カバン_その2
「今日こそ、持ち主が誰なのか、現れるまでねばってやる!」
林の中で何の変哲もない枝に肩掛けのカバンがあった。高さは数メートルある。
若い青年は、近くの茂みにひそみ、肩掛けカバンが誰のものなのか知りたかった。
日差しが差し込んでくる。
ざっ、ざっ、ざっと茂みから誰かが近づいてきた。
一週間前のことである。
ざっざっざっと枯葉の敷かれた林を高台のある公園へと向かっている。昼下がりの午後1時に、大学で知り合ったカタマチという女性と会う約束をしていた。彼女自身の希望で高台の公園に決まる。
辰巳にとって初のデートであった。
少し余裕のある時間を見計らって遊歩道の林を歩いたが、ゆったりと歩いていたのか、腕時計を見て焦り始めていた。
彼女よりも遅れてくるのは、男としてみっともないと、遊歩道をすこし離れ、林の中を突っ切って公園へと向かおうと考える。
林の中を道なき道を歩き、茂みを払いながら歩く。ときおり崖を駆け上った。
辰巳に緊張感が走る。
林の奥に休憩所の屋根がみえ隠れした。しだいに高揚感が増し、歩幅が大きくなった。
枯葉のじゅうたんに敷き詰められた何の変哲もない枯れ枝に、何の変哲も持たない赤い色の肩掛けカバンが枝に垂れ下がっている。カバンはまるで意志を持っているように、風で前後に揺れていた。
一陣の強い風にあおられそうになる。
ふと上を見上げた辰巳は、カバンの存在に眼がいった。高さは人の背丈をはるかに超えている。なぜ、あんなところにカバンが垂れ下がっているのか、不思議に思った。
ジャンプして届くか試すが、そのたびに風が吹き全く届かない。気になりだし、中身をみたいとまで思ったが、彼女との約束の時間がせまっていた。
3日後、辰巳は高台ではじまる秋祭りのボランティア活動に参加することになった。大学の一環によるもので、複数のサークルが一同に活動するイベントだった。
秋祭りも中盤まですすみ、辰巳は食材を再度補給するため、トラックのとめてある場所へと向かおうとしていた。歩道はかなりの人でごった返している。辰巳は人ごみを避け、林をショートカットして駆け抜けようとしていた。
林に入った直後、一陣のつよい風に
ふと、天を仰いだ辰巳は3日前に垂れ下がっていたカバンが、またも眼に入ってきた。
―――あのカバン、まだあんなところに……
いったい、どうやってあんなところに引っかかったのだろうか。
「おおーい、辰巳。そこで何してるんだよ!」
呼ばれて声のする方へ振り返った。同じサークル仲間の若い面長の男だった。
「高いところに誰のか知らないカバンが引っかかってるんだ!」
「カバンだって?」
辰巳はカバンの引っかかっている方へ指を差す。
「そんなのどこにある?」
若い男が指さしてる頭上を見上げるも、カバンの存在がこつぜん消えていた。
辰巳も頭上の木々を探すが、カバンの形すら跡形もなく消えていた。
「あれっ!?」
「カバンなんて、どこに引っかかってるんだよ! どこにもねぇじゃんか」
語気を荒くし男は辰巳に詰めよる。
「たしかに引っかかってたんだって!」
「寝ぼけてたんじゃねぇのか? そもそも、高いところにカバンがあるわけねぇだろ! どうしたら引っかかるか教えてほしいぐらいだ」
「マジであったって!」
辰巳は、この上なく大声で興奮していた。なんども仲間内に弁明するも信じてはもらえない。
「どうしたの?」
大声を聞きつけたのか、今度はサークル仲間の数人の女子たちが、ふたりに駆け寄ってくる。中にはカタマチの姿もあった。
「コイツがありもしないカバンを見たって言い張るんだ!」
「カバン?」
いぶかしい表情でひとりの小顔の女性が問い返す。
辰巳は何度となく女性たちに肩掛けカバンが、小枝に吊るされていたことを丹念に説明する。
女性たちは熱心に聞いていたが、どうでも良さそうなことだと作り笑いを浮かべていた。ひとり心配そうにカタマチだけは彼を見つめている。
「
小顔の女性が語気を強め、辰巳を説得した。
「そうだよ、こんなところで油、売ってるわけにはいかない! 早いところ戻ろうぜ!」
ぞろぞろと祭りの会場へと戻りはじめた。辰巳は積荷のある駐車場へと足を向ける。ついてくるようにカタマチが後に続いた。
「辰巳さん……」
カタマチが心配そうな横顔で話しかける。
「カタマチ、おれ、寝ぼけてたのかな?」
「辰巳さんが見たっていうなら、ワタシは信じるわ」
カタマチは優しい口調で話しかける。
「鳥がくわえて持ってったかもしれないわ」
「そう、かもな……」
無理やり納得した表情になった。
祭りが終了した時、軽トラックに荷物を積み込むため、辰巳はふたたび肩掛けカバンのあった林を通り抜けようとした。
先ほどの老木に、やはり肩掛けカバンが目につくように、風に揺られぶら下がっている。
彼は、今度こそ仲間たちに証拠を突きつけてやろうと思ったのか、カバンめがけスマホを掲げ撮影した。すぐさま、サークル仲間たちに証拠写真と一緒にメールを送った。
「これでみんなをギャフンと言わせてやる!」
ニヤけるとともに、急いで祭りの会場へと向かった。
駐車場に戻り、仲間たちと車のバンに辰巳は乗り込んだ。
サークル仲間のひとりである面長の男が、なにかを思い出したように辰巳に話しかけてくる。彼が送った奇妙なメールの批判を浴びせてきた。
「辰巳、お前なぁ、変なメールよこすなよ。笑っちまったよ」
辰巳は面長の男が、腹を抱えるのをガマンして笑っていることを不思議そうにみる。
「変なメール? カバンが写ってただろっ!」
「お前、送る前に写真と文章、確認したのか?」
「も、もちろん確認したさ」
「じゃあ、これはなんて書いてあるんだ? それに写真だって、お前の鼻毛がアップで写ってるぞ」
サークル仲間の男にメールを見せられ、辰巳は
―――どういうことだ!
サークル仲間の突きつけられたメール内容は、文字化けをおこし、全く意味がわからない。カバンを撮影した画像も、辰巳の鼻の穴がアップになったものだった。
「鼻毛ぐらい、処理しろよ! 鼻から毛が少し飛び出してるぜ!」
クルマの中は爆笑に包まれていた。
辰巳は自分のスマホを確かめると撮影モードが、自撮りになっていることに気づいた。
不服そうな
雨が降りはじめた。
辰巳は秋祭りのあとの2日間、肩掛けカバンのことが気になりすぎて、大学の授業もろくに聞いていなかった。二度の侮辱から一体、肩掛けカバンがなぜあんなところに垂れ下がり、誰が仕掛けたことなのか、どうしても知りたかった。
雨が降り続くなかを、あの肩掛けカバンのあった場所へと辰巳は向かった。
辰巳は秋祭りの日、帰りがけにカバンの引っかかっている枝先に、あかい紐を巻きつけていた。紅い紐を目じるしに枝先を探している。雨に打たれながらも、カバンは木の枝に吊るされていた。
「今日こそ、持ち主が誰なのか、現れるまでねばってやる」
辰巳は意気込んでいた。離れた場所から誰かが取りに来るのを見張った。
鳥のさえずりが聴こえてくる。近くの葉には雨でたまった滴が地面へと落ちた。
持ち主が現れるかどうかもわからない場所で、何を待つというのか。辰巳には自分の行動に奇妙さを感じていた。
枯れ葉をふむ音が遠くからきこえ、誰かが近づいてくることがわかった。
赤いジャケットを着込んだ小柄な女性の後ろ姿が、辰巳の視界に入ってきた。見覚えがあった。
「カタマチ、どうしてここへ?」
辰巳は叫んだ。
カタマチは、驚きもせず辰巳に振り返る。
「辰巳さん、やはり気づいていたのね」
「気づいていた? 何の話だ?」
辰巳の語気は荒くなっていた。
「この品物、ワタシのものなの」
―――品物?
辰巳は驚いた。いつものカタマチと様子が変に思えていた。
「……? どういうことさ。お前のものって」
「ワタシとの出会いから、今までの思い出はアナタの記憶から抹消しておくわ!」
辰巳には彼女が何を言っているかわからない。激しく動揺している。
「な、何を訳の分からない……ことを?」
声まで震えていた。
「カタマチ?
いい終わると同時に装置めいた鎮まる音が聞こえた。辰巳はそのまま凝固し瞬きもしていない。
カタマチはカバンのある方向を見上げた。カバンの隙間からカメラのレンズが、彼女と辰巳を捉えている。
近くではミクロサイズのドローンが飛び回り、周囲を観察していた。
どこかの室内の暗やみで、中年風の白衣姿の男性が、モニターの映像を見つめている。映像にはカタマチと凝固する辰巳の姿が映っていた。
「うむ、この男には申し訳ないことをしたが、とりあえず実験は成功のようだな」
男はシャープな顔つきで映像に語りかけている様子である。
『博士!』
モニターのスピーカーからだろうか、落ち着いた女性の声が聴こえてきた。
「ご苦労さま。
『はい!』
瞬時にカタマチの姿がモニター映像から消えた。
男の背後の扉が開かれ、顔立ちのととのった若い女性が入ってくる。白衣姿であった。
「被験者の記憶は抹消しました。カタマチという女性とカバンのことは金城辰巳の脳から消えています。今後、私がこの時代に降り立たない限りは蘇ることはないでしょう」
カタマチとは違う顔立ちの若い女性が中年の男に語りかけた。
「うむ、でかした。リンくん」
「けど、博士」
リンという女性は緊張感を解き、呆れた顔になる。
中年の博士とみられる男は、訝しく彼女をながめた。
「ん?」
「気をつけてくださいよ。あの品物を過去に置き忘れるなんて」
「30年前の人間ならば、気づかれまいと思ったが勇み足だったな」
「過去の人間でも勘の鋭い人や洞察力が優れた人は、たくさんいるってことがわかりましたよね」
「そうだな、これからは注意しないとな。次はどの時代だね?」
「この時代ではどうでしょうか?」
女助手がモニターの動画を再生する。
「うむ、わかった。この時代にしよう。リンくん、次もよろしく頼むよ」
「はい!」
と、女助手は元気に返事をした。
完
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