メガネ_その2

 入学式がおわり、新入生たちがざわつきながら別室へと移動をはじめた。


 ひとりの強面コワモテの男性教諭が、壇上に上がり大声で話しはじめた。

「入学おめでとう。諸君らは晴れてこの学園の生徒になった。学園寮に入る者もいれば通学する者もいるだろう。数年間は集団生活をするわけになるが、この学園にも独自のルールがある。私は中等部の生活指導を任されている剛堂ごうどうだ! よろしく……」


 教諭の話し声に耳を傾ける生徒のひとり、細縁のメガネをかけた角宮幸志かどみやこうじは、退屈な説明だ、と思いながら目立つような大欠伸おおあくびをかいた。

「……全体の入学式の後なので、退屈とは思うが、もう少し辛抱してくれ」

 知ってかしらずか、剛堂には幸志の欠伸を見ていたようだった。同時に目元をこする姿が彼には、退屈そうに見えたのだろう。

 交代で紺色の背広をきた早熟の女性が、壇上に上がり、

「みなさん、入学おめでとうございます。入学式でもご挨拶しましたが、学園生活をするにあたり、知っていただきたいと思います」

 背広の女性があまりにもきれいだったのか、幸志はとなりの少年に肘で小突いた。

「タキザキ、中等部の学園長って美人なんだな」

 幸志の小学校からの腐れ縁の仲であった。彼の言い草にタキザキが肩をすくめた。

 スレンダーボディの女性はタブレット端末を片手に説明をはじめる。

「もうみなさんは、入学式前に届けられた学園内専用の、皆さん個人のタブレット端末をお持ちと思いますが……」

 と、前置きをすると早口で進める。

 幸志は学園長の長いスピーチ説明に目がとろんとしてきた。ばたり、と近くでなにかが倒れる音で我に返る。

 長時間の起立態勢に、女子生徒が貧血で倒れたようだ。

 幸志は後ろを向き一瞥いちべつする。みるとブロンズヘアの外国人だった。

「マーガレットさん、マーガレットさん、大丈夫?」

 女性教諭たちの呼びかけに少女は、辛そうな顔で目をむけた。

 その数分後、ようやくスピーチは終わりをむかえた。



 中等部の入学式から早くも1ヶ月が過ぎた。

 角宮幸志かどみやこうじは、水泳の授業を受けるため、室内プール専用の更衣室へと向かっていた。

 ふだんからメガネを使い分けている幸志にとって、苦手でもある授業だった。小学校の頃から視力が人一倍弱い彼には、どうしても好きになれない授業なのだ。

 初日ということもあり、通常授業と運動時に使用するメガネと2種類を、念のため持っている。

「よぅ、幸志」

 クラスメートの男子生徒であるタキザキが声をかけてきた。

「お前視力が弱くて水泳の授業出れねぇ、とか言ってなかったか?」

 幸志は、ニヤリと不敵な表情をみせた。


「な、なんだよ、気持ち悪い顔して」

「ぬかりはねぇさ。この日のためにちゃんと用意はしてきた」

 訝しくみているタキザキが、

「用意?」

 スポーツバッグから水中メガネに似たタイプの眼鏡を取り出した。

「昨日届いた防水用のメガネで受けるつもりだ」

「マジか!? あの限定品の防水メガネをゲットしたのか」

「タブレット端末で探したら、学園専用のルートがあるようで簡単に手に入ったぜ」

「学専のルート? そんなルートがあったのか? 俺、寮住まいだから届くのが遅くってさ」

 プールサイドで女子のはしゃぐ声が響いてくる。プールが屋内のためか、会話が反響して聞こえてきた。

「水泳の授業って女子と合同みたいだな。二組合同だし狭く感じると思うんだが」

「いいじゃねぇか、俺たちにとっちゃ、目の保養になるだろ!」

 女子生徒の中には外国人も数人みえた。

「あそこにいるのはマーガレットだよな?」

「どこだ?」

 幸志はキョロキョロと女子の水着姿を見ていた。彼の行動がいかにも大胆に大きい動作だったためか、女子たちに不審がられる。



 ゆっくりと、体育教員らしい体格の男性教諭とその隣にジャージ姿の女性教諭が、並んでプールサイドに現れた。教師は、海パン姿である。

 教諭たちは入り口付近で別れ、男性教諭は男子生徒の方へ歩み寄ってくる。

「みんな来てるか? 今から出席をとる。いいというまでじっとしてろ」

 教諭は手首に巻かれたリングを生徒たちに向けた。レーザー光線をひとり一人に照射していく。照射を終えた教師は、リング状の装置に向かって何かを話し出した。

「出席者はこれで全員です」

 よくみると、彼のもつ装置に小型のカメラがある。どうやら無線のネットワークで繋がっているようだ。

 教諭は、手首に耳を当て込み何かを聴いている。

「了解」

 と、教諭が答えた。

「よし、授業を始めるぞ。みんな楽にして聞いてくれ。今日は水泳の初日だが、向こう側のサイドには女子たちがいる。同じプールだからといって変なことはするなよ」

 数人の男子生徒が女子の方向を一瞥した。一部の生徒がニヤけた顔になった。

「それと、念のためにいくつか訊くが、角宮以外で視力が弱いやつがいるなら、挙手してくれ! 今、正直に挙げないと後悔するからな。水の中でも視力が弱いと万一の時に危険な状況になる」

 教諭は生徒たちを見渡した。

 誰も手を挙げるものはなかった。

「いないようだな。今までで水に対して嫌悪感や恐怖を感じたという者はいるか? 授業を受ける上で重要なことだ」

 質問に対してふたりの男子生徒が手を挙げた。

「ふむ、ありがとう」

 その後もいくつかの質問がつづく。海水浴に行った回数や生活内でのシャワーの使用回数などだった。男子生徒の中には、これが授業となんの関係があるのか、早くプールに入らせろと、愚痴をこぼす生徒まで出てくる。結果、水泳の得意、不得意の二組のチームが出来上がった。幸志は不得意側、タキザキは得意側になった。


 準備運動を終え、いよいよプールの中に入る時がきた。

 水に触ると、さほど冷たくはないことに気付く。どうやら、幸志の思惑通り温水プールであることでホッとした様子である。タキザキは幸志の隣で少々不満な表情をみせた。

 授業が初日ということもあり、教師の思惑は、幸志からみて個人の性格と能力を診断しているようだった。





 頃合いを見定めて教師は、生徒たちを集合させた。

「よし、今日は初日だ。これで終了にする。各自の端末に評価を送っておく。今後の参考にみておくんだ。解散」

 教師がいいおわると生徒たちは更衣室へと移動した。既に、プールサイドに女子の姿はなかった。

 幸志は残念な思いになっていた。

 マーガレットの水着姿を見損なったことだった。外人の少女が着用する水着姿をひと目見たかったらしい。視力の弱い彼にとっては致命的でもあったようだ。

 そう気を落とすなと、隣のタキザキが慰めの言葉をかけてくる。


 更衣室はごった返していた。男子生徒のニオイが充満していた。ふざけあう会話にもあふていた。

 幸志は、匂いの漂う中を縫うように進み着替え場所にたどり着く。会話に夢中になりながらも、余裕をもって制服を着用したせいか、時間のことを考えていなかった。


 何気なしに更衣室の掛け時計に目をやったタキザキは、慌てふためく。

「お、おいやベェぞ、幸志。次、言語だろ!」

 髪を整え、鏡のまえでハニカム幸志に肩で合図した。

「行くぞ、幸志」

「お、おう」

 メガネをかけ、再び幸志は鏡にむかって微笑む。おしゃれに余念がないようだ。


 校舎に早足で向かいだす。

「おい、急ごうぜ」

 カバンをまさぐった幸志は、更衣室に何か置き忘れているのでは、と立ち止まった。

「おい、どうした?」

 今度はポケットを確かめるも、幸志は防水用のメガネがないことに気づいた。

「先に行っててくれ!」

 幸志は更衣室に足をむかわせた。

「更衣室に忘れ物した」


 息を切らし自分の使っていたロッカーを隈なく探した。だが、見つからない。更衣室には教員の剛堂が着替えようとしていた。

「おう、角宮、慌ててどうした?」

「授業で着けていたメガネがなくって」

「メガネか? 見かけなかったが……更衣室で失くしたのか?」

「ここに忘れた確証がないので、何とも言えないですが」

 剛堂がうつむき考え込んでいた。

「出た後かもしれないな」

「そうですね」

 諦めかけ更衣室を出ようとした時、

「おお、そうだ。角宮」

 幸志は立ち止まった。

「女子のマーガレットがお前を探してたぞ!」

「マーガレットが?」

「ひょっとして、お前の探しているメガネのことを知っているかもしれんぞ」

 幸志は更衣室を飛び出した。

 渡り廊下を向こうから走ってくる女子生徒らしき外国人が姿をあらわす。

 ブロンズヘアの顔立ちの整った美少女だった。制服のすきまからは揺れ動く胸が、走っている振動で上下運動を繰り返している。マーガレットだった。

「かどみやぁ」

 恥ずべきものがない様子で、右手を大きく振っていた。胸のあたりがきついのだろうか、走っている時に少しずつだが、胸の一部がはだけそうになっていた。彼女は気づいていなかった。

「探したのよ。どこにいたの?」

「マーガレット、その……」

 幸志は、見たくはないながらも、自然とはだけかかった胸に視線がいってしまう。

「胸のところ……」

 幸志に指摘され、えっ!? と胸元を確認する。刹那、顔をあからめ隠すように胸元を閉まった。

 幸志はすぐに視線をそらした。

「えっち」

「自然とそっちに眼がいってしまったんだ!」

 恥じらいながらも幸志は、弁明した。

「どこにいたの?」

「更衣室にいたんだ。それよりも君、なんで俺を探してるんだ? メガネを知ってる、とか?」

「Your Glasses(メガネ)?」

 軽く掌を叩くと、「Oh!」と彼女は気づいたようにポケットに手を入れた。

「そうよ、これを届けに来たの」

 ポケットから出てきたのは、幸志の水泳授業で身につけていたメガネだった。

「ありがとう」

「わたし、まだ端末の使い方がわからなくって」

「あれっ? 知らないのか? 英語言語に変更すれば、君にも使いこなせるんじゃ?」

「日本語で読めないところがあって、英語言語に換えるところにたどりつけないの。だから、メールもあなたに送れないし」

 なるほど、と幸志は直接彼女が探しに来たことに納得した。

 予鈴のチャイムが鳴りひびいた。

「使い方なら、俺が教えるよ。さあ、行こう。授業がはじまっちまう」

 二人は校舎のあるほうへと走り出した。


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