ストラップ人形


 昼間から降り出した雨が、打ちつけるように激しさを増してくる。夕方4時を回っていた。茶色い置看板をみやり、アンナは喫茶店へと滑りこんだ。入るなり軽く身体を拭く。

 窓辺に座っていた若い男性が、彼女に気づき軽く手を振った。男に近づくと、

「遅れてごめんね」

「しかたないさ。かなり雨が激しいみたいだもんね」

 男は先ほどまで外を気にしていたようだ。

「うん、バスがなかなか来なくって」

「俺もバスには参ったよ。混んでいる上に時間がかかってさ。ここに着いたのが君がきたすぐまえだったんだ」


 アンナと糸間はカプチーノを選び席に持っていく。

「それで、どう? イラストの方ははかどってる?」

「うん、アンナの言うように、いくつか候補として3枚ほど描いてみたけどさ」

 クリアファイルをテーブルに置いた糸間一輝いとまかずきという男は、アンナのいた会社の元同僚であり、恋人である。人間関係のもつれから退社していた。

 元々、付き合いが苦手だったために、入った会社が合わなかったとアンナに心の内をあかした。辞めてから、最近になって、イラストレーターとしてウェブ上で人気になりつつあった。美大を卒業していた彼にとってイラストの描画は得意であった。テーブルに並べた原画用紙には、動物を人型に模したイラストが色鉛筆の下絵で描かれていた。


 三枚とも骨格がしっかりしており、三等身で描かれている。

 アンナは思った。下絵で描かれた擬人化動物のイラストに、どこかで観たような顔の作りや筋肉のつき方、脚の太ももがあった。だが、あまりにも貧弱な描き方になっている。

「君の意見も聞きたくてね。正確な特徴は未設定なんだ」

「私なんかに見せちゃって大丈夫?」

「その点は大丈夫。俺、アンナのことは、一緒に仕事した時から一番に信頼してるし、君の絵をみる判断にはすごく信憑性を感じるんだ」

 彼にはアンナの性格がわかっていた。彼女も糸間に絶大な信頼感を持っていた。

「たぶん、絵をみる判断はもしかしたら曽祖父から受け継いだものかも」

「へぇ、ひいお爺さんが……。アンナのひいお爺さんってどんな人なの?」

「話だと絵画の鑑定士の助手って聞いた。津根岸家はいろいろな鑑定の仕事を任されていたとか」

「じゃぁ、尚のこと君の発言は期待がもてるね」

「そんなプレッシャー、かけないでよ」

 冗談だよ、と微笑み糸間はカプチーノを一口含み、

「お手柔らかに。たのむね」

 糸間は笑顔で返した後、平静な表情で彼女にいう。



 三枚のイラストをアンナは一枚ずつ丁寧にみていた。

 糸間は終始黙ったままだった。時折、喫茶店の店内を見回したり落ち着きのない態度で目が動揺することもあった。

 三枚目に移りアンナが、一息入れカップを口に運んだ。彼女にすこし余裕の表情が生まれる。

「どうだった? 絵みてアンナなら、だろ?」

「えっ!? う、うん。どれも良く描けていると思うけど」


 ―――すぐ気づいた?


 なんだろうか、と考えをめぐらせた。

 人型の犬、ネズミ、ネコとイラストが、並ぶ中で更に彼女は首を傾げていた。犬はブルドッグ風のコワモテの顔つきで体の骨格は出来上がっている印象である。ネズミは、ラットやマウスという顔つきというよりかは、野生のリスに近い顔で体が薄い茶色で描かれている。特徴的な可愛らしい二枚の歯が突き出ていた。ネコは、丸い顔で見るからに野良猫で体が黒と白で描かれてる。 

 今までに犬やネコのペットを飼っていた経験もなく、幼少時、動物園へ両親とでかけたことはあったが、アンナはこれといって動物にはあまり興味を示すことがなかったのだ。

「うーん? どの絵も基本的な下絵になってるとおもう……けど」

 うなり声をアンナがあげ、

「気づいたって、このイラストのこと?」

 と、彼女は真ん中の茶色いネズミらしいリスのイラストを指さす。

「どこかで見たような顔しているわよね?」


 糸間は、アンナの横のカバンに取り付けられたマスコット人形を指さした。彼女は気づいた。糸間の言ったことをやっと理解した。彼女が首を上下させたことで、彼も落ち着いた表情になる。

「ああ、そういうことね」

「そ、そういうこと。多分だけど、オリジナルのキャラ人形で、当時にしか売ってなかったものじゃないかな。君がこの前の時に人形そいつは動物園の売店で買ったって言ってたから」

 アンナはカバンから瞳の大きいリス人形を手に取ってみつめ、

「それで、この人形をモデルにキャラをイラスト化したってわけね」

 と、イラストの絵と見比べた。

「もちろん、似つかないように工夫はしてね。けど……」

 どう見てもイラストは、貧弱な描き方に仕上がっている。

「もしかして、この人形を貸してくれってこと?」

「ダメかい?」


 彼女は考え込んでいた。高校時代、二度ほど失くしたことがあり、その度に愛着が湧いていたため手離したくはなかったのだ。

「君にしか頼めないと見込んだんだけど」

「どうしようかな?」

 アンナは迷っていた。二十数年間のうちで、自分の持ち物を異性の相手に貸すなど経験したことがなかった。

 糸間は懇願に満ちた顔で訴えかけてきた。

「このイラストは思い出して描いたものだから、もっと細かく正確に知りたいんだ。そのためには、どうしても必要で……」

 糸間にはこだわりがあるようだ。

「わたし、一人っ子だからこの人形にいつも声かけてるの。子供みたいでしょ? 名前までつけてるのよ。『出っ歯クン』ってあだ名で」

 糸間はそれまで高揚した声を出していたが、彼女の思い出話を聞いているうちに落ち着いた声へと変わる。

「二度も失くしかけたけど、戻ってきてくれたの。すごく嬉しかったんだ」

「そっか……じゃぁ、この子に代わるマスコット人形があれば、一時的にも貸してもらえるかい?」

 どういう理由かはわからないが、リスの人形をどうしても借りたいようである。

「えっ、そんな簡単に愛着なんて」

「今すぐには用意できないけど、次に会う時までに用意するよ」

 アンナは疑いを持っていた。何故そんなにもリスの人形にこだわるのか。彼の真意は知りたいと思った。

「一輝さん、どうしてこの人形にこだわるの?」

「どうみても珍しい動物だからさ。デッパはあるけど体が茶色だし、座っているけど立たせたら、多分ネズミよりも身長があるんじゃないかって」

「うん、ネットで調べたら、プレーリードッグって言う草原の穴に住む動物だって」

「プレーリードッグか」

 糸間は考え込んで上目で天井を見た。



 突然、近くからバイブレーターの震える音が聴こえてくる。音は糸間の座っている側からだった。

「……? 一輝さん、電話、なってない?」

「えっ?」

 糸間は慌てた様子でカバンからスマホを取り出し、すぐさま電話にでた。席を外しトイレの通路付近で話しだす。

「はい、糸間ですが……」

 糸間が席を離れている間、アンナはしきりにリスのストラップ人形を見つめている。

 直立した身体で手は顔の前で拝むようなポーズをしていた。瞳は大きく、可愛らしさのみえる前歯が口から飛び出ているなんとも微笑ましい表情をしていた。


 テーブルの上に座らせ、眼を手で擦りもう一度リスの目元を見つめる。人形がぎこちなく手足を重そうに動かすと立ち上がり、深々とアンナに向かってお辞儀をする。

「うそっ!? 人形がうごいた……」

 彼女の心に直接響く声が聞こえてきた。


『マドモアゼル、アンナ。どうか、あのムッシュの願いを聞き届けてはいかがでしょうか? わたしは必ずやあなたのもとに戻ってまいります。どうか、お聞き届けを』


 隣から大きい顔が覗き込む。

「おい、アン……、アンナ、アンナ!」

 糸間が必死に指を鳴らし声をかけている。

「えっ?」

 アンナは正気を取り戻した。

「どうしたんだよ! さっきから人形に怖い顔むけて」

「えっ、別に。それより電話は済んだの?」

「あ、ああ。実家からだったんだけど、姉貴が勤めてる公民館が土砂で埋まったっていうんだ!」

 焦った様子でテーブルのものを鞄の中へと無造作に入れている。

「それは大変ね」

「すぐに田舎に帰らなきゃ行けなくなった。この人形のこと考えておいてくれ。もしかすると、しばらく会えないかもしれないが、今後もイラストは描き続けるつもりだからよ。目処めどがついたら連絡すっから」

 コーヒーカップを返却口に置くと糸間は、喫茶店を出て行った。

 ひとり残されたアンナは、心に話しかけてきた言葉のことを考え続けていた。

 チョン、と人形の額を指で小突くが何も聞こえてこない。

「そんなわけないよね? 空耳かな……」

 カプチーノを飲み干し窓の外の雨を眺めた。走り去っていく彼の姿を遠く目で追った。



 三ヶ月が過ぎた。

 約束の時間にはまだ余裕があるとアンナは、喫茶店の入り口で腕時計で確かめる。

 三ヶ月前とは違い心変わりしてアンナは、糸間にリスのストラップ人形を貸すことを決めた。あの日以来度々、彼女の夢の中にリスの幻影が出てきた。その都度彼の願いを叶えてあげるように懇願してくるのだった。


 喫茶店に入ったアンナは、三ヶ月前と同じ席で糸間がくるのを待った。ドアベルが鳴り響き長身の男が店内に入ってくる。糸間だった。


 糸間は、昼食を摂っていなかったのか、トーストの載った皿とカプチーノをお盆にのせて運んできた。

「お昼がまだだったんだ。摂らせてもらうね」

「うん」

「いまさ、急なイラストの依頼を受けてて、それにかかりっきりになってて食事もろくに摂ってないんだ」

「へぇ、忙しいんだね」

「そうなんだよ。何しろ、俺がほとんど知らない分野だったから、資料を集めるところから始めたんだ! やっと余裕ができて峠を越えたって感じなんだ」

 と、トーストを頬ばりアンナを一瞥した。

「そうなんだぁ。せっかくこの人形を貸す決心がついたのに、残念」

 アンナはリスの人形の首元を持ち、残念な仕草で人形を操った。人形をしょんぼりさせた。

「アンナの決心は無駄にはしないさ。依頼されたイラストがもうすぐ完成する。そしたら、取り掛かろうと思ってる」

 カプチーノをひと口含むと、

「それに、代理の人形も持ってきたんだ!」

 糸間が自慢げな顔で微笑んだ。

「えっ?」

 カバンの3分の1はあるぐらいの茶色く耳の大きいリスの人形が、アンナの視界に入ってきた。

「コレを『デッパくん』の代わりに持ってきた」

 取り出したのは、アンナのストラップ人形の1.5倍はあるだろうディズニーのリスの人形であった。愛らしい瞳に大きなドングリを抱えている。

「とりあえず、コレを人質に……」

 彼の言いぐさに微笑んだ。

「それ、ちょっとおかしくない? ちょっとの間の代理人形でしょ?」

 糸間は苦笑いを浮かべつつ、

「だよな。代理人形」

 最後のひと口を飲み干した。

 お互いの人形をお辞儀と握手を交わしアンナは遊んでいる。

「デッパくんの下絵を何枚か描き終えたら、連絡をいれるよ」

「うん!」

 人形同士で手を振って操った。


 更に三週間が過ぎる。

 街はすでにクリスマスムードに包まれていた。

 休みを利用して糸間一輝の住むマンションへとたどり着く。部屋番号を確認するとインターホンを押した。

「一輝さん、いる?」

 しばらく間を置きもう一度呼びかけた。部屋の奥の方から物音のようなものが微かだが、アンナの耳に聴こえてくる。ドアがゆっくりと開き、髪型が殺伐としていかにも機嫌が悪そうな顔つきの糸間がヌッと出てくる。

「ゴメン、アンナ、すぐ出られなくて」

 聞き心地のいい声からかけ離れたしゃがれた声が返ってきた。

 いつもの一輝の声ではないことにアンナは即座にきづく。

「どうしたの? そんなにしわがれた声になって」

「ちょっとね、朝から体調が良くなくって」


 よろよろとした覚束ない足取りで糸間は部屋のベッドへと移動した。

 お邪魔します、と小声でつぶやき玄関で靴を脱いだ。彼女は何度か訪れていたためか、躊躇いもなく部屋へと入った。

「一輝さん、また徹夜したの? それとも全然栄養を摂ってないとか?」

 糸間は終始黙っていた。

 彼が黙っていることからそうなのかと、アンナはもう一度確かめるつもりで訊ねた。

「まさか、両方とも図星だった?」

「いや、食事はきちんと摂ってたんだけど、君からのメールでプレッシャーがかかって、イラストの下絵を徹夜したんだ」

「ゴメンなさい。急がせちゃったのかな?」

 糸間はかぶりを振った。

「却っていい刺激になった。クライアントからのダメ出しが何度か続いて、依頼のイラストにかかりきりになったから、ストラップ人形のイラストに着手するのが遅れちゃってね」

 彼がベッドに横たわるとアンナは、周囲を見渡す。数年前に入った時と違い、ノートPCや本棚、たんすなど配置替えをしたことが彼女にはわかった。

「デッパくんの人形を取りに来たんだよな? 隣の部屋のデスクに飾っているから、持ってってくれ!」

「うん、わかったわ」


 寝室をあとにしたアンナは、隣のドアを開けた。部屋の明かりをつけると殺風景な中に大型のデスクがある。どうやらイラストの作業場のようだった。色鉛筆やら書きかけのイラスト、資料らしき自然の風景画や人物の肖像画の下絵などが雑然と置かれていた。

 見据えるようにリスのストラップ人形がデスクの上に横たわっている。

 迎えに来たよ、と彼女は心で人形に語りかけた。手に取ろうとした時、一瞬だが人形の双眸が光った様にアンナには感じた。

「……? あら? 気のせいよね?」

 すぐ、彼から預かっていたディズニーのリスの人形をデスクに置こうとバッグに手を入れる。だが、リスの人形が入ってなかった。

「あれっ!?」

 カバンの中を隈なくさがすが見つからない。

「忘れたのかな? たしかに入れてきたはずだったのに」


 すぐに糸間のところに事情を説明に行った。

「忘れた? ディズニーの人形?」

 しわがれた声で糸間はいった。

「ええ、ごめんなさい。カバンに入れたつもりだったんだけど玄関に置いてきてしまったみたい」

 不安そうな顔をアンナはベッドに横たわる彼にむけた。

「いいさ、あれは最初から君に……あげるつもりだった!」

 優しい表情のまま彼女にはなしかける。

「えっ!?」

「もともと姉貴のものだったんだ! 整理したときにぽつんと置かれて寂しそうだったからさ」

「お姉さんの……遺品?」

「そうなるのかな?」

 しんみりとした声になった。

「人形が好きなおまえに可愛がってもらえれば、亡くなった姉貴だって嬉しいだろうさ」

「うん、そうだよね。じゃあ、ありがたく頂くね」

 プレーリードッグのストラップ人形をアンナは、操って彼に向かって丁寧にお辞儀した。

 彼女も同時にお辞儀をした。






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