めがね

 映画館の上映室に凛々しい姿の若い女性がひとり入ってくる。どうやら従業員らしい。周囲をくまなく調べている。危険な物がないか歩き回っている様子である。すでに閉館時間は過ぎていた。

 椅子の影に小さい何かを見つけた。

「あらっ、メガネだわ! でも、変なメガネ……」

 取り壊しが決まった二日前であった。


 矢鳴祥子やなりしょうこは、縁枠が立派で黄金色にかがやいた奇妙なメガネを拾った。

 奇妙というのは、普通の人ならばそんなメガネをかければ、目立ってしまいすぐにわかるはずだからだ。

帰る間際、映画館という密室で薄暗くわからなかったのだろうか、それに……、と祥子はつるの部分をもつ。極端にメガネが小さいことに気づいた。子供がかけるほどの小ささだった。

「いったい、誰のかしら?」

 とりあえず、とばかりに祥子はポケットへ入れた。


 翌日、祥子は普段着で上映室へとむかった。

 スタッフのみで長年の映画館に別れを告げる会に出席し、片づけの終わったあとだった。

 天井と周囲の壁をながめている。壁に近づいてみるとちいさい亀裂が、幾つもみえることに気づく。天井にはすこし圧迫感があり客席は、五十人が座ればいっぱいになるほどの、こじんまりとした空間がそこにあった。

 祥子にとって子どもの頃から思い出深いところでもあった。近くの座席にもたれ感慨にふける。


 小さな話し声が室内に響き渡る。

「……?」

 振り返り立ち上がった。

 どこからか雑音のような、ヒソヒソ話のような、なんともいえない音が、祥子の耳に届いてきた。

「だれっ!? 誰なの!? 出てきなさい!」

 怯えるよりもさきに大声で恐怖をかき消した。室内は沈黙した空気で満たされている。


(おかしいわね。みんなは事務所に集まっているはず)


 椅子の脇の陰からでてきたのは、ずんぐりとした猫であった。毛並みは、通常の猫よりもしっかりとしている。全身茶色で覆われ特徴といえる特徴はないが、普通の猫より顔の幅がひろくよほどいい餌を食べているようにふっくらとしていた。数メートル離れた場所から祥子の方にむかってきた。

「ね、こ……!?」

 拍子抜けをして、かえって間の抜けた吐息を彼女は吐いた。影の正体が動物だったのか、そんな驚きのあるつぶやきだった。

 だが、猫ならばなおのこと、どうやって侵入したのだろう。そもそも通気口は人間が操作しないと開けられないはず。このまえの時、しっかりと戸口をひねり、ネコが出入りすることはできないようになっているのを確認したばかりだった。

「なんで、映画館にねこが……!?」

 おおかた、通気口に関しては誰かが閉め忘れたことで説明がつくが、いったい何の目的のために映画館に来たのだろうと、疑問が祥子に浮かんでくる。

 腰をかがめ、ねこを誘い寄せようと祥子は、警戒心を低くして「おいで」と呟きかけた。

 とつぜんムクリと二足の前脚を宙に浮かせた。猫は二足歩行になり、そのままさらに祥子へと歩みを始める。猫が人間と判断し堂々としている。

「えっ……」

 近づくにつれ猫のするどい眼が、祥子の双眸に刺さってくるようだった。

 立ち止まると猫は、徐に身体の毛の中から小さいビー玉ほどの大きさの水晶を、天井に向かって掲げた。

 まばゆい光が室内にきらめきはじめた。

「きゃっ!」

 眩しい光が祥子と猫、そして室内の空間につつまれる。

 突然の閃光に祥子は、とっさに光を見ないよう腕で顔を隠し、椅子にもたれ気絶した。


 眼をゆっくりと祥子は開けた。すでに約五分ぐらいは経過しているだろうか。光が収まると、図太い声がちかくからきこえてくる。

「ニン……、……ゲン。オイ、ニンゲンのオンナ!」

「……!?」

 近くにいる猫が、口をパクパクと動かしているのが見えた。

 猫は平気な顔で祥子を覗き込んでいる。座席にでん、とすわり肘掛にもたれかかっていた。猫の下半身には大きめの玉のようなものが見える。よくみるとオスのようだった。

「オイ、大丈夫かの?」

 おどろきおののいた。

「ウソッ!?」

「嘘ではない。一時的だがわしはおぬしと言葉を通じ合うことができるのだ!」

「こんなことって?」

 祥子は自分の頬をつねってみる。

「痛っ!」

「面白いことをするニンゲンの女子おなごじゃの。人間世界でのまじないみたいなものか?」

「ニンゲンセカイの? おまじないではないけど。猫さん、あなた違う世界から来たとか……?」

「ニンゲンにしては察しがいいのぉ」

 祥子は嬉しそうに笑顔を見せ、自分で驚いている様子だった。彼女は誰よりも猫が好きだった。子供の頃から猫と話をすることができたらと思っていたようだ。

「それにしても、変な喋り方ね」

 あ、そうだ、と呟くと、なにを思ったかポケットからスマートフォンを取り出し、肘掛の上に器用に立っている猫をフォーカスして写真を撮ろうとシャッターを押した。

 シャッター音につられてしまい、気づいて猫は、決めポーズをいろいろとしていく。シャッター音のフラッシュに怯えや驚くどころかむしろ慣れているようだった。

 5回目のシャッター音がしたところで猫は正気になる。我ながら調子に乗ってしまったことを自分で反省しているようだった。

 猫は何事もなかったかのようにオホン、とわざとらしく咳払いをすると、

「こんなことをするために、おぬしの前に現れたわけではなーいっ!」

 と、半分激怒するように声を荒げ祥子に諭している。

 祥子はあまり気にせず、にかにかと上機嫌で笑顔になっていた。だが、次には不思議な顔になる。

「あれっ? なんで? なんで、今撮った写真に何も写ってないの?」

「当然じゃな。ちと惜しい気もするが……」

 祥子はふしぎに訝しく猫を見ている。

「そんな、SNSにアップしたかったのに……」

「なにを理由わけのわからンことを」

 片目で腕を組んで祥子を見ている。完全に人間と同じ仕草だった。

「じゃぁ、ほんとうに……」

 と、驚く表情で猫をみつめなおす。後ずさりしふたたび慄いた。

「ようやく気づいたようじゃな。わしはお主にしか存在していないことが」

「……」



 室内の空間に沈黙が流れた。

 祥子は怖がりながら後退りをはじめた。

「も、もしかして、ねこのゆう、れい?」

 祥子はこの猫にきちんと足があることをたしかめる。

「地上世界の幽霊というたぐいとは、また種類がちがうかもしれんが……」

 猫が手を使って顔をなめている。

「おぬしに訊きたい事がある」

「なに? いったいあたしに何かしようとする気?」

 猫はかるくため息を吐くと、

「趣旨を間違えるな! 趣旨を。おぬしに危害をくわえる気は毛頭ない。ただわしは、お方様が、お忘れになった地上界隈のというものを探し回っている。心当たりはござらんか?」

「めがね?」

 昨日見つけたメガネのことが祥子の中で思い起こされた。

「もしかして、あのって?」

「ご存知なのか?」

「知ってるわ! つい先日拾って……今日は持ってないけど」

 途中で言葉を切り呆然とする。

「でも、困ったわね。もう、この映画館取り壊しが決まっていて、今日で最後なのよ。明日には解体業者が入ることになるし」

「取り壊し? とな。残念じゃな、ここが唯一無二の地上界隈で集会の開ける場所じゃったのだが……」

 猫が何のことを言っているのかが、祥子にはわからなかった。

「集会の……場所? ひょっとして……?」

 扉が開いていた理由が、猫に拠るものではないか、と祥子は直感した。

 猫は焦って動揺した。

「あ、いや、その……こちらの話だ!」

「……?」

 祥子は訝しく疑いの眼をむける。

 脂汗をにじませ困ったとばかりに猫は、狼狽ろうばいし苦しんでいるような顔だった。無理やり話題を変えた。

「と、ところで、おぬし。名は何と申す?」

「祥子よ! 猫さん、あなたは?」

「わしか? 鞍葦六衛門基紀くらあし ろくえもん もとのりと申す」

 六衛門は仁王立ちで威厳の顔になり、ふんぞり返った。

 眼をパチパチとして祥子が長すぎる名前におどろいた。

「くらあし、ろく……もんのり? ずいぶんややこしい名前なのね」

「ろくえもん、と呼ぶがいい」

「ろくえもん? なにかのアニメキャラみたいね。『ロクちゃん』でもいい?」

「ろ、くちゃん?」

 六衛門は、目を丸くしおどろいた。げんなりした様子である。

「して、めがねのことじゃが、ショウコどの、クルブシ地蔵堂というほこらをごぞんじか?」

「クルブシ地蔵? あぁ、あの林に囲まれた峠の途中にある場所よね? 知ってるわ。よくあそこで遊んだことがあったから」

「それは好都合じゃ」

 六衛門は短い首を上下に動かしうなずきをみせた。

「すまんが、その場所へめがねを届けてくださらんか? 急いでいるので今夜の十時ごろでよいか?」

「わかったわ! 今夜十時ごろね?」

「頼もしいかぎりじゃ。わしは急ぐゆえ、に一刻も早くしらせたい!」

 六衛門はぴょん、と椅子から降りると丸みのある体をゆらし、通気口のあるほうへと向かおうとした。だが、なにを思ったか立ち止まり引き返してくる。

「そうだ、忘れるところであった」

「えっ?」

「ショウコどのに、これを渡しておこう」

 六衛門は、祥子の掌にビー玉ほどの大きさの水晶玉をおく。光り輝くエメラルドブルーである。

「きれい。これって?」

「わしからの礼だ。必ず、クルブシ地蔵に届けてくだされ! わしもそこで待っておる」

「ええ、必ずいくわ!」

 六衛門と祥子は互いに笑顔をかわした。


 夜十時を回った。

 林に囲まれた道を自転車でクルブシ峠へとむかう。

 お堂の前にはちいさい広場がある。車が二台ほど停められる空間があった。自転車をお堂の端に止めた。

 時折、フクロウの鳴き声が林の中から聞こえてくる。祥子は怖がる様子もなく、懐中電灯で辺りを照らした。

 お堂のそばには、何体かの地蔵がたたずんでいた。

 とつぜん、祠の屋根の上に影があらわれる。六衛門だった。

 六衛門が祥子に気づき水晶玉をかかげた。まばゆい光りが、辺り一帯をつつみこんだ。


「ショウコどの、ショウコどの。ほこらのまえへ」

 六衛門の声かけにきづき、祠のまえへと歩み寄った。

「殿下」

 祠の屋根の奥から、外灯に照らされ二足歩行の三毛猫があらわれた。上品な顔立ちに鋭敏な双眸そうぼうと細めの体型をした若いオスの猫が、堂々とした足取りであらわれる。尾の長さが身長を軽くこえ、意識があるように左右に揺らめかせている。溢れんばかりの若さがあった。

「ショウコと申すもの。大儀であった」

 祥子は、ただただ茫然と見惚れていた。六衛門はすばやく祥子のそばまで行き、

「ショウコどの。めがねを」

 と、六衛門は祥子に催促する。彼女はポケットから大事そうに両手で彼に渡した。

 六衛門は猫とは思えない脚力のジャンプをみせ、屋根の上へとのぼる。つつしんで『殿下』となのる三毛猫にめがねを手渡した。

「ふむ、間違いなく私のモノだ!」

 殿下は念入りにめがねを眺めている。

「六衛門!」

「はっ!」

「ショウコどのに、例のモノを」

「はっ!」

 ふたたび、祥子の元へおりると今度は五角形にかたどられた手形のようなものを手渡す。

「これって?」

「説明はあとで。とりあえず受け取ってくだされ!」

 すばやく殿下の下へと引き返す。

「ショウコどの、受け取ってもらった物は、私のクニへはいる時の通行証のようなものだ! その通行証さえあればこの地上と私のクニを行き来できるようになる。どうか褒美として受け取って欲しい!」

「そんな! あたしは拾っただけなので」

「ショウコどのには感謝のしようがないのだ。このめがねは、特殊なもので私にはなくてはならないものであった。旅の途中でニンゲンの『映画』というものに興味を持ち、見たくなったのだ! 六衛門に探させにいった次第であった。いや、そなたにあえてよかった! 私はまだ旅の途中ゆえ、そなたとあうことも今日一日のみじゃ。では、失礼仕しつれいつかまつる!」

「すみません、殿下のお名前だけ教えてもらえませんか?」

「うむ、そうじゃな一期一会とはいえ、そなたの名を知った以上礼儀であるな」

 六衛門がはばかるように殿下をみて、

「しかし殿下、ニンゲンに殿下の名を……」

 殿下は六衛門の言葉をさえぎって

「よいではないか。地上界にかたきとなる者はいない。そうであろう六衛門」

「御意!」

「私の名はフォイール国 キャティアル・コールと申す」

「キャティアル・コール……」

 祥子はなぜこんな日本に来たのかまで聞きたかったが、コールは名前をいうと闇の中へと去っていった。


「ショウコどの、驚かせてすまなんだ!」

 いつの間にか祥子のまえに六衛門が、近寄っていた。

「本来はわしが先に来てめがねを預かる次第であったが、コール殿下のご好意で直接あって礼をしたいと申された! ご容赦願いたい!」

 大きくかぶりを振って、

「気にしてないわ! 殿下の凛々りりしいイケメンぶりをみて癒されたし。それよりも、旅をしているのでしょ。途中気をつけてね!」

「ショウコどの、世話になった」

「いいえ、こちらこそ」

「では、御免つかまつる!」

 小さく手を振り彼を見送った。


                      完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る