サッカーボール


 昭内あきうちタダシは、スポーツバッグを肩にかけると、ドアを閉めカギをかける。

 近くの銀杏並木から吹いてくる風に乗って、かけ声がきこえてくる。狭いアパートの2階に部屋を借りひとり住まいだった。時間を気にしながら近くにみえる市民グランドへと向かう。

 休日ということもあり、街中ではのんびりと歩く老夫婦や犬の散歩をする人、ジョギングをする人と多種多様である。

 雲はあるものの雨の降る様子はなかった。


 タダシは上機嫌になっていた。久しぶりに逢える高卒以来の部活の仲間に、期待感があったからだ。同窓会にどういう話題が出てくるかが楽しみで仕方がなかったのだ。

 5年ぶりとなる同級は、ひとりはスポーツからかけ離れた小説家に、ひとりは有名な会社へと就職したことを聞いていた。メディアでも顔を見るくらいだったからだ。仲間の躍進する姿に胸を躍らせていた。

 タダシは公園わきの遊歩道を通り、バス通りのみえる大通りへと歩いていく。バス停が見えたところで、丁度降りてくる数人の男女とすれ違おうとしていた。

 バスから降りてきたひとりの若い女性が、黒髪をゆらし、タダシの横顔をみた。

「あの、すいません。ここって、市民グラウンドに近いですか?」

 自分に言われたのかと思い、タダシは女性の方に振り向いた。

「えっ?」

 当たり前のことを質問されたタダシは、一瞬困惑顔になる。その顔を待っていたかのように隣にいた男が、

「やっぱ、タダシだ! 窓から見てて、昭内タダシに似た奴が歩いてるって思ってよ。スゲェな、リカ!」

 と歓喜の声を上げた。隣の女性に一瞥する。

 ね、やっぱりそうだったでしょ、と彼に得意げな顔をみせる。

「ソウスケか? おまえ、海馬かいばソウスケ、か? 5年も経ったっていうのにちっとも変わってねぇな」

 高校時代とほとんど変わらない顔と体育系のツンツンな髪型、筋肉質の体型に一目で気がつく。悪友面の顔は、タダシにとって高校時代をよみがえらせる。この男は、高校時代と変わらず大声が特徴的だ。

「おまえも、お人好しなところは相変わらずのようだな」

 甲高い声は健在か、と耳を塞ぎたくなるような彼の声を全身に浴びる。

 ってことは? とタダシは言いかけ、女性に聴こえないような小声で、

「隣のは? まさか!? ……!」

「あのリカちゃんだよ……」

 高校時代には伊達メガネのガリ勉風な顔だったが、メガネをかけておらず髪も後ろで縛っていた。ひと一倍容姿を気にしているのか、おそらくコンタクトをしているのだろう。タダシは彼女の変貌ぶりに驚き、海馬に理由を訊ねている。

「リカちゃん……、あった……か?」

「いいや……、……でよ」

「ねぇ、ふたりでなにひそひそ話してるのよ」

 訝しい顔で女性はふたりの背中に話しかけた。ふたりが笑いながら、クルリとふり返り彼女をけん制した。

「マネージャーのリカちゃんには、ちィっとばかし刺激が強いから」

「教えてくれてもいいじゃない! これでもハタチを越えた大人よ! もう高校生じゃないんだから」

「じゃぁ、聞くけどよ。宮前。おまえ、5年の間になんかあったのか?」

「別に、なにもなかったけど……」

「何もない?」

 疑念の顔でタダシは宮前をみる。

「俺もおかしいと思ったから、聞いたんだがなにもなかった、の一点張りでよ」

「ふたりとも考え過ぎよ。もういいでしょ! 私のことは……」

 口をすごんだまま、宮前みやまえリカは、ふたりをそのままに、プイッと向きなおり目の前に見えるグラウンドの入り口へと歩きはじめた。

 アレは、ゼッタイ何かあったな。タダシと海馬が彼女の後ろでヒソヒソ話していた。

 前を歩く宮前と海馬に疑問に思ったことをタダシは訊いた。

「ところで、今日、何人集まるか、カケルから訊いてるか?」

 カケルというのは、サッカー部に所属していた衣岬きぬさきカケルのことである。同窓会の企画、幹事になっていた。

 タダシの問いかけに、前を歩いていた宮前が、ブツブツとつぶやき指を折り数えていた。

「私が聞いている人数だと、十人前後じゃないかしら……?」

「ああ、俺も聞いたのは3年生部員全員って話だぜ。あと、顧問だったマスブチが遅れてくるって話だ!」

「あのマスブチ先生も、か?」

 タダシは苦い表情をした。高校時代、彼がミスをした時、必ず顧問の怒声が聞こえてきてストレスになっていたからである。

「お前、結構な頻度で怒鳴られてたもんな」

「苦手なんだよなぁ」

 タダシの返答に反応して、

「大丈夫よ、あの人、けっこう繊細な部分もあるし、結婚して子供もいて、優しくなったって話だよ」

 と宮前はいった。高校時代に彼の怒鳴られる姿を何度も目撃していただけに、少しでも彼の気持ちを和らげようと優しく振るまった。

「そう願いたいね」

 と呟くも、タダシは立ち止まり、カケルから何か頼まれていたことを思い出しかけていた。

「そうだ!」

 しまった、と心でつぶやき頭を掻きむしった。

「どうかしたの?」

 彼の狼狽する態度を、訝しくみる彼女も立ち止まった。

「どした?」

 宮前につづき海馬も立ち止まる。

「カケルにサッカーボールを持ってくるように言われてたんだ!」

「衣岬くんに?」

「おい、もうすぐ約束の時間だぞ! 時間に遅れるとどやされるぜ!」

「今の俺は、センセイの怒鳴り声より小説家のいびりがコワイよ!」

 スポーツバッグを宮前にあずけると、小走りにタダシは逆方向へと進みはじめる。

「家が近いから取ってくるよ。先、行っててくれ!」

「ピッチサイドにいるからな!」

 と海馬は大声でさけんだ。


 海馬たちが見えなくなると全力疾走で自分の借りているアパートへ引き返した。タダシには短距離には自信があった。持ち前の持続力も伸ばそうと、サッカークラブにも参加した。

 階段を駆け上がり、自分の借りている部屋へと向かう。買ったばかりの箱からボールを取り出すと、すぐに玄関へと向かった。靴を履こうとした時、何かいる気配にタダシは、部屋の中をのぞいた。だが、気のせいかとすぐさまドアを閉め、カギをかけた。

 ボールを左脇腹に抱えると、全力で市民グラウンドへと向かう。

 グラウンドの入り口にたどり着いた。息を切らしながらも、ドリブルとリフティングを交互にして、ボールの蹴り具合を確かめる。


 入り口付近のゲートには小さい子供が佇んでいた。タダシを何気なく見つめている。彼は子供の気配に気づかなかった。

 ゲートを入ったところで、タダシは息を整えた。ゆっくりと歩をすすめ、すでに十数人の若い男女と白髪混じりの中年男性、九歳ぐらいの男の子が集まっているピッチサイドへとタダシはきびすを向ける。近くに行くと男の子が会話していることに気づいた。宮前が話していたマスブチの子供だろうと、タダシは推測した。

「おお、タダシ、久しぶりだなぁ!」

 持ってきたサッカーボールをタダシは軽く蹴り、数人の集まった中に向けて飛んでいく。男の子が飛んできたボールを足で止めた。

 棚橋サトルがタダシに声をかけた。男の子は、棚橋と会話しながらリフティングを練習している。

 さすがは小学校教師になっただけのことはあると、子供との会話に馴染んだ棚橋をみてタダシは思った。

 パス回しをしながら宮前たちのいる場所へとおもむく。

「ずいぶん早かったね!」

「全力で行ってきたからな。コンディション調整にはちょうどいい運動になった。誰かさんにイビられる覚悟はあったしな」

 苦笑いしながら衣岬がタダシに寄ってきた。

「それは俺のことかい? いびられるのを覚悟なら、執筆のネタにはさせてもらう。いいだろ? それに……」

「えっ……」

 男の子をみて、

「マスブチ先生が子どもを連れてくるってわかったからおまえにも頼んでいたんだ」

「そうだったのか」

「お前がサッカーボールを取りに行くまでは想定してなかったけどな」

 宮前と会話していたマスブチが、タダシに気づく。ほうれい線がみえはじめた彼は、終始笑顔だった。

「お、フォワードのお出ましか」

 かつてのどなり声を叫んでいたとは思えない穏やかな表情である。

「先生、ご無沙汰です。お元気そうで」

「プロテストを受けたそうだな」

「見事に落ちましたけど、もう一度チャンスがあるので、やれるだけのことはやってみようと思ってます」

「その心意気だ! しっかりな!」

 わずか数回のマスブチとのやり取りは、タダシにとって貴重なアドバイスに感じた。

 タダシは、高卒の後、プロのサッカー選手を目指すため、地元のサッカークラブに所属し、プロテストを受けていた。プロテストの内容は、タダシにはキツかった。だが、合格するほどのきざしが彼にはあった。手ごたえを感じていたのだ。


 お互い同士の挨拶がようやくひと段落を迎えた。人一倍元気が有り余っている海馬が、ミニゲームをしようと言い出しはじめた。彼の巧みな話術で、2チームができあがる。体力に自信があった海馬は、タダシと対抗するように、相手チームとなる。マスブチの息子や宮前も加わり、試合がはじまった。

 試合の最中、ゴールキーパーを任されていた衣岬がタダシに話しかけてきた。

「なぁ、タダシ、俺には先生のケンタくんのほかに、もうひとり子どもが動き回って、試合に参加しているように思えるんだが……気のせいか?」

「おまえ、霊感が強い方だったか?」

「いいや」

 衣岬のいいようにしっかりとボールと人物を目で追い確める。が、

「何かの見間違いだろ? 俺には先生の息子さんしかみえないぞ」

「だよな……」

 とそっけない苦笑いの返事が返ってきた。

 そういえば、と一瞬思いふけった。ピッチサイドに向かおうとした時、背後に一瞬だが気配をタダシは感じていた。衣岬に指摘されるまで意識せず、試合の雰囲気にのまれ忘れかけていたのだ。


 試合を始めて一時間近くが経とうとしていた。ミニゲームとはいえ、成人を越えた元高校生たちには体力的に持続性がなく、普段から身体を動かしている海馬やタダシ、そして男の子がまだ活発に動いている。

 ピッチサイドで休んでいた衣岬たちは、なにやら会話を始め、スマホをいじる者もいる。

「おお〜い! タダシィ!」

 衣岬と会話していた棚橋サトルが、ピッチに入ってくる。衣岬たちはグラウンドから出て、駐車場に向けて歩きはじめていた。

「衣岬たちが昼メシにしないかって、よっ!」

 ちょうど棚橋のそばに転がってきたサッカーボールを彼は思い切って蹴り、ゴールポストめがけて飛んでいった。ボールはゴールポストの中に入るどころかクロスバーに当たり飛んでいってしまう。男の子はそれをみて、ボールの軌道を目で追っていた。

「そうだな、そろそろ終わりにしてみんなのところに行こうぜ?」

 みんなを一瞥すると海馬が叫んだ。

「そうだな、腹ごしらえには、時間がすこし過ぎたようだけど、行こうか」

 とピッチサイドで着替えを済ませ、グラウンドを出ようとした時、サッカーボールのことをタダシは忘れかけていた。

 サッカーボールを拾いに男の子が転がったところへとおもむく。男の子はボールを拾おうとはせず、誰かと会話しているようだった。

 タダシが男の子に近づいていく。

「ケンタくん、早く! みんなが待ってるからそろそろ行くよ!」

「お兄ちゃん! がボールを返してくれないんだ!」

 ケンタが目の前にいる少年を指で差した。

「えっ……?」

 タダシは不思議に思った。サッカーボールのすぐそばに六歳ほどの男の子が、薄ぼんやりと彼の目にみえる。両手で大事そうにサッカーボールを抱えていた。

『このボールの持ち主って、おにいちゃんだよね?』

 タダシの心に直接話しかける言葉があった。彼は正面の少年が口を動かしてないことに気づく。

「お兄ちゃん……? どうしたの?」

 不思議そうな顔で首を傾げケンタは、タダシに話しかけた。

「ん……、なんでもない。先にみんなのところに行ってな」

「うん!」

 ケンタ少年はこたえるとグラウンドを出ていこうと走りだした。そのとき、声が聞こえてきた。

「おおい、タダシィ! 駐車場でみんな待ってるんだぜ!」

 あまりにも遅いことに痺れを切らしたのか、衣岬がグラウンドへと呼びにきていた。ちょうどグラウンドから出ようとしていた少年ケンタと鉢合わせする。二言、三言話しているようだった。会話が終わるとケンタだけがグラウンドから出ていった。

「わりぃ、わりぃ、すぐ行くよ!」

 衣岬に大声で返事をすると、正面にぼんやりとみえる男の子をみた。

『おにいちゃん……』

 再びタダシの心に語りかけてくる声があった。

『おにいちゃんのサッカーの技術。ボールさばきや持久力は問題ないんだけど、物忘れがあるみたいだね。肝心な時にで欲しいんだ。約束してくれる? そうすればおにいちゃんの望みも叶えてあげるよ!』

『望みを……? 君はいったい……』

『僕はこの宿さ』

 気づくとサッカーボールがタダシの足元にあった。

『やくそく、してくれるかい?』

『もちろんさ。いつまでも友達でいてくれ!』

 ボールを持ち上げ、正面をみたときは男の子の姿はどにもない。

 タダシは、じっとボールを見つめていた。そばまで来た衣岬が、いぶかしい表情をして首を傾げている。

「ボールを見つめて、なにをニヤついているんだ? 気持ち悪い奴だな」

「いいや、って怒られてさ」

「はぁ……!? へんなヤツ……。駐車場へ急ぐぞ!」

「お、おう!」

 タダシはおもむにサッカーボールを見つめ、「これから、よろしくな!」と心で呟くのだった。


  完







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