男装の女騎士は職務を全うしたい! 俺様王子とおてんば令嬢の訳アリ婚【旧題:子作りも職務に含まれますかっ!?〜男装の騎士と訳アリ王子のハッピーな結婚〜】

日崎アユム/丹羽夏子

第1章 誰も彼もがあんぽんたんになった春の初め

第1話 女王陛下はご乱心

 この世には完璧な人間など存在しない。

 ユディトの敬愛する女王ヘルミーネとて例外ではない。



 ホーエンバーデン王国女王ヘルミーネは世に女傑として知られている。


 西方の軍人皇帝の進出により世界が移りゆく激動の時代だ。

 混乱の最中女王として即位した彼女は、女だからと侮る周辺各国の圧力を押し退け、強気な外交政治を展開した。妹を南方の帝国の皇帝一族に縁づかせ、西の隣国とは娘の嫁入りによる同盟関係を結び、東の隣国とは武力衝突で勝利したのだ。

 また、国内に住む少数民族の自治を認め、多数派と少数派の軋轢を緩和した。

 それから、鉄鉱石を採掘する鉱夫の待遇を改善し、鉄の生産量を倍増させた。結果、鉄製農具が普及し、農業分野でも革命的な進歩を見せた。

 遠い島国で開発された蒸気機関なるものについても、視察の使者を派遣して積極的な研究を続けている。


 そんな名君ヘルミーネにも重大な弱点があった。


 子供である。


 十九歳の時に長男を出産してから四年前三十七歳の時に末娘を産むまで、彼女は合計で三男七女の子宝に恵まれた。

 その子供たちを、彼女はとにかく溺愛した。異常なほど過保護に育てたのだ。

 風雨どころか日光にすら晒したくないと言うほどで、どの子も十二歳になるまで宮殿から出さなかった。子供たちのすることすべてに口を出し、ドレスの布選びから厨房の食材選びまで逐一彼女に報告させた。乳母や家庭教師たちには毎日日誌をつけさせ、毎晩必ず赤ペンでチェックを入れた。


 それでも死に神は容赦がない。彼女の産んだ子供は十人中四人が十二歳になる前に病で天に召された。そしてそのたびに残った子供への思いは強くなっていった。子供たちへの束縛はますます強くなるのであった。


 長男ルパートは今年で二十二歳になる。

 ヘルミーネは、最初にして最愛の、そして男の子としては唯一となってしまったこの息子に、異常なまでの執着ぶりを見せていた。自分の手でふさわしい花嫁を見つけて宛がおうとして、躍起になって各国の姫君を物色していたところだった。

 しかし当のルパートはまったく乗り気ではなかった。

 理由はいろいろとあるだろうが、何はともあれ、彼は最終的にそんな母に対して重大な裏切り行為に出た。

 家出である。


 ――僕は自分探しの旅に出ます。探さないでください。母上様におかれましては、ルパートは死んだものとお思いください。


 こう書かれた紙切れたった一枚を残して、王太子ルパートは、宮殿から忽然と姿を消した。

 うららかな春の日のことであった。






 ユディトは、ヘリオトロープ騎士団の控え室にある姿見の前で身なりを整えた。

 白い立て襟のシャツの下、同じく白いトラウザーズを穿く。シャツの上に黒いベストを着る。濃い紫のジャケットを羽織って、金のボタンで前を留める。最後に薄紫の裏地のついた白いマントを纏った。軍服――ヘリオトロープ騎士団の制服だ。

 耳にかかる程度、うなじが少し見えるくらいと短く切られた亜麻色の髪に櫛を通す。

 しっかりした眉に高い鼻筋、はっきりした二重まぶたと、そこに納まる髪と同じ亜麻色の瞳は、弟や若い頃の父とよく似ていると言われる。良し悪しは分からないが、とりあえず清潔感のある引き締まった容貌には違いあるまい。


 深呼吸をして、気合を入れた。


 女王ヘルミーネが呼んでいる。


 女王は今たいへん塞ぎ込んでいる。長男は本当に死んだものと思っていて、ここ数日喪服を着て泣き暮らしている。そんな彼女の姿は痛々しい。

 もとの、強く勇ましく凛々しく美しい彼女に戻ってほしい。

 立ち直ってもらえるなら何でもする。

 何の用事かは分からないが、どんなことを言われても必ずや応えてみせる。


 覚悟を決めて、控え室を出た。


 長い廊下を行き、女王の居室に向かう。

 ルパートが失踪してからというもの、彼女は政務を放り出して自分の寝室にこもりきりだった。ユディトも今回は彼女の寝室に呼び出されていた。


 寝室の前に辿り着くと、警備の衛兵を兼ねた侍従が二人、両開きの大きな扉の前に立っていた。

 ユディトの姿を見るなり、彼らはその場にひざまずいた。


「陛下がお呼びだとお聞きした。お会いできるだろうか」


 ユディトが問い掛けると、侍従たちが立ち上がった。うち一人が「お待ちください」と言って、もう一人が扉をノックした。


「陛下、ヘリオトロープ騎士団の方がお見えです」


 中からくぐもった声が聞こえてきた。


「ユディトですか」


 侍従たちが顔を見合わせた。どうやらユディトの名前を知らないらしい。あくまでヘリオトロープ騎士団の一員としてしか見ていないのだろう。よくあることなのでユディトは特に気にしない。


 ユディトは声を張り上げた。


「ユディトにございます、陛下。ユディト・マリオン・フォン・シュテルンバッハにございます」


 ヘルミーネはすぐに「入りなさい」と答えた。


 侍従たちが扉を左右に開けた。


 部屋の中は、クリーム色に小花の散った少し甘い雰囲気の壁紙だったが、シンプルな白い家具調度からは華美な印象は受けない。唯一部屋の中央奥にある天蓋付きのベッドだけが少し高価そうだった。


 天蓋から下がっているレースのカーテンを掻き分け、薄紅色の寝間着を纏ったヘルミーネが顔を出す。長く艶やかなバターブロンドの髪は乱れており、碧の瞳を守るまぶたは赤く腫れぼったい。


「ああ、ユディト……!」


 今にも泣き出しそうな顔をしてベッドから出る。ユディトの方に向かって二歩、三歩と歩み寄り、手を伸ばす。

 ユディトも両腕を伸ばして、彼女を支えるためそっとその両肘をつかんだ。


「お待たせして申し訳ございません、陛下。この難事の最中に他ならぬこのユディトをお呼びとのこと、恐悦至極に存じます」


 女王はここ数日で少しやつれたようだった。食事も睡眠もままならぬと聞いてはいたが、実際に見てみると確かに衰弱している。

 ユディトの胸は締め付けられた。彼女が一刻も早く苦しみから解放されるようにと願わずにはいられない。そしてそのためならどんなことでもしようと改めて誓った。


「ユディト、あなたに折り入って頼みがあります」


 女王が縋るような声で言う。


「あなたは驚くかもしれません。笑うかもしれません。ですが、あなたが私の知る中でもっともふさわしい人物だと思ってのことです。真面目に受けてくれませんか」


 ユディトは一度首を横に振ってから、最後に大きく頷いた。


「このユディト、一度でも陛下のご下命を軽んじたことなどございましょうか。いかなることでも申しつけられませ。全身全霊を懸けて、必ずや陛下のお心に適う行ないをしてみせます」


 女王が震える声で「頼もしい」と言う。その言葉だけでユディトは心が満ち足りるほど嬉しい。

 何を命じられるのだろう。ルパート王子の捜索か。それとも別の王太子を立てるための教育か。いずれにせよ全力を尽くすつもりだ。この身は王家に捧げたもの、女王の命令ならたとえ無実の罪で首を刎ねられてもユディトは受け入れる覚悟がある。


「何なりと」

「本当に何でも聞いてくれるのですね」

「もちろんでございます。ご心配召されるな」

「本当の、本当に、ですか? 私を愚かな、子を失って正気も失った女だと思ったりなどしませんね?」

「何度もおっしゃられますな。いかにお試しになられようともユディトの決心は変わりません」

「では、お願いします」


 女王の白い右手が、女王の左肘をつかむユディトの右手を握った。ユディトは手を離してほしいという意味の合図だと悟り両手を離した。

 案の定、女王は両手でユディトの両手を握り締めた。女王の白く華奢な手が、ユディトの剣だこのある強くたくましい手を包み込む。


「子供を産んでください」


 何を言われたのか分からなかった。

 思わず「は?」と言ってしまった。女王を前にこんな間抜けな声を出したのなど初めてだ。

 女王は意に介さず、悲壮な決意をした顔で繰り返した。


「王家のために。子を産みなさい」


 頭の中が、真っ白になった。


「……えっ、え?」

「我が甥アルヴィンの子を産んでくださいませんか」


 意識が遠退きかけた。


「十人でも二十人でも私の孫として育てますので、どうか強い男の子を産んで――ユディト? 顔色が良くないようですね」


 やはり女王は正気を失ったのかもしれなかった。


「あの……、陛下、おそれながら申し上げますと、我らヘリオトロープ騎士団というものは女であっても女であることを捨てて女王陛下や王女殿下のために戦う騎士団であって――」

「剣術と馬術で鍛えたヘリオトロープ騎士団にいる娘ならば度重なるお産に耐えられると思うのです。中でも最強と謳われるあなたの体力ならあのやんちゃ坊主の求めに応じられるでしょう」


 女王は正気を失ったのだろう。そうに違いない。正気だったら自分の忠臣にこんなことなど言えるだろうか。


「何でも聞いてくれると言いましたよね?」


 絶句。


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