オルゴール置時計 前編


 長身の若い男が、カツアシ探偵事務所の雑居ビルを見上げ、じっと窓をみつめていた。肩掛けカバンをしっかりと肩に下ろし、夏の日差しをふせぐためか長袖のTシャツを清楚に着こなしている。

 たたずむ若い男を不審に思ってか、煙草をくわえ歩いてきた乾加持紀いぬいかじきは、階段そばにいた男に声をかけた。「ん?」と気づくと顔色を窺いつつ近づいた。

「あんた、事務所になにか用か?」

 加持紀の仏頂面な表情に不安を抱きながらも、若い男は、細縁のメガネをクイっと持ち上げた。

「あなた、カツアシ探偵事務所の……人?」

 低い声をしたメガネの男は、よそよそしく加持紀に近づく。

 加持紀が、サッと、煙草をポケットにしまうと

「ああ、かっつぁんならいると思うぜ!」

「かっつぁん?」

 ああ、そうか……、と加持紀は言葉を改め直す。

「所長ならいると思うが、依頼、だよな?」

「ええ、まあ……」

 若い男は謙遜の面持ちで答えた。

 指で合図をおくり加持紀は、軽快に階段をのぼると、2階にみえる事務所のドアを勢いよく開けた。

 うぃっす、と軽い挨拶を室内に響かせると、パーティションパネルの奥から、カタカタとキーボード操作の音がけたたましく聴こえることで、事務員のがいるな、と感じた。

 若い男は不安そうな顔で室内に入り、加持紀の顔色を窺っていた。

「そっちにソファがあるからよ! ゆっくりしていてくれ!」

 パーティションの奥へと引っ込んだ加持紀は、パソコンを操作している事務員の鮎川あゆかわに所長がどこに行ったのかを訊ねた。

「……知らないって、近くのコンビニに、なにか買い出しに出ているんでしょ!」

 小声になってさらに捲し立て加持紀に、

「……あんたが連れてきたんだから、依頼の内容を聞いておきなさいよ! そのぐらいの段取りぐらいできるでしょ。できなくてどうするのよ。ふだん所長がやってることをすればいいんだから。ほんと、だらしないんだから!」

「最後が聞き捨てならねぇな! あんたがテンパってるときに、事務処理だって手伝ってるだろうが!」

 睨みのある顔を向け、「なによ!」と不満そうに立ちあがる。もうひと言、二言、言い返してきそうな勢いである。

「ブラインドタッチもろくにできない人が、事務処理をやったって言い張るっていうの?」

 フン、と鮎川が加持紀に鼻でわらった。

「なにィ!!」

 明らかに加持紀は、憤りの染まった表情で事務員女性をにらみつけた。


 ドアからビニール袋を提げ、歳のいった男が入ってくる。

「今戻ったぞ!」

 と、年配に近い男の声が響き渡ってくる。

「おーい、鮎川くん!」

 乾いたサンダルの音が近づいてきた。

 パーティションのパネルから勝葦が顔を出した。急に小声で、

「おお、カジキ! おまえが連れてきたのか?」

 勝葦はパーティションパネルの隙間から見える男を指さした。

「依頼人です」

 小声で眉根にしわを寄せ、勝葦は険相な顔になる。

「依頼人なら、待たせちゃいかんだろっ!」

「うっす……、すんません」

 一瞬項垂れを見せる。所長におこられ、渋々とソファのある方へと加持紀は歩き出した。


 豪快にソファに腰を下ろすと、対面した男に向き合った。

「すまねぇ、あんたのこと、ほったらかして」

 謙遜がにじみでた顔つきで男は、首を横に振った。

「まだどういう依頼内容か聞いてなかったな」

 ゆっくりと勝葦所長が、依頼人の前にあらわれ軽く会釈した。

「ここの所長をしている勝葦かつあしと申します」

 テーブルに名刺を置き、依頼人の男の方へと滑らせた。

 勝葦に目を合わせ、軽くお辞儀を済ませた。安心のみえる顔つきになり、若い男は鞄から1枚の写真を取り出した。

「実は、この写真のオルゴールの置時計を見つけてほしいのです」

 加持紀は、写真に写っている置時計をまじまじとみつめた。

 正面から撮られた写真らしく、短針、長針ともに輝いてみえる。ローマ数字で型取られ、時計の下方には、人形細工が見られた。

 考え込んで息をはくと加持紀は、写真のオルゴール時計に見覚えがあることに気づいた。

「この置時計って……、どこかで……見たことあるんだが、海外メーカーのもので、日本にも数点しかないビンテージモノだったりするのか?」

「よくおわかりですね。しかし、最初に世に出たのは、日本メーカーなのです。まあ、会社が近年になって海外メーカーと合併したことで、今は海外に主力を奪われる形になっていますが……」

「おまえ、知ってるのか?」

 勝葦が加持紀に言い寄った。

「あ、いや、詳しいことは俺もわからないですが、これに似た特徴の置時計を見たことがあるってだけっスよ!」

 それはともかくとして、と小さくつぶやくと加持紀はまじまじと若い男をじっとみつめた。若い男は近づきすぎる加持紀に体を引いた。

「な、なんですか……?」

「なあ、あんた、どこかで俺とあったこと、ねぇか?」

「しっ、失敬な。あなたのような人は、1度でもお会いしていれば、憶えているはずですが、な、なにか?」

 不快感のある声で若い男は声を荒げる。目を逸らし、眼鏡を持ち上げた。加持紀と距離をおき退いた。

 彼の行動に隣で見ていた勝葦が怒声をとばす。

「加持紀!」

「すんません!」

 気のせいだろうか、と加持紀は自分の持つ記憶に違和感を持った。

「いや、よく似たやつと中学の頃につるんでたことが……」

 わざとらしく依頼人の男は、咳ばらいをし、加持紀の言葉をせきとめた。

 二人のやり取りを横で聞いていた勝葦は、疑問のある様子で腕組みをした。

「ちょっと込み入ったことを訊くようだが、ここの探偵事務所のことを、どういう経緯で知ったのかね? ふたりのやり取りを聞いている限り、初対面の様子だが、今後の宣伝に活かしたい。よかったら教えてくれないか?」

「かっつぁん、いま、そんなことを……」

「いいじゃないか」

 勝葦は加持紀に一瞥して、つぶやいた。

 彼にしてみれば、加持紀が名刺を持ち歩いていたことは把握しているものの、広告も出しておらず、不思議に感じていたのだろう。

 おもむろにカバンの中からチラシらしきものを若い男は取り出し、テーブルに置いた。チラシを手にとった加持紀は、「いつの間にこんな物が」と目をしばたたかせ驚いている。

「『今ならアナタの依頼をスピード解決! モノ探し、イヌ探し、ネコ探し、なんでもござれ!』 って、なにか取ってつけたキャッチコピーね! あんた、どこでこんなチラシ作ってたの?」

 突然、背後から覗き込んできた鮎川が、はんぶん呆れ顔になっている。

「なんで、俺に振る? 俺だって、こんなチラシ見るのは初めてだっ!」

 加持紀は鮎川に怒鳴り散らした。

「うーむ」

 チラシを見た勝葦はひとり唸っていた。

「あんた、この、どこで手に入れたんだ?」

「行きつけので紹介されたんです。ここの乾加持紀はスゴイと評判だってきいて」

「やっぱり、あんたが……」

「いいや、だから、おれじゃ……ちょっと待て……」

 鮎川の反論からすぐ若い男に向き直した

「いま、バーって言ったな? ひげ面なのに女言葉を話すマスターか?」

「よくご存知ですね。ああいうところは今まで行ったことがなかったのですが、行ってみたら案外ハマってしまって……」

 だよなぁ、と加持紀がはんぶん作り笑いで相槌を打った。

 今度は所長がわざとらしい咳ばらいをして、会話をせきとめた。余計な雑談はいいから本題にもどれ、と言わんばかりの差し入りかただった。


「そういや、一番肝心なことを訊いてなかったな」

西篠さいじょう、といいます」

 受け取った加持紀は名刺に記載された『西篠』という名前に疑念を抱いた。

 名刺を見つめたまま黙っていた加持紀に、ごうをにやすとわざとらしい咳払いのあと所長が話し出した。

「まあ、うちは本来物を探すということはほとんどしないのですが、こともあるので、今回はお引き受け致しましょう」

 依頼人は勝葦に向かって、

「あ、ありがとうございます!」

 深々とお辞儀を繰り返した。

 その後、詳細の書類を書いてもらい依頼人の西篠という男は、おじぎを繰り返しながら事務所を去った。



 しばらく書類に目を通していた加持紀は、事務所の掛け時計をチラリとみる。立ち上がり、ドアに向かおうとしていた加持紀を、勝葦が立ち止まらせた。

「カジキ、おまえ、バーに行くつもりなんだろ!」

 どうしてわかったのだ、と言わんばかりのつくり笑顔を加持紀は向ける。

「やだなぁ、あの店に行くのは今回の案件の情報収集に決まってるじゃないっすか」

「なにもおれは、情報収集するな、とは言ってない。鉄砲玉のようにいつまでも入り浸ることに不満を持ってるんだ! 案件は、おまえが持ち込んできた物以外もあることを忘れるなよ」

「わかってるよ、かっつぁん! 連絡は定期的に、だろ」

「最近、警察の取り締まりも厳しいからな。気をつけろよ!」

「ああ、わーってるって!」

 タバコを口にくわえると微風を起こし事務所を出ていった。



 繁華街の雑居ビルの一角に『Reves(レーベス)』という置き看板が置かれていた。加持紀はためらいなく店のある地下1階に下りていく。準備中の札のかけられたドアを開け、店内へと入った。

「まだ準備中よ! 札が見えなかったの?」

 ガラガラ声の主が加持紀に向かって言った。

 奥から現れたのは横に身体が広がった20代後半とみられる男だった。加持紀を見るなりよそよそしい顔をする。

「あら、こんな昼間からでも見にきたの?」

「もっとマシなジョークを考えろ! 笠臣かさおみ。バーの名前にひっかけても、俺は白昼夢なんてみねぇ性分なんだ!」

「ん、もう、ありきたりのジョークに付き合ってくれてもいいじゃない。付き合いが長いんだし……」

 加持紀は店内を見回し出した。こじんまりとした空間に、バーカウンターとボックス席があった。ありきたりの空間の中で、ひときわ目立つ色をしたポスターが貼られている。いかにも手作りで作られたPOPプリントで仕上げてあった。

 加持紀はやっぱり、と深いため息を吐いた。ポスターを指差し、

「笠臣、事務所の宣伝をしてくれるのは、ありがたいがな、俺だけでなくかっつぁんにも許しをもらわなきゃ駄目だろうが……」

「それじゃあ、ポスターの効果があったわけね。作るのにずいぶん苦労したのよ。勝葦ケイジにも、昔お世話になってることだし、カッちゃんも人生をやり直せるようになった事だし、お礼のつもりでチラシまで作成したぐらいなんだから」

 上機嫌な様子でチラシを加持紀に渡そうとする。

 コイツ本当にお礼するつもりで作ったのだろうか、と頭に手をかかえ加持紀は、俯き加減になり疑念を抱いた。だが、チラシの作成者が分かったことで一安心した。

「とりあえず、チラシのことはかっつぁんに許可をもらえよ!」

「分かっているわよ! それでカッちゃんがここに来た理由ってそれだけじゃないんでしょ?」

 やけに話の通りが早いことに加持紀は、疑念を持った。

「ああ、おまえアンティークモノに一時期ハマっていた時があったよな?」

「カッちゃんも興味が湧いてきたの?」

 グラスの在庫を調べていた笠臣が、カウンター側に振り向いた。

「調べてもらいたいものがあってな」

 懐から写真を取り出した。依頼人から預かった置き時計の写っているものである。

 受け取ったバーのマスターは、手を震わせ興奮した。

「こ、こ、この写真、どこで!?」

「事務所に来た依頼人から預かった写真だ。おまえ、大袈裟だろっ! 写真に興奮するなんて」

「カッちゃんは知らないだろうけど、コレ、ネットでプレミアムがつくぐらいレアモノなのよ!」

「どうりで依頼人が探したがるわけだ」

 と小声でつぶやく。

 だが、加持紀にはなにか引っかかった。ネットで話題になるのなら、わざわざ探偵をあてがわなくてもいいのではないか、と疑念がわく。

「日本人がってネットで話題になったぐらいなのよ。まさか、カッちゃんがアンティークに興味が出てくるなんて意外ね」

「とにかく、この置き時計に関する情報が欲しいんだ!」

「いいけど、時間を少しもらえる? 情報を収集するにも時間は必要になってくるから」

 加持紀は懐から茶封筒を取り出す。カウンターに置いた。そっとマスターのいる方へ滑らせる。

「いつも悪いわね。けど、今回はカッちゃんに迷惑をかけてしまったから」

 加持紀の方へ滑りかえした。

「これはあくまでも情報提供の準備金だ。宣伝に関しては、個人的に頼むぜ! もっとも、勝葦さんに支払われるものと思ってるがな」

「そういうことなら、頂戴するけど、昔からそういう面では律儀ね」

「頼んだぜ! 親友!」

「2、3日中に、連絡を入れるわ! 」

 加持紀は、ドアの方へと向かいぎわ、手を高々とあげ店をあとにした。


後編へつづく

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