第24話 少数民族ヴァンデルンのプライド

 師団長の執務室の隣に、豪奢な内装と家具調度の応接間がある。

 窓には重い緞帳が掛けられていて、左右に分けてまとめてもなお薄暗く感じる。大きな金の燭台の上には直径三センチはあろうかという乳白色の蝋燭が五本立っており、部屋の中を妖しくゆらめく炎で照らしていた。


 三人の男が待っていた。

 一人はまだ年若い青年で、ひょっとしたらユディトと同じくらいかもしれない。

 もう一人は初老の男性で、おそらく五十代後半から六十代前半くらいだろう。

 そして真ん中に座す代表の男はだいたい四十歳くらい、老いてもいないが若くもなく、どっしりとした貫禄を感じた。


 三人はいずれも髪を長く伸ばしていて、ところどころを細かく編み込んで数本の三つ編みにしていた。赤を基調とした色とりどりのつぎはぎの服を着ており、腰には毛皮のマントのようなものを巻いている。

 髪の色は黒く、瞳の色は紫だ。

 独特の香の匂いが漂ってくる。ユディトからすると慣れない匂いだった。どことなく甘い。臭いとは思わなかったが、長く嗅いでいたら酔いそうだ。東方の香辛料を思わせられる。エキゾチックでオリエンタルな、魔法使いの香りだった。


 三人はアルヴィンの姿を見ると立ち上がった。


 代表者である壮年の男が右手を出した。アルヴィンはその手を取って握手した。


「よくお越しくださった」

「こちらこそ。ホーエンバーデン王国の王族と対面でお話しできるとは恐悦至極に存ずる」


 ユディトは驚いた。ヴァンデルンの人間がこの国の言葉を流暢に話すとは思わなかったのだ。それも貴族のように丁寧な敬語表現を駆使している。

 そしてそう思った自分を深く恥じる。

 見慣れない風貌に圧倒されて、同じ国に住む人間であることを忘れてはいなかったか。


「座られよ」


 アルヴィンが言うと、三人はめいめいにソファへ腰を下ろした。三人と相対するようにアルヴィンも座った。


「ロタール、こっちに来い」


 アルヴィンの後ろに控えていたロタールが、「はい」と返事をしてアルヴィンの隣に座った。


「ユディト」


 ロタールの隣に突っ立っていたユディトは、名前を呼ばれて我に返った。

 顔を上げた。アルヴィンと目が合った。


「お前も俺の隣に座れ」


 気持ちがぱっと明るくなった。アルヴィンの仲間として、この場に同席できる人間として認められたのだ。


 向こうが三人であることに配慮してこちら側も三人にしたかったのか、アルヴィンはそれ以上人の名前を呼ばなかった。背後、壁際やドア周辺に南方師団の人間が何人か控えているが、彼らは近づいてこない。ヴァンデルンの男たちも彼らをまるで存在していないかのように無視してアルヴィンだけを見ていた。


 まず、中央の壮年の男が自己紹介をした。ヴァンデルンの中でもとりわけ人数が多い部族の長だそうだ。彼は「あくまで人数が多いというだけで他の部族より偉いわけではない」と念押ししたが、ユディトは彼の堂々とした振る舞いに王者の風格を見た。

 左右の男を紹介する。両方ともまた別の部族の長らしいが、やはりどこが上でどこが下ということはないらしい。


「そもそも我々は本来つるむ習わしを持たない。基本的には氏族単位の数十人で生活していて、必要な時にだけ同じ祖先から分かれたいくつかの氏族が集まってひとつの部族になる。よその部族はまったくの他人だ。ましてや民族の団結など、そちらにひとくくりにされてヴァンデルンと呼ばれるようになってから出てきた新しくて珍奇な概念だ」


 壮年の男はそう語った。


「だが民族という考え方が輸入された以上は意識せざるを得ない。我々は同じ言葉を話す者たちで連合することを考えた。そちら側に自治区を用意されて初めて、だ。そこからだな、あっちの部族がホーエンバーデンにつくだの、こっちの部族がオストキュステにつくだの。散らばったまま暮らしていれば仲良くもしないが喧嘩もしなかっただろう」


 アルヴィンは苦笑した。


「女王陛下は余計なことをした、ということか」


 男は冷静な顔で「そうとも言う」と答えた。


「まあ、それが大いなる歴史の流れであり、宿命なのだろう。一度縁ができた以上は捨て置けない」

「かたじけない」


 彼は自分の話を続けた。


「我々は今大別して二つのグループに分かれている。ひとつは今ここにいる私たち――女王の引いた線に文句がない部族。もうひとつは、女王の引いた線に文句がある部族だ」

「文句がある部族は何がそんなに不満なんだ?」

「単純な話だ。我々は確かに季節ごとに移住するが、それぞれ移動する範囲、いわば縄張りが決まっていたのだ。その縄張りの上に線を引かれて土地が減ったと感じている者たちがいる。私たちは縄張りが無事だったから現状に満足している」

「下調べが足りなかったんだな。あなたたちのすべてが納得するように線を引けばよかったんだ」

「だがこれ以上譲歩したら今度はリヒテンゼーが減る。リヒテンゼーが減ったら女王は面白くないだろうさ。我々も全員が全員善良なわけではないしな、土地欲しさに嘘の縄張りを申告する者が出てくるおそれがある」


 聞いていてユディトは頭がくらくらするのを感じていた。知らなかったことだらけだ。ヴァンデルンが複数の派閥に分かれていることも知らなかったし、十数年前のヴァンデルン自治区の成立を喜んでいない者がいたことも知らなかったし、その問題にリヒテンゼーも関わることも知らなかった。彼らの主張と王国側、リヒテンゼー側の利権が衝突する可能性など微塵も考えていなかったのだ。


 アルヴィンとロタールを見た。二人とも冷静な顔をしている。どこまで把握していたのだろう。慌てているのは自分だけなのか。


「結局のところ妥協なのだ」


 男は断言した。


「異なる文化で生きる者がともに暮らすためには何かを諦めなければならない。得るために捨てるのだ。それができない者が新時代に適応できず問題を起こす」


 こちら側は、何も言わなかった。


「ここにいる私たちは平和な生活を得るために妥協して女王に従うと決めた面子だ。流浪の自由を――そちら側が言うところの民族のプライドとやらを――捨てて女王に生活を保障してもらうことを選んだ。だから信頼していただいて構わない」


 アルヴィンは頷いた。


「具体的にはどうなるのをお望みだ?」

「金だ」


 男は滑らかに「我々の労働力をホーエンバーデン市民の労働力と同じ価値をもつものとして同じ単位で計っていただきたい」と答えた。


「よそから奪わずに食っていくためには狩りによらない収入がなければならない。とはいえ、ばらまきが不穏の種になることは我々も承知している。対価は提供する。たとえば、ホーエンバーデンに不利なことをしでかしている連中の情報を仕入れてくるとか、な」


 ユディトは唾を飲んだが、アルヴィンは落ち着いていた。


「そのお申し出はありがたい」

「殿下がそうおっしゃってくださるのは嬉しいが、女王は何とおっしゃるか。野蛮な流浪の民との交渉に応じるお方か?」

「もちろんだ。まずは俺が陛下を交渉のテーブルにつかせる。それに万が一女王が否と言っても直接やり取りする機会のある南方師団は別だろうし、最悪俺のポケットマネーでも頼む価値はあると思っている」

「ふむ。ありがたい王子様がおいでになったものだ」


 そこで、彼はふたたび右手を差し出した。


「交渉成立だ」


 ユディトからすると突然に感じられた。何の交渉が成立したと言っているのか分からなかったのだ。

 そんなユディトの心情を顔色で察したのか、彼はにっと笑った。


「何のことはない、我々は、我々にはホーエンバーデンのために働くつもりがあり、その分の対価が欲しいと思っている、ということを女王に伝えてくれる人に出会いたかったのだ。女王のお身内である殿下がそうおっしゃってくださるのならば、それだけでも今日ここに来たかいがある」


 アルヴィンが男の手を握り締めた。


「必ず。俺が責任を持つ」


 男がアルヴィンの手を固く握って振る。


「大丈夫だ、奥方様。我々はそんなに難解で恐ろしい生き物ではない」


 見抜かれているようだった。ユディトは自分を情けなく思いながらも、少し緊張が解けるのを感じて、大きく息を吐いた。


「申し訳ない」


 ユディトが頬を赤くしてそう言うと、何となく場の空気が和んだ。左右にいたヴァンデルンの青年と初老の男も微笑みを浮かべた。


「さて、さっそくだが」


 手を離して、男が話題を切り替える。


「お姫様が誘拐されたんだったな」


 ヒルダの顔を思い浮かべて、ユディトは気を引き締めた。


「心当たりはある。報酬を約束してくださるのならば情報を提供するし、なんなら積極的に彼らの隠れ家を探そう」

「本当に助かる」

「だが我々も自分の身が可愛い。オストキュステとひと悶着が始まるならば南方師団にすべてを投げてとんずらするが、それは許していただきたい」

「それも約束する。あなたたちの部族には累が及ばないようにする。それに俺たちも戦争はしたくない。あくまで当該の部族をあぶり出したいだけだ」


 男はいくつかの部族の名前を挙げた。


「こいつらの間で謎の人物の目撃情報がある。金髪碧眼の身なりのいい若い男だ。どうやらホーエンバーデンの中央の貴族のようだ」


 ロタールが「やられたな」と言う。


「こっちの身内にヒルダ様の情報を売るクソ野郎がいるってことですね」


 胸の奥が冷えるのを感じた。


「もっといえば、身内にオストキュステと通じた奴がいるってことですよね。ここで止めなかったら、ヴァンデルンとも揉めるし、オストキュステとも揉めるし、内輪揉めで内戦にもなる、と」


 アルヴィンが「どんどん俺の責任が重くなっていくぞ」と苦笑する。


「ただ、ホーエンバーデンの貴族に金髪碧眼の若い男はごまんといる。どこのどいつか分かれば中央に早馬を飛ばして家を押さえるんだがな」

「家を押さえて止まってくれる人間ならいいんですけど。もしもホーエンバーデンがオストキュステに滅ぼされてもいいと思っているなら、すでに自分の家がどうでもよくなっているってことかもしれません。強烈な破滅願望の持ち主ですよ」


 そこで、アルヴィンが両目を見開いた。


「俺も心当たりがある」

「何のです?」

「ホーエンバーデンの人間で、金髪碧眼の身なりのいい若い男で、実家を滅ぼされてもいい強烈な破滅願望の持ち主」


 一呼吸を置いてから、彼は、言った。


「ルパートだ」



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