第2話 崖から純潔を放り投げる気持ち

 ヘリオトロープ騎士団とは、女王ヘルミーネの母、つまり先代の王妃が設立した、女性だけで構成された近衛兵団のことである。


 騎士という名がついてはいるが、伝統的な騎士団ではない。

 この国の正式な騎士団の方はすでに形骸化して戦を知らぬ貴族の集団となり果てている。戦場での主体は銃火器の扱いに慣れた王国陸軍だ。


 ではなぜそんな時代に新たに騎士団と名のつく騎兵の近衛隊を作ったのかと言うと、先代の王妃の過保護が原因である。この国の王族女性は総じて育児に情熱を傾け過ぎだ。


 先代の王と王妃には子供が四人いたが、四人が四人とも女の子であった。

 潔癖症の王妃は、娘たちが清らかな女性に育つことを望んだ。そしてそのために彼女たちの生活の場から男性を排除しなければならないと考えた。たとえ護衛や侍従であっても、家族以外の異性が傍にいれば間違いが起こるかもしれない。結婚するまではおかしなことを学んでほしくない。そう思った彼女は、由緒正しい血筋の子女を選んで、剣術や馬術を習わせ、娘たちの護衛としての女騎士を育成することにしたのだ。


 そういうわけで、ヘリオトロープの女騎士はあくまで女王および王女の護衛だ。女王や王女の身辺警護のために貴婦人や令嬢に扮したり、時として侍女のように生活の手助けをしたりするためにいる。


 だが、女王や王女のお傍付きはたいへん名誉なことだ。しかも、イベントの際、ヘリオトロープの花をイメージさせる白と紫の揃いの制服を着て女王の両脇を固めて歩く姿は、この上なく目立つ。王宮に勤める者も市井の者も、ヘリオトロープ騎士団を特別視し、神聖視している――と弟に言われたことがある、十五歳でヘリオトロープ騎士団に加入して今年で七年になるユディトは当事者なのでよく分からない。



 心を落ち着けるため、宮殿の中にあるヘリオトロープ騎士団専用の控えの間のさらにその準備室に逃げ込んだ。一応女性である女騎士たちのための化粧部屋だ。壁には鏡が四枚取りつけられており、化粧道具の置かれた棚と丸椅子四脚、それから歓談するための小さなテーブルと猫足の椅子四脚が置かれている。


 猫足の椅子のうちのひとつに座り、女王の侍女が気を利かせて淹れてくれた紅茶を飲んでいると、騎士団の紫の制服を着た同僚が二人入ってきた。


「なんかめちゃくちゃ暗い顔してない!? だいじょうぶ!?」


 口では心配するそぶりを見せながらも表情では愉快そうな笑みを見せているのは、癖の強い赤毛をユディト同様男のように短く切った、緑の瞳のエルマだ。騎士団で一番のお調子者で、良く言えば陽気で朗らかなムードメーカーだが、はっきり言って緊張感のない奴である。


「特別に難しいご下命がおありでしたか」


 抑揚の小さい、ともすれば冷たく聞こえるほど落ち着いた声音で問い掛けてきたのは、まっすぐの長い銀髪を後頭部でひとつの団子状にまとめている、アイスブルーの瞳のクリスだ。騎士団で一番の美女と謳われているが、冷静沈着を通り越して時に冷血で、陰では氷の女王とあだ名されているらしい。


 ユディト、エルマ、クリスの三人は、正確には、第三王女ヒルデガルト、通称ヒルダ姫の護衛官だ。しかし女王ヘルミーネは自分によく似て美しいこの三女を少々特別扱いしており、彼女がとりわけ信を置いているこの三人を重用していた。したがって女王がこの三人を呼び出すこと自体はさほど珍しいことではない。

 だが、今回、女王はユディト一人だけを望んだ。

 違和感を覚えながらも、他二人はユディトを見送った。そして、帰ってくるのを待っていた。


 二人も猫足の椅子に腰掛けた。クリスがユディトの正面、ユディトから見て左でクリスから見て右に当たる椅子にエルマが座る。


 ユディトは、重い息を吐いた。


「私は、今、そんなに暗い顔をしているだろうか」


 問い掛けると、エルマが「うんマジヤバい! めっちゃ死にそう!」と騎士にあるまじき軽薄な口調で答えた。ユディトは重々しい声で「そういう言葉遣いは控えろ」とたしなめたが、もはや注意しても無駄であると認識しているらしいクリスは無視した。


「あなたは極端に深刻に捉える傾向があります。責任感も度が過ぎれば自虐です」

「クリスは厳しいな」

「話してください。あなたの動向はヒルダ様の活動にも影響を及ぼします、必ず情報を共有してください」


 エルマが「そーいう言い方やめなよクリス、ふつーにユディトが心配って言えばいいじゃん!」と言っているが、今度はユディトも彼女を無視した。


 ティーカップに一度唇をつける。冷め始めた紅茶をほんの少しだけ口に含む。


 話してもいいのだろうか。


 女王が本当に正気であるのか疑わしい。我に返った時恥ずかしい思いをするのは女王ではないかと思うと、彼女の面子を守るために黙秘した方がいい気がする。


 仮に正気で本気だった場合、王冠の行く末に関わることだ。女王がユディトと子作りをするのを望んでいるのは、ルパートが消えた今や王家唯一の男性となってしまった女王の甥のアルヴィンなのだ。時代が時代であればアルヴィンは今頃王位継承権第一位だったはずで、子供が生まれたら王家の将来を揺さぶる事態になりうる。


 加えて、自分もちょっと恥ずかしい。子供を産むということは、子供を作るということであり、ヘリオトロープ騎士団に加入したことで縁が切れたはずの男女の関係に足を突っ込むということである。二十二年間守ってきた純潔が突如崖から放り投げられようとしているわけだ。


「ユディト? どうしちゃったの? そんなにヤバいこと言われたの?」


 エルマがユディトの顔を覗き込んできた。


 その時だ。


 ドアを乱暴にノックする音が聞こえてきた。


 一番ドアに近い場所にいたクリスが立ち上がり、鋭い声で「どなたですか」と問い掛けた。


 相手は名乗らなかった。


「おい、ユディト・マリオン・フォン・シュテルンバッハというのはそこにいるか?」


 男の低い声だった。

 三人は顔を見合わせた。

 聞き覚えのある声だ。


 ユディトは冷や汗をかいたが、エルマとクリスは事情を知らない。今ユディトがどれだけ肝を冷やし口から心臓が飛び出そうになっているのか、この二人は知らないのだ。こんなことになるならやはり早めに説明しておくべきだった。

 もう遅い。


「おります。お開けします」


 クリスが立ち上がって手を伸ばし、ドアノブをつかんで、開けた。


 そこに数人の男が立っていた。


 基本的に男子禁制のヘリオトロープ騎士団の空間に複数名の男を連れてやって来る、というのは、本来非常識極まりなく無礼なことだ。

 だが、中央、先頭に立っていた男には、そういう繊細さや神聖性は通用しない。

 なぜなら、彼が王族だからである。


 非常に背の高い男だった。ヘリオトロープ騎士団でもっとも背の高いユディトよりも大きい。短く切られた黒髪は男らしく硬そうで、切れ長の目の中、紫の瞳に浮かぶ表情は読めなかった。口元は笑っていない。身に纏っているのは漆黒の詰襟――ホーエンバーデン王国正規軍の軍服だ。


 彼はずかずかと部屋の真ん中に入ってきた。


 ユディトとエルマも一度立ち上がった。

 そして、三人揃ってその場にひざまずいた。


 男が、先ほどまでユディトの座っていた椅子に腰を下ろした。ユディトたち三人とは違い、足を大股に開いた上で、左の腿の上に右足をのせながら、だ。


「で、どれがユディト・マリオン・フォンシュテルンバッハだと?」


 ユディトの左側でエルマが、右側でクリスが、真ん中にいるユディトを指差した。

 逃げられない。


「……私がユディト・マリオン・フォン・シュテルンバッハだ、アルヴィン殿下」


 男――アルヴィンが「お前がか」と息を吐いた。


「陛下からとても可愛らしい女だと聞いたが、お前、俺の護衛官にいても違和感がないくらいガタイがいいな」


 クリスが顔を上げ、毅然とした態度で言った。


「おそれながら殿下、ヘリオトロープ騎士団は殿下の火遊びのために設けられた機関ではございません。可愛らしい女を物色したいのなら娼館に行かれることをお勧め致しますが」


 アルヴィンもまた、クリスの言葉にまったく臆せずに応じた。


「残念だが陛下が俺にここで種蒔きをせよとおおせだ」


 冷や汗が止まらない。


「陛下からお聞きしたが、どうやら俺の子供を産んでくれるそうだな、ユディト・マリオン・フォン・シュテルンバッハ」


 エルマもクリスもユディトを見た。エルマは目を真ん丸にしているし、あのクリスまでもが薄く口を開けている。


「これから家族計画について話し合わせていただきたいのだが」


 万事休す。




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