マフラーとコート

 街はクリスマスムードになりつつあった。煌びやかな光が輝いていた。

 喧騒の中、男はひとり繁華街を歩いていた。様相は落ち着いている。ただ、目的を持ってどこかへ向かっているように見えた。

 顔には不似合いなサングラスをかけ、黄土色のコートを身につけている。よほど寒がりなのだろう。首元に黒いマフラーを巻いていた。

 居酒屋やレストラン、パチンコ店が並ぶとおりを歩き、ひとつの雑居ビルの前で足を止めた。ビルには地下に降りる階段があった。


 男は疑いもせず、階段を下りた。

 ひっそりとした地下空間が広がっている。異空間に運ばれたような場所に、ポツリと置き看板のあかりが灯っている。

「ここだな」

 メモを片手にサングラスを額に持ち上げ、看板名を確認した。


『喫茶La・Rva(ラ・ルヴァ)』


 男はメモと看板を交互にみると、ベルの鳴る店内へと入った。

 洒落たBGMと紺いろを基調としたシックなデザインの店内が、男の目に飛び込んでくる。

 店内に人影はなかった。

 こんな所で儲かるのだろうかと、男は疑いの目で見回している。

 カウンターバーの内側でグラスを布で拭いていた年配風の男がいる。声をかけてきた。

「いらっしゃいませ」

 おや? と来客した男を一瞥した。

「お客さん、ここは初めてですか?」

「ま、まあな」

 緊張した表情で首に巻いていたマフラーをとった。首元に小さいホクロのようなものがみえる。

「マスター、この店でがあると聞いてやってきたんだが」

 マスターと呼ばれた年配の男は、驚きを見せることなくこたえた。

「予約はされてますか?」

 客の男はコクリと頷いた。

 年配の男が、高々と手を挙げ、奥にいる男を呼び寄せた。

 黒服に真っ黒なサングラス、そしてよく見るツバ付き帽子を身につけている。どこかのスパイ映画に出てくる姿、あるいは、シークレットサービスの容姿だった。

「お呼びですか?」

 店の従業員とも思えない出で立ちをし、カウンターバーの店員を見ていた。

「ご予約の方だ!」

 年配の店員が手を出して紹介する。

 帽子の男は、コート服の男を眺めた。手帳を取り出すと予約の相手の名前を調べ始めている。

「イヌイさまでしょうか?」

「は、はい」

 緊張した面持ちで答えた。

 帽子の男は、何かのデバイスを懐から取り出すと、イヌイの目元にあてデバイスのトリガーを引いた。機械音がひびきわたる。「認証完了」という文字を確認した黒服の男は手を差し伸べ、カーテンの掛けられた奥へと男を誘導した。

「こちらへ」

 マフラーを首に巻くと、帽子の男に連れられ奥へと向かう。分厚いカーテンをくぐり、地下に降りる階段を下りた。


 一般の客は入らないような薄暗い廊下を歩いている。どこまで行くのかと、イヌイには不思議におもった。

「あ、あの?」

 イヌイの顔が不安に彩られていく。どこか知らない場所に監禁されるのではないか、と疑ってとらえた。

 案内人の男の足が止まった。

「こちらのドアです」

 イヌイの目の高さに『支配人室』というプレートがみえる。

「支配人室じゃないですか!」

「はい、裏オーダーは、支配人が直々におこなうサービスです!」

 案内人の男の表情がぶきみに微笑んでいた。

「プレートはあまりお気になさらずに」

 気になさらずに、と言われてもイヌイには気になって仕方がない様子だ。

「イヌイさま、マフラーをお預かりします」

 いつのまにか案内人の男の手には、大柄の編み籠が握られている。

 疑いもせず、イヌイはコートとマフラーを籠へ入れた。

「コートもお願いします!」

「かしこまりました」

 ごくりとイヌイは生唾を飲み込み、ゆっくりと取っ手に近づく。緊張の一瞬だった。

 取手を力強く下に押し、ドアを開けた。ドアの外から内装の一部がうかがえた。

 ひとりの女性がドアから見える位置にいる。シルクのネグリジェを身につけた姿で佇んでいる。顔立ちが整った若い美女だった。艶のある髪をさわり、誘う仕草をしている。

 イヌイは発情期の犬のように興奮が高まりすぐさま中へと入った。

「では、ごゆっくり」

 深々と案内人の男はお辞儀をすると、ドアがゆっくりと閉じられた。



 二時間が経過した。

 案内人の男が腕時計をながめ、ドアを見つめている。

 内側にいた女性がドアを開けた。

 顔のやつれたイヌイが、放心状態のままでてくる。服は乱れ、髪の毛にも元気がみられない。まるで精気を吸われたようだった。

 案内人の男に支えられ、イヌイは店内まで戻ってきた。

 カウンター越しから年配の店員が、

「いかがでしたか?」

 と、イヌイに訊ねた。

 うつろな目でイヌイは呂律ろれつが回りにくい口を動かす。

「さいこうだよ! 最高の気分だ!」

「そうですか、それはよろしゅうござました」

 年配店員がカクテルグラスをそっとおく。

 中には緑色の液体が入っていた。

「これは当店のサービスです。裏オーダーをご予約されたお客様限定のお飲み物でございます」

 イヌイは疑いの目をみじんも見せず、カクテルグラスの液体を一気に飲み干した。

「また来るよ」

 高揚した歩き方をして店を出ようとする。

「イヌイさま、お忘れ物でございます」

 差し出されたコートとマフラーを手に取る。イヌイがマフラーを身につけようとした時、首筋からドス黒い液体が固まっているのがみえた。が、彼は気にすることなく首元を隠した。

「またのご来店を」

 店を出ようとする時、若い男がイヌイと入れ違いに入ってきた。


 イヌイは、地上に上がって繁華街へと消えていった。

                    完

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