乗り物降車_バス編 前編


 勾配のある住宅街からひとりの少女が走ってくる。真新しいブレザーに身を包み、真新しいワイン色をしたネクタイが大きく揺れる。矢谷麻衣やたに まいは急いでいた。起きる直前まで見ていた夢に陶酔していたことが発端だった。

 息をきらせ、はるか向こうにみえてくるバス停の白い屋根を目標に全速力で駆け抜けた。


 入学式の初日から遅刻なんてどうあってもそれだけは避けたいと、目の前に見えてくるバス停へと腕を振る。途中、靴ひもがゆるむのではないか、と不安に感じたがそれでも足をとめなかった。

 バスが到着する。待ち侘びていた人たちは、次から次へとバスの中へと入っていった。

 少女も息をきらし、バスの中へと入る。呼吸を整えつつ、勢いよく手すりをつかんだ。

 すぐにも空いている座席を探しはじめた。うまい具合にふたり席が目に留まる。


 席に向かいいざ座ろうとした時だった。すれちがい様に麻衣と同い年とみられる男子学生が椅子に腰かける。見ると同じ学校のエンブレムが制服に縫い込まれていた。

 一瞬、ドキリとうろたえ躊躇ためらった。全速力で走ったためか、鼓動が早くなっていることもあり、座りたいという欲望がフツフツとこみあげてくる。


『どうした? 座らないのか? 矢谷やたに 、あれだけ全速力をだせば立ってるのが辛くなるだろっ!』

「えっ!?」

 麻衣は一瞬言葉を疑った。彼女の心に直接語りかけてくる。キョロキョロと辺りを見回す。


(誰? それに、何故自分の名を?) 


 正面に座っている男子生徒は、窓際で頬杖をつき、外を眺めていた。無愛想な面持ちで彼女の方向には向かず、瞳だけはチラリと彼女の方向を向く。

『どこを見てるんだ! 正面だよ』


 見上げた男子生徒は麻衣をじっとみる。彼女の不審な顔つきに彼が、

岬恵みさき めぐみちゃんから聞いたって言えば納得するか?」

 彼が小声で話しかけてくる。

「あんた……なの?」

「まあね」

 にこりと微笑んだ。

 恵の知り合いなら大丈夫かな、麻衣は思った。そろりと浅く腰をかける。

 男の子の隣に座るなんて、中学校の修学旅行のバスの席以来かもしれないと、心が落ち着かない自分がいた。

 深呼吸して緊張感を和らげようと必死になった。どうしようか、と最後まで迷ったが、理性に逆らえずゆっくりと浅く腰をかけた。


『つぎは……高校前。……高校前。お降りの際はブザーで……』


 男子生徒も次で降りるはずと、麻衣は彼がブザーを押すのを待っていたのだが、手を伸ばす気配を見せずにいる。どうしたのだろうかとチラリと彼を見た麻衣は呆れた顔つきになる。

 スマホを片手に持ちながら、うたた寝をしていたのだ。

 こんな短時間のバスの中でよく寝られるものだとため息をつき、近くのブザーに手を伸ばした。

 ブザーを押しかけた時、誰かがブザーを押した。彼だった。麻衣が目を背けたのを見計らって押したのだ。

 麻衣は不満気な表情をした。いったいなにを考えているのだと、口を尖らせた。




 昇降口に掲示されたクラスの名簿をみると廊下を歩きはじめた。あの男子がどこのクラスになったか気になったが、今は入学式に間に合ったことで安堵の表情を浮かべる。

 無事入学式も終わり、教室に戻ろうとした時だった。

「お〜い、矢谷……麻衣!」

 と、呼ぶ声が聞こえてくる。振り返り思わず返事が出そうになるが、近づいてきたのは、バスの隣の席にいたあの男子だった。

 またも、麻衣は、呼び捨てされたことに憤りの顔つきになる。

 さわやかに駆けつけ、男子が麻衣の前で息を整えた。バスの中の時とはまるでちがう明るい表情だった。

「矢谷もここのクラスなんだ。俺は箱羽はこばっていうんだ! 同じクラスだからよろしく」

 黙り込む麻衣の表情に、

「何、怒ってるんだ?」

「あのねぇ、怒るのは当然でしょ!! バスの中で、わたしがボタンを押すこと知っててあんたが押したんだから。それに……」

 プイッ、と背けるも横目で確認する。

「悪かった。謝るよ。ごめん」

 わかればいいのよ、と片目を開け彼をみる。

 いつまでも素直にふかく頭を下げたままの彼の態度に、言い過ぎっだったかな、と不機嫌な表情をやわらげた。

 だが次の彼の声のトーンには反省さが窺えなかった。

「なぁ、謝りついでにひとつ忠告していいか?」

「な,なによ?」

 男子は、視線をやや上に向け、頭を下げたまま地面、いや彼女の腰のあたりに指を差した。

「お前、案外、そそっかしいのか? スカートの端……」

「スカートの端?」

 ほころびかけ、下着の一部が見えそうになっていた。慌てていたことで姉のお下がりの制服スカートを穿いてきたことにいままで気づかなかった。

 この上ないほどの恥辱ちじょくで顔が真っ赤になる。

「見た……の?」

「しかたねぇだろっ! い、今のは、不可抗力だ! わざとじゃねぇ!」

「そんな言い訳なん……て!」

 と、麻衣は言いかけたがひとりの女子生徒が彼女に呼びかけた。癇癪かんしゃくの彼女は肩を叩かれたことに気づくが、

「麻衣! よしなって! もういい加減感情をコントロールしてよ!」

「だって……めぐみィ」

 冷静な顔で女子生徒が箱羽に声をかけた。

「朝からアンラッキーみたいね。隣町では人気だったにからまれて」

「ひでぇなぁ、あいかわずの毒蛇まがいのみさきめぐみ。麻衣ちゃんの困った声に駆けつけるなんて、さすがは親友」

じゃないわ。それと、『ちゃん』はやめてくれる? 高校生にもなってちゃん付けは子供染みてるからイヤなの!」

「なら、『めぐみん』? 『メグミッチ』の方がいいかな?」

「あなたね、少しはいまの状況をわきまえて。空気を読むくらいできるでしょ!」

「だからこうして仲良くなろうとしてるじゃないか」

 呆れ顔の恵が、ため息をもらし、

「わかったわ。勝手にすれば……麻衣、行くよ!」

 恵に首根っこをつかまれ、席に座った。

 この男のなにが女の子をきつけたのか麻衣は気になっていた。


 下校時刻。廊下をひたすらに早歩きしながら、麻衣は恵を探し回る。教室、トイレ、図書室と恵が立ち寄りそうな場所を探したが、一向に見つかる気配がない。まさか職員室で彼女の居場所を聞くわけにもいかない。

 クラブ活動の勧誘の時に一緒に行動していれば、と今になって後悔した。そういえば、と恵の2番目のお姉さんがここの学校に在籍していることを思い出す。

 だとすれば、と考え、急いで生徒会室にきびすを返し歩きはじめた。


 扉をそろりと開け、麻衣は生徒会室に入った。コの字に置かれた長テーブルと椅子、壁にあるスケジュール表と書棚にある書類の束が整理され、人の気配がなかった。

 奥の部屋からこもった声が聞こえてきた。どうやら、言い争っているようだ。

 奥の扉から、恵と生徒会長、そして箱羽が喋りながら出てくる。すぐ麻衣がいることに気づいた。

「あ、麻衣。なんであなたがここにいるの?」

「恵を探していて、気がついたらここに……」

 いつの間にか箱羽は、麻衣の背後にまわり込み両手を肩にかけた。

「そうだ、この子にも加わってもらおうぜ。部活として活動するには、人員がいた方がはかどるだろ!」

 なにが何やらさっぱりわからない顔になる。入学式の時に見た生徒会長の恵の姉が真顔で麻衣をみた。

「矢谷麻衣さんよね? 妹からはよく聞かされているから知っているわ!」

 麻衣は無愛想な顔で、はぁ、とそっけない返事をした。

「あなた、部活動はどこか決めた?」

 たじろぎながら首を振った。

「あの、いったいなんの話……ですか?」

 箱羽が麻衣の周りを歩き回り、

「表向きは学校内調査部って感じで、実際は『探偵クラブ』みたいなもんに君を勧誘したいんだけど、どうかなって話なんだ」

 と自慢げな顔で説明する。付け加えて、恵の姉が話しだす。

「まだ学校で正式に決まっている部活じゃないから、仮入部という形で出入りは自由なんだけどね。もしかすると、学校外の依頼もこなさないといけなくなるの。とりあえず、入ってみる?」

「大丈夫、ダイジョウブ、この俺が手取り足とり……」

 にやけ顔で箱羽は、麻衣の顔に近づけようとするが。にわかに回避すると、彼の頬に平手打ちをした。強気の姿勢で接する。

「かいかぶらないで! 中学の時に何人の女の子と付き合ったか知らないけど、一緒にしてほしくないわ!」

 勢いのある音が響いた。

 一部始終をみていた恵が、彼の行動に批判した。

「自業自得よ。中学時代に女の子にモテまくっていたあなたも、彼女の今の行動でが飛んだかしら?」

「そう、かもな……ごめん」

 俯いたまま箱羽は廊下に出ていった。


「あれで結構ナイーブな面があるのよ。だから、女の子がついて行く気になってしまうのかもね」

 生徒会長がボソリといった。

「部活の件、考えておいてね」

 恵に目配せして、

「恵、送ってあげて。まだやり残したことがあるから」

 言い残すと生徒会長も廊下へ出て行った。



 残された恵は箱羽秀久はこば ひでひさについて語り出す。麻衣は聞きたかったことを恵にぶつけた。

 下駄箱から靴を取り出し、部活動の行われている校庭の脇を通って校門をでた。

「刑事さん……か。あの事件からもう4年くらい経ったっけ?」

「そうね、まだ幼かったから、最初なにが起こったかわからなかったんだよね」

 麻衣には恵の知らない過去があった。

 小学生高学年の時、忌まわしい事件に巻き込まれていた。突然の男たちの集団にクラス全員が監禁される。事件は無事に解決されたが、麻衣には、時折夢に見る光景があった。

 一緒に監禁された中に、[絵理]という女の子がいた。傍らからながめていた彼女に、だんだんと男の人が近づいてくる。傍目はためでみる麻衣には刑事にはみえなかった。男は笑顔で何かを言ってるのだが断片的でわからない。麻衣にも目配せしてすぐ去っていってしまう。

 幸いにも事件のことはあまり記憶になかった。幼いということもあった。聞いた話によると気絶していたという。不安にさいなまれたこともあり、記憶を封印しているかもしれない、と事件後の医師の診断だった。

「そうだ! この際だからあの事件の真相を知りたくない? 麻衣がよく夢に出てくるっていう男の人の素性を調べてみるの」

「でも……」

「男の人が気になるって言ってたでしょ? いいチャンスだと思うわ。美穂姉にも話しておくから」

 しばらく考え込んだが麻衣は、こくりとうなずいた。どうしても気になることは、男の人のことだけではなかった。

「わたしも……」

 恵はぼそりとつぶやいた。

「恵も?」

 恥ずかしそうに俯いて、

「ううん、なんでもない。気にしないで」

 といった。


 入学式の日以来、麻衣は、自覚して早めのバスに乗るようになる。ただ、バスにのりしばらくすると急激な睡魔が襲ってきた。いつも乗り合わせてくる別の高校生の雑談に目を覚ますことがしばしば起こる。あの日以来、箱羽とバスの中で会うことがなくなった。

「恵、ちょっと聞いていい?」

 席にカバンをおろすと、すぐさま麻衣は、岬の席へと向かう。

「おはよう、麻衣! なに?」

「あいつってどこに住んでるの?」

「あいつ? ああ、気になる?」

 教室を見回すが、箱羽の姿はない。

「そういえば、入学式以来見かけないわね。美穂姉の仕事が忙しくなってきたのかしら。箱羽の住まい、言ってなかったっけ?」

「どこなの?」

「いま、住み込みで暮らしてるらしいよ」

「住み込みって、探偵事務所に?」

「事務所の4階」

「へぇ,そうなんだ」

「どういうわけか、この学校を選んだみたいなの。学業と仕事の両立を図らなきゃいけないからっていうのもあるし、バス停が近いから、っていうのが理由かもね。麻衣の団地のバス停の路線と同じだし」

「ふぅん、そうなんだ!」

「案外、麻衣と一緒に登校することが目的だったりして……」

「まさかぁ、冗談、やめてよぉ」

 恵の言葉に麻衣は笑いかけた。本当にそうだとしたら、と気になることもあるし、もう少しあのお調子者の行動を探ってみようかと考えた。


後編へつづく

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