第22話 ×念者念弟 〇夫婦

 翌朝は、南方師団の駐屯地に行くためにどんな恰好をすればいいか分からず寝間着でアルヴィンの部屋に行って「何を着ればいい?」と訊ね「寝間着と外出着の間にワンクッション置け」と叱られるところから始まった。


「何だっていいだろ、誰も見ちゃいない」

「そんなことはあるまい、人前に出る時はそれなりの恰好をせねばならん、人と会う時は相手に不快感を与えない服装であるべきだ」

「不快感なんて清潔な服であればそうそうないと思うが」

「この城の私のクローゼットは洗いざらしの平民の服ばかりでな」

「道理で……お前伯爵令嬢じゃないのかよ」

「あとは王都から持ってきたもの――騎士団の制服とパーティの直前にアルヴィン様からいただいたドレスしかない」

「またそういう極端から極端を……。とりあえず、騎士団の制服でいいんじゃないのか? 一応軍隊の仕事だからな。お前らも女王の親衛隊という意味では兵士の一種だろ?」


 というわけで最終的に騎士団の制服を身に纏って出掛けた。アルヴィンも見慣れた軍服なので、こちらもいつもの、向こうもいつもの、といった感じだ。ユディトの気分は明るい。



 南方師団の駐屯地の施設、中でも司令部の建物は、シュピーゲル城から馬で半時くらいの道のりであった。中心の町の郊外にあり、周りは何もない野原だが、軍の演習場を作るのにはちょうどよかったのだろう。


 司令部の建物に入ると、すぐに大会議室へ通された。

 長大なテーブルひとつにいくつもの革張りの椅子が並んでおり、壁には肖像画が掲げられている。正面の壁には二枚、女王ヘルミーネと、南方師団の設立に多大な貢献をしたという先代の――ユディトからすると祖父である――リヒテンゼー伯だ。左右の壁には歴代の師団長の肖像画が各三枚ずつ、合計六枚である。


 テーブルについているのは、右側に十人、左側に十人、そして正面奥に師団長が一人だ。左右の二十人は各連隊の隊長だそうだ。

 二十一人の視線が一斉にユディトに集まった。

 いずれも屈強でいかつい顔をした男だ。年齢は若くて父と同じくらいか、最年長の師団長は六十前後と見た。威圧感がある。だからといってたじろぐユディトではないが、なかなかすごいところに来てしまったという感覚は生まれた。表情を引き締め、浮ついた気持ちを追いやる。挑むように彼らを見つめ返す。

 ややして、男たちの方が破顔した。


「なんと、リヒテンゼー伯の一の姫ではないか! ようこそおいでになった」


 師団長がそう言ったのを皮切りに、男たちが一斉に喋り始めた。


「姫はヘリオトロープ騎士団に入ったのか!? 存じ上げなんだ」

「背が高いとヘリオトロープ騎士団の制服が似合うのう、女性好みの麗人に見えるぞ」

「アーダルベルト様に似ておるな、かの方が十代だった頃を思い出す」


 大抵は父と顔見知りで、ユディトも幼い頃に何度か挨拶させられている。彼らにとってのユディトは懐かしく親しみのある存在だったらしい。


 また別の者たちが言う。


「このたびはご婚約おめでとうございまする!」

「わしの顔を覚えてくださってはおらぬか、婚約記念の夜会にも参ったのだが」

「こうして見てみるとなかなかお似合いのご夫婦でございますな」

「女王陛下もリヒテンゼー伯もさぞかしお喜びであろう」


 何もかも知られているようだ。だんだん恥ずかしくなってきた。

 誰かが「ご夫婦というより念者念弟といった雰囲気にございますまいか」と囁いて隣の者に「これ、言うでない」と叱られた。


 師団長が咳払いをした。


「いずれにせよ殿下がご成婚されるのは我々にとってもありがたいことですな。殿下が妻同伴を条件とする社交場にお出になることができるということですからな」


 言われてから気づいた。この社会には結婚してようやく一人前とみなされる場が存在する。結婚というものが別世界だった頃のユディトは無頓着だったが、言われてみれば父も母を連れて出掛けることがあり、母は行き先で伯爵夫人としてどう見られるかを過剰に気にしていた。


 複雑な心境だ。

 自分がアルヴィンの活動範囲を広げるのだ、と思うと誇らしい気持ちだった。アルヴィンの役に立てる。それは人に尽くすことを良しとするユディトにとって善行だった。

 同時に、妻という装飾品になるのだ、と思うと悔しい。結婚はステータスであり、独身者は差別を受ける。そういう社会に跳び込んでいくことには少し抵抗を感じる。


 アルヴィンが言った。


「この先彼女にも政治のことを分かってもらわないとならない局面が出てくると思う。その時のために今から南方師団やヴァンデルン自治区の状況を学ばせておきたい。重要な会議に女を入れるのに眉をひそめる者もあるかもしれないが、ご承知おき願いたい」


 その言葉を聞くと嬉しい気持ちの方が勝った。自分はいつかそういう意味でもアルヴィンのパートナーになるのだ。アルヴィンはそれを意識して、自分にいろいろなことを教えようとしてくれているのだ。

 男たちは目配せし合ったが、師団長が「私はよろしいことだと思いますぞ」と言った。


「想定外のことであったので今は準備が足りませぬが、午後には何とか致しましょう。取り急ぎ、たいへん恐縮でございますが、壁際の椅子を持ってきてそこに座っていただけますかな」


 一番扉側にいた将校が立ち上がり、壁際に並んでいる簡素な椅子を一脚持ってきてくれた。ユディトは慌てて「自分で支度致します」と言って椅子を受け取ろうとしたが、父と同輩くらいの将校は笑って「なんの、姫のお手を煩わせるわけにはまいりませぬ」と言ってアルヴィンの席である手前の椅子の隣に置いた。それがとても居心地が悪い。こんな華奢な椅子ひとつ持てない女だと思われたくない。


「とりあえず、今は急ぎだ。あとで話を聞いてやるから、今は、おとなしく座れ」


 アルヴィンに言われて、ユディトは胸にもやもやを抱えながらも頷いた。アルヴィンだけは分かってくれる。きっと本当に後で八つ当たり三昧の時間を設けてくれるだろう。アルヴィンを信じて、ユディトは素直に席についた。


「さて、始めますか」


 師団長のすぐ隣、ユディトから見て右の一番奥にいる連隊長が言う。


「奥方様のために昨日までの話を簡単にさらっておきましょう」


 ユディトはかしこまって首を垂れた。


「ヴァンデルン自治区に不穏な動きがあります。先月、諜報部員が情報を持ち帰ってきたところによると、一部の部族が東と接触したとのこと」


 この場合の東とは、東国、南東部で国境を接しているオストキュステ王国のことを指す。

 ユディトは緊張するのを感じた。オストキュステ王国は仮想敵国だからだ。


 オストキュステとホーエンバーデンはもともと仲良くはなかったらしい。が、関係が決定的に悪化したのは、二十年ほど前、先王が第二王女ヘルミーネを未来の女王として指名した時だ。当時のオストキュステ王は女王が立つことを認めず、ヘルミーネが王位にある間はまっとうな国として外交関係を結ばないと通告してきた。女には政治などできぬと言ってきたのだ。

 ヘルミーネはこれを内政干渉として不服を訴え、即位してまずオストキュステと戦争をした。女王ヘルミーネは軍事衝突を恐れない。その心意気を買った周辺諸国やヴァンデルンが協力を申し出たため、ほどなくしてホーエンバーデンは勝利する。こうして表向きオストキュステは女王ヘルミーネの即位を承認させられたわけだが、腹の中では面白く思っていないようで、現在正式な国交はない。


 女王が自らも女でありながら後継者は絶対男子がいいと思っている理由もこの辺にありそうだ。彼女は、おそらく、必ず周辺諸国に承認される、承認されなくても軍事力で相手国を押さえつけられる勇ましい王子を望んでいる。


「今我が国は王太子の失踪により国際的な信用を失っておりまする。こんな時に東と一戦を交えるのは賢いやり方ではない。何とか当該の部族に懲罰を加えるだけで事が起こるのを未然に防ぎたい」


 ルパートの顔を思い出した。あの、人形のように美しいがいまいち何を考えているか分からなかった王子のせいで、女王の威信に傷がついている。


「しかし、ここで強引に自治区に介入していってはヴァンデルン全体の心が離れていきかねませぬ。そこで、まずは、ヴァンデルンを協力者と敵対者により分けて、協力者たちの指示を仰ぎつつ状況証拠を揃えていくことになり申した。――ここまではよろしいかな?」


 ユディトはすぐ「はい」と頷いた。


「――で。さっそくですが、アルヴィン殿下におかれましては、今日の午後に協力部族の首長たちとお会いいただきたい」


 連隊長が部族の名前を三つ挙げた。とりあえず三人来るようだ。


「よろしいですかね」


 アルヴィンが「ああ」と応じる。


「ユディト、お前も来い」


 ユディトは「承知した」と言いながら大きく頷いた。


「具体的に何を議題に会談していただきたいか、というのを、今からご説明します。おのおのがた、疑問や提案があれば随時」


 その時だった。

 扉を激しくノックする音が聞こえてきた。


「師団長! お話し中申し訳ございません! 火急の報せが入ってまいりました! 大至急お話しとう存じます!」


 将校たちが扉に注目した。ユディトとアルヴィンも振り向いた。

 師団長は落ち着いた声で答えた。


「開けてやれ」


 アルヴィンの斜め向かいにいた将校が立ち上がり、扉を開けた。

 扉の外に三人の若い軍人が立っていた。三人とも走ってきたのか息が少々荒い。その表情は硬く強張っていて非常事態が起こったことを言外に告げていた。


「中央で重大事件が発生しました」


 胸がざわつく。


「先ほど使者が到着して直接幹部の皆様方に状況をご説明したいと申しております。なんでも、その者は事件の現場に居合わせたとのことです。訊けば訊くほど詳細に語るので嘘はないかと」

「ふむ。軍の人間かね」

「いえ、ヘリオトロープ騎士団の者だと名乗る若い女です」


 思わずユディトはその場で立ち上がった。


「誰だ」


 青年はしばらくしげしげとユディトを眺めていたが、ユディトが騎士団の制服を着ているからか、最終的に話してもいいと判断したようだ。


「エルメントラウト・アドラーと名乗っています」

「エルマ……!」


 ユディトは駆け出した。アルヴィンと数名の将校がその後に続いた。



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