ツバメ
少女はひとり学校へと向かっていた。ランドセルが大きく見える背の低さがあった。
温かい風に周囲の樹木が春のおとずれをまっていた。道端のたんぽぽが黄色く咲きほこっている。
民家の垣根を目指し小走りに近寄った。少女の目に色鮮やかな
「みのり、おはよう!」
花に魅入っていた
「おはよう、ほのか」
ほのかは、同学年でクラスメイトである。好きな色で盛り上がり、すぐに打ち解けた友達だった。
「ねぇ、昨日怪我してたリッピ、元気になったかな?」
どうだろう、という顔で軽く首をかしげ、みのりは黙っていた。
「学校の帰りに寄ってみない?」
「うん、そうしようか」
明るい口調でみのりは返事をした。
昨日の夕方近くの出来事だった。みのりとほのかは、登下校の途中にある高徳寺という寺の敷地内にあった公園で遊んでいた。杉の木の並ぶその公園では、野鳥の鳴き声がひっきりなしに響きわたっていた。寺の家屋の角にはツバメの巣があった。
どこからともなく現れる親鳥のあとをつけた彼女たちは、巣の近くの地面に小さいものが鳴き声を上げているのをみつめる。ふたりは何だろうかと鳴き声のあるものに近づいた。ツバメのひな鳥が巣から落ちてしまっていたようだった。見上げたふたりは巣の中でひな鳥が口を開け、親鳥の帰りを待っている姿を見た。
偶然にも通りかかった高徳寺の
「なにか、探し物でもしてるのかな?」
みつめる彼女たちの視線の先には、弱りきったツバメのヒナが行き倒れていた。
「この鳥さん、かわいそう……」
純朴そうな顔で見つめる彼女たちの小声に、和尚は優しくヒナをかかえた。親鳥に見放され、忘れ去られたかのように衰弱していた。
「心配ないよ。よく見ると落ちたときに脚を怪我したようだな」
和尚はおもむろに巣に目を移すと、
「巣の中がいっぱいで、何かの拍子に落ちたのかもしれない。数日、うちの方で面倒をみてあげよう」
ほのかは手を合わせると、
「そうだ、名前つけてあげよう」
と笑顔で提案する。訝しく顔をみのりは傾けた。
「リッピ、ってどう?」
「リッピ?」
「リトルピッピだから、略してリッピ」
「うん、いいかも」
にこやかな表情でみのりは目配せした
「和尚さん、リッピ、元気になるよね?」
みのりが心配そうに和尚に視線をうつした。
「もちろんさ。さあ、きみたちはうちに帰りなさい。暗くなる前に」
日没が近かった。杉の木がオレンジ色にそまり、薄暗さが増してくる。
「心配いらないよ。ヒナは餌を与えれば元気になるよ。あした、また来るといい」
渋々と彼女たちは、和尚に目配せすると名残惜しそうに寺を去った。
学校の校門を勢いよく飛び出し、彼女たちは真っ先に高徳寺の境内へと入っていく。あたりを見回し和尚をさがした。庭掃きを終え、竹ぼうきとちりとりをしまうため墓地の一角へと向かっていた。和尚の姿を見つけたみのりは、大声で叫んだ。
「和尚さん! 和尚さん!」
和尚は呼び声のする方へ振り向いた。
「おお、みのりちゃんにほのかちゃん、いらっしゃい」
にこやかに和尚があいさつする。
「和尚さん、昨日のツバメのヒナはどこにいるの?」
「案内するからちょっと待ってなさい!」
家屋の中へと移動し、部屋の一室にみのりたちを連れて行った。
畳でおおわれた端に数枚の座布団がおかれ、数枚の古新聞が置かれた場所があった。ヒナは古新聞の中心には、
「いま、寝入ったようだから静かにな」
ふたりはそっと近づき、タオルの上のヒナを覗き込んだ。怪我のみえたところには白い包帯らしきものが巻かれている。
突如として部屋中にオルゴールメロディが流れ始める。
なんだろうとばかりにみのりは周囲を見回し、メロディの音の正体を確かめた。
掛け軸がかけられた横の棚には、年季の入ったオルゴール時計が、視界にはいって時を刻んでいるのがみえた。みのりには気づかずにいた。
それは部屋に入った時点で気づいてもおかしくないほど大きい存在のノッポの置き時計だった。音の正体はその置時計からだった。どことなく和室には似つかわしくない時計であった。
しばらく寝入っていたツバメのヒナが、メロディに反応して目を覚ました。
「どうやらこのヒナは、巣の中にいた頃からこのメロディを聴いていたらしい。ちょうどこの部屋の真後ろの壁に巣があるから聞きなれたようなんだ」
ピィー、ピィー、と口を開け、ヒナが餌を欲しがっている。ピンセットで昆虫を挟むとひな鳥の口元へと和尚は持っていった。
「いやぁ、このひな鳥は食欲旺盛だよ。今朝捕まえてきた昆虫をあっという間に平らげた」
「よかったね、リッピ」
「もう2、3日で怪我も良くなるだろう。良くなったら、母鳥のいる巣に戻してやろうと思うんだが、近くにのら猫がいてね」
「リッピを狙ってるの?」
和尚がうなずいた。
「どうやらそのようなんだ。親鳥の見える位置に古い乳母車があって、そこにひな鳥を移そうとも考えたのだが、のら猫が登れてしまう場所でもある。それに他にも、ツバメのヒナをねらう天敵がたくさんいるんだよ」
みのりは必死になって考えていた。なんとかして親鳥の気づく場所にひな鳥を置けないだろうか、のら猫にも届かない確実に親鳥が近づける場所を作ってあげられれば、とそんなことを考えながらお寺を出たふたりはトボトボと家を目指した。
足取りがゆっくりなことを気にして、ほのかが声をかけてきた。
「みのりちゃん、まだ考えてるの?」
むずかしい表情にほのかが覗き込んでくる。
「うん、なにか浮かびそうなんだけど出てこないの。要は、空中に浮かんでるカゴみたいなものじゃないとダメなのかなって」
「空中に浮かぶ、カゴ?」
みのりの言葉に首を傾け、ほのかも考え込んでいた。
家に着いてからもみのりは、ずっと考えていた。むずかしい顔をまざまざと見せつけられた母親は、娘に考えこむ理由を訊いた。
「えっ、ツバメのヒナを親鳥に……?」
「うん、かえしてあげたいんだけど、空中に浮かぶカゴみたいなものって何かある?」
母親は娘の質問に疑問を持ちつつも、答えを出した。
「ゆりかごなら使わなくなったものが、物置きの奥にあると思うけど……」
「編カゴじゃ大きすぎるし、空中に浮いてないと、のら猫が来て食べられちゃうから」
憤りをみせみのりが、くちをフグのように膨らます。ようやく理解した母親は、
「それなら、吊るす方法か、もしくは巣が置ける台を作るのがいいかもね」
「つるすか、もしくは台をつくる……」
みのりは母親の言葉を深く考えているのか、ずっと唸っている。
「ほら、たしか、幼稚園の頃に小鳥を飼ったこと、あったでしょ!」
みのりは目を輝かせ想い出を掘りおこした。
「そうだわ、鳥かご!」
母親もにっこりほほ笑んで頷いた。
「お母さん! ありがとう!」
すぐさま、家の裏手にある物置き小屋にみのりは向かった。物置をゴソゴソとかき分け、奥にある壊れた鳥かごをみつけた。
よくみると円形状のプラスチックは穴だらけで、鳥かごの用途を成していなかった。唯一、使えそうなのは、カゴの底にある皿だった。物置から引っ張り出し、みのりは腕をくみ考え込んでいた。
ピコン、と指を鳴らすと鳥かごの底面部の皿だけを取りだした。もともと深皿になっていたこともあり、ヒナが入るには余るほど大きい空間である。居心地がいいように、みのりはしっかりした小枝を集め、柔らかい布を敷きつめていった。
みのりのやっている行動を、遠くから彼女の父親が見守っていた。彼女に近づくと、腕組みをする娘の姿に訝しく首を左右に傾けていた。
「みのりちゃん、何してるのかな?」
「お父さん!」
熱心に説明するみのりは、手伝ってくれることを期待した。
「ツバメのひな鳥を親鳥の元にね。みのり、鳥かごを使うのはいい方法だと思うけど、空中にカゴを吊るしても、カラスとかすずめに襲われることも考えないといけないぞ」
「カラスやすずめ!? カラスはともかくすずめまで?」
父親がしっかりとうなずいた。
「うん、ツバメは長く生きられないだけじゃなく、敵も多いらしいよ」
知らなかった、とばかりにみのりは落ち込んだ。父親は娘の落ち込みように明るい声で、
「けど、みのりのアイディアはお父さんは気に入った。高徳寺の和尚さんのところには近々行くつもりだったから、ちょうどいい」
「えっ?!」
どういうことだろう、と不思議顔で父親を見つめた。
週末に入り、父親と待ち合わせをしていたみのりは、すぐさま高徳寺の門をくぐる。ちょうど職人たちが、数人がかりでオルゴール式の置き時計を外のトラックへ運ぼうとしているところであった。
「お父さん!」
呼びかけられたみのりの父は、娘に気づく。和尚もみのりがきたことに気づいた。
「おお、みのりちゃん。いらっしゃい」
「こんにちわ、和尚さん。あの古時計をどうするの?」
「うん、実はね、ときどき音が鳴らないことがあってね。部品が劣化してるかもしれないと言われて、お父さんに相談してたんだ。ツバメのヒナも気に入っていることだし、早いところ修理した方がいいと思ってね」
「リッピは?」
「今、別の部屋に移動させてるよ。ツバメの巣に帰す方法を考えたそうだね」
「うん!」
トラックに乗せ終えた父親が、みのりたちのいる方向へと歩いてきた。
「無事運び出すことができました。少しの間、お預かりします」
「お願いいたします」
「それで、ツバメの巣はどこにありますか?」
みのりの父親が和尚に訊ねた。
「こちらです。ご案内しましょう」
家屋と隣接する物置小屋の角隅に茶色いものがあった。みるからに、すずめやカラスを警戒してなのか、ひな鳥が3羽入れば溢れてしまうほど小さい。雨が降ったとしても、わずかな隙間から漏れてしまうほどお粗末な巣であった。
「お父さん、どう?」
「うん、巣と同じ高さの位置に、鳥かごの皿が置けるほどの台を作れば問題ないさ」
父親は和尚に目を向け、
「和尚、物置きに少しばかり穴が空いてしまうかもしれませんが……」
「ああ、構わんよ」
ニコニコとした顔でうなずいた。
「和尚さん、ありがとう!」
さっそく材料となる木材を運び、器用に父親が加工しはじめる。鳥かごの皿に、みのりは心地いいようにと大量の小枝を敷きつめた。厚みのある板に皿を載せ、固定する。
みのりの父親は手際よく寸法をはかり、台を設置した。余った板を屋根がわりにつかい、ツバメの巣にしては豪華さに富んだものになった。あとはカラスやすずめが寄りつかないようにどう工夫するか、みのりは悩んだ。
いつの間にか和尚の姿がなかった。家屋の中でやることでもできたのだろう、とみのりは気に留めなかったが、しばらくして、大きい
「お父さん、あのスピーカーって何のために?」
スピーカーの設置を終えた父親は、ほころんだ笑い顔で、
「和尚さんのアイディアでね、カラスやスズメは特定の周波数で逃げ出すっていうんだ。だから……」
「だから、ヒナが巣立つまでの間、周波数を流し続けるってことなのね」
近づいてくる和尚にみのりは抱きついた。
「和尚さん、ありがとう!」
「わたしもツバメの巣立ちが待ち遠しくてね。住職としての仕事の合間にしかできないかもしれないが、みのりちゃんにも少しばかり手伝ってもらうことになるよ」
「もちろん手伝うわ! リッピが巣立つまで、毎日来るつもりよ!」
「毎日か……」
父親と和尚は朗らかに笑い通した。
家屋からツバメのヒナをやわらかい布にくるみ、新しくつくった巣の中へとそっと置いた。
みのりたちが新しい巣から離れると、しばらくして、親鳥が落ちたはずのヒナを見た。口を大きく開けるヒナにやさしく親鳥が接していた。
「よかったね!」
遠くから見つめるみのりの目に一粒の涙がこぼれた。
完
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