サングラス

 1台のスポーツカーが道の駅へと入ってくる。オープンカーに近いランボルギーニの外車だった。正面にみえる車のエンブレムが陽に照らされ光っている。

 そこそこ有名な場所なのか、平日でありながら駐車場には車が溢れかえっていた。


 社長の命令とはいえ、信州の山奥に行かなければならないことに、高堂信史たかどう のぶふみはやるせない気持ちになっていた。

 自分ではポジティブには考えているが、どうしても納得がいかない部分もあったからだ。

 いままで社長の片腕として勤めてきたが、働きづめだった。スケジュールに追われる毎日で、ここ3ヶ月は休みと言える休みを摂っていなかった。社長自身も、息抜きをしたいと考えていたのかもしれない。

 さすがに社長とは30歳ほど歳の差があるだけに、情が出たのだろうかと、信史のぶふみは思った。

 信州には何度か出向いたことがあったため、ある程度の道のりは覚えている。数年前に通った時とちがい、道の駅のまわりは開発や住宅地が整備されていた。この辺も変わりつつあると感じながら、自販機の横に設置されたベンチに座り、景色を眺めながら缶コーヒーをすすった。

 晴れて暖かさに心地がいいこともあった。陽気が、春から夏に移行しようと雲が急いでいるようだった。

 平日でも道の駅の施設には、次々と人が出入りをくり返す。それぞれに余暇を楽しんでいる様子がうかがえた。

 腕時計を見ると午前9時50分になるところだった。まだ時間には早いなとスマホをいじくる。


 

 ひとりの男が、辺りをキョロキョロと挙動不審に警戒しながら通り過ぎていく。時折、前のめりに動き、機敏さが感じられる。建物の裏側へと走り去った。その風貌は、信史にとって奇妙にうつった。もうすぐ夏が来るという時期に、冬のコートや革手袋で全身を覆い隠している。口元にはマスクとマフラーを巻き、いかにも具合が悪そうにみえなくもない。だが、足取りはしっかりとしている。全速力で走っていた。

 信史には、その滑稽な様相で釘づけになっていた。自分もまだ花粉症ではしているが、四六時中つけているわけでもない。

 男の場合は、どこかそんな風にもみて取れる様子はなかった。明らかに素顔をさらしたくないという印象にうつる。。

 建物の裏側へと消えたあと、気になり後をつけた。建物の陰から裏側へ来ると男の姿がなかった。


 (おかしいな……確かに男が……)


 林の奥の方から話し声らしき声が聞こえてくる。掘立て小屋の前にふたりの男がいるのが遠目からみえた。

 あの男は掘立て小屋に急いでいたのかと安心して駐車場へと引き返した。

 車の隣まで来た信史は、小走りに急いでいた面長の男とぶつかりそうになる。

「オット、スミマセンネ」

 片言の日本語であやまる。を目深にかぶり、顔に色メガネのサングラスをしていた。やはり、周囲の目を気にしながら、建物の裏へと走り去っていく。

 やれやれ、建物の裏側の掘立て小屋は隠れた名店にでもなっているのかと呆れた顔をした。

 気を抜いていたこともあったのか、車のドアを開け、乗り込もうとした時だった。足元からと何かが潰れるような音を耳にして、目線を下に持っていく。

 サングラスが破片とともに壊れているのがわかった。

「あっ……」

 頭をかきむしり、ため息を吐く。まさかさっきぶつかりそうになった男のでは、と信史は直感で思った。車の屋根にサングラスが置かれていたのが一瞬みえたからだった。予備と見られたサングラスをあの男は車の屋根に忘れていったのか、とひどく後悔の顔をした。このまま立ち去るのも気が引けるとおもい、正直に謝ろうとダッシュボードから自分が買ったサングラスを取り出し、建物の裏の掘立て小屋へと急いだ。

 小屋に近づくと奇妙な片言の日本語が信史のぶふみの耳に飛び込んでくる。

「ハヤク、時間ガナクナル」

「心配スルナ。オ前ハマダ平気ダ!」

 面長の男ともうひとりは最初に見たマフラーとマスクをした男だった。

 いったい何をしているのだろうかとふたりの行動を見守りつつ近づくと、掘立て小屋の中へと入っていくのがわかった。

 これ以上追う必要があるのだろうか、と悩んだ。あの男が気づかなければ、それはそれで構わないのではないだろうか。


 諦めようと建物のある方へと引き返そうとした時、またも男が歩いてくる。風貌は先に小屋へと入った二人組の男とはちがい、いたって普通だ。スーツ姿に鞄をかかえた営業職にでも就いてそうな風貌だった。信史より若いという印象はなく、どこか老けた様子だが、体つきは申し分ないほどガッチリとしている。にっこりと恵比寿顔で誰にでも愛想を振りまきそうな性格にみえた。

 信史に気づき声をかけてきた。

「おや? あなたもここに招待された口ですか?」

 流暢に言葉を話してくる。恵比寿顔の男は、スーツを上手に着こなしている。唯一気になるのは背広に細かい穴らしきものが信史には奇妙に感じた。

「この辺の土地だと、ここにしか入り口がないのが困るところでもあるんだが……」

 スーツ姿の男は、独り言のようにつぶやく。信史にかまわず小屋のドアをあけ中へと入っていく。

「最近じゃ、この辺りもずいぶんと開発が進んで……」

 時折、信史に相槌をもとめつつ、慣れた手つきで男は小屋の裸電球を点け、床下の板をどかしはじめた。先に入っていた男たちも床下の板をどかしたのだろうかと、不思議に感じた。

 一方的に話す男に対して信史は茫然と立ち尽くしている。

「はぁ……」

「ここに来られたのは。友人か誰かに紹介されたのですか?」

「え、ええ、まあ……そんなところです」

 このままこの男についていけば、にも会えるに違いない、と調子を合わせて床板を男と一緒にどかした。

「穴がありますから気をつけてください!」

 板をどかした瞬間、穴の底から一陣の風が信史の肌に触れる。電球の照明が風によってゆれた。穴の中には、下に通じるハシゴが漆黒の闇に飲み込まれている。直径3メートルあるかないかの狭い穴だった。

「この穴は……?」

「この下にのくつろぎの空間があるんです」


 (私たちのくつろぎの空間……? どういうことだ……)


 奇妙なことを発する男に、怖いという恐怖心に好奇心が上書きされるような気持ちになった。いったいこの下に何があるんだ、と信史は、土ぼこりを気にすることもなく一歩、また一歩とハシゴをゆっくりと降りはじめた。

 先に降りている男に訊ねた。

「ここには何度も来られているんですか?」

「ええ、もう、毎年ここに来るのが楽しみで仕方がないほどです」

 明るい口調の声が、暗闇とほのかな明かりに反響した。

 ハシゴの途中には電飾用の電球ライトが下の方へ垂れ下がり、穴の深さがある程度測れるほどだ。優に100メートルを越える深さがあることがわかった。

「ずいぶんと深い穴なんですね」

「もちろんですよ。地上の世界をするために苦労したほどなので……」

 いかにも自分が掘ったような言い回しに、信史はひとり苦笑いした。そんなバカなことがあってたまるかと、冗談だと受けとっている。

「もう間もなく着きますよ!」

 景色が一変して人工的に作られた通路が右左に延びている。明かりも取り付けられ最近使われている様子がうかがえた。

「足元に気をつけてください。がれきが散乱しているので歩きにくいとは思いますが……」

「ここは、いったい!?」

「聞いた話ですがね、戦時中に使われていた地下のシェルターだそうですよ。もう使われなくなって出入り口はここしかないようでして。本来の入り口は崩落したそうです」

 なるほど。うまい具合に出入り口を作ったものだと信史は感心していた。

「さあ、行きましょう」

 と、男は足元の瓦礫を間の平坦な床を選び、器用に避けて、奥へと進んだ。



 しばらくがれきの散乱する通路を進むと、緩やかに下りの坂があり、さらに奥から、何やら音楽のような雑音のようななんとも言えない騒音が信史の耳を刺激した。

 信史は驚いた。

 天井の高い空間があらわれる。通路の先にあり得ないほどの明るさと歩いているニンゲンの数の多さに圧倒された。騒音めいたものは、さらに奥の方から絶えず聴こえてきた。洞窟内部ということもあり、音が乱反射してスピーカーのように大反響している。信史には騒音でしかなかったが、それよりも驚いたのは、整備されたプールらしきもの、バーカウンター、スロット台、6人がけのソファがそれぞれのエリアにわかれ設置されていた。空間は長方形に広がり、信史のいる場所から空間の端がわからないほど広大な空間だった。

 自分はいま夢を見ているのかと疑いをもった。コレほどの空間がなぜこんなところに存在するのか、どうみても理解不能に思えていた。

 入ってすぐの場所には、門番のようにたたずむ大男がいた。さながらチェスの駒のような面長の顔でタキシードをまとっている。


 (馬……?! だが、二本足で立っている。身なりも服を着てるし……)


「いらっしゃいませ」

 機械的な低い声に圧倒される。顔や容姿が奇妙だった。照明の明暗に信史は見間違いをしているのかと目をこする。馬の顔に馬のたてがみが白く際立ってみえる。まるで馬人間だったのだ。

「お二人様でしょうか?」

「ああ、ふたりだ!」

 慣れたようにスーツの男がこたえた。

「それでは、こちらにご署名をお願いいたします」

 書類を渡され、男はサインらしき勢いで署名をほどこす。

「あの、ここはいったいどういう……」

 面長の馬男に信史は訊ねた。

「ああ……」

 と馬人間が覗きこむ勢いで大きく顔を近づけてきた。

「……あなた様は初めていらっしゃる方でしたか」

 周囲に振り返って説明をはじめる。

「ご覧のとおり、隠れた穴場と申しましょうか。ここに訪れるヒトは、安らぎの場を求めて来られる方がほとんどと聞いております」

 よく見ると、周囲の人間は皆動物が洋服をきて歩いている。

 馬人間の受付人がいう説明は理解できるが、信史には腑に落ちないところがあった。洞窟内部に充満している匂いだった。仮装しているにも匂いまで動物に似せなくてもいいはずだからだ。密閉空間であるということとマスクをしているためなのか、空間内部の充満している匂いが、異常なほどケモノ臭かったのだ。

「やすらぎ……ですか……」

 たしかにこの空間にいる人からは、生き生きとした行動がみられた。ただ、顔を何かで覆い隠している人が大半だった。

 今度はスーツの男に訊ねた。

「あの、ここにいるみなさんは仮装しているんですか?」

「ん……?!」

 スーツの男は、信史のわけのわからない質問に怪訝な顔をする。

「いや、さっきから鼻がもげるほどケモノ臭くて……」

「ちょっと来い……」

 と信史に小声でつぶやくと、同時にスーツの男が、空間の隅にまで腕をつかみものすごい力で引っ張り出した。抵抗はするものの信史は、なすすべがなかった。

「ん、な、なにを……」

「あんた……ひょっとして……?」

 勢いのもとスーツ男は、彼を舐めまわすようににらみじっとしてみている。何かを調べている様子だった。

 ごくりと信史はなにもできず硬直した。汗が額からたれてくる。


 (いったい、なんなんだ……?)


 スーツ男は、目をそらすとその場で考え込んでいた。

「入ってきてしまったものは仕方ないか……」

「あの……」

「すまん、ちょっと空間ここから出て話そう!」

 入ってきた入り口の通路まで理由わけが分からないまま連れ戻された。



「あんた、本当に友人の知り合いに紹介されてきたのか? 今度は正直に答えてくれ! 返答次第ではそれなりの処分を科すことになりかねない」

 スーツの男は、真剣な眼差しで信史に訊いてきた。この質問は重要だと言わんばかりの覚悟がある目つきだった。

 信史は彼の双眸に真実を語らざるをえないと思った。なんとかして弁解しなくてはと焦っていた。

「すみません、嘘をついていて。実は……」

 中折れ帽子にサングラス姿の男のこと、サングラスを壊してしまい、代わりのサングラスを渡そうと思ったことを信史は、正直にスーツの男に話した。

「そういうことだったのか……」

 納得した初老の男は、頷きをみせ、柔和な表情で落ち着いた。

「それで、あなたに案内してもらいここまで……」

「事情は飲み込めました。だが、これ以上、ここに留まることはしないほうがいい。あなたには不向きな場所だ。サングラスはわたしから持ち主に渡しておきます」

「ここは、いったいどういった場所なのか、教えてもらえませんか?」

 スーツ男は、すこしため息をもらし

「本来、あなたが入れる場所ではない。とだけ言っておきましょう」

 と落ち着いていった。

 だが、信史は納得できないでいた。

「誰にも教えることはしませんので、どうか教えてもらえないでしょうか? 向こうの空間ではケモノ臭さが充満してますが、ここの場所だとそんなことはないし、あなたからは匂いというものをそんなに感じない。一体どういうことなのか、混乱してくる」

 仕方ないとあきらめた表情で、スーツの男は話し始めた。

「向こうの空間とこちら側の空間はそもそも。そのため、あなたがマスク姿をしていても、向こうの空間では怪しまれずにすんだ」

「次元がちがう!?」

 スーツの男は首肯して、説明をつづけた。

「わたしの匂いが発しなかったのは、地上世界で活動をかもしれないからだ。もともとは、入り口付近の掘立て小屋の周りには結界を張っていたのだが、あなたはどういうわけか、普通に通ったようだな」

「なるほど……」

 と信史は合点がいったようにうなずく。中折れ帽子の男が片言で言っていたのもなんとなく辻褄があった。まだ、疑問に思っていることがあった。

「でもどうして、あなたのいう結界を通過できたのか、それが……」

「ふむ……それは」

 男は黙りこむ。

「それは……?」

「過去にあなたの周りで、わたしたちと長期間接触した人物がいて、その人から可能性がある。それが長年、あなたの体で蓄えられていた。あなた方には信じられない現象かもしれないが、そういう事象をわたしは知っている。心当たりがありませんか?」

 信史には子供の頃、学校で変な奴がいたことを思い出す。そいつはいつも空想よがりで異世界に行ったことを話していた。クラスメイトは、変なヤツだと小馬鹿にする中で、信史は興味が湧いていたことを思い返す。今でも、その変なやつの影響で、不思議なことを体験したことがあったくらいだった。

「あいつの影響だったか……」

 今度連絡でも取ってみるか、とあいつの顔を思い浮かべた。

「それにしても、案内がわたしでよかった」

「あなたは、いったい?」

「結界を生成したのはわたしなのです」

 スーツの初老の男は、恵比寿顔でにっこりと微笑む。

 信史には、彼が一瞬竜の化身にみえた。


 ハシゴのそばまでスーツの男は見送りにきた。

「ご迷惑をおかけしました」

「あなたと会ったのは何かの縁かもしれない」

 信史の手を両手で握り何かを渡した。水色をした小さな名刺だった。

「わたしは、地上世界とわたしのいる世界を仲介している『義龍ぎりゅう』というものだ。もし、あなたが今後悩むことができたら、わたしを尋ねて来なさい。相談に乗ってあげよう」

「ありがとうございます」

「名前はなんと言うのかね?」

「僕は髙堂、高堂信史たかどう のぶふみといいます」

「うん、高堂くん。また会える日を楽しみに待ってるよ」

 信史は、握手を求めてくるスーツの男に両手でがっしりと握りしめた。


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