カバン

 事務員たちがボストンバッグを目の前にして考え込んでいる。パーティションパネルで囲われたテーブルの中心には、旅行カバンに匹敵するほどの茶色いカバンが置かれていた。

「やっぱり、警察に届けたほうが……」

 ひとりの若い事務員が不安そうな顔をあらわにする。

「いや、きちんと説明するために中身を見たほうが……」

 隣にいた面長の男が付け足すようにいった。

「だが、プライバシーの侵害にあたるんじゃ」

 顔立ちの整った男がその言葉に反駁する。

「もうじき、持ち主も来ることですし、様子を見たらどうですか?」

 年配の女性がいう。

 彼らはタクシー会社の社員たちだった。



 バッグの持ち主からの電話があったのは、朝方であった。夜勤明けのタクシードライバーが勤務を終えてからである。

 年配の女性が電話で対応をした。

「はい、シバハタタクシーでございます」

『昨夜、そちらのタクシーに乗ったものですが……ボストンバッグを車内に置き忘れたようで……』

「すみません、特徴を教えていただいてもよろしいでしょうか?」

 カバンの持ち主はハシバと名乗った。

『茶色い旅行用の大型のカバンです』

「大型の茶色い旅行カバンですね。よろしければ中身を教えてもらえないでしょうか?」

『それは、ちょっと……勘弁してください』

「ですが、書類を書く際に必要かもしれないので……」

 それでも持ち主は喰いさがろうとしなかった。しかたなく、年配の事務員の女性は、痺れを切らし諦める。

『それでは、夕方に取りに伺うのでよろしくお願いします』

「わかりました」

 事務員の女性は電話を切った。


 年配の事務員の女性は、カバンの中身が気になり夜勤明けのドライバーに電話をかけ、説明して欲しいと訴えた。

 夜勤明けのドライバーは、カツハラという。

 カツハラは、携帯から聴こえてくる女性の問いに、寝ぼけた声でカバンの経緯を簡単に説明した。はばかりながらに女性の質問に答えていく。

 年配の事務員には、カツハラの説明が分かりづらく不信感を募らせた。仕方なく、パーティションで区切られた休憩スペースに一時的という形で置いておくことを決断した。

 事務員たちが出勤してきた。

 事務員ひとりひとりがバッグの存在にきづき、その度に年配の事務員女性が説明する。

 事務員の口々の中には、またか、という呟きもあった。どうやら、カツハラというドライバーは、他にも迷惑ごとを持ち込んだことがあるようだ。


 夕方十七時を回った。

 引き戸からひとりの若いタクシードライバーが、入ってきた。これから夜勤にでるぞという顔つきよりも、まだ眠気が残っている表情だった。

「おつかれぇっす!」

 パーティションで組まれた休憩スペースで何をやっているのか、気になり近づいていく。奇妙な集会におもえたからだ。

「お、おつかれっす! 皆さん、ここで何してるんっスか?」

 ひとりの三十代前半の男が彼にきづく。

「おお、お疲れ様! セキ! 今日、お前夜勤でシフトに入れてたのか?」

「ああ、俺、カツハラの代わりッス!」

「あいつの代わりか」

 セキという男は、テーブルに置かれたボストンバッグに目がいった。

「あれっ! このバッグ」

 セキはバッグに見覚えがあった。

「おまえ、このバッグ知ってるのか?」

 セキはとぼける様に、まさか、とおどけて顔をそらした。

「カツハラが乗せたお客さんが、このバッグを忘れていったらしい」

 へぇ、とそ知らぬ顔で真顔を見せた。

「やっぱり、警察に連絡した方が……」

 年配の事務員が帰り支度をしながらにして、カバンを気にしている。

「お、ちょっとそれは、大げさすぎるんじゃ、ないンスか?」

 セキは慌てた様子をみせた。

「じゃあ、あなた、中身知っているの?」

「おまえ、カツハラと仲が良かったよな?」

 肩を担ぎ、セキに三十代前半の男が寄り添ってくる。

「まあ、知らないことも、ないんスけど」

 焦ることもせず、ただ淡々とセキはこたえた。

「おい、答えろよ! ヤバイ物でも入ってるのか?」

 いえ、いえ、とかぶりを振る。

「ただのがらくたっスよ」

 軽く持ち上げ、中身の音を事務員たちに聞かせる。プラスチック同士がこすれ合ったり、硬く叩き合ったりする音が聴こえてきた。

「ほぉらね!」

 なんだ、がらくたなの、という女性事務員や人騒がせだな、とムッとする男性乗務員が、パーティションから出て行った。

 しかし、何故か三十代前半の乗務員の男がひとりだけ残り、疑いの目をセキに向けている。

「セキ、がらくたって何の、だ?」

「そんなに気になりますか?」

「ああ、お前とカツハラは、一番タクシー乗務員の中でも新人で若いからな。何か問題があるとおもってな」

 セキはふて腐れた顔で、カバンのチャックを開けた。



 パーティションから三十代の男の乗務員とセキが、笑いながらでてくる。

「なんだよ! たしかにガラクタだな! 心配して損したぜ!」

 そのときだった。セキさん、と事務員の女性の声が聴こえてくる。

「持ち主が来たわ!」

 セキはボストンバッグを軽々と肩に担ぎ、入り口手前のカウンターの上に置いた。

 カバンの持ち主はセキと親しい友人関係にあったようだ。顔を合わせるなり、挨拶をそこそこに雑談で盛り上がる。

「一応、決まりだからよ! バッグを開けさせてもらうぞ!」

 チャックをゆっくりと開けていく。

 中には、黒いパッケージがゴロゴロと見える。DVDやBDブルーレイディスクたぐいのパッケージのようだった。

「なぁんだ、気になって損しちゃった」

 女性事務員たちも何かしらの期待をしていたのか、中身を見て安心している。

「これで、納得できただろ!」

「ガラクタッスよ! ガラクタ!」

 黒いパッケージの影に隠れ、奥のほうで裸体姿の女性と水着姿の女性が微笑んでいた。


 



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