写真

 窓から入ってくるそよ風が、病室のカーテンを揺らす。ベッドの横に飾られた花が、入ってくるそよ風で小さくお辞儀をした。

 老いの見える女性が、外の風景をぼんやりと眺めている。

 ベッドのプレートには『掛川かけがわソノ子』という名前があった。彼女は二人部屋の窓際の場所にいた。

 隣のベッドの上にいた皮美かわみマサエは笑顔を見せ、声をかけてきた。白髪がそこかしこに見える。ソノ子と歳の差はないようだ。

「掛川さん、掛川さん」

 布団を叩き、ソノ子の気を引いてくる。手にはさっきまで食べていたらしい袋詰めの煎餅せんべいを握っている。

 どう? と差し出してきた。

「娘がお見舞いにきた時に持ってきたんだけど、こんなにあるでしょ?」

 と、大袋を見せる。中には、あられ煎餅などさまざまな種類の包装袋が入っていた。

「ひとりじゃとても食べきれなくて」

「それじゃ、いただきます」

 ソノ子は遠慮する仕草で、ひとつの包装された煎餅を取り出した。

「そういえば、掛川さんの娘さん、そろそろ来る頃よね?」

「ええ、もうそろそろかしら?」

 病室の掛け時計を目にした。時刻は午後の2時を回っている。

「大学生だったかしら? ここのところ毎日よね」

 ソノ子は皮美の話かけに相槌をくり返した。



 廊下の方で、明るいハキハキとした若い女性の声が響き渡る。

「あら、噂をすれば……かしら?」

 可愛らしく口もとに手を当て、皮美は微笑んだ。ベッドから下りるとかわいい足取りでスライドドアまでいく。小さい子供が、顔だけを廊下に覗かせている格好になっていた。

「こんにちわーっ!」

 という挨拶が聞こえてくる。

 ソノ子も重い足取りだが、ドアから廊下へと歩いた。

 二十代前半の細身の女性が、笑顔を浮かべ皮美とハイタッチをしている。

 ソノ子を見つけると、後ろで結いている髪が左右に揺れた。顔立ちの整った中にある細縁のメガネが見える。

 ショルダーバッグを持ち、両の手を前に持ってきて、ソノ子とハイタッチをしようと待ち構えている。

「おかあさーん」

 ソノ子も笑顔で手を上げ、軽くハイタッチを交わした。

「時間通りね、エミカ」

 掛川エミカである。母親を励まそうとここ毎日病室を訪ねてくる。

「うん、最近、バイトのシフトを変更してもらったの。だから、この時間に来れるようになったんだ。30分くらいだけどね。それより」

 晴々としていた顔が、急に曇った表情に変わる。

「どう、具合の方は? 痛みはなくなった?」

 心配そうな顔でソノ子を見つめている。

「大したことないわ。軽い喘息ぜんそくのようなものなのに」

「本気で心配してるんだから」

「大丈夫よ、エミカちゃん。お母さんはあたしより丈夫よ」

 皮美はハッキリとした口調でエミカにいった。

 あ、そうだわ、と何か思い出した様子で、軽く手を合わせた。バッグからアルバムの小冊子を取り出す。

「昨日、うちの中から古いアルバム本が出てきたの。せっかくだから写真をお母さんとおばあちゃんにもみてもらおうと思って。持ってきたの。そうしたら、わたしの写ってる写真以外にもっと古い写真が挟まってて……」

「えっ!?」

 白黒に近いほど褪せた写真を取り出した。

「わたし、その写真にイタズラ書きがあって驚いちゃった。お母さんの子供の頃ってイタズラ書きって頻繁にしてたの?」

 色褪せた写真には、女の子と一緒に犬が戯れているものだった。犬の尻尾にボールペンで付け足して尻尾が描かれている。女の子の顔には、ヒゲがあり、頭にはツノまで付け足されていた。

 写真をみて、みんなで笑っている。

「頻繁だなんて……やめてよ。当時は遊びたい盛りだったから、面白かったことはとことんやっていたかもしれないわ!」

「あ、あと、家の木の柱になにか跡が残っていたけど……あれは?」

 皮美はこたえた。

「あれは背比べの跡よ」

「背比べ?」

「私たちの頃は、よく家の柱に兄妹同士で背丈を比べるために印をつけたものよ」

 そうよね、という表情でソノ子に相槌を求めた。

「昔の家は、土台がしっかりしてて柱に落書きしても怒られずに済んだのよ」

 変な理屈を言いながら、娘を説得した。

「まさかァ……」

 母親の冗談まじりのこたえにエミカは笑った。

「お母さんの言ってることは、あながち嘘とは言い切れないのよ。古い家だとこともあって怒られなかったわ。私のところも兄弟がいたこともあって、いまだに残っているのよ」

「へぇ……」

 皮美の言ったことに、感心した。

「エミカ、そろそろおばあちゃんのところにも、顔を見せに行ってあげて。私が行かれればいいのだけど、次の検査結果にもよると思うし。おばあちゃん寂しがっていると思うわ!」

「うん、今から行こうと思ってるの。案外、バイト先から近いことが分かったし……」


 廊下から看護師が入ってくる。回診の時間のようだった。

「回診に来ました。ご気分はどうですか?」

 矢継ぎ早に看護師は、質問を繰り出してくる。そのたびにタブレットに書き留めているようだった。

 最後に看護師は、メディカル装置の医療機器を回収するため、腕をまくるようにソノ子に促した。蛇のように巻かれた装置を器用に回収し、新しい装置を装着させた。

 回診の一部始終をエミカは、黙って見ていたせいか、腕時計を見て驚く。

「やだっ、もう、こんな時間だったの?」

「お母さん、また来るね」

「あら、もう行ってしまうの?」

「うん、ちょっと人と会う約束もあるから」

 しゃべりながら手を振って、よそ見をした。廊下に出ようとした時、まさに振り返り様だった。

「キャッ!」

 廊下を歩いていた医師と衝突して、エミカは派手に転んでしまう。拍子にバッグの中身が投げ出されてしまった。

 慌てふためき、すみません、とエミカは連呼した。謝りながら散らかしてしまったものを拾っていく。

 何かに挟まったのか、二つ折りになった写真が、見送りで廊下の方まで出てきたソノ子の前に落ちていた。

 急ぐように去っていくエミカへ叫んだものの、気づくことなく彼女は奥の階段へと消えた。


 興味深そうに回診を終えた皮美が、のぞき込み言い寄ってくる。

「娘さん、何か忘れていったの?」

「まったく、相変わらず子供の頃からそそっかしいんだから」

 二つ折りになった写真をふと開き、ソノ子は、微笑んだ。

 子供の頃、写真があるとソノ子はいたずら書きをする癖があった。何度もいたずら書きする度に、描く方も大胆になったのを思い出した。

 血は争えないものだわ、と写真に描かれたいたずら書きを見て思った。

 隣でのぞき込んできた皮美も吹き出しそうになり、フフフと口を抑え笑った。

 写真には大学の敷地内なのか、噴水の傍で撮られたものだった。エミカを含めた男女数人が写っているスナップ写真なのだが、黒のマジックペンでネコミミカチューシャが頭のところに描かれている。しかも、『ニャー!』という鳴き声文字がそこかしこに書かれていた。

 写真に写るエミカの顔は、口を半開きしていかにも猫鳴きをしているのが分かった。何かのサークル仲間のようだ。


 翌日の午後。検査を終えたソノ子は、隣の皮美とエミカがおしゃべりを楽しんでいるところへ戻ってくる。

「おかえり、ずいぶん時間がかかったね」

「思ったよりも待たされたわ! 検査よりも待った気分だわ!」

 ゆっくりとベッドに腰を下ろすとエミカに向き直す。

「ねぇ、聞いて聞いて。おばあちゃんもやっぱり小さい時、イタズラ書きしたことがあったんだって」

「そうなの?」

「うん、近くに神社があってそこの神主さんに怒られたことがあるらしいの」

 ソノ子には初耳のエピソードだった。

「へぇ、どんなことして怒られたまで聞いたの?」

「それが、よく憶えてないらしいの。鳥居にイタズラ書きしたようなんだけど、上からペンキで色を塗られてもう残ってないとか言ってたわ!」

「神主さんに怒られるぐらいだと、よっぽどのものだったのかもね」

「お母さん、それじゃ、そろそろ私も行くね」

 ソノ子は昨日のことを思い出した。

「エミカ、昨日みたく人にぶつからないように気をつけるのよ」

「それぐらいわかっているわよ! 昨日は急いでいたからよ」

「ああ、それと」

「それと……? なに?」

 引き出しから二つ折りになった写真を取り出し、エミカに渡した。

「もう、子供の頃からそそっかしいんだから、忘れていったことに気づかなかったでしょ?」

「なか、みちゃった?」

 と、エミカが恥ずかしそうに小声でつぶやいた。

「うん、ウケを狙ったようだけど、いたずら書きするならもうちょっとうまくしたほうがいいかな?」

 写真の裏にはコメントと一緒に笑顔の顔文字があった。

 

『いたずら書きの採点 60点 がんばりましょう^_^』


 微笑みを浮かべ、エミカの肩へ手を添えた。親娘で顔を見合わせて微笑んだ。


 完










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