オルゴール置時計 後編


 加持紀は、ひとり生まれ故郷の街まで車をころがした。10年ちかい時間ときが、彼の中で甦ってくる。

 高層マンションが軒を連ねる風景を見ながら、道を確認する。だが、むかしの慣れ親しんだ風景が消滅していたことに加持紀は驚愕した。

 かつてアンティークショップや軒を連ねていた商店街はなく、20階の高層マンションに変わり果てていた。

つわものどもが夢のあとか……」

 加持紀は時代の波は着実に変化したのだと、実感した瞬間ときだった。



 日が暮れかけた頃、加持紀は事務所に到着する。勢いよくドアを開けはなち、中へと入る。窓から差し込んでくる夕陽が、事務所全体をオレンジ色に染めた。

「かっつぁん、かっつぁん!」

「おお、加持紀! もどったか」

 奥に設置されたキッチンから声が返ってくる。小さい鍋をかかえ、勝葦は、ソファのある方へと歩いていった。鍋には湯気のたつラーメンが入っていいるようだ。

 立ちこめる匂いにつられてソファへと加持紀は座った。

「かっつぁん、笠臣のバーの入っている雑居ビルを知ってるよな?」

「おお、あのビルか……」

 笠臣かさおみというのは、バーのマスターである。加持紀の旧友だった。

 ラーメンを食べながら勝葦はこたえた。

「近くがあるって、俺の同僚から連絡があった!」

「どうして教えてくれなかったんだ!」

「お前の場合、注意したとしても無駄になることがある。とくに……」

 鍋を置き、加持紀に向き合った。

「特にだ、案件が重要な時には、刑事がいたとしてもけんか腰に張り合うだろ! だから、『警察の眼が厳しくなっている』と忠告したんだ!」

 加持紀は悩ましい顔を元刑事にむけた。

「その顔からして、すでに警告を受けたようだな」

 箸を突き立ておどらせた。

「白髪交じりの現役刑事にな。って言われたよ」

 なべを再度もち、勝葦は鼻をならした。どうやら、加持紀と対面した刑事の性格を知っている様子である。

「かっつぁん、情報を受け取ることになっている。笠臣と約束しているんだ。例のオルゴール置時計のことで。だが、刑事に近づくなと警告された!」

「まあ、念には念入れて、数日は近づかん方がいいかもな!」

「かっつぁんを知っている感じだったから、なんとかできないか?」

 勝葦はすこし上目になり唸りをあげる。

「そりゃ、俺から言って向こうが引き下がってくれりゃ、申し分がないんだがな。なにしろ、血の気が多い連中だから難しいんだよ! それに、ガサ入れの数日前っていうのは、特に慌ただしく張り詰めている時でもある」

 まいったなぁ、と腕を組みソファの周りを加持紀はうろうろしはじめた。

 ラーメンを食べ終わると、キッチンへと赴こうと勝葦は、ソファから立ち上がった。

「それはそうと、加持紀、チラシのことで笠臣くんと話はついたか?」

「あ、ああ……」

「そうか、あいつの性格からして、昔のことからは完全に吹っ切れたようだな。おまえがバーに赴くと思って、事前にあいつに連絡を入れておいたんだ。ついでに案件のことも頼んでおいた」

 再度、勝葦はソファへと腰を下ろした。

「やっぱり、かっつぁんか。どおりで話が早いと思ったんだ」

 笠臣のヤツ、やっぱり芝居をしていたのか、と加持紀は思った。

「そういや、かっつぁん。依頼人がいる時に、ことがあるから引き受けたと言っていたな。チラシの宣伝のことだよな?」

 ん? と加持紀の問いかけを聞き流した。

「いいや、違う。おまえの過去にあたることだ」

「過去?」

「それに今回の案件にも絡んでくる」

「俺の過去と今回の案件が繋がっているって言うのか?」

 加持紀は正直驚いていた。あのオルゴールの置時計が自分と何か接点があったとは。あの依頼人はやはり俺の知っているヤツかもしれない。ということは、中学生の頃かと頭をもたげた。

 当時のことを勝葦は鮮明に記憶していたかのように語りだした。

「俺がおまえを取り調べた時、俺の親父のことを語ったとおもう。職人気質しょくにんかたぎで負けず嫌いの父親だったが……」

「唯一、仕事のことには手抜きを許さないってヤツだったか?」

 おおきく勝葦はうなずいた。

 いきなり、高校の頃の事件で取り調べを受けた頃のことをなぜ話し出すんだ、と仏頂面を元刑事に向ける。

 この男勝葦の特徴は、いつの間にか自分のリズムに引き入れる能力ちからがあることなのだと加持紀は知っていた。

「ここからはお前にも話してなかったことだが、調べてみたら、偶然にもお前と接点があったんだよ」

「はぁ? どういうことだ? どうしたら、かっつぁんの親父さんと俺に接点ができるんだ?」

 怒りのみえる声を加持紀は発した。

「そう熱くなるなって」

 落ち着いてくれ、といわんばかりの仕草を勝葦は促した。

「もちろん、間接的にだ」

 加持紀は、いぶかしく首をもたげた。年齢差もあるかっつぁんの親父さんとどうやったら結びつくのか、そして、オルゴール置き時計と何か関係があるのか、興味津々になった。

「もう、数十年経って、お前も中学校時代のことは覚えてないと思う。お前の学校の校長は、何度も変わったそうだな」

 やんわりと話す勝葦はおちついて言葉を選んだ。

「覚えてねぇが、朝礼があるたびに男だったり、女だったりしてたことはあるな」

「当時、お前が中学1年だった頃の校長が、俺の親父の戦友なんだ!」

「戦、友……か」

 戦争時代の仲間内のきずなは強いものがある。加持紀は、過酷な闘いを生き抜いてきた戦友なのだろうと感じた。

「実を言うとな、俺もあのオルゴール置き時計を見たことがあったんだ」

「かっつぁんも?」

「一時期だがな。そのあと親父が『友人に譲ることになった』と言ったんだ。当時からもう修理ができない状態でもあった」

 ふぅ、と一息つき勝葦は大きく吐いた。


「ひょっとして……?」

 加持紀がふと叫んだ。

「まあ、最後まで聞けや」

 先走る加持紀の言葉を制した。

「加持紀の思う通り、校長に置き時計が渡ったらしい。だが、その校長は、就任してから数ヶ月後に病気になって亡くなっている」

「亡くなった?! じゃあ、置き時計の行方は?」

 首を大きく振り勝葦は黙りこんだ。

「わからないってことっスか?」

「どれもうろ覚えさ」

「かっつぁん、繰り返すようだけど、はじめ、オルゴール時計は、かっつぁんの親父さんが所持していた。そして、偶然にも俺の中学時代の校長が、かっつぁんの親父さんの戦友だった。そのことから、何か事情があってが、かっつぁんの親父さんから校長先生に譲り渡された。で、いいンすよね?」

「ああ、だが、校長に譲りわたったという、たしかな証明がない。そこでだ。加持紀に記憶をたどってほしいと思うんだが……」

「かっつぁんも無茶苦茶なことを注文して来るんスね」

 加持紀が難しい表情になった。十数年も前のことを記憶から掘り起こすには、それなりのきっかけでもなければ、思い出せないはず。

「おまえの中学校時代の卒業アルバムなんかに載っていたりしないか?」

「載ってるのは、当時つるんでいた仲間だけで……」

 語尾がだんだん小さくなり加持紀はなにかを思い出しかけていた。

「まてよ……?」

 とつぶやいた。すぐあと、加持紀はスマホを取り出すと、電話をする操作をした。

 つながると、すぐに話し出した。

「笠臣か、おまえ中学時代の先生とのやり取りで憶えていることはないか?」

 笠臣の聞こえる声で、加持紀は不愉快な顔になる。いきりたっていた。

「仕事中だぁ? だったら、いつならいいんだ!?」

 向こうの受け応えに、右手、左手と交互に持ち替え、

「どういうことも何も、思い出してほしいんだ! こっちは置き時計のことで新事実があったから……」

 と、話すと笠臣の話で、加持紀は落ち着きを取り戻した。

「分かった。明後日の1時ごろだな。かならず来いよ!」

 加持紀は約束を取り付けた。

 興味津々に勝葦が、話しかけてきた。

「笠臣くんは、何と言っていたのだね?」

明後日あさっての1時ごろに、事務所に来るそうです。どうやら向こうも情報が手に入ったらしいので」

「そうか……、それはよかった」

 勝葦はなごみのある表情で加持紀をみた。

 加持紀には、まだ悩ましいことがあった。自分の中学時代に、あのオルゴール置き時計をみたのはたしかだが、どこで、どんな時に見たのかがあやふやだったからだ。しかし、不思議と誰かの顔がぼんやりと浮かんでくるようだった。それももしかすれば、笠臣の情報で分かるのでは、と期待が膨らんだ。


 2日後。

 ビルの屋上から見える景色は、加持紀や勝葦の特等席になっていた。事務の鮎川は、タバコの匂いを嫌悪していたからだ。ヘビースモーカーでもあった加持紀には、日常過ごすうえでなくてはならないものだった。しかし、唯一の話し相手である勝葦も、タバコの高騰と世間での健康志向の広がり、喫煙所の減少からか、滅多に屋上に姿を現さなくなっていた。

 強い日差しを避け、建物の影に置かれたベンチでひとり、加持紀は口にくわえたタバコに火をつけた。

「加持紀、おーい!」

 勝葦の叫ぶ声が、事務所から響いてくる。

 腕時計をチラリとみて、据え置かれた灰皿に吸いかけのタバコをねじ込んだ。

 ヤベェ、とつぶやくと事務所へ駆け下った。


 事務所に入るとすでに数人の話し声が聞こえてくる。パーティションパネルの奥にいるようである。ソファに腰を下ろすもの、立っているものといた。顔なじみの者とそうでない者と混ざっている。テーブルの上にはオルゴール置き時計が置かれている。依頼人が探していたというまさにそれだった。

 加持紀が入ってくるや否や、驚いた表情になる。どういうことだと言わんばかりに加持紀は、太った笠臣に問い詰めようとする。

「笠臣、おい、この置き時計は、いったい?」

「うん、この前見せてもらった写真あったでしょ? その置き時計の精巧なレプリカってところかしら?」

「レプリカ?」

「所長に聞いて、実物をみればいやでもカっちゃんなら思い出すと思ったの。残念だけど、本物は日本にはすでにないみたい。でも、依頼人はこれでいいって言ってるわ!」

 ソファに座っている依頼人が、眼鏡をはずし、生意気な顔を加持紀に向けている。

 加持紀が人差し指をむけた。事務所に響き渡る感嘆の声をあげた。

「ああァァ……、やっぱりおまえっ!! コニシ!」

 西條は、顔の変装を解き、男の顔から女の顔へと形を変える。コニシが憎たらしいほどの笑顔を作り出した。

「嗅いだことある匂いだと思ったら、やっぱりお前だったのかっ!」

「あの時は焦ったわ! もう少しでバレそうだったから……、でも、私の変装もまだまだ捨てたものじゃないわね。いまでも現役でできるかしら?」

 明るい声のコニシは、してやったりの満面の笑顔になる。

 笠臣も勝葦もすまし顔で加持紀の驚きの顔をながめていた。

「かっつぁんも含めて俺をハメたのか!?」

「心外だな。俺が話した回想は、おまえにはいままで話したことがなかっただろ!」

「なら、かっつぁんはなぜあいつの変装を解いたときに驚かない?」

 すまし顔のまま加持紀に近寄った。ニタリと笑みを浮かべ、

「おまえの驚く顔が面白かったからだ」

 とののしった。

 加持紀はムスッとした表情に彩られた。

「とにかくだ! お前に忘れてほしくなかったからでもある」

 仏頂面のまま加持紀は首を傾げた。

「何のことをっスか!?」

「やだっ、カッちゃん! やっぱり忘れちゃってるじゃないの。みんなでひと芝居打った意味なくなっちゃったわ」

 笠臣が厭そうな顔でみつめた。

 コニシが、低い声で加持紀をののしる。

「カサちゃん、このひとが中学時代のことをいつまでも憶えているはずないでしょ! この置き時計の持ち主のことなんて……」

 テーブルに置かれたオルゴール置時計を手に取り、

「そんなこと、ねぇよ」

 加持紀がトーンを低くしいった。

「置き時計コイツを見て、はっきり思い出したさ!」

 しんみりした顔で、オルゴール時計の頭を撫でた。

「俺の、恩人でもあるこのオルゴール時計の持ち主のことを、な」

 加持紀の思い出の中で、オルゴール時計を手渡す成人女性の姿が浮かんできた。


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