第3章 そろそろ歩み寄らないといけない夏の初め

第13話 たまには真面目に政治的な話をします

「お前に南方師団の視察を命じます」


 謁見の間、玉座に女王として座るヘルミーネが、重々しい口調でそう告げた。

 アルヴィンは、彼女の前にひざまずき、恭しい態度でそれを聞いていた。


 ルパートが消えて二ヶ月が過ぎた。

 甥の婚約をきっかけに活力を取り戻した女王は、長男がいた頃と変わらぬ精力的な政治活動を始めた。

 まずは長女を嫁がせた西国、ホーエンバーデン王国から見て西北にあるニーダーヴェルダー王国との経済的互恵関係に関する条約を更新するそうで、近々直接先方の国に外遊して誓約書に署名するとのことである。


 しかし女王が王都を留守にすると不逞の輩が出てくるおそれがある。

 その代表例として考えられるのが南方に住む少数民族ヴァンデルンだ。


 十五年前、女王はヴァンデルンに王国の南東部にある山がちな土地を与えた。

 だがこれは王国にとって危険な賭けだった。

 流浪の非定住生活を送っていたヴァンデルンは、狭い土地に閉じ込められたと感じて不満を抱くかもしれない。

 事実南方では時折ヴァンデルンと王国軍南方師団の小競り合いが発生する。ヴァンデルンが無許可で自治区から出て周辺の村々で略奪行為をするためだ。報告があるたび王国軍が出動して制圧する。そして狼藉をはたらいたヴァンデルンを捕縛して王都の裁判所を経由して牢獄に送り込む。数としては現在合計で二十人足らずだが、毎年ひとりふたり捕まえているのだと思うとあまり芳しいことではない。


 ヴァンデルンはいつの時代も不穏分子だ。

 文化の違いからくる摩擦だけではない。

 彼らは季節ごとに移住する。国境は彼らにとっては関係がない。

 ホーエンバーデン王国を出て、緊張状態が続く東国オストキュステ王国に行く者たちがある。

 スパイとして、あるいは密貿易者として、ホーエンバーデン王国にとって不利益をもたらす形で戻ってくる可能性もある、ということだ。

 したがって女王としては逆に彼らにずっとこの国の自治区の中にとどまってほしい。


 素直に女王の言うことを聞いてくれる連中ならこんなに揉めないのだ。


「私が常に南方情勢に気を配っているということを知らしめる必要があります。王族が見に来るとなれば南方師団の意気は上がるでしょう。ヴァンデルンに対する牽制にもなります。そして、オストキュステにも。私が南東部を捨てる意図でヴァンデルンに与えたつもりではないということを主張しておかなければなりません」


 アルヴィンは余計なことは言わずに短く「は」とだけ返事をした。


「贅沢を言うなら――できることであれば、お前にはヴァンデルンの首長たちとも顔合わせをしていただきたく思います」


 予想外の言葉に、弾かれたように顔を上げる。


 女王は冷静な顔をしていた。ほとんど無表情と言ってもいい。ただ唇だけを動かして喋っているように見える。とても我が子の家出に振り回されたり甥の婚約にはしゃいだりするとんちんかんな女には見えなかった。アルヴィンをはじめとするホーエンバーデン王国の民一同が慕っているのはこの女王だ。


「ヴァンデルンも一枚岩ではありません。南方師団の将軍たちが調略を行なっております。もしうまくいくようであればお前もこちら側に好意的な首長たちに対面しなさい。王族として、女王の息子がヴァンデルンを気に掛けていると思わせるのです。極力友好的な態度を取りなさい」

「俺が?」

「そうです。この務めはもっともお前がふさわしいと思って任命します」


 女王が立ち上がった。ドレスの長い裾が床にふわりと広がった。

 玉座と下の床の間にある三段の階段をゆっくりと下りてくる。その足取りは実に優雅だ。

 彼女の華奢だが長い指のついた手が、ひざまずいたままのアルヴィンの顎をつかんだ。

 女王の碧の瞳が、アルヴィンの紫の瞳を覗き込む。


「お前ももういい大人になったと思うので、今こそ大事なことを話します。これまでお前を傷つけまいと思いあえて黙ってきましたが、そろそろお前にも政治を分かってもらわねばなりません」


 女王の爪がアルヴィンの皮膚に食い込む。その爪は瞳の色によく似た青緑に染められている。


「お前の黒い髪と紫の瞳には政治的価値があります。ヴァンデルンに、自分たちの親族かもしれない男が王族にいる、と思わせることができる、という価値です」


 アルヴィンは両眼を見開いた。

 女王はなおも冷静で、声色はまったく変わらなかった。


「女王はヴァンデルンの子を育て、長じたら軍の要職を与えて花嫁を用意した――これ以上にヴァンデルンに対して効果的な宣伝はありません。ヴァンデルンに、女王は自分たちにとって優しく親しみのある王である、という印象を植え付けるでしょう」


 アルヴィンの紫の瞳は明らかな混血の証だ。一目見ただけでヴァンデルンの血を引いていることが分かる。

 女王は、それを利用して、宥和政策を取っていることをアピールしたいのだ。


「彼らにホーエンバーデン王国の方に馴染めば自分たちに利益があると信じ込ませるのです。オストキュステよりホーエンバーデンを選ばせなければなりません」

「陛下……」

「そのために。お前が、行きなさい。ヴァンデルンの血を引くお前が」


 彼女の碧の瞳には感情が映らない。


「なんなら、ヴァンデルンの旗印になっておやりなさい。彼らを束ねる王として、ホーエンバーデンとヴァンデルンの架け橋になることを目指しなさい」


 自分の人生がそんな壮大なものになるとは思っていなかった。自分は無価値で、王家の恥さらしで、名ばかり将校のただ飯喰らいだ、くらいに思っていた。


 まったく悲しみがないわけではなかった。

 女王はただ愛のために自分を引き取ったわけではなかったのだ。もしかしたら真の意味で家族だとは思っていなかったのかもしれない。自分を利用するために今日までともに過ごしてきたのかもしれない。


 それでもいい。

 喜びの方が勝った。

 生まれてきたことに意味があったように思う。存在価値を見出だされた気がする。

 ずっと呪いでしかなかった紫の瞳が、ようやく活用される。

 それに、アルヴィンは、強く美しく賢くたくましい女王が好きだ。彼女の政治に協力できるというのは嬉しいことだった。


 家族の愛、といった、私的なものではなく。

 ホーエンバーデン王国の未来、といった、公的なもののために。


「おおせのままに」


 アルヴィンがそう言うと、女王は手を離した。そして、今度はアルヴィンの黒い髪を撫でた。


「ですが、忘れないでください。それがすべてではありません。私はあなたのことも我が子と思っています。そうであるからこそ。家族であるからこそ、王族としての務めを果たしてほしいのです」

「かしこまった」


 アルヴィンは、深く頷いた。


「すべて、承知致した」


 顔を上げると、彼女は今度、母親の顔で柔和に微笑んでいた。


「頼りにしています、アルヴィン。あなたも私の誇りです」


 言いつつ、玉座に戻っていった。


「それで、いつから行ってくれますか」

「何日向こうに滞在するか次第だ。向こう何ヶ月くらい?」

「そんなに長期間いる必要はありませんよ。長くて一ヶ月くらいですか。少し様子を見たら一度帰ってきて私に状況を報告しなさい」

「承知した。ではこの週末に荷物をまとめて来週の月曜日に発つ」

「それはまた、急ですね」

「男の荷造りなどそんなものだ」


 そこまで言うと、話が済んだものと思ったアルヴィンは、「では」と言って立ち上がった。

 それを引き留めるように、女王が言った。


「細かい日程については後で秘書官に紙に書かせてお前に渡そうと思いますが、とりあえず、宿について話しておきますね」

「宿?」

「リヒテンゼー伯の城に滞在できるよう伯爵と話をつけてあります」


 アルヴィンは頷いた。リヒテンゼーは王国南部でもっとも大きな州だ。中心となる町は南方師団の駐屯地でもある。


「といっても、伯爵本人は王都で仕事があるので、お前の世話は向こうの城にいる家の者に託したいと言っていましたが。それとも伯爵についていってもらった方が良いですか?」

「構わん。そんな厚遇は必要ない」

「そう言ってくれると思っていました」


 そこまで話すと、女王が「よろしい、今日の話は終わりです」と言った。それを聞き、アルヴィンは「失礼」とだけ言って謁見の間を退出した。


「アルヴィン様っ!」


 廊下に出ると、柱にもたれかかって待機していたロタールが目の前に飛び出してきた。


「陛下、何のご用でした?」


 十メートルもの幅のある明るく開放的な廊下で政治的戦略の話をするのは気が引けて、「後で部屋に帰ったら説明する」と答えた。


「とりあえず、俺は一ヶ月ほどリヒテンゼーに行くことになった」

「バカンスですか!?」


 ロタールがぱっと笑顔を作る。


「やったー! 僕もお供します!」

「違う。仕事だ」

「なんだぁ」


 リヒテンゼーはオストキュステ王国やヴァンデルン自治区と接する要衝だ。

 しかしそれ以上に――大きな湖があり、静かな森が広がっている、風光明媚な保養地だ。王都の人間からすれば、最高の避暑地なのであった。


「仕事って、軍のですか?」

「そうとも言えるし、王族としての、とも言える。ヴァンデルン絡みでちょっとな」


 ロタールはそこで何か感じ取ったものがあるらしく一瞬言い淀んだが、


「まあ、でも、いいタイミングですね。この前ユディト嬢との婚約がまとまってリヒテンゼー伯と仲良くなれそうな雰囲気になったばかりですもんね」


 彼に言われてから気づいた。


「あっ!? リヒテンゼー伯ってシュテルンバッハ卿か!?」

「えっ、気づいてなかったんですか?」


 ユディトの父親だ。政治のことで頭がいっぱいでユディトのことが頭からすっぽ抜けていた。


「急速に俺の心に暗雲が立ち込めた」

「でも、ユディト嬢はリヒテンゼーに住んでいるわけじゃないですからね。王都を離れるということは、ひと月の間お別れ、ってことじゃないんですか?」


 ロタールに言われて、胸を撫で下ろす。


「そうだな、一ヶ月間離れ離れだな……よかった」

「僕にはなんでそんなに距離を置きたいのか分かんないんですけど、まあ、押してだめなら引いてみろって言いますし――」

「一回も押してない」

「独身最後の旅行ですよ。ぱーっとやりましょ、ぱーっと」


 彼のこれでもかというくらいの前向きさに救われて、アルヴィンはほっと息を吐くのだった。



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