第3話 だいぶヤバい忠誠心

「どういうことですか」


 クリスが冷静な声音で、しかしほんの少しなじる雰囲気も滲ませた声で問う。


「いくら殿下と言えども陛下を愚弄する言葉を口にされるようであれば我々ヘリオトロープの騎士には殿下をお斬りする覚悟がございます」


 クリスはアルヴィンを脅すつもりで言ったのだろうが、その言葉はユディトの胸に突き刺さった。

 愚弄だ。

 つまり、本物の女王ならそんなことは言わない、女王がそんなことを言ったと言うのは嘘であり誹謗中傷の名誉棄損で侮辱だ、と言いたいのだ。


 普通に考えたら、そうだ。

 あの、清廉潔白にして家族や家臣への愛情の深い女王ヘルミーネが、身近な若者をくっつかせて子供を作らせるなど、あり得ない。王位継承に関わってくるアルヴィンはともかく、ヘリオトロープの騎士として七年間女であることを忘れて生きてきたユディトの性という私的領域に踏み込んでくるなどあり得ないのだ。


「そうだな、冷静に考えたら、陛下がそんな馬鹿げたことをおっしゃるわけがない。陛下はご乱心なのだ」


 ユディトがそう呟くと、エルマが「えっ」と言ってユディトの顔を見た。


「マジで子供を作れって言われてきたの? 陛下ご本人に?」


 少し気持ちが楽になったので、軽い気持ちで「ああ」と頷いた。


「からかわれてんじゃないの!? ユディトはいじると面白いって思われてんだよ、何でも本気にするから!」


 エルマに続いて、クリスも「私もそのように思います」と続けた。


「陛下はお疲れなのでしょう。お忘れになるとまでは申しませんが、明日の朝には撤回されているのではないでしょうか」


「まあ、とりあえず、俺の話を聞け」


 アルヴィンはそう言うとテーブルの上のティーポットを手に取った。器用なことに、親指で蓋を押さえ、人差し指から薬指までの三本で取っ手を持ち、右手だけでティーカップに紅茶を注いだ。男性の大きな手だからこそできる芸当だ。

 そのティーカップは先ほどまでユディトが使っていたものだ。

 アルヴィンがユディトのティーカップで紅茶を飲んだ。

 間接キスである。


「まずお前ら、俺を殿下と呼ぶのをやめろ」


 一気に飲み干したらしく、ティーカップをひらひらと振るように揺らした。


「俺は王子じゃない」


 クリスが淡々と「王子とお呼びするようにと命じられています」と応じる。


「他の誰が何と言おうとも今の殿下は陛下の養い子であり王家の人間です。たとえ殿下ご自身のお言葉であろうともヘリオトロープの騎士は女王に背くことは致しません」

「頭の固い女だ。陛下がお前を選ばなかった理由を察した」

「お母上とお呼びになられたらいかがですか。陛下、ではなく」

「事情を知っているくせによく言う」


 アルヴィンは三人を見下ろして「分かっているだろう?」と言った。


「俺は陛下のあばずれの姉が産んだどこの誰の子とも知れない男だ。体裁が悪いから俺を養子にして王子という扱いにしているが――今回の子作り騒動ではっきりした」


 ユディトは目を丸くした。


「陛下は俺のことを本気で我が子だと思っているわけじゃない。だから種馬として扱える。可愛い娘たちを守るために、俺に汚れ役をやらせようとしている、というわけだ」


 思わず顔を上げた。そしてつい言ってしまった。


「どういうことだ。娘たちを――姫様たちを守るために? 殿下が――」

「アルヴィンと呼べ」

「アルヴィン様が子を作られることと姫様たちにいったい何の関係が?」


 顔をしかめて「お前は分からなかったのか?」と呟いた。


「王家の血を引いた男児が欲しいなら自分の娘に産ませればいいだろうが。あるいは自分も女王なんだし娘のうちの誰かを女王として立てればいい。それをわざわざ本当は甥である俺の子をそれも王族でない女に産ませる、というのはどういうことだと思う?」


 言われてから気づいた。


「大事な、可愛い可愛い娘たちに、産みたくない子供を産ませなくて済むためには、だ。よその女に産ませるしかない」


 頭を殴られたような衝撃を感じた。


 女王にとっては我が子は絶対だ。政務においては公明正大に見える女王は唯一自分の子供たちのことに関してだけは冷酷非情な態度を取る。どんな忠臣でも可愛い我が子には代えられない。自分の娘のからだを守るためなら何でもするだろう。

 それに、ユディトは、知っていた。

 一年おきに十人も子供を産み続けた女王のからだはぼろぼろだ。それでも彼女は子を為すことは王の務めだからと言って励んできた。女王である以上は、政務と出産を両立させなければならない。そういう苦しみを自分の娘には味わわせたくない。


「お前は人身御供になったんだ。お姫様たちを守るための、な」


 そして最後に「俺もだ」と付け足した。


 場が静寂に包まれた。全員が一斉に沈黙した。


 アルヴィンはしばらく黙ってティーカップのつまみを指先で弄んでいた。

 ややしてから、こう続けた。


「――というわけだ。こんなクソみたいな親馬鹿に付き合う必要はない。お前はこの件について忘れろ。俺も従わない。しばらく様子を見て、頭が冷えても同じことをおっしゃるようなら、一般民衆に対して女王はひとにこんな非道徳的なことをやらせようとしていると公表すると脅して撤回させる」

「いや、」


 ユディトは考えた。本気で考えた。全力で考えた。


「それならば、なおのことお受けしなければならない」


 ユディトはヘリオトロープの騎士だ。全身全霊をかけて、身も心もすべて王家の女性たちに捧げると誓った。主君のヒルダ姫のために、そして、主君の母であるヘルミーネ女王のために、自分は存在する。


「その行ないがヒルダ様をお守りすることにつながるのであれば、私は子を産ませていただく」


 アルヴィンが目を見開いた。エルマが「はあ?」と呟いた。クリスが溜息をついた。

 ユディトは、本気だった。

 アルヴィンの顔を見上げて、はっきりと申し立てた。


「女王陛下はけして間違いを犯さない。それが王家にとって最善の策に違いない。私は陛下を信じる」

「おい、お前な――」

「我が子と臣下の者を天秤にかけた結果我が子を取っただけのこと。母親として正しいご判断だ。それに陛下もきっとおつらかっただろう、本来陛下は慈悲深いお方だ。私の犠牲を尊く思って重んじてくださると思う」


 アルヴィンが「何だこいつ、バカなのか?」と呟いた。エルマとクリスが「そうです」と唱和した。


 ユディトは立ち上がった。


「というか、さっきから黙って聞いていれば陛下のお人柄を批判するようなことばかりおっしゃって、いくらアルヴィン様と言えども聞き捨てならん! 陛下がそうとお決めになったらそう! なぜ黙って従うとおおせにならないのか!?」

「いや、これ、俺が悪いのか?」

「だいたいアルヴィン様は種をつければ解放される身ではあるまいか、何がそんなにご不満だ!? 産みの苦しみがあるわけでもなし、男ならばここは黙ってひとつ陛下に孫を見せるおつもりで励まれたらいかがか!」

「そう来たか」

「あと、冗談でも陛下のご意思をクソみたいななどと言う奴は許さん! 撤回しろ!」


 アルヴィンは、深い溜息をついた。


「とにかく。俺は、子作りは、しない。いいか、俺は、しないんだ。分かれ」


 ユディトは即答した。


「断る。私と子をお作りになれ」


 アルヴィンとユディトの視線がかち合った。


「王家のために! 子種を! 捧げろ!」

「お前だいぶ気持ちが悪い奴だな!?」


 エルマもクリスも首を横に振った。


「俺はお前のために言ってやっているんだぞ!?」

「押し付けの善意などご無用! これぞまさしく小さな親切大きなお世話!」

「俺は絶対嫌だからな! 何が悲しくてこんな色気もクソもないあんぽんたんを抱かなきゃいけないんだ!」

「それが本音か!? 私のことも愚弄するのか!」


 エルマとクリスも立ち上がった。「落ち着きなよ」「落ち着きなさい」と言いながら、左右からそれぞれユディトの腕をつかんだ。


 だがユディトは腹が立って仕方がなかった。


 自分はヘルミーネとヒルダのためなら何でもする。子宮を提供することぐらい何とも思わない。何でもすると約束した。それでヘルミーネが元気になってくれるのなら構わなかったし、ヒルダのからだに負担をかけずに済むのであれば万々歳だ。

 それを、お前のため、と言われて否定されるのは納得がいかない。


 その上、何となく、何がどうというわけではないが、アルヴィンが上から目線で腹立たしい。


「やはり貴様は陛下の御子などではない! 陛下の御子は皆様お優しくてお可愛らしくて貴様のような捻くれ者とは違うのだ!」

「言ってくれるじゃねーか!」


 アルヴィンも立ち上がった。

 至近距離で睨み合う。


 ドア付近で様子を見ていた男たちが入ってきた。慌てた様子で二人の間に入ろうとした。


「アルヴィン様落ち着いてくださいっ」

「いくら騎士と言っても相手は女性ですよ!?」


 アルヴィンが「うるせぇ黙れ」と一喝する。


「何をどうしたら納得する? 一発ぶん殴れば目が覚めるのか?」

「いいだろうやりたくばやるがいい。ここにいる全員が貴様を女を殴る卑怯者だと認識するだろうが私は痛くも痒くもないな」

「この俺を卑怯者だと? 俺は正々堂々ここにいて相手をしてやっているだろうが」

「では決闘だ」


 エルマが「あちゃあ」と呟いた。


「表に出ろ。正々堂々剣で決着をつける。それが騎士というものだ」


 アルヴィンは「分かった」と答えた。


「俺も形だけとはいえ一応軍人だ。そう簡単に負けてくれるとは思うな」

「上等だ」


 エルマとクリスを振り払い、男たちを掻き分けて、廊下に出た。目指すは広い裏庭だ。


「私が勝ったら子作りだからな」

「俺が勝ったら全部ナシだぞ」


 途中でアルヴィンが「ん? なんか普通逆じゃないか?」と呟いたが、誰も何も答えなかった。



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