第11話 いつどこでスリーサイズが漏れたのか分からないが

 婚約お披露目パーティが行なわれるのは、宮殿東館二階の大きな広間、通称・水晶の間である。シャンデリアのガラスの装飾が水晶のように輝いていることからその名がついた。大きな窓やガラス細工のインテリアが印象的な透明感のある部屋だ。

 水晶の間では毎週舞踏会などのイベントが催されている。集うのは当然国内外の貴族の紳士淑女だ。その淑女たちの身支度のために、水晶の間の周辺にはいくつもの小さな控え室が設けられている。


 ある控え室の鏡の前にて、ユディトは絶望していた。


 衣装から化粧まで、すべてヒルダの好みで揃えることになっていた。

 そもそもこの婚約お披露目パーティ自体一番やりたがっていたのはヒルダだったし、ユディトはヒルダが楽しいならそれがすべてだと思っていた。ヒルダの着せ替え人形として遊ばれてもいいという気持ちで臨んでいたのだ。


 ところが、いざヒルダの好みで統一された装いをしてみると――


 ペチコートで大きく膨らんだスカートにはピンクとホワイトのリボンがふんだんにあしらわれている。大きく開いた胸元、肩を出して二の腕の途中から縫い付けられている袖には肘までピンクのレースが幾重にも垂れていた。大きな髪飾りにも真珠の花芯を中心にベビーピンクの花弁の薔薇が咲いている。


 まったく似合っていなかった。


 まず、背の高いユディトが下半身の膨らんだドレスを着ると、圧迫感がある。加えて、鍛え上げられて筋張った首や肩が見えてしまう。何よりピンクが合わない。全体的に、すさまじい膨張感だった。


 化粧も、ヒルダ専任の化粧係の女性がヒルダの命じるがまま施したのだが、壊滅的なまでにユディトの顔に合っていなかった。いまだ幼く少々丸顔気味のヒルダの顔なら愛らしい化粧も――甘いピンクの頬紅、パールピンクの口紅、ライトグリーンのアイシャドウも、何もかも浮いている。とてもではないが洗練された王都の身分の高い大人の女性のものとは言えない。


 クリスが何も言わないのはいつものことだったが、あのエルマが沈黙しているのだからよほどのことなのだろう。


「笑いたければ笑え」


 ユディトが言うと、エルマが「さすがにこれで笑ったらあたしの人格に問題あるでしょ」と答えた。


 クリスが冷静な顔で言う。


「まあ、構わないのでは? ヒルダ様がお気に召しているのでしたら」


 するとヒルダが慌てた様子で首を横に振った。


「ち……違うのです。ユディトを可愛く演出したかったのですが……、ちょっと、なんだか、うまくいっていない気がするのです。言葉では説明できないのですが、わたくしのイメージとは違うのです……」


 ユディトは溜息をついた。

 正直なところ、ユディトもこれでもよかった。大勢の前で恥をかかされるはめになるのはつらいし、いっそ川に身投げをしたい気持ちもあったが、ヒルダがどうしても、というのなら甘んじて辱めを受けるのが職務であると思ったのだ。

 しかしヒルダも気に入っていないとなれば話が別だ。


「化粧を落として別のドレスに着替えさせていただきたく」


 ユディトが言うと、ヒルダが眉尻を垂れた。


「どのドレスがいいでしょうか? ユディトのサイズというと、かなり限られてしまうのですが……」

「何でも構いません。地味でシンプルなものを。リボンやレースが合いませんので」

「でも、主役ですのに」


 天使のようであり、妖精のようでもある、十四歳の美少女のヒルダにとっては、これが一番可愛い衣装なのだ。


「華やかで……素敵なドレスを……」


 苦笑してしまった。


「ではこのままで参りますか。このユディト、姫様のご厚意をむげにはしたくなく――」


 控え室のドアをノックする音が聞こえてきた。


「はーい、どなたでしょ?」


 エルマが問い掛けると、外からこんな返事が来た。


「俺だ。アルヴィンだ」


 ユディトは最悪の気分だった。こんなみっともない姿をアルヴィンに見られるのが嫌だったのだ。だが冷静に考えて、彼が婚約者でありもう一人の主役である以上そのうち隣に立つことになる。


「支度は済んだか? 水晶の間に入って最終点検をしようと思ってな」


 そういえば、そんな話もしていた。


 その場にいた全員――ユディト、エルマ、クリス、ヒルダ、化粧係、衣装係の六人――が、全員の顔を順繰りに眺めた。


 逃げられない。


 ユディトは、頷いた。


「結構だ。お入りいただきたい」


 すぐにドアが開けられた。


 ドアノブを持っていたのはロタールだった。彼は一応アルヴィンの従者としてアルヴィンのためにドアを開ける務めを負ったらしい。パーティにも参加するので、王国軍の礼装を纏っている。

 ロタールに続いて、アルヴィンも入ってきた。彼もロタールと同じ黒を基調として金の房飾りのついている軍の礼装だ。

 ユディトはアルヴィンがうらやましかった。

 男なら、いつもと変わらぬジャケットにトラウザーズが許される。対する自分は女だから、ドレスを着せられるという辱めを受けなければならない。

 できることなら、ユディトはヘリオトロープ騎士団の紫の制服で臨みたかった。それが一番自分らしいと思うし、ヘリオトロープの騎士であることこそユディトの何よりもの誇りだからだ。

 だができない。

 女だからだ。


 アルヴィンもロタールも、ユディトを見て硬直した。何も言わなかった。二人とも最低限の礼節をわきまえた成人男性だからだろう。もし人目を気にしない少年だったら今頃笑っていたに違いない。

 とりあえず、似合う、とか、美しい、とか、賛辞の言葉を口にしないだけユディトは救われた。あからさまな社交辞令を投げかけられても我慢できるほど柔軟な人間ではないのだ。


「まあ……、ヒルダが企画したと聞いた時点で何となく想像はついていた」


 眉間にしわを寄せて、アルヴィンが言った。

 逆に安堵した。似合わない恰好をしなければならないのはヒルダのためであることを理解してくれているのだ。ユディトは感謝の念さえ湧き起こってくるのを感じた。

 かといってどうすればいいのか分からない。結局ユディトにもセンスはない。

 悲しい気持ちになった。

 ぽつりと、口をついて自嘲の言葉が出た。


「こんな、不細工でごつごつした女が婚約者では、アルヴィン様が恥をかくのだな」


 アルヴィンに迷惑をかけたいわけでもなかった。嫌な気持ちにならないでほしいとは思う。思うが、どうしたらいいのか分からないのだ。


 アルヴィンが、大きな溜息をついた。


「おい、ロタール」


 名前を呼ばれて、ロタールが少し間の抜けた声で「はいっ、何でしょうっ?」と答える。


「例のものを持ってこい」


 その言葉を聞いた途端、ロタールの表情がぱっと明るくなった。


「すぐ持ってまいります、しばしお待ちください!」


 駆け足で出ていく。


「まずはその野暮ったい化粧を落とせ。それから髪のそれも違うものに交換しろ」


 彼は控え室の奥の髪飾りが並んでいる棚の方へ歩いていった。

 棚の中を物色する。

 最終的に手に取ったのは大きな青紫のクレマチスをモチーフとした花の髪飾りだ。


 アルヴィンがユディトに手を伸ばした。

 耳の上につけられていた薔薇の花を外し、同じ場所にクレマチスの花をつけた。

 髪に、手が、触れた。

 距離が近い。


 彼は特に気にしていないらしく、すぐに離れていった。


 化粧係がコットンとオイルを持ってきて、急いで化粧を落とし始めた。ユディトはされるがまま呆然としていた。


 そのうちロタールが戻ってきた。

 彼は青紫の布を手にしていた。

 大将の首でも刈ってきたかのように、得意げに広げてみせた。

 直線的なラインの、シンプルなドレスだった。胸にも腹にも切り返しのない形状で、裾だけがフレアになっている。上は胸から首まで隠れるホルターネックだ。


「俺たちは部屋の外で待っているから、すぐに着替えさせろ」


 衣装係が、ロタールからドレスを受け取り、明るい声で「はい」と答えた。


 アルヴィンとロタールが出ていく。衣装係と化粧係が二人がかりで今まで着ていたピンクのドレスを脱がせる。エルマとクリスまで協力して新しいドレスを着せる。

 着てみると、サイズがぴったり合うマーメイドドレスだった。筋肉質の首と脚は隠れた。


「着替え終わりましたよ」


 衣装係が声を掛けると、ロタールが一人で入ってきた。


 彼は、鏡の前に並ぶ化粧道具を眺めると、アイシャドウのパレットのいくつかを指して「目元はこういう濃いブルー系で統一して」と告げた。化粧係が「はい」と応えてすぐ支度にとりかかった。


「チークと口紅はオレンジ系で。あと使うならゴールドね。彼女の亜麻色の髪を意識して」

「はい」


 ややして、アルヴィンが戻ってきた。


「陛下にお借りしてきた」


 白い毛皮のショールだった。

 化粧を終えたばかりのユディトの肩に掛けた。

 これで筋張った肩や腕が隠れる。


「どうだ」


 最後に、鏡を見た。


 全体的にすらりとした印象になった。筋肉質の上半身はうまくごまかされ、脚の長さばかりが強調される。

 はっきりとした藍色のシャドウは大人びていて、頬や唇は自然で落ち着いていた。


 思わず、鏡に手をついた。


「これが、私か」


 社交の場に貴婦人として登場してもおかしくない、洗練された都会の大人の女だった。


 ヒルダが感動した声で言った。


「ユディト、綺麗……!」


 胸の奥が明るくなる。


 ヒルダが満足してくれた。

 ヒルダから見て綺麗なら、きっと、今、自分は誰よりも綺麗だ。


「様子を見に来て正解だったな」


 アルヴィンがひと仕事を終えた顔で言った。ロタールが「本当に、本当に」と言って涙を拭うふりをした。


 そして、「ほら、行くぞ」と言う。


「水晶の間。早くしないとそろそろ招待客も集まり出す」


 ユディトは大きく頷いた。


「お、御礼、申し上げ――」

「気にするな」


 アルヴィンはドアを開けた。ユディトの顔を見てはいなかった。


「ロタールがいかに女を知り尽くしているかという話になるが、今日ばかりは吉と出た」

「えっ、どうしてこのタイミングで僕を公開処刑にするんです?」


 ユディトはほっと胸を撫で下ろしてアルヴィンの後ろを歩いた。


 さらにその後ろで、クリスがぼそりと呟いた。


「あのお二人は、なぜ、ユディトの体のサイズに合ったドレスを?」


 エルマは無言で顔を背けた。


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