カブリモノ

 木漏れ日からあふれる陽を浴びている。芦山孝道あしやまたかみちは、かつて砦があったらしい小高い丘の公園へとむかっていた。

「たかみち、早くぅ!」

 彼の前を自転車を押して歩く女性がいた。かつて高校で部活がいっしょだった香坂初美こうさかはつみである。荒れた砂利道をひたすら登っていた。かなり勾配のある坂を倒れないよう気をつけて進んでいる。

 カゴにはパンパンに膨らんだリュックとスケッチブックが入っている。揺れる自転車で踊っているようにみえた。

 孝道と初美は、美術部に所属していた。

 初美は、つよい日差しを避けるためか、麦わら帽子に紺色の長袖シャツ、風通しのいい長めのスカートという初夏の日和にしては、少々風変わりな恰好をしている。時折、山から吹きおろされる冷たい風に、スカートがふわりともちあがる。

 孝道は、スカートの捲りあがりに期待しながらも、自転車を巧みにあやつり倒さないようにすすんでいた。彼もつよい日差しを避けるため、帽子をかぶり、時々でてくる汗を手でぬぐった。

 小高い丘までの山道は、彼らにとってなじみのある道だが、高校時代に登った道と比べ、ふたりは公園にたどり着くのに時間を要した。

 初美は大学にかよい美術を専攻する。彼も美術の専門学校へとかよいはじめていた。卒業して一年未満ということもあり、SNSで連絡をとり合った。話題は、コンクールの話になり久しぶりに逢わないかということを、彼は彼女にそれとなく話した。

 数回の連絡で孝道は、高校時代に写生のためにのぼった小高い丘の公園へ行こう、と誘った。

 デートとはちがう気持ちで孝道は、容姿にはあまり気を使わず、プリントの半そでシャツに、ジーンズパンツというオーソドックスの恰好であった。すこし緊張感もあったのだろう。

 高校時代、部活の時には制服姿でなれていたこともあり、気軽に話せた。しかし、プライベートで顔合わせるのは初めてのことだったのだ。

「もうっ! たかみちっ! 置いていくわよ!」

 彼女のすこし怒声のこもった大声が聞こえてきた。孝道は、久しぶりの山登りに自分の体力のなさが許せずにいた。初美との距離がみるみるうちに開きはじめたからだった。

「はつみーっ! 先に行っててくれ!」

 初美を待たせるわけにもいかないと、孝道はありったけの声で彼女に叫ぶ。


 突如として、どこからか獣のうめき声が孝道の耳にはいってくる。

「…………?」

「オイ、ニンゲンッ!」

 ドスの利いた低くかすれた声が、はやしの崖上から聴こえてくる。

 見上げると毛並みの白いオオカミらしき獣が、孝道をにらんでいる。通常のオオカミよりも体長が大きい。ところどころに怪我がみられ、左眼がつぶれ血だまりとなって赤黒くなっていた。

 グルルルル、と唸りごえが鋭敏な孝道の耳に絶えず響いてくる。

 孝道は冷静な表情でたちつくす。身動きできないほど、足はすくみあがっていた。

 オオカミは獰猛どうもうな表情で、孝道の顔をうかがいつつ生唾なまつばをのみこむ。時折、よだれらしき体液が地面に滴り落ちた。

「ニンゲン、聴こえているのか?!」

 オオカミは直接口から発しているようだった。明らかにしゃべってることがわかった。

「しゃ、しゃべった」

 孝道は硬直していた。オオカミが人間の言葉を発することもさることながら、威圧に飲み込まれたことも要因であった。

 オオカミは首をわずかに動かす。人間を恐れる気配がみじんも感じられず、明らかに挑発する鋭い眼光がうかがえた。人間のほうが怯えていることをオオカミが理解しているようだ。

「喰いころされたくなければ、質問にこたえろ!!」

 くし立て早口で声を荒げた。

 孝道はだまって頷くしかなかった。自転車のハンドルをつよく握り締める。

「この辺に二匹のウサギがいなかったか……オマエと同じ二足歩行のウサギだ!」

「ウ、サギ……? 見、みてない……です」

 極度に緊張している所為せいか、敬語口調になった。

 それだけを聞いたオオカミは、草木の音とともに立ち去った。

 緊張感が一気に解け、自転車にもたれかかる。


 ―――オオカミは何故、俺に?



 孝道は、考え込みながらも自転車を押した。

 公園へと到着した孝道は、屋根付きの休憩所でスケッチの準備を始めている初美のところへと急いでいた。しかし、準備はおろか、木のテーブルに置かれた陰に釘付けになっているようだった。

 初美は、男のように腕をわきにかかえながら考え込んでいた。高校の頃からショートヘアを維持し、胸のふくらみもあまりない彼女は、普段より男っぽくみえる。

「うーん……」

「何をそんなに考え込んでいるんだ?」

 彼女は孝道を一瞥する。

「孝道、コレってさ、一体誰のかな?」

 と、不思議そうな顔でテーブルの上を注視している。

 覗き込んだ孝道は、笠らしいものが置かれていることに気づいた。笠といってもわららしい素材で編みこまれた菅笠すげがさの類いである。しかし、きわめて小さい。五歳児の子供がかぶるにも、壊れてしまうのではと、思えるほどの小ささである。

 編笠は、よほど器用な手先の持ち主が作ったものであることがうかがえた。

「ん?」

 孝道はその笠を手に取りしらべた。よくみると、笠には何かの動物の毛がくっついていることに気づく。孝道には何の動物の毛なのかよくわからなかった。


 孝道の頭にオオカミの言葉がよぎった。

「ウサギ……なのか?」

 動物の毛を見つめ、孝道はつぶやいた。

「え?」

 初美がおどろきを隠せないでいる。

「うさぎ? これってウサギの毛だって言うの? でも、こんな山に野生のウサギなんて……」

 初美の声は、冗談が混ざった裏声である。


 そのときだった。草むらの中で何かがうごく気配がした。

 声だけが草むらの奥から聴こえてくる。

「ニンゲンの方……ニンゲンの方」

 孝道は突然の声に身体をふるわせる。

「?」

「え? どうしたの? 孝道」

 初美にはきこえていないようだ。

「草むらから声がきこえないのか?」

 初美はつよくかぶりを振った。

 人差し指で草むらを差す。

「すみません、驚かせてしまって」

 声の主は草むらからふたりの仕草や行動がみえていたようだ。

 聞き心地のいい声が、孝道の耳に入ってくる。

「そのカブリモノは私のモノなのです」

「……」

理由わけがあって、あなた方の前に姿を現すことができませんが、そのカブリモノをとって頂けると助かります」

 孝道には声変わりしていない少年の声のようにきこえた。

「孝道、あんた、まだ空耳が治ってないの?」

「ああ、まあな。けど、マジ聴こえないのか?」

 全然、と初美は首を横に振る。

 孝道は、子供の頃から空耳とも思える声が聴こえることがあった。高校時代にも部活の中で、空耳が聞こえてきた出来事があったようだ。

 冷静な面持ちで孝道は、声の主に話しかけた。

「あんた、もしかしてオオカミに追われているのか?」

「オオカミ?」

 初美がつぶやきかえす。彼女には話の内容がわからなかった。

「どういうことなの? オオカミって?」

「いや、その……」

 孝道は山道でオオカミに出会ったこと。そのオオカミがウサギを追いかけているらしいことを初美に説明する。彼女は疑わしい表情で目を細め、彼を睨みつけている。

「あんたって高校時代からっておもったけど、ここまで妄想話をリアルに話す人だったなんて、初めて知ったわ!」

「マジなんだって!!」

 真剣な表情で孝道は、大声を荒げた。

「マジ、聴こえるんだって!!」

 草むらの中の声の主にも、聴こえていたようだ。

「タカミチ、とやら、どうやら私の言葉がとなりのニンゲンには、聞こえてなさそうですね。気になさらないほうがいいです。もしかすると、私のクニに、あなたの祖先が訪れたことがあるのかもしれませんね」

 孝道は、声の主の言葉に息が詰まった。

「たぶん、オオカミに追われているのは私の仲間かもしれない。報せてくれてありがとうございます」

「えっ? そうなのか……」

 この瞬間、またもオオカミの言葉を思い出していた。


『この辺に、ウサギがいなかったか? ……』


 孝道は、カブリモノを声の主のする草むらの傍に置いた。彼はそのとき既視感デジャビュがよぎった。どこかで感じたものだった。

 孝道は、小学校のころクラスが一緒だった紗英という女の子に、不思議な目薬を差されたことがあった。その少女の話によると、動物と会話ができ理解もされるということだった。

「もう、だまっちゃって、どうしたのよ? また、なんか聞こえてきた、とか?」

「なんでもない……それよりもスケッチの準備をはじめよう」

 菅笠の話題からスケッチの準備による話をなにげなく孝道はすすめ、笠から目を離した。

 初美も草むらの近くに置かれた笠から目を離し、準備に集中する。


 しばらくして、いつのまにか笠がなくなっていることに孝道は気づいた。


                                 完







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