口癖


 大通りから一歩踏みこんだ路地に入り、車の騒音が聞こえなくなる。正面には、ケヤキとみられる樹木が林立している。高台にそびえる樹木は、荘厳に感じさせた。

 井島彰則いしま あきのりは、樹木の圧倒的な迫力に絶句した。

「うわぁ、なんて高さの樹なんだ!」

 建物3階分はあろうほどの高さが目の前に現れたのだ。中央には、紅色の鳥居が高台から眼下を見守るように建っていた。

 ひとりの女性が、彰則をみつけると高台の上から思いっきり両手を振り上げている。

「あきのりぃ! あきのりぃ!」

 彰則も女性をみつけると振り返した。



 石段を登りきると鳥居に背をつき、自分の体力のなさを痛感する。

「なによ、だらしないわね。この調子だと、次の大会までに間に合うの?」

 宮前みやまえリカがいった。

「1ヶ月くらいサボっただけなんだけどなぁ。俺、ここ登るの初めてだからさ」

 彰則の言い訳に、リカは深くがっかりしたため息を吐く。

 石段の数は、優に百段以上はある階段を登ってきたのだ。途中から勾配や階段の狭さから一瞬の恐怖を彰則は感じていたほどだ。

「でも…………、ここから見える景色、なんか素敵でしょ? ほら,最近、新しい駅ができて交通の便も良くなったんだから」

 いつもの口癖で彰則に話してきた。彼自身は。最初子供じみてると不満を持っていたが、いつの間にか、「なんか……」や「ねぇ……」と言ってくる口癖に慣れていた。気にならないくらいだった。

 一時的に口癖がなくなったと思ったが、彼女は気にすることない様子で発していた。一度注意して改善しているのだから、とっさに出た言葉なのだろうと、彰則は思った。しかし、何かこの前会った時とどこか違和感を持った。


 彼女の指さす方向に真新しい駅舎がみえる。東西に伸び町の中心に位置していた。遠くには日本海が広がっている。時折、漁船らしき船が通るのがわかった。

 景色よりも彰則は、リカが誘った理由が知りたかった。普段は都会から彼女の故郷に来ることは滅多にない。1ヶ月前に申し合わせていたとはいえ、どこか驚いた。

 市民マラソンに出たことだった。彰則よりも年上のリカが誘ったのだ。大学生の頃とはちがい、彼女は積極的に自分のいいところを彰則にアピールしていた。

 彼女と知り合って付き合い始めてから、1年半が経とうとする今、上辺うわべでは、『民俗学の資料集め』と称していたが、本当の目的はいったい何なのか、彰則は考えをめぐらせる。

「リカ、そろそろ教えてくれないか? 俺をここに呼んだ本当の理由わけ。単に資料集めなら、1週間もいらないと思うんだが……」

「たまにはいいでしょ? 大学の時とちがって1年半の間、体力づくりも一緒にできるし、なんか会える日が限られていたし、ワタシも故郷ココに用事があったし、家族に……その、紹介もしたかったし。悪くないでしょ?」

 彼女自身、表情はとてもおだやかで柔和な表情をしていたが、どこか不安な顔があった。

「まぁ、一時的な気晴らしにはちがいないけど……」

「泊まるコッチで用意するから、ネ」

 無邪気な子供のように笑う宮前に彰則は、ここに呼ばれた理由をこれ以上詮索はしなかった。喫茶店で待ち合わせて話し合った時、と予定が変わったからでもあった。普段の彼女の性格からは考えられないほど、稚拙じみたところがあったのだ。

 彰則も顔には出さず、笑顔で答える。

「それもそうだな。休みの間、ゆっくりさせてもらおうかな!」

「そうこなくちゃ」

 上機嫌の彼女はスキップを踏み、境内の中へと入った。

 なにが起こるかを勘繰ることよりも今を大切にしようと決意した。


 彰則はふと、リカの留守電を思い出していた。かすかな悲鳴のような声が頭をよぎる。

「あき、のりぃ……」

 彼女に直接聞こうとしたが、空港での明るい表情を見てやめた。それでも、どこか違和感が残ったままだった。


 


 リカとの出会いは、同じ大学の特別講習だった。その後、マラソン大会で意気投合した。共に民俗学に興味を持っていたふたりは、古い歴史を調べはじめる。リカの故郷に戦国時代から建っている神社を突き止めた。言い伝えのある神社を発見したと、1ヶ月前、喫茶店で待ち合わせた時に語った。

「来月の連休、彰則、何か用事ある?」

「まだわからない。今のところ、特には……ないかな」

「それならわたしの実家に遊びにこない? 調べてみたら戦国時代からある神社が近くにあったのがわかったの。マラソンの体力づくりにもなってお得よ」

「最近は少し仕事が立て込み過ぎて、走ってないからなぁ」

「そう、そう! 1ヶ月走らなかっただけでもちがうからね。じゃ、決まりね。予定に入れておいて」

「わかった。予定しておくよ!」

「2,3日ぐらい泊まれるように準備しておいてね」

  1ヶ月前あの時にはあまり考えもせず、彰則は返事を返した。



 出発直前で電話がかかってくる。外に出て、ドアに鍵をかける間際だった。

「おはよう、リカ……なんかあったのか?」

『おはよう、ねぇ、今日の迎えに行く件なんだけど、時間をずらすことってできる?』

 歩き始めていた彰則は、「時間をずらす」という言葉に突然足が止まる。

「ずらす? 急だなぁ。何か用事が入ったか?」

『うん、ちょっと。2時間ぐらいずらせないかなって?』

「わかった。飛行機の時間を考えて調整してみるよ」

『うん、お願い。それともうひとつ……』

「なに?」

『前に2,3日の資料集めと体力づくりって決めたけど、一週間、休みをとることってできる?』

「今からか?」

 またも足が止まった。

『むずかし、そう?』

「その辺の調整は会ってから決めよう!」

『うん、考えておいて。 それじゃ、空港で待ってるね』

「あ、リカ……」

『なに?』

「昨日、留守電にメッセージ入れたか?」

『えっ!? …………』

 短いようで長い沈黙が流れた。

「いいや、今のは忘れてくれ」

『うん……。じゃあ、あとでね』

 あの留守電のメッセージの返答を聞けずじまいに終わった。それにしても、今から休みの申請をするのはさすがに気が引ける。荷物も2、3日分しか用意はしていない。体力づくりが過酷になりそうな気がした。だが、突然過ぎる変更は、今までになかった。こんなことは彼女の性格からは考えられなかった。



 ふと、リカは腕時計をみた。

「まだ、時間はあるよね……?」

「どこか案内してくれるのか?」

 くちびるに人差し指を立て「ナイショ、行ってからのお楽しみ」と彼女らしからぬ年上の妖艶な笑みで仕草をする。


 神社の裏の遊歩道を彼女は、スキップを踏みながら林の奥へと入った。森林に覆われた小道は、異世界のように外界と切り離され、鳥の鳴き声さえ聞こえて来ず、静寂だった。

「ねぇ、この辺ね、知り合いの子と一緒に遊んだところなんだよ。夏の夜には蛍がいっぱい飛んでるのをみたし、楽しかった」

「へぇ、リカはその頃から外で遊ぶのが好きだったんだ。夜でも平気に歩いてたのかな?」

「月明かりがとってもステキなこともあったし、この山の上からは星空もいっぱい見えるよ!」

 まるで子供と会話してるようだ。なんとなくだが、リカの声とは少しちがうように感じる。

 しばらく歩くと涼しいほどのマイナスイオンが漂ってくるのがわかった。近くに滝壺があるようだ。そのうちに川の流れる音、水が叩きつける音が聞こえてくる。どうやら、遊歩道は滝がある正面へ道が続いていた。

、彰則はこの辺にいる神様って会ってみたいと思う?」

「ん……?」

 思いもよらないリカの質問に動揺した。

 人ひとりがやっと通れるほどの坂をくだりながら、

「リカは、会ったこと、あるのか?」

 彼女は、即答で「あるよ!」と明るい声でこたえた。

「ねぇ、会ってみたい?」

「まぁね……この辺に住んでいるってことは、森の神さまってことか……?」

「ちがうよ!」

「……」

 坂を下っていたリカは突然彰則の方に振り向いた。強い口調でリカは彰則をにらみつける。

「それはちがうの」

 まるで自分がその神様のように彼女は否定を繰り返す。

「そ,そうなんだ……」

 動揺を隠しきれないまま答えた。

 わずかな間がすぎた。

 一瞬の気の緩みで彼女は柔和な顔でほほえみ

「もうすぐで着くからね」

 と、明るい声でいった。

 いったいはなんだったのだろうか、と彰則は考えた。彼女の嫌悪感と疑念の顔つきが頭から離れなかった。

 しばらくすると川のせせらぎと同時に丸太で固定された小さな橋がみえ、遠くには巨大な二枚岩らしきものが視界にあらわれる。

 リカは慣れているのか、足場の狭い丸太橋を難なく越える。二枚岩に向かう途中でふりかえり立ち止まった。

 彰則も丸太橋を渡ろうとするが、苔むしている上、バランスを取るのが難しく足元をみながら慎重にすすんだ。

 こんなバランスの悪い橋をよくも簡単に渡れるものだと、彼女をチラリとみながら前進した。ふぅ、と息を吐きなんとか渡れた。

「よくできました」

 リカは子どもをあやすように彰則の頭を撫でまわす。


 (いったい俺は、こんなところに来て何をしているんだ!)


「もうすぐだよ。がんばって!」

「リカ、あの二枚重なった岩の場所に行くのか?」

 疲れ切った顔で彼女をみた。リカは何も答えることなく、巨石の二枚岩にすすんだ。


 二枚岩はよく見ると、中心に向かって二つの巨岩が重なっている。岩が「八」の字になっているのだ。

 八の字岩に近づくたびに冷たい空気が彰則の肌をかすめていく。街の喧騒がまったく入ってこず、神聖な場所に彼は踏み込んだことを実感した。岩と岩の間には人が入れるほどの洞窟があった。岩の洞窟をまつるためなのか、小さなほこらがある。

「なんだろう。この空間だけ居心地が良く感じる」

 空気がひときわ澄んでいるように彰則には感じた。

「彰則はトクベツにこの空間に入れるようにしたんだよ!」

「なんだって……?」

 どういうことなのかと彼女の背中に問いかけた。


 ほこらの隣でリカはゆっくりと振り返った。

『もう、気づいているのでしょ?』

 リカの声が何重にも聞こえ彰則に届いてくる。

「リカ、いったい何を……言っているんだ!」

 彼女の肩に手を添えようとした彰則は、くずれ倒れる彼女におどろいた。

「リカ……おい、リカ!」



 突如、あたりが薄暗くなったかと思うと、リカの身体から煙のように立ち込めるものが出てくる。煙の塊が段々と人の形を成していく。目の前に、宙に浮かんだ姿が形づけられた。と言っても、顔立ちがまるで子どもの顔つきだ。

「……?!」

 視界が変になったのかと、彰則は何度も眼を瞬き、こすって目の前の物体を見上げた。

「きみ、なのか? リカの中にいたのは?」

 リカを抱きかかえながら彰則は、宙空に静止している女性に話しかけた。

『うん。ちょっとの間、リカさんの体を貸してもらったの。彼女に許しをもらっていたとはいえ、突然したから』

だって……!?」

『彼女、ビックリしたみたいで、あなたに伝言を残したみたいね。あなたもビックリさせてごめんなさい』

 「伝言」という言葉に彰則は、あの留守電の奇妙な彼女のメッセージが浮かんでくる。

「君はいったい……? 何か目的があってリカの体に?」

『ワタシ、この聖域から出ることができないから……子どもの頃からときどき訪れるリカさんに憧れてて。それで今回、彰則さんがくるタイミングで、リカさんと相談して身体を一時的に借りてあなたをここまで案内したの』

 合点が入った。リカの言動に不可解な点があったのは、彼女がリカの身体に入っていたからだった。

『ほんの数時間だったけど、彰則さんといられて楽しかった』

 宙空の女性は、微笑みの表情を浮かべる。

 リカはすやすやと寝息を立てていた。

『彰則さん、約束して欲しいことがあるの』

 なんだろうか、と小首をかしげた。

『ときどき、ここにリカさんと遊びに来てくれる? あなたとリカさんには、この空間に入れるようにしておくわ!』

「わかった。彼女にも伝えておくよ! とりあえず、数日間は滞在するつもりだから、またここにくる」

 寝息を立て眠っているリカを背負い、

「最後に聞かせてくれ。君はどういう……その、存在になるんだ?」

 と問いかけた。

 彼女は困惑した表情で考え込みながら、

『ワタシのいる世界では、物質を構成する粒子のかたまりに相当するけど、ニンゲン界だと精神の塊になるかしら……いわゆる、霊体?』

「じゃあ、俺がいま見ている君の姿は?」

『あなたの中にある彼女リカさんの幼少の頃のイメージを具現化した形かしら? ワタシが彼女の中に入っている時に彼女の過去の記憶をトレースしたから……』

 なるほど、と子どものような口癖は、リカの幼少期の名残りだったのかと彰則は思った。

『ワタシはいつも祠の中にいるから、ここに来たら呼びかけて』

 言い残すとリカの幼少の頃の少女の姿は消えた。


 リカを背負いながら遊歩道を出口に向かってもどった。

 神社の境内が見える頃になり、ようやくリカが目を覚まし、おぶさられていることに気がついた。

「……?!」

「ヨォ、目が覚めたか? おはよう……」

 リカは彰則がいることに驚き、恥じらいながら、

「あ……あきのり?! いつこっちに来たの?」

 どうやらあの少女が乗り移っている時の記憶はないようだった。

 即座に彼から少し距離を取る。

「リカ、全然記憶ないのか?」

 リカは額に手を当て、必死に記憶を辿ろうとする。しかし何も思い出せないことに気づくと、少し不安げな目で彰則を見た。

 あの霊体が乗り移っていたなら、仕方がないかと穏やかに彼女の言葉を待った。

「あの祠で気を失って、夢の中で『ミレイ』ちゃんと話していたことはなんとなく覚えがあるけど……」

「ミレイ?」

「うん、子どもの時にわたしがあだ名をつけたの」

「へぇ、ミレイ……ね」

「ミレイちゃんには、わたしが小さい時、助けられたことがあったの。その頃から、この神社にいつも行くようになって……」

 しんみりとした表情でリカは語った。

「リカにとって、彼女ミレイは、命の恩人で親友ってとこかな?」

「え………」

「あの子は、ただ,ただ子どもの頃から訪れてきたリカのことが純粋に大好きだみたいだね。彼女の話だと聖域の場所から出られないって言うから、よっぽど寂しかったのかもしれない」

「うん……いつもわたしの普段の生活のことを聞いてきたりしてた」

 リカは納得してうなずいた。

「リカの身体に入って、俺を祠まで案内したぐらいだもんな」

「へぇ、そうだったんだ。あの子ね、岩の洞窟の中から来たんだって。事情があって自分の住む世界に帰ったことがあったけど、また、なんかの都合でこっちの世界に来たらしいの」

「見た目は、リカの幼い頃の写真の顔立ちだったから、10歳くらいか?」

「そぉ……だったの? わたしがみた時は、今のわたしの歳と変わらなかった気がする」

 いつの間にか、リカの口癖はなくなっていた。リカは、何かを思い出したようにクスッとんだ表情になった。

「ん……どうかした?」

「何でもない……ミレイが乗り移ってたわたしの印象はどうっだったかなぁって思って」

 長い階段をゆっくり降りながら、隣の彰則に寄り添いリカは話しかけた。

「いまのリカと話しているよりも幼く感じた」

「幼く?」

「ああ、子どもが話しかけてくるような印象かな。俺や今のリカの年だと『口癖』って自分自身でわかっているもんだろ?」

「うん、そうね。今までの環境によって、とっさに出てきたり、忘れていたり……」

 リカは納得した表情になる。

 続けて自慢げな表情で、彰則は弁舌べんぜつをふるった。

「制御できない子どもの時は、環境が限られてるから定着しやすい。だから、何度も同じことを繰り返しやすい。その結果、口癖になりやすいと思うんだ!」

「へぇ、そうなんだ!」

「大学にいた頃の先生の受け売りなんだけどね」

「なぁんだぁ、納得して損しちゃった」

 リカはがっかりした態度で彰則をみた。

「そんな目しないでくれって……あ、そうだ……」

「何、なに?」

「明日にでも、またミレイのいる祠に行こうよ。あの子が『ときどき遊びに来て』って言ってた。これ、本当……」

「もう、調子いいんだから」

 2人仲良く街中へ消えた。



 

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