指輪

 陽の光が水面を照らしている。水辺にはおさない子供が駆け回っていた。近くには車が通る橋がみえる。黄色い帽子を被り幼稚園児らしい男の子と女の子があそんでいた。

 夕方の帰り道なのだろうか、園児たちを見守るように母親らしき大人と老人が歩いていた。

「……ともちゃん?」

 女の子はおもむろに指輪をとりだした。

「かっちゃん、あのね。これ……」

 ガラスの指輪だった。男の子は、指輪をうけとると女の子をみつめる。

「あずかっといて。あたしがかっちゃんのお嫁さんになるときまで」

「うん……」

 男の子はうなずいた。

「じゃあね。バイバイ」

 女の子は手を振り、男の子も振り返した。







 歳月が過ぎる。

 晴れて大学を卒業した浅場克陽あさば かつあきは、地元の故郷へと帰省するため新幹線に乗った。出がけに顎髭あごひげは剃ったものの、口髭まで剃る時間がなく。時折かゆみの出る髭を触ることがあった。スマホを手に座席を確認した彼は、向かい席にすわって本を読む女性に気づいた。

「ここ、いいですか?」

 長い黒髪の女性は小さく笑みを浮かべうなずいた。

 つぶらな瞳に気品さを克陽は感じた。重い荷物を荷台にあげると彼は、彼女を一瞥いちべつして座席に落ち着く。

「ご旅行ですか?」

 同じほどの年齢の若い女性に克陽は声をかけた。

「ええ、ちょっと」

 女性のちいさな応答に手ごたえを感じた彼は、彼女の持っている本をみつめる。目をそらすように彼女は、窓の外の風景に眼を向け思いふけっている様子である。

「俺は田舎に帰る途中だったんです。大学を卒業したのはいいけど、地元に帰って来いって妹がうるさくって」

 女性は克陽にちらりと目を向かせる

「へぇ、妹さん、いるんですか?」

「ええ、もうすぐ高校卒業なんですが、一人暮らしを始めるっていって、引越しの手伝いをしてくれってせがまれて」

「へぇ、妹思いなんですね」

 そつなく女性は克陽の返事に応答する。

「いや、恥ずかしい話ですが、俺の方が妹に悪いことしちゃって」

「悪いこと?」

 女性はいぶかしい顔になる。

「子供の頃にあげるはずだったを川に落としたんですよ。それを今でも根に持っているようで」

「ゆびわ?」

「ええ、といっても子供のおもちゃですけどね」

 彼女は何かを思い出すように克陽の顔をじっとみつめる。

「……」

「どうか、されたんですか?」

 みつめてくる彼女を克陽はほうけた顔でみつめかえした。

「い、いいえ」

 突然に立ちあがり、彼女は通路を通って自動ドアをくぐっていってしまう。

「ん? トイレかな?」

 克陽は首を傾げ、通路に歩いていく彼女を見送った。



 数分後、彼女は戻ってくると少しソワソワし落ち着きのない表情になる。

 克陽は、雑誌を広げていたが彼女の不審な行動に不安な表情を浮かべる。女性はスマホを取り出すと、克陽の表情とスマホを交互に見比べ始めた。

「どうかされたんですか?」

 何を決心したのか頷きをひとつすると女性は克陽にたずねてきた。

「あの、失礼ですが、お名前教えてもらえないですか?」

 動揺を隠せないまま克陽はおどろいた。

「え!? 浅場です。浅場克陽ですけど?」

「やっぱり、かっちゃんなのね!」

 女性の容姿を見返した。髪の長いところからはイアリングがみえ、双眸そうぼうは二十代前半の輝きを放っている。幼さの残る顔を克陽はみた覚えがあった。

 克陽の中でひとりの少女がうかんできた。思い出した瞬間、彼は硬直した。

「と、ともこ? 智子なのか?」

 丹縫智子にぬい ともこはしずかにうなずいた。



 駅に着くなり智子はなにかを急ぐように克陽から去っていこうとする。

「お、おい、久しぶりに会ったっていうのに」

「ごめん、都合ができたら連絡して」

 智子が手帳を取り出しなにやら書いている。

「ん?」

 手帳の紙片を彼女が克陽に渡した。数字が羅列されている。

「それ、あたしの携帯の番号だから。じゃぁ」

 改札口を背に克陽は、走り去っていく彼女の背中を見送った。



 賑わいのある居酒屋でカウンターバー越しに座る克陽と同い年ほどの男が座っている。店には会社のOLやサラリーマンの笑い声、店員の威勢のいい掛け声がこだましている。

 箸を克陽にむけ頬を赤くした男は、中学の部活の後輩であった。キヌマという。

「先輩、ほんとに来るンですか? 丹縫ちゃんっていったら陸上部のマドンナっスよ!」

「マジだって! 来るって。俺を信じろよ!」

 一人の女性が居酒屋に入ってくる。あたりを見回し誰かを捜しているのだろうか、カウンターバーを左から右へと顔を向けている。

 克陽がぐうぜんに入り口付近に振り返った時、智子にきづいた。

「とも……丹縫、ここだ!」

 智子は克陽の手に気づき近づいた。

「遅くなってごめんね!」

 灰色のブラウスに身をつつみ茶色い鞄を抱えている。キヌマは智子に近づき顔を覗き込む。

「ヒャー、マジだぜ! あの時の顔立ちそのまんまっスね」

「えっ、あ、あの……?」

 動揺と狼狽の色で覆われた顔があり、智子はどうしていいかわからない様子である。

「ああ、こいつ、キヌマっていうんだけど高校時代に……」

 とっさにキヌマが克陽の口をふさぐ。

「な、なに言ってるんスか。先輩の方こそ……す……」

 今度は克陽がキヌマの口をふさいだ。

「仲がいいのね。ふたりとも」

 にっこりとほほ笑み智子は克陽の隣に腰を掛けた。キヌマは彼女を挟むようにその隣に席をうつす。

「えっと、キヌマさんって、たしか野球部でしたっけ?」

「お、憶えててくれたの? 光栄です。丹縫先輩に憶えててもらえたなんて。さすが陸上部のマドンナだ!」

「ええ、文化祭の時に面白い漫才コンビがいるっていうんでみたことがあったの。あなた、よね?」

 キヌマの返答を遮るように克陽が水を差した。

「そうそう、こいつ卒業後プロダクションに行ったらしいだけど、散々な結果で終わったそうなんだ!」

「そうなの?」

 キヌマが落ち込み、

「格の違いを思い知ったんス……」

 さらに克陽が補足するようにいった。

「今、河岸工事の現場監督を任されているんだっけ?」

「河岸整備っスよ!」

 と、彼にいいかえした。

「河岸整備?」

「ほら、俺らが毎日通っていた通学路に橋があっただろ? その橋が近々なくなるらしいんだ!」

「あの橋が? だってあそこは……」

 思いつめる顔で丹縫はうつむいた。

「この辺は河川の氾濫が多いらしいんだ。もう数年前からの計画だったんだがやっと予算がおりたそうで」

「そう……なんだ。なんだが、寂しい気がする」

「それでさ、にぬい……」

 智子がふりかえった。

「あした、時間空いてないかな?」

「うん、少しなら。飛行機のチケットを予約するつもりだから」

「そっか、久しぶりにその橋に行ってみないか? 橋からの風景を見納めにするつもりで」

「うん、思い出の橋だもんね」

 落ち込んでいたキヌマがささやいた。

「思い出の?」

 智子がうなずいた。おたがい顔を見合わせた。



 翌朝九時。巨木のそびえる杉の木のそばには数体の地蔵があった。杉の木から上り坂がつづき、数百メートルほどのぼったところに中学校の校舎が見え隠れしている。

 地蔵のすぐ近くにあるその土地由来の看板のまえに立って腕時計をながめていた。ポケットから傷のついたガラスの指輪をとりだす。一度は橋から投げ捨てたが未練がましく、さがしずっと大事に保管していた。

「浅場くん」

 女性の声が聴こえてくる。丹縫であった。

「おはよう」

「おはよう。待った?」

「俺も今来たところ……。この辺昔と変わって新しい家ができただろ!」

「うん、でも、ここのお地蔵様って、昔のまんまだね」

 智子は自然と地蔵の前で手を合わせた。目をつむりながら彼女はにやけ顔になる。

「ねぇ、憶えてる? 私、中学の時、一緒に登下校するたびにこのお地蔵様に拝んでいたの」

「そう、だったっけか?」

 頬を軽く掻いた。

「ここね、毎日拝んでいると思っていたことが叶ったところなの」

「へぇ、中学の時に何かお願いしたのか?」

「うん、まあね」

「どんなこと願ったんだ?」

「ひ・み・つ。おしえない」

 彼女は小声でつぶやいた。

 勢いよく両手を鳴りひびかせ、

「あ、そうだ。せっかくだから、昔みたいに通学路あるいてみないか?」

 智子が大きくうなずいた。

 克陽と智子は、小学校、中学校と一緒に登校した通学路をみて回りはじめる。神社の境内から細い小道をあるき、小さい林を抜け児童公園にでると数十段ある階段をおり、コンビニのそばの道へとでる。目の前には河川があり工事用の運搬車両が止まっていた。

 河川に昔の面影がだんだんと薄れていた。工事看板を横目に橋を渡りはじめる。眼下には河岸であそぶ子供の姿があった。

 幼少の頃のことを克陽は思い返していた。

「なあ、智子」

「ん、なに?」

「お、おれたちの幼いころのこと、まだ憶えてるか?」

 橋のたもとで智子は克陽に振り返る。克陽が照れくさそうな顔でいった。

のこと。、よな?」

「指、わ?」

 智子が思い出した顔でほおを赤らめる。

「ゆ、指輪なんて、お互い小さかったからかもしれないし……」

「そうか、それならそれでいいんだ! 俺も智子からの一方的な感じだったから記憶に残ってなくて」

 残念そうな顔で彼女がうつむく。

「でもさ、この前、久しぶりに妹とそのことで口論になって、昔、俺が呟いていたこと憶えていたみたいでさ」

「えっ!?」

 ポケットから克陽が光沢のかかった赤い指輪をとりだした。

「安物なんだけど」

 彼女の手のひらに指輪をそっとおいた。

「預かっといてくれないか? 俺と結婚するまで……」

「はい……」

 指輪を彼女はそっとだきしめた。


 克陽と智子がこの日を境に恋人同士になった。


                           完



 

















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