はんかち_その2
市立図書館の入り口からひとりの男子学生が入ってくる。
肩から提げている紺色のリュックを大きいテーブルの端に置くと、書架のある棚へと
男子学生に気づいたかのように、「
「あら?」
女性司書が、辺りを見回し男子学生を探した。彼を見つけると近づくこともせず、笑みを浮かべ遠くから見守っている。最近来る頻度が増えたようね、と心でつぶやいた。
男子学生の名は、
本にばかり興味をもち、二、三冊の分厚い本が山積みに置かれている。本を整理する坂峰は、毎日訪れる広樹を遠くから気にしていた。
小さくゆっくりとページをめくる音が静かに聞こえてくる。
広樹の座る席のちょうど真向かいの席に、ロングヘアの美少女がすわる。彼女はは、制服を着込み、彼と同い年のようであどけなさが残っている。時折、彼に視線をあわせたかと思うと、長い髪を
ひととおり本に目を通し、立ち上がろうとする。それにつられるかのように彼女も同じように立ち上がり、書架へと向かった。意識しないでいたようだが、彼は彼女に遅れて書架へと向かった。そんな数日がときどき続いた。
ある日の午後。いつものように市立図書館を訪れた広樹は、向かいに座る学生服の少女が、司書の坂峰と楽しく会話しているところを見かける。一瞬、一暼するも、いつもの席へと本を抱えて座った。
ロングヘアの少女は会話を終えると、書架へと踵を向け、しばらくして向かいの席へと腰を落とした。カバンを横に置き、すぐにまたどこかへと行ってしまう。
広樹は本に集中するものの、なぜか少女の行動が気になっていた。数十分後、戻ってきた彼女は、テーブルに花柄の刺繍が施されたハンカチを置くと本を開きはじめた。
翌日、広樹は帰りがけ、教室の前で、別のクラスになった中学の同級生
「おーい、あいばぁ」
「よ、よう」
「なあ、ちょっとお前に訊きたいことあんだけどよ」
梶原は、肩を回してくる。短髪の髪形に少し角ばった頬が、広樹の頬にふれた。
「な、なにを?」
肩の手がうっとうしくも思えたが、こんな本の虫になった俺に訊きたいことって何だろうか、と軽く疑惑を持った。
「なぁ、冒険小説の作家っておまえ、詳しいか?」
「ああ、まぁ、それなりに……」
と、言葉をきり、それがなんだ? という訝しみの含まれた顔で彼をみた。梶原は、一瞬苦い顔をするも愛想のいい表情を繕っている。広樹と違い、普段はおしゃべりな彼が高い声で接してきた。
「まぁ、別に大したことじゃねぇけどよ」
はっきりしない梶原に少し憤りのみえる顔になる。
「何だよ、はやく言えよ!」
「ンな怖い顔すんなって。おれたち、同じ中学校の文芸部員同士じゃンか?」
元だろ、もと、とツッコミを入れることもなく平静をよそおっている。
中学時代に部活動仲間として友情を深めた仲であったが、話を先延ばしにするクセは治ってないな、と広樹は彼の次の言葉を待った。
「最近、図書館にはよく行くのか?」
『冒険小説の作家』『図書館』と推測のしづらい質問で、広樹は更にいやな表情に陥った。回りくどい言い方に嫌気がさし広樹は、
「話が見えないなぁ。もっと率直に言えよ」
「わ、わかったよ」
と、彼は少し照れ臭い顔でしり込みする。覚悟を決めたようだ。
「隣の高校にスゲェかわいい子が、ここんとこ毎日市立図書館に入っていくところを見たんだ」
―――かわいい? もしかして?
彼のこの上ない照れ臭さで広樹は、合点が入った。細目になり、
「なんだ、そういうことか」
と、つぶやき梶原の魂胆が読めた。
「あ、ああ、つ、つまりはそういうことだ」
と、恥じらいを見せつつ梶原が答えた。
広樹にしてみれば、本当にどうでもいい、大したことではなかった。梶原の一目惚れは、今に始まった事ではないにしろ協力するべきか、彼は悩んだ。
「なぁ、見かけたこと、ないか?」
ない、と言ってしまえば嘘になると思った広樹は、あいまいにこたえた。
「さぁな、2、3回あったかもな?」
冗談まじりにこたえた。
「名前はなんていうか」
わかんねぇよ、と言うつもりでいたが、
「図書館で聞いてみたらどうだ? 付き合うぜ!」
と、
「マジか?!」
梶原のにやけた声に少し安心していた。彼の話では、彼女の通う高校は女子校という話であった。その高校では、毎年文化祭のみ一般の人が入れると言う。彼の場合、どこからか情報を仕入れてはSNSやネットの書き込みによって、真意を確かめているようである。その情報の一部で彼女が、最近、冒険小説にハマっていることを知ったようであった。
梶原との冒険小説談話に盛り上がり、普段よりも遅れて市立図書館に着いた。
結局、用事があるとかで梶原は来ることがなく終わる。まったくあれだけお膳立てしてやったのに、とため息をつき館内へと足を運ばせた。
向かいの席にすわる彼女に会えることを楽しみにいつものテーブルへと歩む。ふと向かいの席をみやった広樹は、彼女が来ていないことに気づくも、ハンカチが乱雑に置かれていることで一度来たのだろうか、と思った。
「………!」
手にとったハンカチを見つめる横から、声が飛んでくる。
「あら、ハンカチ」
隣には坂峰が広樹に近づき、花柄の刺繍が施されたハンカチを見つめている。
「いつもここにすわる女の子が、持っていた物だと思うんですけど……」
書架の方向を眺め、周囲を見渡すも彼女の姿がなかった。
「そういえば、今日は一度しか見てないわね。私が落とし物として預かっておくわ。もし、取りに来るようなことがあったら、受付で預かっているって伝えてもらえるかしら?」
「あ、はい」
ハンカチをきちんと畳むと彼女はエプロンのポケットへと入れ、荷台を引きながら受付の方へと向かった。
しばらくして本を一冊読み終えた広樹が、書架から戻ってくると真向かいの席で、何かを必死に探している奇妙な風貌の女の子と目が合う。
「やっぱり……」
と、彼女はつぶやくと人目を気にしながら広樹に近づいてきた。彼は気に留めないようにしながらも、奇抜な衣装に彩られた少女を一瞥した。彼女はカツラらしき紫髪をしている。ヒーローショーに出るような
「あ、あの……」
よそよそしく広樹に声をかけてきた。恥ずかしそうに周囲の目を気にしている。彼女の眼はひどく動揺していた。広樹も彼女の衣装に動揺する。あまりにも場違いな格好だったからだ。
「は、はい」
「この辺にハンカチがありませんでしたか?」
少女は、ぎこちないジェスチャーと今にも泣き出しそうなか細い声で広樹に詰め寄った。人見知りな性格の様子である。
「お姉ちゃんが、忘れていったみたいで、あたしが……」
「お姉さん? ハンカチなら受付の坂峰さんに言えば……」
怪訝そうに少女を見上げた。
「あ、あの……」
まだ何か用なのか、と広樹は首をかしげた
「厚かましいことをお願いするんですけど、その人に……」
少女は恥ずかしそうに彼を見る。
「わかった! 事情を話してハンカチをもらってくるよ」
彼女の性格を察知したのか、広樹はカウンターのみえる受付へと歩いていった。
「妹さん?」
広樹の指の差す方向を坂峰がみる。入り口付近には紫髪の少女が、人目を気にしながら椅子に浅く腰を下ろしていた。
「ハンカチを渡したいので、いいですか?」
坂峰を連れて入り口へ戻ってくると少女は軽くお辞儀をした。
「あの、姉が、ハンカチを忘れていったようなので取りに来たのですが」
「はぁ、そうなのね……」
少女の様相を坂峰は奇妙に感じた。話し方や癖のある顔立ちから見覚えがあったのだ。顔が晴れた表情に変わってくる。
「もしかして、ミキちゃん、なの?」
「あんまり、じろじろ見ないでください。この恰好はすごく恥ずかしいんですから」
ミキはたじろぎながら坂峰からハンカチを受け取る。深くお辞儀をするとそそくさと図書館を出ていった。
ミキという少女の背中を見送ったあと広樹は、坂峰司書に訊ねた。
「あの恰好って?」
「近いうちに開かれる催し物のコスプレ衣装かしらね?」
「アーケードで開かれるアレですか?」
「うん、今年は
「かすみや、さん?」
坂峰が振りむき、
「あら、知らなかったの?」
広樹は大きくかぶりを振る。
「全然」
「いつもあなたの向かいの席に座って本を読んでいた子よ」
広樹は思い返した。
「あの子?」
「中学校が一緒だったって聞いたけど?」
広樹は戸惑った。まさか市立中学校が一緒だったとは。知らなかった、と発することもせず黙りこんだ。
彼のうつむいた表情に、
「少なくとも彼女はあなたの事を知っていたようよ。心当たり、ない?」
と顔を覗き込んでくる。
司書の質問に、彼は何度も首をかしげる。
「相葉くんって、コンテストで全校生徒の前で表彰された、のよね?」
その言葉で合点が入ったように、広樹の顔が驚きに転じた。
「そういえば……」
中学校時代の部活動の時、顧問から薦められたコンテストに応募し、全校生徒の前で表彰されたことを思い起こす。
「そうだったんだ」
当時から名前を覚えててくれていたのかと、広樹はうれしく感じた。
翌日。いつものように市民図書館へ広樹は向かうと、入り口付近にたたずむひとりの女子生徒に彼は気づいた。黒髪のながい美少女は、広樹が来るのを待っていたようである。少女は加須宮だった。
彼女と目が合った。
「昨日は、あの……ありがとう。妹に聞いたわ」
広樹はかぶりを振る。
「そんな。俺、大したことしてないよ」
「でも、あのハンカチ、とても気に入ってたから、戻ってきてうれしかったの。じゃ、じゃぁ」
―――それだけなのか? 本当にそれだけを言うために?
広樹には疑問が煮えたぎっていた。
図書館の中には入ることをせず広樹に背を向け去ろうとした時、
「あ、あのさ。今日は?」
声をかけ、彼女はくるりと振り返った。一瞬、そよ風が彼らの前を通過する。彼女の髪がなびいた。
「……? えっ……」
「なか、入らないか? か、かすみや、さん?」
緊張した面持ちで広樹はいった。
「
「たえ……か。俺は」
「知ってる。相葉、広樹くん、よね?」
「うん、広樹でいいよ」
ふたりは市民図書館へと入った。
広樹の隣には
遠くで見守っていた坂峰は、うまくいったようね、と心でつぶやきほほ笑んだ。
完
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