綾、くん?」
よっ、とミナにむけ梶綾はかるくあいさつした。
美加がたじろぎながらも鼻緒がきれたことを説明した。
「よかった。私、そろそろ帰るから。梶綾くん、悪いけど美加のおじいちゃんのところまでおねがいね! 美加、じゃあね」
軽く手を振り、ミナは人ごみの中へといってしまった。
「そうだわ! おじいちゃんのことすっかり忘れてた!」
「忠正のじいちゃんと一緒に来てたのか?」
「うん!」
ふたたび美加は梶綾に負ぶさり、祖父の待っている場所へと向かった。
どこからか、忠正の大きいくしゃみが聞こえてくるようだった。
完
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